第十一話: 鈍いのが悪いのか、回りくどいのが悪いのか
……見えてきた露店の屋根が、一つ、二つ、三つ。
クジ運悪く中心から離れた場所しか取れなかった露店を通り過ぎれば、むせ返るような人の熱気と、大小様々な露店が立ち並ぶ、『大市場』がマリーたちを出迎えてくれた。
ラステーラが、他方の町や東京へと向かう際の補給地点として利用する商人も多いと知ったのは、もうけっこう前のことだ。
商人の顔ぶれもあまり町中では見かけない人たちばかりだが、それだけでなく、武器や薬草と言った街中では売られていない掘り出し物あってか、客の顔ぶれも、どこか見慣れない人が多かった。
露店で狭くなった大通りを、老若男女、様々な人たちが列を成して進んでいる。人波の向こうからは「いらっしゃーい! 安いよー!」と言った具合の掛け声が引っ切りなしに聞こえてきて、まるで別世界に迷い込んだかのような騒がしさであった。
『東京』にある市場も中々に騒がしい場所ではあったが、ラステーラの『大市場』の騒がしさはその上を行っていた。
他方からやってきた商人たちの商売魂がそうさせているのか、聞こえてくる声のそのどれもが、どこに居ても聞こえてくる程に喧しいものであった。
「……相変わらずここは、俺には優しくない場所だぜ」
立ち並ぶ人波を前にしたマリーは、忌々しげに人波を睨んだ。
大通りから少し離れた場所にある路地裏……そこで一休みしていたマリーの一言に、そうだと言わんばかりにサララたちは首を縦に振った。
「そうだね。それは私も凄く同意する。こういうとき、館の皆が凄く羨ましい……」
「まあ、私らは揃いも揃ってチビ揃いじゃからな。目線が低いというのも、こういうときは不便を感じるのう」
「このまま行ったら、誰か逸れそうだわ」
うむむ、と頭を悩ませる3人娘(一人は年齢詐欺で、一人は性別詐欺だが)を見やったマリーは……チラリと、ドラコへと視線を移す。ドラコは何か興味を引かれているのか、相も変わらずぼんやりと人波を眺めていた。
「ドラコ」
声を掛けると、ドラコはくるりと振りむいた。
「肩を貸せ」
目的も伝えていない、雑な命令。そのことに、軽く目を瞬かせたドラコは……少しして、ああ、と納得に頷いた。
肩に掛けた袋を地面に下ろすと、マリーに頭頂を見せるかのように屈んで頭を下げた。
「乗るがいい。角には気を付けるのだぞ」
「おう、悪いな」
「お前の頼みならば、我慢しよう」
マリーを首に乗せたドラコは、平気な顔で身体を起こす。マリーもそれに合わせて角を掴んでバランスを取ると、体勢が肩車になった。「あ、いいなあ」と羨ましげな眼差しを向けるナタリアを他所に、マリーは軽く座り心地を確かめた。
「重くねえか?」
「重くはない」
「よし」
……そのマリーの後ろで、目に見えて不機嫌になっているサララの姿があったが、気づいたのはナタリアとイシュタリアだけであった。
ラステーラの市場には、様々な道具を売る商人たちが集まる。ピーク時には人の波で身動きが取れなくなるほどの盛況を見せることもあり、他所の地方との交流を結ぶコミュニティのような役割も果たしていた。
商人の大多数は、食品や日用雑貨といった物を商品として出品している。それは、やはりそれだけ需要と供給が有るからというわけなのだが、中には一般人にはあまり縁のないモノも販売されている。
他方からやって来た商人が所有している値の張る武具も、その縁の無いモノの一つであった。
ピタリと、突如動きを止めた竜人に、マリーはつんのめるようにして踏ん張る。その傍で、ドラコにへばりついていた3人も同様にたたらを踏んだ。
当然のことながら、マリーたちから非難の視線が浴びせられる。
しかし、ドラコはそれらに一切気を払うことはなく、その鋭い眼差しを隣へと……美味しそうに焼けている串焼きへと注いでいた。
『 一角ウサギのこんがり肉! 選別した特選肉を使用!
ドネイブル地方に伝わる甘辛タレに浸けこんだココだけの味!
今なら肉のサイズが通常の2割増し! 食べるなら今!
