第十九話: 外れた歯車は噛み合うことなく ※注意

 ※残酷な描写、グロテスクな描写、性的を思わせる描写があります。苦手な方は注意










 優れた身体能力を生まれ持っている竜人たちにとって、戦いとは、言い換えれば『狩り』であった。



 固く力を込めれば、鋼鉄のように硬度を増す手足。繰り出す拳はあらゆる外敵を貫き、石のように固いモンスターの甲羅すら破壊することが出来る。


 人間どころか分厚い毛皮に覆われたモンスターをも容易く切り裂く鋭い爪に、人間を超越した圧倒的な筋力。何時だって、竜人に勝利をもたらしてきたものだ。


 武器や防具でその身を武装するのは、軟弱な生き物の証明。生まれ持っての選ばれた力によって、他を圧倒する。肥大した自尊心によって生み出された、竜人特有の美意識は、マリーたちとの戦闘においても表に出た。


 そんな竜人たちにとって、唯一の弱点とも言っていい、鱗に覆われていない肌の部分。


 鱗に覆われた部分よりも強度は落ちるものの、それでも動物の牙ぐらいでは傷一つ付くことない。マージィの渾身の一撃ですら、浅い傷しか与えられなかったのが、その証拠である。


 だから、即座に反撃されたマージィは想像すらしないだろう。不意打ちとはいえ竜人の肌に傷をつけたことは、称賛されてもいいぐらいの偉業を達成したに等しいことなのであった。



 ――動いたのは、竜人の方が早かった。正確に言い直すのであれば、男の竜人たちが、である。



 優に2メートルに達するのではないかと思える程の巨体が、信じられない俊敏性でもって移動する。トカゲが如き瞬発性を如何なく発揮した男竜人たちは、コンマ何秒という時間で、十数メートルという距離を詰めた。


 その中で、最初に飛び出したのは、竜人の中でも特に血気盛んな若者であった。刃のように研ぎ澄まされた眼光が獲物として見据えたのは……マリーであった。


 びゅお、と空気が舞う。常人であれば、近接されたことを認識出来るだけのわずかな時間。その一瞬の合間に、若者は拳を振りかぶっていた。


 メキメキと振り被った腕の筋肉が盛り上がる。チラリと、マリーの瞳がこちらを捕らえたのを認識した若者は……愉悦に顔を歪めた。



 ――今、その小奇麗な顔をぐしゃぐしゃにしてやるよ!



 固く握りしめた拳。今まで、いくつものモンスターの命を奪い、鎧などという軟弱な物で身を守る人間を貫いた凶器が、振り下ろされた!


 瞬間、ぱん、と乾いた音が響いた。拳の先に捕らえた確かな手ごたえと、パッと飛び散った鮮血に、若者の笑みがさらに深まった。


 しかし、すぐに若者は異変に気付いた。確かな手ごたえがあったというのに、マリーの顔が、元の位置にちゃんとあるのだ。



「……んん!?」



 マリーの顔は無事であった。目も、鼻も、口も、元の造形を残しているのが、鮮血でコーティングされた上からでも見て取れた。


 地面に落とした卵のようにマリーの顔が砕け散る様を想像していた若者の笑みが、困惑に歪んだ。思わず目を瞬かせて、悠然と構えたままのマリーを見やった。



「なんで、生きて――!?」



 瞬間、若者は腕から走った強烈な激痛に言葉を無くした。


 それは、今まで経験したことがない、吐き気をも催す程の饒舌し難き苦痛。あまりの痛みにたたらを踏んで距離を置いた若者は、そこへ目を向けて……絶句した。



「お、俺の腕が!」



 肘から先。本来、鱗で覆われた手があるはずの部分が、そっくりそのまま無くなっていた。


 断面図と思しき部分からは間欠泉のように鮮血が噴き出しており、千切れそびれた鱗の一部がぷらんぷらんとへばり付いていた。


 事実を理解した瞬間、若者は女の様に甲高い悲鳴をあげた。思考は混乱の濁流に飲み込まれ、頭の中は『なぜ?』の文字で埋め尽くされた。


 何が起きたのか、まるで分からなかった。

 何をされたのか、まるで分からなかった。


 理解したくない現実に、脂汗が噴き出してくる。反射的に出血を抑えようとするも、腕に触れただけで気が遠くなる程に辛い。ゾクゾクと背筋に走る何かに震えを止められない若者の横を、女竜人が躍り出た。



「よくも仲間を!! 死ね、人間がぁ!!」


(ま、待て、そいつに近づ――)



 女竜人の爪が、マリーの身体を切り裂いた……と、彼女は思ったのかもしれない。背後から伸ばされた若者の腕に、彼女は最後まで気付かなかった。



(――っ!?)



