第10話 

夏色 タイフーン


 あのお花見から時は流れ六月も終わりに近づいた頃。ようやくバイトにも慣れてきたおれ達は、新店についての大まかなコンセプトなどを決めるようになってきた。


 今日は土曜日で学校もなく月輪日日も予約状況が落ち着いているということから、昔のヤンキー仲間の集会に出るとか言って欠席した次郎以外のメンバーが新店についての話し合いをしに涼の家に集まっている。

今日は九月でもないのに台風が上陸するという予報であったが、雨足がさほど強くなかったため中止になることはなかった。


 そして現在、涼の家のリビングで新店のコンセプトについて決めているわけである。

 「今までに決まったことの確認だが……」と蒼先輩が決定事項についてのおさらいをするようだ。


 「まずなんでオレたちに新店の企画が回っていたのかというと、社会が安定していたことなどもあり、モノを作るとなんでも売れた高度経済成長が終わり、現在ではモノが溢れる時代に変容している」


「また現在では環境の変化も起こりやすく企業は従来のようなトップが一人で考えていたようなトップダウン式の経営戦略では環境に対応しきれなくなっており、その変化に対応するために直に顧客と接する機会のある現場レベルでの意見が重要視されるようになってきた。

そして現場から様々な知恵を出し合い考え出された戦略。つまり創発的戦略が重要視されるようになったわけだ。

しかし大企業では現場が考えた意見がトップの目に入ためには色々な部署を通らなくてはならず、時間が掛かり過ぎその間に顧客のニーズが変容してしまう。

日本の大手総合電気メーカーの衰退がいい例だな。 それで――」


「蒼くん…… またそのお話なの? 正直話長いし何言っててんのかわかんない……」蒼先輩口上に美桜ねぇが開始五分で音を上げている。ふと隣を見ると文太先輩は完全に瞼を閉じている。


「そうだな。 理解していたほうが方向性も分かり易いと思ったんだが。 美桜などには難しい話だったのかもしれん」


「まぁ要は革新的な蒼先輩の会社は現場を直ぐに反映させる体制が整っているってことですね」


「流石蓮太郎くん。 わかりやすいよー」何度も蒼先輩の話に頷いていた菜乃花ちゃんであったが、あまり理解できていなかったみたいだ。


「要約するとそうだな。 

次はどんなコンセプトにするのかという話だが、環境や顧客のニーズが変わりやすいなら絶対に変わらないものにすればいい。 

つまり人間の本能に基づいたコンセプトにすればいいとオレは考えた訳だ。 

そこでお前たちから挙がったのが『子孫を残すため人は恋をする』という本能だ。 具体的に言うとカップルやその前の段階の男女がターゲットだ。 

その中でも最もパートナーを探す活動が盛んな二十代から三十代に絞るというものでよかったんだよな」そう言い終わると蒼先輩はカバンの中から紙の束を取り出す。


「これがお前たちに取ってもらったアンケートとおれが取ったアンケートをまとめたものだ。 アンケートは五段階評価で行い異常値に左右されないように平均値だけでなく標準偏差や中央値などの数値も出している」


「異常値に左右ってどういうことですか?」柊木が質問する。


「あぁ平均値だけだと極端な数字。

例えば五と一だな。 本当は三に丸を付ける人が一番多いのに、極端な数字を付ける人がまとまった数いると平均値は極端な数字に近づいてしまうんだ」


「だから中央値や標準偏差といったものも必要な訳ですね」蒼先輩の答えに対し柊木は納得したようであったため、蒼先輩は話を続ける。


「また、このアンケートによると新宿にはデートに使かえるような店があまりないようだ。 飲食店自体は数多くあるのだが一人あたり3千円から5千円ほどの手頃な価格の店は『狭い』『騒がしい』『店員の数が明らかに足りておらず、いつも急いでいる』といった不満があることから、よく行く店というものが決まってない人が多い。 そしてデートに使う店に求められることはさっき挙がったマイナス要素をカバーすることは勿論、特に重視されることはお洒落な内装と、行き届いた接客だ。料理はある程度美味しくお洒落な盛り付けであれば問題ないらしい。 