食べ切りサイズ : 小銅貨1枚(100セクタ)
腹いっぱい : 大銅貨1枚(500セクタ)
セクタ紙幣でのお支払いもOK! 』
……チラリと、マリーたちは露店の看板を見やる。そして、再びドラコへと視線を移す……ゴクリと、ドラコの喉が鳴ったのが、全員の目に映った。
「……おい、目当ての露店は隣だぞ」
クイッと、隣の露店を指し示す。マリーの言うとおり、隣の露店には壺に入れられた剣や、飾られた鎧など、様々な武具が並べられている。その店の店主も「いらっしゃい、お安くしとくよ」と笑顔を向けてきていた。
店主からすれば、相手が何であろうと客は客のようだ。
一目で人間ではないと分かる容姿である竜人を前にしても、揉み手を崩すようなことをしていなかった。大した商売魂である。
しかし、そんな商売魂も……ドラコの意識には届いていなかった。
「飯は宿屋で食ったばかりだろ。おやつの時間にはまだ早いぞ」
そうマリーが言うが、竜人は視線をそこから外さない。それどころか、ぐうう、とドラコの腹が喧騒の中でも聞こえるぐらいに喧しく自己主張をした。
……無言の時が、マリーたちの間を流れる。
手早く鉄板の上で肉をかき回していた焼き肉店の店主が、それを見逃すわけがなかった。「ちょっと食べてみなよ! 美味しいよ!」と言うと、肉を一切れドラコへと差し出した。
アッと言う間もなく、ドラコは肉にかぶりつき、咀嚼し、飲み込む。再び、鉄板の上で焼かれていく肉へと視線を落としたドラコは……くるぅ、と喉を鳴らした。
……初めて聞く、何とも可愛らしい鳴き声だ。まるで、子猫が甘え鳴いたかのような……思わず、マリーたちはドラコを見やった。
「…………」
無言のままにドラコはマリーの手を掴むと、その指をかぷっと甘噛みした。「おおっ!?」と驚くマリーを他所に、ドラコはかぷかぷと何度か指を甘噛みすると、くるぅ、と再び喉を鳴らした。
……それが竜人たちの、オネダリのやり方なのだろうか。
いまいち分からないマリーは、困ったように眼下のイシュタリアを見下ろす。そのイシュタリアも、困ったように首を横に振っていた。
(腹が減っているせいなのか分からんが、なんか妙に可愛いな……ていうか、手が涎でベトベトになっていっているんだけど、どんだけ腹減ってんの、お前?)
普段の、一枚壁を挟んだかのようなつっけんどんな態度からは考えられないぐらいに可愛らしい甘え方だ。
思わず、マリーの頬も緩んでしまう……と、思ったところで、背筋を伝わった凄まじい悪寒にマリーは思わず頬を引き攣らせた。
……ゆっくりと、横目でそちらを見やる。
『視線で人を殺せたら』
その言葉がこれ以上似合う人はいないだろうと思える程に……危険な目つきをしたサララが、そこにいた。普段の澄ましたボーイッシュな雰囲気とは似ても似つかない……凄まじい気配を放っていた。
――すぐさま、マリーはすぐに視線を前に向けた。
フワッと吹き出した冷や汗が、頬を伝って流れる。かぷかぷ、と甘噛みされる回数が増えるたび……視線が強く、深くなっているような気がして、マリーはごくりと唾を呑み込んだ。
(え、なんでサララあんなに怒ってんの?)
正確に言えば少し違うのだが、マリーが最初に重い浮かべた言葉は、それであった。そのことに気づいて、ふと視線を下げれば、イシュタリアとナタリアの位置が、ドラコを間に挟んだ微妙に距離が開いた地点であることに気づく。
……ジッと、視線だけでイシュタリアに合図を送る。
それに気づいたイシュタリアは……お手上げと言わんばかりに手と首を横に振ると、ナタリアの手を引いて武具の露店に入って行った。途中、振り返ったナタリアとも目が合うが……ナタリアも苦笑するだけであった。
……どうやら、サララの様子に気づいていなかったのはマリーだけのようだ。
(え、ええ……もしかしなくても、孤軍奮闘かよ……)
出来ることなら気づかないままでいたかったが、気づいてしまった以上は仕方がない。まあ、気付かなかったところで問題が解決するわけでもないのだけれども。
とりあえず、何かしないと、今すぐにでも懐からナイフを取り出しそうで、正直怖かった。
なので、全力で原因となる記憶を探るのだが……そう易々と思い当たるものがあれば、そもそもこうなるまでサララを放ってはおかなかったのは、言うまでもない。
けれども、そこで考えを止めてしまえばどうなるか分かったモノではないので、それでも必死に記憶を探る。そうして初めて、なんとなくではあるが思い当たる節らしきものの尻尾を捉えることが出来た。
(そ、そういえば、ドラコが来てからしばらく、まともに構ってやってないような気がする……)
思い返せば、確かにそうだ。竜人……ドラコと行動を共にするようになってから、サララとスキンシップらしいことは何もしていない。
湯船に浸かることを嫌がるドラコを宥める為に一緒に入浴したり、トイレの使い方が分からないドラコの為に一緒に入って使い方をレクチャーしたり、手づかみで何でも食べようとするドラコの為にいちいち切り分けて食べさせたり……思い返せば、四六時中つきっきりだ。
竜人であるドラコがマリー以外を拒否するので、仕方なくドラコと一緒に行動していることが多かった……というか、基本的に二人だけで行動していたような気がする。
(……か、考えてみたら、ドラコにやってやったことを、今まではサララが俺にしてくれていたんだよなあ)
竜人であるドラコが来る前までは、の話だ。
お風呂に入れば背中どころか全身を優しく手洗いしてくれたし、魚などの面倒なやつは必ず骨を取り除いてから渡してくれたし、眠るときは必ず添い寝しようとした。
……言うなれば今は、だ。マリーがやっていることと似たようなことを、これまでサララがマリーに対して行っていた……ような覚えがあった。
(いや、いやいや、俺の言うことしか聞いてくれないのはサララも分かっているはず……だよな?)