 だから、若者は知ってしまった。竜人の優れた動体視力のおかげで、分かってしまった。


 先ほどよりも距離があり、女竜人を犠牲にすることで、若者はマリーが何をしたのかを理解することが出来た。



 ――それは、あまりに素早い反撃であった。



 痛みによって研ぎ澄まされた若者の世界はゆっくりと動いていて、マリーの動きを正確に、スローモーションの如く把握出来た。


 振るわれた女竜人の爪を掻い潜るようにして、マリーが懐に潜り込む。女竜人はもちろん、若者ですら、踏み込んだ瞬間を認識出来なかった程の速度で、だ。


 音よりも速く放たれたマリーの右拳が、女竜人の肩に食い込む。伸ばされた方の腕だ。


 その腕が次の瞬間、ふわりと肩から離れた。切ったのだと、眼前を通り過ぎる腕の断面図を見て若者が理解する……その後には、マリーの処刑が始まっていた。


 残った腕を左腕が切り飛ばす。抉るようにして放たれた連続アッパーが、女竜人の首を空高く跳ね飛ばし、胴体をズタズタに引き裂き、添えられるようにして振るわれた手刀が、女竜人の身体を縦に切り裂いた。


 女竜人の爪が、マリーの身体に触れる直前。時間にすれば、瞬きに等しい刹那の一瞬。その一瞬の間に、女竜人の身体は6つに解体されて明後日の方向へと飛び散った。


 後には、全身を女竜人の血で汚したマリーだけが残された。


 おそらく、女竜人は己が死んだことすら知覚出来なかったのかもしれない。竜人が持っている再生能力を軽く凌駕する、残酷なまでに無慈悲な攻撃であった。


 ……べちゃり、と。


 己の頭に降り注いだ温かい何かを、若者は反射的に掴む。それは……女竜人の内臓の一部であった。そして、どすん、と目の前に落ちてきた塊は……憤怒の形相のまま固まった、女竜人の頭であった。



