第十話: 仄暗くも、その眼は曇ってはいなかった




「腹が減っておろう」



 そう、イシュタリアは蹲る亜人へと声をかけた。



「お前たち亜人は、人間とは比べ物にならないぐらいの力を発揮できる反面、恐ろしく燃料を食うからのう。捕まってからどういう食事を与えられていたかは知らぬが、おおよその見当は付くのじゃ」

「き、貴様ら……」

「見た所、栄養失調による餓死寸前……といったところかのう。その身体では、例え私たちを突破出来たとしても、外へ出るまでに力尽きるじゃろうな」



 そう言うと、イシュタリアはそこらに転がっていたジャム瓶を一つ手に取ると、それを亜人へと放った。蹲ったまま顔だけを上げて睨んでいた亜人は、無言のままにそれを受け取った。


 その眼光は、鋭さだけを考えれば二人の肉体を貫ける程に強かった。


 けれども、湧き上がってくる食欲に負けたのだろう……すぐに視線を逸らした亜人は、固く締まった蓋を軽々と開けてしまうと、貪るようにジャムを啜り始めた。



「……お主、親はどうしておる? まさか、天涯孤独というわけではあるまいな?」

「…………」

「隠しても無駄じゃぞ。野鼠を食らい、溜まり水を啜って生き長らえているとは思ってはおらんからな……私の予想では、貴様ら竜人も人間と同じように、村を形成して集団生活をしているのじゃろう?」

「…………」

「そして、お前たちはその立場上、閉鎖的な生活をしている……というより、余儀なくされているはずじゃ。そんな生活をしているはずの竜人が、一人だけ商人に捕まるということは……さしずめ、閉鎖した村の生活に耐えかねて村を飛び出して来たところじゃな? そうであろう?」



 亜人……いや、竜人と呼ぶべきか。竜人は、何も答えなかった。


 ただただ、時折睨みつけるようにイシュタリアとマリーへ視線を向けては、無言のままに手と口を動かしていた。



「……やれやれ、あくまで話すつもりはない……ということじゃな?」


 ――それならば、致し方ない。



 イシュタリアは無言のままに掌を竜人へと向ける……と。その手から、ふわりと炎が灯った。熱くないのか、イシュタリアは平気な顔でその炎を掴むと、炎はぐにゃりと形を変えた。



