第二話: けして、頭が悪いわけではない(強弁)




「こりゃあまた、大物が来たな。ユーヴァルダン学園と言えば、探究者たちの間でも有名だぞ」



 驚きに目を見開くマリーの言葉に、入口で様子を伺っている女たちも驚きに顔を見合わせていた。


 言ってしまえば、ユーヴァルダン学園はエリートたちが集う学校だ。女たちの反応も、ある意味仕方が無かった。



「ははは、いやあ、大物だなんてとんでもない。凄いのは私じゃなくて、学園ですよ……私自身は、何でもないただの男です」



 そう言う等々力であったが、その顔には満更でも無い笑みがあった。まあ、仕方が無い事だ……チラリと、マリーはデュンに目を向けた。



「ところで、そこのデュンさん。さっきから随分としかめっ面だが、どこか具合でも悪いのかい? 悪いんだったら、外に出て空気を吸ってくるといい……ついでに散歩でもして来たらどうだい? あんたが帰ってくる頃には話が終わっていると思うからな」

「……いえ、お気遣いなく。特に具合は悪くありません……そう見られることがあるらしくて、お気になさらなくても大丈夫ですから」

「ああ、それなら安心した。腐った羊の腹から零れ出たウンコのような顔色しているから、何事かと思ったぜ」



 ギョッと目を見開いたデュンを見て、マリーはにっこりと笑みを返した。



「あっと、すまない。腐った羊のウンコはさすがに言葉が悪かったな……大丈夫ならそれでいいんだ。よく見たらウンコよりはマシな顔色しているようだし……それじゃあ等々力さん。話を戻そうか」

「……、……っ!」

「え、あ、は、はい……そうですね」



 理解するにしたがって、ふるふると総身を怒りで震わせていくデュンの様子に、等々力は苦笑した。


 どうやら、等々力自身もデュンの発言に思うところがあったようだ。等々力の方からは、特に何も言うことはないようであった。



「――な、なんて意地汚い言葉かしらね。さすが、娼館に住むだけのことはあるわ……品性の無さがうかがい知れるわね……!」



 込み上げてくる怒りを堪えながら、デュンはそう言って唇の端をつりあげる。笑みを作っているつもりなのだろう。「――バカっ」と等々力から小声でお叱りが入ったが……今回は相手が悪かった。



「なあに、俺だって、相手によってはしっかり背筋正してお洒落して、歯が浮くようなお世辞も出すさ。特に美人が相手なら、とっておきのワインもプレゼントしちゃうぜ」



 ぷふっ、と入口から聞こえてくる女たちの押し殺しきれない笑い声。


 言葉もなく全身を紅潮させていくデュンの姿に、等々力はさらに苦笑を深めながら……椅子の横に置いた己の鞄から一枚の用紙を取り出すと、それをテーブルに置いた。


 等々力の真剣な眼差しに、思わずマリーは背筋を正す。つられて、笑っていた女たちも、笑みを引っ込めて二人を見つめた。



「……マリーさん、単刀直入に言います」



 スッと、用紙がマリーの前に差し出される。薄く青色掛かった用紙は、おそらく複製防止の為の専用紙だろう。


 書込み欄らしき空白が並ぶそこに視線を落としたマリーは、一番大きく印字された文字を見て、ピクリと目尻を痙攣させた。



「ぜひ、あなたもユーヴァルダン学園の一員になって頂きたいと私は思っております」



『ユーヴァルダン学園 入学届』


 大きく印字されているその文字の下には、学園長直筆のサインと、校章の入った印鑑がデカデカと押されていた。


 そっと……差し出された用紙を手に取り、マジマジと眺める。つるりとした肌触り、なのに頑丈さを感じ取れる……かなり上等な用紙だ。



「もちろん、今すぐ返答してくれとは言いません。入学金も学費も免除しますし、寮費はもちろん、場合によっては報酬金も出します。優秀な成績を収めてくだされば、それに応じた臨時報酬も出すことを、ここで約束します」