「――ぁぁぁ、あああ、あああーーーー!!??」



 一気に噴き出した感情。それが、『恐怖』であることを理解すると同時に、若者はマリーに背を向けた。


 自らを助ける為にそうなった仲間の臓器をも放り投げ、激昂した仲間たちがマリーへと襲い掛かっていくのを横目にしながら、若者は走り出した。


 だが、その逃走はすぐに止まってしまった。眼前に広がる信じがたい光景に、ガクガクと全身が震えてしまうのを抑えられなかった。



「ぁぁぁ……ぁぁぁ……」



 頬を、熱い滴が伝って行く。物心が付いてからの、初めての涙。カチカチと恐怖で歯を鳴らす……若者の視界には、地獄が映っていた。


 若者の目の前に広がっていたのは、つい今しがたまで生きていた仲間たちの……息絶えた死体であった。その数は、ここに来た仲間たちのおおよそ半分に達していた。


 若者よりも一回り年上の、血の繋がらない兄が、苦悶の表情で地面に横たわっている。その身体にはいくつもの風穴が開けられていて、地面に赤い水たまりを作り出していた。


 ――滅多刺し。


 その言葉が、これ以上似合うことはないだろう。戦いが始まってから、ほんの5分も経っていない……その間に、兄はこうされたのだ。圧倒的な、何かによって。


 その向こうでは、最近婚姻を済ませたばかりの姉が、全身から血を流しながら決死の形相でイシュタリアに躍りかかっている。


 若者の目から見ても速いと断言出来る攻撃。己でも、そう易々とは防げない攻撃……その、どれもが、イシュタリアには全く届いていなかった。



「ぬははは、どうしたのじゃ!? お主もその程度か!? そんなに殺して欲しいのじゃな!?」



 何故なら、イシュタリアの素早さは姉の比ではなかったからだ。


 繰り出される姉の攻撃を、けらけらと笑いながら避け続けている。その顔には何ら焦りの色はなく、むしろふざけている節すら感じられる。


 若者の力を持ってしても、自在に振り回すには少しばかり疲れるサイズの斧を、イシュタリアは軽々しく片手で扱っている。いや、軽々しいどころではない。


 ほんの一瞬だけ、姉の体勢が崩れた。びゅん、と腕と斧がブレる。そう、若者が認識した途端、姉の背中に生えた翼が……血飛沫と共に宙を舞った。


 姉の表情が恐怖と苦痛に歪む。しかし、負けん気の強さは若者よりも上な姉は、そのまま身体を反転させて、蹴りを放った。



「遅いのう」


 しかし、遅かった。



 言葉通り、姉の蹴りがイシュタリアに届くよりも前に、すれ違いざまに姉の腹部に拳を叩き込む。とてもではないが、人が殴った音には聞こえない、重苦しい打突音が辺りに響いた。