「{囚人の罪輪しゅうじん・の・ざいりん}……本来は、猛獣を押さえる為に使うものなのじゃがな」



 軽く、それを放る。炎の首輪と言っていいそれは、吸い込まれるようにして竜人の首に絡み付く。それをチラリと見下ろした竜人は、嘲笑うようにして食事を続けている。


 この程度の拘束、何時でも脱出出来る。そう言わんばかりの余裕な態度であった。実際、竜人と呼ばれる彼女にとって、炎の首輪など笑い話に過ぎないのだ。



「……まあ、炎を吐き出すお主らに対して、それを使えばそういう反応をするじゃろうなあ」



 竜人の傍に数個程食べ物を放ると、イシュタリアは深々とため息を吐いた。その後ろで、一連の成り行きを見守っていたマリーは「……ふむ」と頷いた。



「で、どうするんだ? 引き渡すのか?」

「……わざわざ殺すには忍びない。町の外へは送ってやろうと思うのじゃ」



 ああ、そうかい。マリーはカリカリと頭を掻いた。



「俺は構わないが、それで店の連中が納得してくれるかねえ?」

「なあに、その為の金ではないか。必要な時に必要な分を惜しみなく使うだけの話じゃろ」

「いや、お前の懐だけでどうにか出来る損害だと思ってんのか、お前? 今日のお前の取り分全部使っても足りねえと思うぞ」



 そうマリーが言うと、イシュタリアは首を傾げながらマリーへと振り返った。何を言っているか分からない、そう顔に書いてありそうな表情であった。


 けれども、その顔には徐々に理解の色が生まれて行き……。



「……のう、マリーよ」

「なんだよ?」



 ニッコリと、イシュタリアは笑みを浮かべた。



「ここは可愛い私の為を思って、気前よく融通してやるところだと思わんか?何だったら、お嬢さんと私のパンツも付けるから、色よい返事が欲しいのじゃ」



 ニッコリと、マリーは笑みを返した。



「てめえが俺のことをどう評価しているかは知らんが、てめえの汚くて臭いパンツなんかいらねえよ。皿洗いでもして稼げばいいんでねえの?」



 ピクリと、イシュタリアの笑みが引き攣った。



 ……無言の静寂が、二人の間を通り過ぎて行く。



 お互いが笑みを向けているという、ある種華やかな光景ではあるが……不思議と、部屋の空気は張り詰めていた。


 その張り詰めた空気の中心部から、少し離れた場所。瓶の底にまで指を突っ込んでジャムを貪っていた竜人は、変わり始めた空気を察知して顔を上げる。


 目の前で険悪な雰囲気を放ち始めている二人の姿に、竜人は今までとは違う表情を……詳しく言うのであれば、困惑に首を傾げた。



(なんだ、こいつら? いったい何が起こったんだ?)



 食べるのに夢中になっていたせいで、二人の会話の半分も彼女の耳には入ってはいない。だが、何となくではあるが想像はつく。


 ……どうせ、己を引き渡した際に頂くであろう謝礼の分け前で揉めているのだろう。


 そう、彼女は考えていた。だが……ポツリポツリと言い合う二人の会話を聞く限り、どうやら、そうでもなさそうだ。



 興味を抱いた彼女は、二人の会話にそっと耳を澄ませる。



 そうして初めて、張りつめた空気の原因が、己を引き取る(という言い方もおかしなものだが)為に金を融通してほしいという何とも馬鹿らしいことであることに気づき……思わず、竜人はふふっと笑みを零してしまった。



(なんと愚かな者たちだ。自分たちが誰を前にしているのかをまるで理解していない……我ら竜人も、なめられたモノだな)



 そう、竜人は率直な感想を覚えた。


 己の存在をというより、竜人の事を知っているであろう黒髪の少女ですら、自らを前にして喧嘩を始めるという信じ難い愚行を犯している。


 その事実に、竜人は嘲笑を浮かべた。


 もし、本当に竜人のことを知っているのであれば、そんな血迷った行動は出来ない。それが、竜人を前にするという事なのである。


 万全の状態であればその爪は鎧を容易く切り裂き、その脚は馬よりも早く地上を駆け、背中に生えた翼は鋼よりも固く、心の臓を貫かれても再生出来る化け物染みた生命力を持つ存在……それが、竜人なのだ。


 商人たちに捕まったことも、中々獲物に巡り合えず疲労していたところに運悪くかち合ったという不運が重なっただけの話なのである。万全とまではいかなくとも、多少を腹に収めてさえいれば、不覚など取らなかった。


 先祖の恨みはあるが、今を生きる人間にそれを求めるのは酷だと思って情けを掛けた相手から、夜間、寝静まったところを襲われさえしなかったら、竜人がそう容易く人間に捕らえられはしないのだ。



「……とはいえ、全ては我の油断が招いたことか……情けない」



 気づいたら、ポツリと、そう零していた。傍に放られたジャガイモをこびり付いた泥ごと被りつきながら、竜人はゆっくりと身体を起こす。気配に気づいたマリーとイシュタリアが振り返ったのを、竜人は嘲笑を持って迎えた。



「貴様ら人間は、本当に暢気なやつだ。かつての時から幾百年経って……またあの方の子孫である我らに手を出そうとするとは……それが自分たちへの裁きの牙になるというのに、何も気づいていない。滑稽を通り越して、もはや憐れみすら覚える」

「……もしかして、俺たちはバカにされているのか?」



 キョトン、と目を瞬かせていたマリーは、そうイシュタリアの肩を叩こうとして、息を呑んだ。


 なぜならば、普段の飄々とした態度からは想像も出来ないぐらいに鋭くなった眼差しを、竜人へと向けていたからだ。



「裁きの牙とは、なんじゃ?」



 いつもよりも、幾オクターブ程低くなった声。声だけで常人の背筋を震わせる程の迫力……しかし、竜人には通じなかった。


 ニヤリと、竜人はイシュタリアを嘲笑った。



「知ってどうする? お前たちが過去に犯した罪に、あの方はお怒りを示した。既に御目覚めになられ、今は力を蓄えているところだ。今更どのように足掻こうが、貴様らが迎える結末は決まっている」