 チラリと目を向けた途端、怒涛の勧誘が等々力の口から飛び出した。


 別段、そんなつもりはなかったのだが……いや、どこかで懐疑の色が混じっていたのだろう。でなければ、等々力の額に汗など滲んでいないはずだ。



「……色々先回りしてくれるのは有り難いが、俺が聞きたいのはそっちじゃないぞ」



 ため息と共に、マリーは用紙をテーブルに戻した。次いで、脳裏を走る混乱を解すようにぐるりと頭を振ると……ゆっくりと、頭をあげた。



「何が目的だ?」



 炎よりも鮮やかに輝く真紅の瞳を向けられた等々力は、しばし目に力を込めて見返していたが……根負けして、ふにゃりと肩を落とした。



「……あなたのお噂を聞いた我々が、学園にスカウトしに来た……じゃあ、納得してくれませんよね?」

「納得してくれる相手かどうかは、俺に言われる前に理解しているだろ」



 ほれ、きりきり話せ。そう視線で促された等々力は、「……参りました、降参です」軽く両手を頭上に上げて負けを認めると、フッと表情を引き締めた。





 ……。


 ……。


 …………仕事に向かう為に一人、また一人、女たちがその場を後にしていく。



 エイミーやマリアもその場を後にし、残っているのはサララ、イシュタリア、ナタリアを含む、数人の女たちだけであった。



「……つまり、お前さんたちが言いたいのは、だ」



 その中で、マリーはかりかりと頭を掻いた。



「生徒の質が下がってきているから、実力者を学園に引っ張って来て、名門の看板を守りたい……ってことでいいんだな?」



 長々と続いた無駄な部分をばっさり切り捨て、要点だけを自分なりに纏めたマリーは、そう等々力に確認する。そして、それはだいたい合っていた。



「おおむね、その通りです」



 冷たくなった紅茶を啜っていた等々力は、はたと顔を上げて頭を下げた。その横でデュンは、そっぽを向いていた。どうやら、根に持つタイプのようだ。



「すみません、無駄話が長くなってしまって……気を付けてはいるのですが、お手数をお掛けしたようですね」

「無駄話は嫌いじゃないさ。ただ、不可解な話は好きじゃないがな」



 クイッとカップを傾けたマリーは、それをソーサーに置いた。「不可解な話……ですか」と苦笑する等々力を見て、「そりゃあ、そうだろう」とマリーは言い切った。



「ユーヴァルダン学園と言えば、探究者のエリートを輩出している学校だぞ。俺も何度か学生を見たことはあるが、誰もが一目で分かる実力者だった……正直なところ、俺にはあんたが冗談を言っているようにしか思えんな」

「……失礼ですが、マリーさん。その、マリーさんが知っている実力者の二つ名は、幾つご存じでしょうか?」



 突然、話の腰を折る様に尋ねられて、マリーは思わず目を瞬かせた。


 しかし、「――思いつく限りで結構なので、教えてください」と真剣な眼差しを向けられて、「……あんまり覚えてねえからな」マリーは、促されるがまま両手の指を広げた。



「『爆裂拳のゲキドウ』に『霧刀の羅刹』……あと『死人使い』に『ゲテモノ食い』……それと、『気銃の龍姫』……うーん、今すぐ思い出せと言われれば……」



 そこまで口にしたあたりで、だ。マリーの瞳が、部屋の隅で手を挙げているイシュタリアを捉えた。


 位置的には等々力たちの真後ろで、入口でたむろしている女たちからも見えにくい場所……何時の間に入って来たのだろうか。


 パクパクと口を開いて己を指差し、両手を大きく広げて背伸びをしている。加えて、その後ろには『イシュタリアに清き一声を!』と書かれた紙を掲げているナタリアの姿まで有った。



 ……何百年と生きているくせに、あまりに必死である。というか、イシュタリアのやつはナタリアに何を教えているのだろうか。



 何とも間抜けな姿にムラッと悪戯心が刺激されて仕方がなかったが、それをやったが最後面倒なことになりそうだったので、我慢することにした。



「……後は、『時を渡り歩く魔女』ぐらいだな」

「『時を渡り歩く魔女』……ふむ、その名前を聞くのは久しぶりですね。実在するのかどうかは知りませんが……魔女を除いた皆様方は、第一線で活躍する探究者たちです……ですが、そこで一つ考えていただきたいのです」