それは分かっているはずだ。それに関しては、ちゃんと全員の了解を得ている……しかし、了解したとはいえ、本心から納得していないとすれば?
「……お、おっちゃん! 5人前くれ! あ、1人分だけは、別に分けてくれ!」
気づいたら、マリーは肉屋の店主にそう叫んでいた。フワッと喜びに目を見開くドラコの傍で、ブツブツと何かを呟き始めたサララに、マリーは別の意味で喉を鳴らした。
「あいよ!」
声を張り上げた店主が、取り出した木串に肉を差していく。あっという間に4本作り終えると、それをドラコへと差し出した。受け取ったドラコは、軽く首を振った。
「そ、それはドラコが食え」
顔は見えなかったが、ドラコが喜んでいるのがマリーには分かった。そのことを嬉しく思う反面、嬉しく思えない。店主が差し出した最後の一本を、ドラコが受け取ろうと手を伸ばした、その瞬間。
「サララが受け取ってくれ」
マリーは、そう叫んでいた。
ハッと、サララの目に理性の色が灯る。驚いたように顔をあげて……別人かと思う程にだらしなく表情を緩めると、実に嬉しそうに串を受け取った。
……しかし、一向に食べる気配はない。
それどころか、何かを言いたげな様子で視線を投げかけてくるばかりで、落ち着かない様子すらある。モジモジと、言い辛そうに裾で指を遊ばせていた。
……なんとなく。本当に、なんとなく……マリーは理由を察した。
(も、もしかして……い、いや、これはどっちだ?)
軽くドラコの頭を叩いて、その場に下ろして貰う。途端、サララの機嫌が目に見えて良くなったのが分かったマリーは、恐る恐るサララの前に立った。
直後、サララは串に刺さった肉を……マリーへと向けた。歪な印象を覚えるサララの笑みが、さらにその歪さを増した……ような気がした。
「マリー、口を、開けて」
(そ、そっちか!?)
こんな人通りの多い公衆の面前でなんということを……と思ったが、マリーは笑顔を作って頷いた。ビシバシと、痛い程の好奇な視線が通行人から浴びせられているのが分かったが……まあ、今更の話か。
「はい、あーん」
「あ、あーん……」
優しく、それはもう優しく、肉が口の中に運ばれる。決してマリーの邪魔にならないように行われたそれは、ほとんど違和感を覚えることなくスルリと肉だけを口の中に残した。
「……美味しい?」
「う、美味いよ……うん、美味い」
味なんか分からねえよ……という言葉を、マリーは肉と一緒に飲み込む。半分お世辞のつもりマリーがそう言うと、サララの頬が一気に赤く色づいた。
それだけでなく、何かが臨界点を突破したのだろう。ぶるりと背筋を震わせると、一瞬だけではあるが、その瞳がぐるりと反転して……恍惚に蕩けた眼差しに変わった。
こんな場所では出してはならない、甘くも熱いため息が、サララの唇から零れる。どうしてだろうか、サララの顔は満面の笑みを浮かべているというのに、マリーは背筋の震えを抑えることが出来なかった。
(そ、そういえば、一度だけ何時もと違う下着姿で隣に潜り込んできたことがあったっけ……ドラコの寝相が気がかりだったから断った覚えもあるけど、もしかしてソレが原因か?)
けれども、下着姿で潜り込んでくることなんて今に始まった話じゃないし……なにがサララをこうも変えたのか……いまいち、マリーには検討が付かなかった。
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