「答えるのじゃ」



 フイッと、イシュタリアは指を振った。途端、竜人の首に絡み付いていた炎の首輪が、燃え上がる様にして締まった。



「――んう!?」



 想定していた以上の締め付けだったのだろう。驚いたように目を見開いた竜人は、溜まらず両手で首輪を掴む……が、その手は空しく炎を揺らせただけであった。



「無駄じゃよ。その首輪は、力でどうにかなる類のモノではないぞ。抵抗するだけ、体力を消耗するだけじゃぞ」

「……そのようだな」



 フッと、竜人は力を抜いた。合わせて、イシュタリアは再び指を振る。緩んだ拘束に息を吐いた竜人は、胡乱げな眼差しを二人へ向けた。



「我らの神、神竜様が永い眠りから御目覚めになられたのだよ」

「神竜……とな?」



 首を傾げるイシュタリアを見て、竜人は誇らしげに笑みを浮かべた。



「我ら竜人は、いわば神竜様の子孫。だからだろうか……我らは、神竜様のお力を察知することが出来る。もうすぐ、あの方が動き出すのが分かるのだ……その時が、貴様ら人間の最後になるだろう」



 ふふふふふ……嬉しくて堪らないと言わんばかりに笑うと、再び食事に戻った。


 その姿を、目を瞬かせながら眺めていたマリーは、張りつめた顔で考え事をしているイシュタリアへと視線を向けた。



「おい、イシュタリア。俺にはこいつの言っていることが苦し紛れのハッタリにしか思えないんだが……お前は、どう思うよ?」

「……さあ、な」



 イシュタリアは、何も答えなかった。ただ、無言のままに首輪を使って竜人を無理やり立たせると、踵をひるがえした。その背中を、マリーは慌てて追いかけた。







 ……騒動が起きてからそれなりの時間が経ち、酔っ払っていた客たちもだいぶ酔いが醒めてきている。それは客の中に居た龍成たちのような、腕っぷしに自身のある人たちも例外ではない。


 普通であれば、『酔いも醒めたし、マリーたちへ加勢しに行こう』と思うところなのだが、そこは酔っ払い。常識的な考えを保っている方が少数派ばかりの場所だ。


『マリーたちが向かった以上、俺たちがすることは何もない。酔いが醒めきらない内にもっと飲もうぜ』


 そう、考えるやつが一人二人と現れたのは、決して不思議な話ではなく……いつの間にか、客たちは亜人の件そっちのけで酒瓶に手を伸ばしていた。


 そして、再び客たちの頭にアルコールが回り始めた頃……ざわっ、と店内の空気がざわめいた。店の奥から、マリーたちが戻ってきたからである。



「おおおーーー……おお……おお?」



 がたついた椅子に腰を下ろしていた客たちは、店の奥からやってきたマリーたちに手を叩いて歓迎の声をあげた。


 しかし、その後ろから大人しく付き従ってきた竜人の姿に、瞬く間に歓迎の声が収まってしまった。


「……あ、あの、お二人とも?」

「……むむむ、お前たち、飲み直しておるようじゃな。お前たちばかりズルいのじゃ」



 恐る恐る声を掛けたトミーであったが、イシュタリアは華麗にそれを無視する。トミーの前に置かれていたジョッキを手に取ると、すぐさま喉を鳴らして胃の中に流し込み始めた。


 ごくり、ごくり。大人ですら難しいのではないかと言う勢いで、傾いたジョッキの角度が広がっていく。


 そして、露わになったイシュタリアの喉が滑らかに蠢いた……と思ったら、イシュタリアは深々と吐いたため息と共に、ジョッキをテーブルに叩きつけた。



「――ぬぁああ! 不味い! なんて物を飲ませるのじゃ!」

「いや、勝手に飲んだのはイシュタリアちゃんだよね!?」



 凄まじく勝手な言いぐさを残しつつ、イシュタリアはキョロキョロと店内を見回す。哀愁の漂う背中がイシュタリアの目に留まったのは、けっこうすぐであった。



「のう、トミーよ。あそこで明日にでも自殺してしまいそうな哀愁を漂わせている男は、もしかして店主か?」

「え……ああ、うん、多分そうだよ。さっきまで泣きながら酒を飲んでいたけど、潰れたみたいだね……ていうか、そんなことより君たちの後ろに居る亜人の存在について聞きたいんだけっ……ていうか、ちょっとは人の話を聞いてくれないかな!?」