 そう等々力が溜めを作った辺りで、イシュタリアは天を指差して仁王立ちになった。


 凄まじく腹が立つ笑みを見せて勝ち誇っているその頭には、これまた何時の間に用意したのか、ナタリアが紙吹雪を振りまいていた。


 ――う、うぜえ。


 イシュタリアのその姿自体が鬱陶しいのに、なぜだかナタリアまでドヤァ、と勝ち誇った笑みを浮かべている。正直、ここにお客がいなかったら拳の一つでも叩き込んでいるところだ。



「去年、一昨年、有名になった二つ名は――」

「ああ、言わなくていいぞ。理由なんて知っても俺の答えは変わらんし、時間の無駄だからな」



 続けようとしていた等々力の説明を遮って、マリーは入学届の用紙をススっと突き返した。「……えっ?」と目を瞬かせる等々力を他所に、マリーは椅子から腰をあげた。



「せっかくの申し出だが、断らせていただくよ。わざわざご足労ご苦労様だが……他を当たってくれ」

「……え、あなた正気なの?」



 奇妙な物を見るかのような視線をデュンから向けられながらも、マリーの気持ちは一切動かなかった。それに、怒りも湧かなかった。


 何となく、マリーはデュンの言いたいことは分かっていた。


 なにせ今のマリーは、タダで手に入るキャリアを捨てようとしているのだ。常識的な考えを持っているやつからすれば、正気を疑われても仕方がない行動であった。



「あいにくと、この館の中は昼間限定で禁酒しなければならない決まりでな。悲しいことに、今の俺は素面だよ」



 等々力とデュンに背を向けて、イシュタリアとナタリアの元へ向かう。気づいた二人が脱兎の勢いで逃げて行くのを見たマリーは……グッと身体に重みが掛かって、たたらを踏んだ。



「――ま、待ってください! そこを何とか! そこを何とかもう一度ご検討を願います!」



 振り返れば、必死の形相で裾を掴んでいる等々力の姿があった。「おいおい、ずいぶんと必死だな」とため息を吐くマリーの背後から、サララが無言のままに『粛清の槍』を肩に乗せて近づいて来た。


 ――いかん、このままでは客が色々な意味で片付けられてしまう。


 マリーが手で静止の合図を送ると、サララはその場に立ち止まった。喜色に顔を綻ばせて席を立とうとしていたデュンは、先ほどとは別の理由で震えていた。



「お願いします! 一年だけ……いえ、せめて一定日数在籍してくださったら、すぐに卒業させますから! 過去に私どもとトラブルを起こしていたのであれば、後で詫び状をお送り致しますから!」