だが低カロリーなものがいいという意見も女性から多く挙げられていた」


「確かに俺の友達もそう言ってる奴が多かったな」涼などのメンバーもアンケートの結果に納得しているようだ。


「あんまり店が騒がしくないほうがいいなら合コンなどの団体客はどうするんですか? 団体客が来ないと売上は上がりづらいですよね」とおれは疑問を口にする。

「それについては考えてある。 

カップルに人気の店ということは勿論合コンなどにも使われるだろう。 そこでそう言った騒がしくなりそうな団体客は個室を用意しそちらを使ってもらう。 

また合コンに使うような客層は場が盛り上がるプラスアルファの要素を求めていることもアンケートに表れている。 

そこで飲み放題の団体には、個室に小さめな冷蔵庫を置きそこに酒やソフトドリンクを入れセルフサービスを行う。 

カクテルを作るシェーカーやマドラーも用意し、自分たちで好きなカクテルを作れるようにすれば人件費も減るし、お客も楽しめると一石二鳥だ」


「へー考えたものね。 確かにお花見に行くときに乗った蒼家の車で色々とドリンクを作るのは楽しかったわ」


「いい考えですね。 あと提案なんですけど、幹事検定なんかもやったら盛り上がるし、お客さんも協力的になるんじゃないですかね?」


「詳しく話してくれないか?」


「えーと今考えついたんで大まかな感じなんですけど。 バイトしてる時に協力的なお客さんに接客するのは楽なんですけど、話が盛り上がっちゃってこっちの話聞いてくれないお客さんもいるじゃないですか」


「本当そうだよー。 特に団体客で非協力的だと困りますよね。 私が『カシスオレンジご注文のお客様―』と言っても全く聞いてくれないの誰に渡したらいいのかよくわからない時があります」


「あーなんとなくわかるな。 俺は皿をまとめてくれる客とか取り分けてくれる客ならすごく楽なんだけど、全然料理食べない客は困るな。 

飲み放題だと時間が決まっているから料理がテーブルに溜まっていても料理止められないし」


「私はねー。 時間過ぎてるのに帰らないお客さんが嫌だな。 次の予約が入ってるのになかなか帰ってくれないと本当に困るよー」


皆団体客には色々と思うところがあるみたいだ……


「もし幹事検定があればこういったお客さんが減って協力的になってくれると思うんですよね。 

後幹事検定でいい成績を取れれば異性にアピールになるのでまた別のメンバーで来てくれると思うんですよね。 

二回目ならどんな感じにやればいいか分かるからいい点取りやすいし」


「確かにその案はいいな。 もう少し推敲して取り入れよう」


どうやら蒼先輩も納得してくれたみたいだ。


「あとアンケートによると一人で行ける店のニーズもあるみたいだが、何か案はあるか?」


すっと柊木が手を挙げる……


「コンセプトは『人は恋をする』ですよね? でしたらオープンキッチンにし、僕のような顔立ちの整った店員が華麗に調理し女性客に恋をさせるというのはどうでしょう?」


「お前についてはノーコメントだが、店員に恋をさせれば常連はできやすいかもな」


「確かに。 店員のシフトを曜日制にして顔写真と一緒にホームページに載せれば自分のお気に入りの店員のシフトが分かるわけだ。 

これでせっかく店に行ったのにお目当ての店員が居なかったということもなくなるだろう。 アンケートにも店員の容姿がいいに越したことはないという結果が出ているしな」


「オレは一人暮らしだが、やっぱり出前やレトルトが多くなって栄養が偏ってる気がする。 特に現代の風潮として健康ブームみたいのはあるから、体に良いメニューにすれば社会人はくるかもな。 

お金もあるだろうし。そこに美男美女の癒しなんかもあれば普段会社で溜まるストレス発散にもなるしな」


「でもそうするにはやっぱり店員がお客さんの顔と名前を覚えなくちゃだよね…… 私記憶力には自信がないです……」

不安そうな顔で菜乃花ちゃんは蒼先輩のほうを向く。


「それについては問題ない。 

今では顧客管理の出来るソフトもあるからそれを使えばなんとかなるだろ。 

まぁ予約してくれないと厳しいが」


「一人で来たお客さんには名前を聞くことにすればいいんじゃないですか? あとポイントカードも作ればお客さんの管理もしやすいと思います」


「その案はいいと思うな。 やっぱポイントカードあると貯めるの楽しいし。 おれは少ない回数で溜まるポイントカードがある店にはついつい行ってしまうよ」


「入口で名前を教えてくださいっていうのはちょっと抵抗があるがポイントカードを提示してもらって名前をさりげなく確認するのはいいよな。 

それでレセプションの人がパソコンで検索すればいいわけだし」


 涼もこの意見には概ね賛成のようだ。

顎に手を置き眉間に皺を寄せているが否定亭な雰囲気では無かった。

最初はいつも難しそうな顔をしている涼が何を考えているかわからなかったおれも最近では何を考えているのか大体推測できるようになってきた。


「ある程度方向性は見えてきたことだしそろそろ休憩を取りましょうか」

未だ閉ざした瞼を開かない文太先輩もいることだし休息を要求した。


「そうだな。 美桜なんかももう限界みたいだし休憩にするか」


蒼先輩がそう言い終わると直ぐに文太先輩は「ふぁー」と大きく仰け反りあくびをした。


「文太先輩起きてたんですか?