 右から左にトミーの質問を聞き流したイシュタリアは、意気揚々と店主の元へと駆けて行った。短い付き合いとはいえ、イシュタリアの性格を知っていたトミーは、まただよ、と言わんばかりにため息を吐いた。


 その背中を、マリーは優しく叩く。振り返ったトミーと、傍で我関せずを貫いていた龍成たちは、苦笑を浮かべた。他の客たちは、イシュタリアの行動についていけず、呆然としているようであった。



「……それで、結局そいつはどうするんだ?」



 最初に話を切り出したのは、龍成であった。顎で竜人を指し示すと、興味深そうに竜人の全身を眺めた。


 客たちの視線も、自然と竜人へと注がれる。遠慮のない視線の濁流を浴びた竜人は……フッと、人間たちを鼻で笑った。



 ――この状況の最中、全く怖気づいていない。



 むしろ、余裕すら見せている。傍のテーブルにあった冷めたチキンを手に取った。クンクンと鼻先で安全を確かめると、ポイッと口の中に放り込んだ。


 突然の事態に唖然とする客たちをしり目に、竜人はゴリゴリと骨ごと肉を噛み砕いて咀嚼する。その手は、二本目のチキンへと伸ばされていた……何ともまあ大した度胸であった。


 位置的に、竜人の嘲笑を正面からぶつけられた龍成は、思わず笑みを零した。



「すげえな。こんな状況なのに飯を食ってやがる……見た所痩せているようだが、商人の奴は飯を食わせていなかったのか? 亜人でも女であることには変わりねえのに、ひでえことしやがるもんだ」



 そう言うと、龍成は竜人の前にスープが載せられたカップを置いた。パチパチと、竜人はぼんやりと差し出されたソレに視線を向け……龍成を見やった。



「何のつもりだ、人間」

「腹減っているんだろ? 毒なんか入れてねえから、食えよ。冷めているけど、それはけっこう美味いぞ。少なくとも、そこのお世辞にも美味いとは言えないチキンよりはな」



 ジロリと、竜人は龍成を睨む。だが、文字通り背に腹は代えられないのだろう……少しばかり迷いを見せていた竜人の指先は、スルリとカップを掴んだ。



「……疑い深いやつだな」



 けれども、用心を捨てたわけではない。クンクンとスープの匂いを嗅ぐ竜人に、様子を見ていた客たちは苦笑する。


 そして、ようやく安全であることを納得した竜人は、それでも信用したわけではないのか、トカゲのように長い舌をスープに浸して、ちゅるりと口内へと引っ込めた。


 ――直後、竜人の目がまん丸に見開かれた。


 ちゅるり、ちゅるりと忙しなく舌がカップの中を行き来する。けれども、焦れた竜人はすぐにカップに口づけると、流し込むようにして喉を鳴らし……ため息と共に、カップをテーブルに置いた。



「なんだ、これは?」

「なんだって、スープだよ。亜人の姉ちゃんは、飲んだこと無いのかい?」



 スープ……ちらりと、竜人は空になったカップを見つめた。



「我が知っているモノは、こんな味ではない。もっと素朴で、純粋な味がしていた」

「……つまり、調味料一切無しってことか。良かったなあ、亜人の姉ちゃん。土産話が出来たな」



 龍成がそう言うと、様子を伺っていた客たちが一斉に立ち上がった。思わず身構える竜人を他所に、客たちは……自らのテーブルに残っていた料理を竜人へと差し出した。



「ほら、姉ちゃん! これも食えよ! 少しばかり固えけど、けっこう美味いぜ!」

「……んん?」



 ズイッと眼前に差し出されたパンに、竜人は面食らった。己の形が人間と違うことは理解している。その姿が、とてもではないが人間の庇護欲を刺激する姿ではない事も熟知している。


 だからこそ、どんな敵意をぶつけられてもいいように身構えていたし、反撃できるように意識していた。事実、少しでも不穏な素振りを見せたら、拳を叩き込むつもりでいた。



(……なんだ、私は今、何を言われたのだ?)



 だというのに、身構えていたのに、これは何だろうか。


 竜人の力を知らないのかもしれないが、それでもなぜ、竜人を前にして彼らは警戒するどころか、武器を手に取ろうとしないのだろうか……いや、違う。


 チラリと、竜人は視線を周囲へと向けた。


 怖れていないわけではない。よくよく見れば、視界の端で距離を取っている者もいるし、中には隠れるようにして店の外へと出て行った者もいる。全員が怖れていないわけでは、ないいのだ。



(ならば、なぜ?)