 ――ごぱぁ。


 鮮血が、姉の唇から噴き出した。ぐらりと体勢が崩れた姉の足を、イシュタリアが掴む。ハッと姉の目に意識が戻ると同時に姉の身体は逆さになって、宙を舞っていた。



「ぬははははは!!」



 ずどん、と地面にヒビが入る程の威力で、姉の身体は地面に叩きつけられた。


 それはまるで、乾いたタオルを地面に叩きつけるかのような、単純な攻撃。ふわりと、また姉の身体が浮き上がり……再び地面に姉の跡が付けられた。


 巨大斧を片手で振り回す筋力から生み出される、破壊力。


 さしものの竜人も、それだけの攻撃を連続に受ければ堪らない。5回ぐらいまでは抵抗して暴れていた姉も、8回目を超えた辺りで動かなくなった。


 ……そのまま十数回、姉の身体が土まみれになった頃。


 元の形が分からないほどに変形した姉の顔が、若者の目にも確認出来た。辛うじて、息が有るのが見て取れるが、もはや虫の息に等しい状態であるのは明白であった。


 放っておいても、絶命は確実だ。治療も、もう無駄だ。もはや痙攣すら起こさなくなった姉を見下ろしたイシュタリアは、ふむ、と首を傾げた。



「何じゃ、もう死んだのか……思ったよりもたいしたことないのう」



 ポイッと、ゴミを放り捨てるかのように、姉の身体は地面を転がった。はあ、とため息を吐いたイシュタリアの視線が……若者へと向いた。


 ――ゾクッと、背筋に悪寒が走ったのを若者は知覚した。


 頭の中で『逃げろ』と叫ぶ己の声が聞こえるが、足が全く動かない。涙が出る程に、身体が動いてくれない。


 ポタポタと、太ももに感じる生暖かい感触。漂ってくる臭いに、若者は初めて、己が失禁していることを理解した。情けないと思うことすら、出来なかった。


 ……ああ、俺は死ぬのか。


 この場には似つかわしくない、花開くような笑顔を浮かべたイシュタリアがこちらに向かってくるのを見た若者は……そう覚悟をした。


 ……そう覚悟した瞬間、イシュタリアの胸から腕が突き出た。



「えっ?」

「うむ?」



 何が起きたのか分からない。奇しくもイシュタリアと若者の表情が一致した。こぽっ、とイシュタリアの口から鮮血が噴き出し、突き出た手は脈動する塊を掴んでいた。


 イシュタリアの後ろから顔を覗かせた存在を見やった若者は、歓喜に目を見開く。それを見て背後の存在を悟ったイシュタリアは、けひっ、と血反吐交じりの咳をした。



「……その身体で私の心臓を抉り取るとは、やるのう、お主。少し見直したのじゃ。しかし、そのせいで、お主は少し私を本気にさせたようじゃぞ」

「――っ、ぞ、ぞうがい……!」



 息も絶え絶えに、若者の姉は腕に力を込める。ぐちゃりと音を立ててイシュタリアの心臓を潰すと、力無く項垂れた彼女の胸から腕を引き抜く。


 すると、支えを失ったイシュタリアの身体は、ゆるやかに……それでいて止まることなく、どさり、と前のめりに倒れた。



「……ちくしょう、こいつのせいで、仲間が何人も殺された……!」



 鮮血と粘膜で真っ赤に濡れた腕を振るうと、どろりとした血液が地面に跡を作る。飛び散ったのは、何もイシュタリアの血ばかりではなかった。


 はあ、はあ、はあ、はあ……。


 乱れた呼吸を必死に整えながら、姉は顔をあげる。ふらつく足取りで弟である若者へ向かう……ふと、若者の様子がおかしいことに気づいた。


 目玉が飛び出るのではないかと心配してしまう程に、大きく見開かれた瞳。言葉を無くしてしまったかのように唇を震わせている若者の指が……ゆっくりと、己を指差した。



「――やれやれ、心臓を失うのは、あやつに抉り取られた以来じゃのう」


 いや、違う。自分を指差したのではない。弟が指差したのは――!



 反射的に、姉は持てる全ての力を振り絞って蹴りを後方へ放った。


 しかし、足先には何の感触も伝わっては来ない。空振りした先に悠然と斧を振り上げたイシュタリアの姿を見て止めて……その身体が、ブレる。



 風が、揺れた。


 ――あっ。



 声にならない悲鳴が、若者と、姉の口から零れた。がくん、と視線が力無く下がるのと同時に、ゆるやかに弧を描いて飛んでいく二本の腕と、二本の脚。


 喪失した手足の感覚が、姉に一つの答えを導き出す……直後、ずん、と胸に広がった圧倒的な異物感に、姉は目を白黒させた。



「ほほう……脈打っとる、脈打っとる。お主の鼓動が、お主の命が、掌を通して私の身体に伝わってくるのじゃ」



 何食わぬ顔でそう告げるイシュタリアの、小さい胸。抉り取られた傷口の内側から、何かが蠢いている。そこからくぷくぷと赤い泡が吹いたと思ったら……貫いた筈の傷口が、すっかり塞がっていた。


 ――実に楽しげに笑みを浮かべるイシュタリアを見て、姉は理解した。


 これでは、死なないのだ。その事実の前には、切断された手足から伝わってくる激痛も、臓器を直接掴まれる苦痛も、気にはならなかった。



「残念じゃのう。心臓を抉ったくらいでは、私は死なぬのじゃ。せめて、首を切り落としていれば、もっと時間を稼げたかも分からんのう……」


 ああ、私はここで死ぬの――。



 そこで、姉の目から意識が消えた。その瞬間、イシュタリアが姉の胸から心臓を抉り取ったからであった。ぶちぶちぶち、と体重を支えきれない血管が音を立てて千切れて、どしゃ、と地面に落ちた。


 どろりと濁った姉の瞳と目が合った若者のすぐ横を、いくつもの風が通り抜けた。それが、つい今さっきマリーに向かって行った仲間たちの首であることを認識した途端……若者の身体を縛っていた恐怖が、弾けた。



 ――逃げろ!



 その言葉が脳裏を埋め尽くし、若者は路地裏の向こうへ逃げようとした。



「――っ!!!」



 しかし、踏み出そうと思った足から、かくん、と力が抜けた。



「――あっ?」



 一瞬の浮遊感。みっともなく顔面を擦った若者は、口の中に入り込んだ砂を吐き出して振り返り……今しがた己が立っていた位置に転がっている、両足らしき物体を見て、若者は己の末路を悟った。



「残念、逃げるには、少しばかり遅いよ」



 ぬるりと、音も無く若者の視界に姿を見せたサララが、若者を見下ろすように立っている。若者は、もはや逃げようとも思わなかった。


 遅れて来た痛みが、如何にサララの槍捌きが超人染みているかを若者に伝えてくる。実に鮮やかな槍捌きで、転がっている仲間たちの遺体を一か所に放り集めているのを、若者はどこか他人事のように眺めていた。