 サボっちゃダメですよ。 次からはちゃんと活動に参加してくださいね」


菜乃花ちゃんに叱られて文太先輩は「悪りい。悪りい」と言っているが反省した様子は微塵も見られない。


 「まぁいいじゃんか。 買ってきたお菓子でもくおうぜ」

そう言うと勝手にポテチの袋を豪快に破り食し始めた。


 それを合図に他のメンバーもスーパーの袋からお菓子を出してテーブルの上に並べ始めている。おれは飲み物も用意したほうがいいなと思い涼に質問する。


 「お前ん家なんかジュースあったっけ?」


 「あぁ。お前が昨日うちに来た時に置いていったダイエットコーラがあるぞ。 あとお茶とかならあるな」


 その言葉を聞いた瞬間。 おれはピピッン。と名案を閃いた。


 ――あのコーラまだ飲んでないのか。神は柊木を陥れることをお望みらしい……


 「お主も悪よのう」そう考えるおれの顔はいつも柊木を嵌める時のように不気味に微笑んでいた……


 早速冷蔵庫からお茶を取り出しテーブルに置く。そして買ってきた紙コップを取り出し皆に注ぎつつ「コーラがいい人ー?」と尋ねる。


 男性陣はほとんどコーラをお望みのようだ。

そこでおれは柊木に「おれ今ちょっと手離せないからコーラ持ってきてくんないか?」と言う。


 「はっ。 なんで僕が君の言うことを聞かなければならないんだい?」


 ――まぁこいつがおれの言うことを素直に聞くわけがないよな。

だがこいつの扱い方は把握している。

魔法の呪文を唱えれば簡単におれの言うことを聞くだろう。


 そしておれは柊木の耳にそっと耳打ちした。


 その呪文を聞いた柊木は「べっ別に誰か好きな人がいるから点数稼ぎしたいわけじゃないぞ。 あまりにも蓮太郎が使えないから手伝ってやるだけだからな」


 ――こつい本当にわかり易すぎて扱いが楽だな……その哀れみの視線の先には軽やかな足取りで冷蔵庫へと向かうバカがいた。


 あいつの勇姿を見届けるためにはさっさとこれ注がないとな。そう考えたおれはお茶を注ぐペースを上げる。


 丁度おれが注ぎ終わるのと柊木が冷蔵庫のドアを開くのが同時だった。


「これもう開けてあるやつか。 炭酸とか抜けてないのか?」

そう言いつつもバカはコーラのキャップを捻る……


この時のおれは必死に笑いを堪えていた。

本当こいつを嵌めるのは赤子の手を捻るよりも容易だな。


プシュッという炭酸の抜ける短い音の後惨劇は起きた……

――これは後の飲研内でカイザー事件と称され、以降柊木の前でコーラを飲むとあいつは酷く不機嫌になるようになった。


まぁあえておれは毎日コーラを飲むようになるわけだが。


          ◇              ◇

「なんじゃこりゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」と叫んだ時にはもう手遅れだった……


 この白魚ように美しい僕の手がコーラの蓋を開けた瞬間。間欠泉のようにコーラが噴出したのだ。


天才的な頭脳によって的確な対処法を導き出す。

そう、コーラの口の部分を手で押さえ込んだのだ。


しかし勢い良く噴射されるコーラにはこの作戦は通用しないようだ。

あまりにも勢いが良すぎて手で押さえつけることが出来ない……


これはもう物理的干渉でどうこうなる問題ではない。

聡明な僕はこんな危機的状況にも関わらず落ち着いて最善の策を考えようとする。


――だがその冷静さがアダとなった……

とめどなく吹き上がるコーラの噴水にほんの一秒の間考察していただけであったのにも関わらず僕の上半身はコーラまみれになってしまっていた。


そして一秒の間に閃いた解決策を実行に移す――。

この知的頭脳と美貌……

つまり天が特別に下さった二物をフルに活用した作戦である。

ようはここで僕の美しく華々しい容姿をアピールすればいいのだ。


そう考えた僕は未だ噴出し続け、ついにその勢いは10フィートにも達しようかというくらいの水柱を発生させているコーラを片手に、僕は笑顔で麗しいあの人を見つめたのだ。


 ――そう今の僕はまさにコーラも滴るいい男と言うに相応しい風貌であった。

そして僕が決め顔で見つめるその先には微笑みを通り越し大爆笑で僕のことを指差しているあの人がいたのだ。


そんなあの人の笑顔を見て僕は右手に携えたコーラのように勢い良く湧き上がる喜びを抑えきれずガッポーズをしていた――。

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