 そう唾を飛ばして叫ぶ等々力の顔……凄まじい執念で満ちていた。何をそこまで必死になるのか……もう一人に尋ねようとも思ったが、面倒なので止めた。



「……いやあ、確かに学園のやつらとは何度かそういうことはあったが、俺が言いたいのはそこじゃねえんだよ」



 カリカリと、マリーは頭を掻く。そして、しばし両腕を組んでう~んと唸ると……困ったように首を傾げた。



「学園といったら、やっぱり勉強をするんだよな?」

「……へ?」



 ぽかん、と呆けた様子で目を瞬かせる等々力と、同じく目を瞬かせているデュン。その二人からそっぽを向いたマリーは、誰に言うでも無く呟いた。



「いや、だってさあ……俺、こう見えて実年齢三十後半……たぶん、もうすぐ四十になるやもしれないオッサンだぞ」

「ええっ!?」



 等々力のみならず、デュンの方からも驚愕の声があがる。二人が驚くのも、まあ当然のことである。


 ……というか、普通はそういう反応を見せるのが普通だ。『可愛いわね』の一言で済ませるラビアン・ローズ在住の女たちがおかしいのである。



「――おとこっ!?」



 二人の声がまた重なる。まあ、無理もない。マリーのことをある程度調べてはいたようだが、どうやら二人も騙されて(意図していないとはいえ)しまったみたいである。



「……ああ、そういえばそうだった。周りが当たり前のように子供扱いするから忘れていたけど、俺って男で、それでいて、もうオッサンなんだよな」



 今更ながらの事実を思いだし、思わず胸が熱くなる。久しく忘れていた男としての気持ちが湧き上がりそうだ……が、すぐに今の己を考えて、萎えた。


 今更周囲の評価が男性になったところで、肝心のアレが粗末過ぎて役に立たないのだから意味がない。忌むべき事実を、思い出したからである。



「慣れとは怖いものじゃな。ついこの間に童貞を捨て去ったばかりだというのにのう……有るか無いかの大きさでは実感が薄いのかもしれぬな」

「横からいきなりうるさいよ……というか、お前何してんの?」



 掛けられた言葉に視線を向けると、イシュタリアとナタリアが掃除をしていた。


 悔しそうな様子で箒を動かしている二人の後ろで、にこにこと和やかな笑みで監視しているマリアの姿があった。


 イシュタリアたちもそうだが、マリアも何時の間に戻って来たのだろうか。


 チラリと視線を下げれば、塵取りには大量の紙吹雪が収まっている。どうやら先ほどのお遊びの後片付けをさせられているようだ。



 ……こ、子供かこやつらは。



 と、言いそうになったマリーは寸でのところで唇を手で覆った。ムズムズと湧き上がってくる感覚を振り払うかのように、呆然としている二人に「だからさあ」と話を続けることにした。



「俺が最後に教科書を持った日から、かれこれ二十年以上前にもなる。当時ですら成績は真ん中から少し上ぐらいだったのに、勉強でも名門のユーヴァルダンに入ってどうしろと言うんだ」

「だ、大丈夫です。特待生として、テスト等の学力試験は全部免除にさせますから」

「いや、だからそういう問題じゃねえんだってば……ああ、もう、この際だから包み隠さずはっきり言おうか」



 深々と、マリーはため息を吐いた。



「ぶっちゃけ、この齢になってまで勉強するのが苦痛なんだ」

「えっ」

「なんでそこで驚く……そもそも勉強できるやつが、わざわざ探究者なんていう危険な仕事に就いたりはしないだろ」



 実に誤解と偏見と怒りを買いそうな発言である。というか、実際に喧嘩を売っている。


 まあ、勉強が出来ない割合の絶対数がどうしても多いから、マリーのその偏見もやむなしな部分はあった。



「……私は勉強出来るのじゃ。こう見えて、百年ぐらい本と睨めっこを続けた時があったからのう」


 その横で、手を挙げているイシュタリアの姿が有ったが、マリーの耳はそれを華麗に無視した。



「そんな勉強出来ないやつの一人である俺が、勉強できるやつの集団に入る。それを考えただけで怖気が走る……嫌だぞ! 頼まれたって俺は行かねえからな!」

「うん、それがいいと私も思う」



 よく分からない宣言をするマリーに、瞳を輝かせたサララが拍手をする。言っていることは酷く後ろ向きなのだが、サララにとってそれは重要なことでは無いらしい。



「……でも、私は学校に行った方がいいと思うなあ」



 だが、マリアは別であった。いや、マリアだけではない。部屋の入り口で成り行きを見守っていた女たちも、マリアを賛同するかのように深々と頷いていた。



(……むむむ)



 率直に、マリーは嫌な予感を覚えた。


 こういう時のマリアはというか、意見を一致させた女たちは要注意だ。さすがは元娼婦というべきか、相手の気持ちを操る会話術と、納得せざるを得ない空気の作り方を知っているからである。


 特に、会話術の方が厄介だ。


 いつも気づいた時には、『マリアの提案を受け入れた方が得』という気持ちにさせられてしまう。そのうえ実際に特をするばかりでなく、無理に突っぱねて損をしたことも一度や二度ではない。


 これは心して掛からねばならない。俺は勉強机に腰を下ろすよりも、ベッドに腰を下ろしてダラダラしている方が好きなのだ……そう気持ちを固めたマリーは、ジロリとマリアを睨む。



「マリー君。せっかくの機会だし、挑戦してみたらいいんじゃないかしら?」



 しかし、可愛いという形容詞が上に付くマリーの眼光など、マリアに効くはずもなかった。



「いや、でも、この年になって勉強するのも……それに、俺は探究者だぞ。今更勉強したって何も――」

「あら、それじゃあマリー君は、サララよりも馬鹿でいたいってわけね。それだったら、私はこれ以上何も言えないわね」

「……なに?」



 ――あ、いかん、これは負ける。


 心の奥底に残っている冷静な部分が警報を鳴らしたが、既に警報を鳴らした時点が……遅かった。


 すぐ傍で、当のサララが必死の形相で首と手を使って否定の意を精一杯見せていたが……マリーの目には入らなかった。



「サララは学校に通ってはいないけど、文字の読み書きはもちろん、計算だって出来る。あんまり化粧をしないから目立たないけど、女の子の嗜みだって出来るし、料理だって上手よ」