 この後、己がそこへ仲間入りするだろう……それが、若者には分かってしまった。この女が己の両足を切り飛ばしたのだという現実を、若者は不思議なぐらいにあっさりと受け入れていた。



「やっぱり高いだけあって、凄い切れ味。これだけ振り回しているのに刃こぼれ一つ無い……『粛清の槍』、買って良かった」



 だからだろうか。周囲の死体をあらかた集め終えたサララから、仲間たちの血で汚れた刃を眼前に向けられても……若者の心は、落ち着いていた。


 ……もしかしたら、『気が触れる』というのはこういう気分を差すのだろうか。


 仮にそうなのだとしたら、なんとなく若者はへらへらと笑みを浮かべていたあの男の気持ちが分かるような気がした。



「……どうする、命乞いでもする?」



 まるで、今日のお昼ごはんを尋ねるかのような気軽さだ。刃先が若者の眼前で円を描いている……事実、それぐらいに気軽さで殺せるのだろうと若者は思った。



「……ひと思いに、楽にしてくれ」

「そう、分かったわ」



 フッと刃先が引かれる。溜めを作ったサララを見て、若者は静かに目を瞑った。



「あ、ちょっと待つのじゃ」



 しかし、終わりは来なかった。ハッと見開いた若者の視界に飛び込んできたのは、目と鼻の先で止められた刃と、サララに駆け寄るイシュタリアの姿であった。



「……どうするつもり?」

「なあに、殺す前に、ちょっと有効活用しようかと思ってなあ……」



 有効活用? どういうことだ?


 意味が分からない単語が出てきたことに、若者は一抹の不安を覚える。駆け寄ってきたイシュタリアが何とも言えない笑顔を浮かべていることが、さらに不安が膨れ上がった。



「有効活用って、何するつもりなの?」

「んん……ちょっとナタリアの所へ連れていこうかと思ってのう。戦いが始まってすぐに、そこの家に入って行くのが見えたのじゃ」



 そこ、と指差された方へと視線を向ければ、特に代わり映えがしない普通の家であった。ただし、よくよく目を凝らせば……家全体が、微妙に揺れている……というより、軋んでいるようにも見えた。


 その家に火の手が回るまで、まだしばらくの猶予がありそうだが……何をしているのだろう。げんなりと顔をしかめるサララを見て、不安気に視線を行き来させていた若者の心に、新たな不安が圧し掛かった。



「片手に生きた男の竜人を引きずっておったから……もしかしたら、致しておるかもしれぬのじゃ」



 さらに、サララの表情が歪んだ。



「……ああ、うん。皆まで言わなくてもいいよ、想像したくない……というか、アレは落ち着いたのではなかったの?」

「血の臭いに酔って気が高ぶっているのかも分からぬ。聡い子のようで、まだまだ幼い部分があるようじゃからな……散らし方が上手く掴めていないのじゃ」

「……マリーに何かしたら、私の槍は躊躇なくあなた達を貫く。それを忘れたわけじゃないよね?」

「分かっておる。だからこそ、後腐れのないやつを相手にさせようと言うておるのじゃ」

「……まあ、それならいいか。さすがにかわいそうな気もするけど、これもまた自業自得だし」



 サララから酷く気の毒そうな目を向けられて、ますます若者は訳が分からなくなった。その、ナタリアとかいうやつの元へ行けば、何がどうなるのだろうか?



「……ところで、前から思っていたけど、あの子は穴だったら何でもいいの?」

「いや、そういうわけではない……と思うのじゃが、ううむ……まあ、男であるなら何でもいいかもしれぬのう……ある意味、難儀な子じゃな」



 グッと髪の毛を掴まれて引っ張り起こされる。と思ったら、若者はイシュタリアの背中におぶさっていた。それだけでなく、若者の負担を軽減させる為に、後ろからサララまでが支えてくれた。


 先ほどまでの扱いとは雲泥の差だ。不自然なぐらいに気遣ってくれる二人の人間に、いよいよもって若者は混乱の極みに達した。


 そして、二人が動き出した……と思ったら、ピタリと足を止めた。今度は何だと若者は億劫な意識を奮い立たせて顔をあげる。イシュタリアの視線が、これから向かおうとしている家の、隣の家に向いているのが見えた。



「……そこに隠れている生き残りの竜人。いるのは分かっておるから、出てくるのじゃ」


 ……えっ!?