 焦れたのか、客の一人は無理やりその手にパンを握らせると、席へと戻って行った……その背中が席に座るよりも前に、新たな料理が目の前に差し出された。



「さっきとは違うスープだぜ! こっちもけっこう美味いし、スープにパンを浸して食べると美味いんだぞ!」

「う、あ、そ、そうか……」



 いちおうは匂いを嗅いでから、言われるがままスープに浸したパンを口に運ぶ。食べ慣れない味だが、確かに美味い。思わず二口目でパンを口の中に放り込むと、笑い声と共に酒臭い息が、ぷん、と鼻腔をくすぐった。


 鋭い嗅覚を持つ竜人にとって、それは少しばかり嫌悪感を抱く臭いであったが、竜人は何も言わなかった。言ったところで何も意味は無いことを考えるだけの処世術が、竜人にはあった。


 黙々と、差し出されるがまま食べ物を口に運ぶ。人間たちの狙いが何なのかは、竜人には分からない。


 けれども、敵意がないことは薄々理解出来てしまう。少しずつではあるが、身体に回り始めた栄養によって、余裕が出てくる。わずかではあるが、空腹が和らいでいるのが分かった。



(……憐れで、滑稽なやつらだ)



 ごくりと、口いっぱいに頬張っていた肉を呑み込むと、新たに差し出された皿に手を伸ばした。



(もうすぐ、お前たちは神竜様のお力の一端によって滅ぼされるというのに……本当に、哀れな奴らだ)



 だが、しかし。その哀れな奴らから善意を受ける自分は、いったいなんなのだろうか?



 跳ね除けもせず、堪能し続けている己は……それを思うと、竜人は何とも言えない奇妙な胸の痛みを感じずにはいられなかった。



「ところで姉ちゃん、お前さんは、この後はどうするんだ?」



 掛けられた声に竜人が振り返ると、そこには最初に施しをしてくれた龍成が酒瓶を片手に酒臭い息を吐いていた。



「お前を捕まえた商人が逃げた以上、今のお前の所有者はマリーたちになる。そのマリーたちは、お前を拘束するつもりも隷属させるつもりもないらしい。言うなれば、お前はもうすぐ自由になるわけだが……どうするんだ?」



 ……どうするのだ、とは、どういうことなのだろうか。


 そんな思いで竜人は目を瞬かせていると、龍成は困ったように頭を掻いた。



「つまり、だ。このまま飯食っているのもお前の自由だし、町を離れてお前が住んでいたところに帰るのも自由ってことだ」


(自由……自由、か……)



 チラリと、竜人は己をここまで連れてきた二人の少女を探す。


 その二人は、何やら一人の男と顔を突き合わせて何かをしているようであった。


 ……おそらく、己を買う契約か何かをしているのだろうことは、想像が出来る。


 銀髪の少女……確か、マリーと言ったか。その背中にしがみ付く見覚えのない黒髪の少女の存在は些か不思議だが、それも人間のやることだからと思うと気にはならない。



(我を買う……か)



 ふと、首もとへ視線を下ろす。見れば、倉庫に居た時には確かにあった炎の首輪が、消えている。


 何時の間に消したのかは分からないが、今の己でも逃げるだけなら十分に可能だろう。



(……逃げたところで、もう村には帰れぬ。今更戻ろうものなら、場合によっては死罪にもなるやもしれぬ)



 けれども、今の竜人に帰る場所など有りはしない。否、帰る場所を捨ててきたのだ。


 己を育ててくれた世界を、幼いころからの友たちを置いて人里へと降りて……そして、不覚を取った。


 ……イシュタリアが口にした推測は、だいたい当たっていたのだ。



(……それならば、もう少しだけ……貴様ら人間が神竜様の手によって滅ぼされるその時まで……)



 少しばかり、人の世界を生きてやろう。どうせ、やることがあるとしたら、世界を放浪するぐらいなのだから。



 げらげらと品の無い笑い声を上げる人間たちを見やりながら……竜人は、ぼんやりと喧騒を耳にしながら、骨付きのチキンを齧った。



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