「嗜みは別として、それ以外は俺も同じだぞ」



 自慢ではないがマリーだって料理は出来る。ただ、ここしばらく調理はおろかフライパンにすら触っていないので、少しばかり腕が落ちていることは自覚している。



「そう考えると、サララとそう変わらんだろ」



 率直な感想とともに、マリーはやれやれと笑みを浮かべた。どうやら、予感は外れたようで、今日はマリーの勝ち――。



「言い換えれば、それって十代の女の子と大して変わらないってことになるわね」



 ポツリとマリアが呟いた瞬間、マリーの脳裏に戦慄の稲妻が走る。


 マリーの世界から、音が消えた。



 …………えっ?



 ゆっくりと、マリアの言葉が脳奥へと浸みこんでくる。徐々に理解が広まって行くと同時に、胸中の奥で繰り返している鼓動が、どんどん激しさを増していく。ポツポツと、全身から汗が吹き出していくのをマリーは知覚した。



 まさか……いや、そんなバカなことがあっていいはずが……いや、しかし、言われてみればサララはアホの子だが、バカではないぞ……!



 徐々に目を見開いて行くマリーの傍で、「ち、違うよマリー! マリーは私よりもずっと色々なことを知っているし、私よりもずっと賢いから!」と声を張り上げるサララの姿があったが……マリーの額から、大粒の汗がしたたり落ちた。


 それから、およそ2分後。『入学届』に力強くサインをするマリーの姿が有って、その後ろで満面の笑みを浮かべるマリアの姿があったのは……言うまでもないことであった。






 ……。


 ……。


 …………そして、最初の時とは打って変わって笑顔で帰って行った二人を見送った後。


 苛立ちというか、己に対する不甲斐なさを発散する為にマリーはダンジョンへ向かう準備を始め――。



「それじゃあ、マリー君は学校に通うに当たって、これを付けなきゃ駄目ね。そういう場所に行くとなると、今までのように拳で解決してはならないこともあるだろうし、色々な意味で自衛と言い訳が必要になるでしょうから」



 ――ようとして、マリアから笑顔と共に差し出された……錠前が付いた三角形の物体を見て、足を止めた。



 錠前から横にグルリと輪を描くように張られたなめし皮に、もう一本のなめし皮が、錠前の反対外の位置でかみ合わせる様にして引っ掛けられている。


 それはまるで、女性物の下着をイメージさせる外観であった。


 ……正直、マリーにはそれが何なのか全く見当が付かなかった。というか、初見の感想は『ずいぶんと変な造形の兜だな?』であった。



「……マリア、それはいったい何なんだ?」



 横でそれを見た瞬間に腹を押さえているイシュタリアを見て、マリーは強い不安に駆られる。


 正直、マリアが差し出したそれが、かなり碌でもない物体であることは、サララの妙に興奮している顔を見て想像がついていた。



「何って、決まっているでしょ」



 にっこりと、マリアは笑みを浮かべた。



「マリー君の身体と名誉を守る、安心と信頼の貞操帯よ。これさえあれば、サララも安心するし、マリー君も万が一のときに力を発揮する、心強い味方よ」



 ぬらりと鈍い光沢を見せるなめし皮と、きらりときらめく冷たい錠前。なるほど、見た目は酷いが、物理的に侵入を防ぐという考え方は理に適っている。



「……あの、なんでそんなものを俺に?」

「だって、マリー君は何だかんだ言っても見た目は凄く可愛らしいでしょ? やっぱり、魔が差す人が現れたって不思議じゃないし……ユーヴァルダン学園に通える人って、お金持ちの家の子が多いのは知っているわよね?」

「……それで?」

「お金持ちの世界ではね、同性愛ってけっこう珍しくない趣味だったりするのよ。特に、マリー君のように可愛らしい男の子が好みっていう人は多いわよ」




 ……マリーは、無言のままに貞操帯に手を伸ばした。




 肝心の付け心地を、「――鬱陶しいうえに蒸れるし微妙に重い、具合は最悪」の一言でマリーが評価するのは、それからすぐのことであった。



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