 驚きに目を見開く若者。直後に隣の玄関を蹴破って飛び出して来たのは、ドラコと口論をした竜人の男、リョガンであった。


 それだけでなく、リョガンの腕には人間の少女が捕まっていた。マリーたちよりもいくらか年若い緑髪の少女が、涙目で頬を引き攣らせているのが二人の目にも、若者の目にも見えた。



「動くな! 動けばこいつの命が無い……こいつを助けたければ、俺の命令を聞け!」



 どうやら、リョガン自身は戦闘らしい戦闘を行っていないのかもしれない。少女の首もとを捕らえている鋭い爪は一切欠けている部分はなく、その身体にはほとんど泥が付いていないことから予想できた。


 ……ただし、太ももの間。いわゆる内またと呼ばれる部分に、謎の白い液体がべったりと張り付いていて、その液体の所々に赤色が混じっているのが見える辺り、全くの無事であったというわけではないようだ。


 それが何なのか分からず目を瞬かせる若者を他所に、サララとイシュタリアは……気の毒そうにリョガンを見つめた。マリーは無表情になっていた。



「ううむ、既にお手付きのようじゃな……というか、あれは最初にナタリアが引きずり込んだやつではないか。どうやら、抜け出してきたようじゃな」

「……あれ、何回ぐらいされたのかな?」

「さあ、分からぬ。まあ、あの量から察する限りではあるのじゃ」



 その言葉と共に、イシュタリアの足元の土が少し盛り上がる。


 山盛りになった土からぼこっと飛び出したのは、イシュタリアの腕と同じくらいの長さの、先端の途中で十字の歯止めが飛び出している小さいナイフであった。



「……ナタリア、大丈夫かな。夢中になるあまり、返り討ちにされちゃったとかないよね」



 それを拾いあげたサララは、そう返事を返しながら、投槍の土を払う。重さなどを確認し、イシュタリアにジェスチャーで上出来の合図を見せた。



「大丈夫じゃろ。もし返り討ちにしているのであれば、わざわざ隣の家に隠れたりはせぬし、もっと遠くに逃げておるはずじゃ。それをしていないのは……腰が立たぬ程に、ナタリアが頑張ったからじゃのう」



 ごく自然な動作を装って、イシュタリアはサララを横に出した。ちょうど、サララとリョガンの間には一切の遮蔽物はなく、あるのはリョガンの腕に抱えられた緑髪の女の子だけ。



「……つまり、誇り高き竜人はちょっとぶち込まれただけで動けなくなったわけ……か。それは……気の毒だね」

「――っ、き、貴様ら……」



 人質のこともそうだが、己自身すらまともに相手にしない二人に、リョガンの顔色が一気に紅潮した。


 自らが受けた仕打ちを知られていることも、怒りを増幅させているのかもしれない……が、今激昂するのは悪手であった。



「こ、この人質がどうなってもいいのか!?」



 そう、リョガンが叫んだ瞬間。何気ない様子で振り返ったサララの手から放たれたナイフが、ひゅん、と空気を切り裂いて……。



「――あっ?」



 すとん、と呆気なく少女の洋服に突き刺さった。ぽかん、とした様子で目を瞬かせている少女の洋服から、ジワッと赤い染みが広がっていく。濃密な血の臭いが、ぷん、とリョガンの鼻腔に飛び込んできた。



「お、おい!?」



 直後に、フッと、少女の身体から力が抜けた。あまりに予想外の事態に、リョガンは半ばパニックになって少女の身体を揺さぶる。少女の顔ははっきりと分かるぐらいに青白く、額には冷や汗が浮かび始めていた。



「ま、待て、死ぬな! お前がここで死んだら意味が――」

「無いってかい?」



 背後から掛けられた声に、ハッとリョガンは我に返り……グルリと視界が反転した。眼前に映る、逆さになったマリーと少女と、むき出しになった首から夥しい鮮血を噴き出している己の身体を見たのを最後に、リョガンの意識は途絶えた。









  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る