第4話 お腹空いたっていう女の子可愛くない?

優色 ファーストバイト




十三日の金曜日から数日が経ち、おれは飲研の活動の一環であるバイトに向かっている。数日もすると、あれだけ不安だった飲研生活に慣れ始めてしまい、改めて人間の順応というものは恐ろしいなと思った次第である。


まぁメンバーが元から知っていた人が多かったからということもあるだろうが……


結局、新歓に来ていた三人組はリーダー格の女子が蒼先輩へのアタックを失敗したこともあり、入部してこなかったみたいだ。


そして現在向かっているバイト先は町田駅に最近できた高層ビル『センタービル町田』の五十三階にある『月輪日日』という店である。


このビルは一階から五十二階が貸しオフィスになっており最上階の五十三階のみレストランフロアになっている。


レストランフロアにはおれ達がバイトさせてもらう『月輪日日』以外にも三店舗が入っており、計四店舗が入っている。


『月輪日日』は今時の和風モダンといった感じの店内であり、夜景がウリのバーコーナー。オープンキッチンがあるホール。最大三十名が収容できる団体席があるお座敷コーナーの三エリアに分かれている。


下の階にあるオフィスの人が結構使ってくれていることや、ビルの西側に位置する店内からは都心の夜景が一望できることから、デートスポットとしても人気があるということもあり割と繁盛しているらしい。


今日は菜乃花ちゃんと次郎が一緒のシフトで、蒼先輩はほぼ毎日入っているのでおれたち新人の研修を任せられているらしい。


夜の営業は五時からなので念の為少し余裕を持って家を出たおれは現在、休憩室兼更衣室のスタッフエリアで蒼先輩と雑談している。


「志水は高校の頃何かバイトとかしていたのか?」


「はい。 こんなに広い店ではないですけど、レストランで三年間バイトしていました」


「じゃあお前は安心だな。 取り敢えずバッシングとサーブだけできれば問題ないからなんとかなるだろ? 多分おれは次郎に付きっ切りになってしまうと思うから松落とホールを頼む」


「いきなりハードル高くないっすか? というか次郎をお客さんの前に出すんですか?」


「そんな訳ないだろ。 あいつにはお客さんからは見えない洗い場に閉じ込めておく。 あと、今日バイトの人が熱で休みだからホールは松落と二人っきりだ」


「えぇー。 いくらなんでも無理ですよ」と難色を示すおれに蒼先輩は


「まぁ何か問題が起きたら遠慮せずに呼びに来てくれて構わないからな」と言い、ポンっと肩を叩いた。


おれがあまりのハードルの高さに絶望していると、菜乃花ちゃんと次郎がやってきた。




「次郎君は小さい頃からクラスの中心的立場だったからそんな脇役は嫌なんだな」蒼先輩に洗い場を命じられた次郎は駄々をこねている……


蒼先輩も優しいからお前の汗が飲食店的に……とは言えないだろうな。どうすんだろ?


「いいか次郎。 洗い場は一番お客さんを笑顔にできる最重要ポジションなんだぞ」


「なななんでお客さんを笑顔に出来るのか次郎君には理解できないんだなッ」


「お皿を丁寧に洗うと皿が綺麗になるだろう? そしてその綺麗な皿を見た料理人はこの綺麗な皿に恥ないように美しく料理を盛り付ける。 そしてその美しい料理を見たウエイターは笑顔になり、笑顔で接客することになる。 そして美しい料理と笑顔のサーブを受けたお客さんは自然と笑顔になる。 わかったか次郎。 洗い場はレストランの花形ポジションなんだ。 こんな重要なポジションは志水なんかでは無くお前にしか頼めないっ!」


――なんて悪魔的な口の上手さなんだ……


「じじ次郎君勘違いしちゃってたんだな。 テヘペロっ☆ 確かにそんな重要なポジションは蓮たろ氏には荷が重いんだな。 しょうがないから優秀な次郎君がやるんだな」


「蓮太郎くん散々な言われようですね。 でも私は信頼してますっ。 今日は迷惑かけちゃうかもしれないけどよろしくね」にぱっと笑って菜乃花ちゃんはおれを元気づけてくれた。


天使や……エンジェルがおられる……


そんな笑顔に二人は不安だけど、おれが不安そうにしてたら菜乃花ちゃんも不安になっちゃうだろうし、頑張るしかねぇな。よっしゃ漲ってきたー。高校三年間で鍛えた能力をフル活用していっちょやってやるしかねぇーな。と簡単にやる気に満ちあふてしまったあたり、男ってもんは単純だと再確認したのであった。


「バーやお座敷の人は初対面の人だから聞きづらいと思うし、おれ飲食経験者だからわからないことあったら気軽に聞いてね」


「ありがとー。 ホントは今日二人って聞いて心配してたんだ…… 私のこと心配してくれるなんて蓮太郎君はやっぱり優しいですね! よーし私も頑張りますっ。 じゃあ着替えてくるのでからまた後で会いましょう」


そう言うと小走りで菜乃花ちゃんは更衣室へと入って行った。


そんな背中を見送ると「そろそろ着替えなくちゃな。 次郎ー着替えるぞー」と蒼先輩と話していた次郎に声を掛けた。


「待て志水。 次郎には特注の服があるから着替えを手伝ってやってくれ。 着替えは各自のロッカーの中にあるからよろしくな」


「とと特注の制服なんて、やっぱり花形ポジションは待遇が違うんだな」


次郎はロッカーを開けつつ、そう言った。


そしてそんな次郎の目の前には胸の辺りにZASAとでかでかと書かれた白い宇宙服的なものがハンガーにかかっていた。


ヘレンケラーでも二度見するレベルの非日常に自分の目を疑ったが、まぁ蒼先輩だし…… と納得してしまったあたり飲研に慣れてしまったことがうかがえる。


「ぼぼ某国の国家機関が関わるほど洗い場は重要なんだな。 蓮たろ氏はどんな制服なのかなぁ?」と次郎は自慢げに聞いてくる。


よく見ると胸のZASAって文字ペンキで書いてあるよな…… 絶対蒼先輩のお手製だろ…… まぁあ飲食は衛生面に気を使わなきゃな……


――てかどうやって洗濯すんだろ……


そんなことを考えつつおれは自分のロッカーを開け、次郎の質問に応える。


「おれの制服は黒の和服みたいな感じで、まあ特に変わったとこはないな。おれはお前が羨ましいよ……」


――そのおめでたい頭がな……


この後、着替えを終えた次郎は蒼先輩に連れられて洗い場へ行き、開店まで軽い講習を受けるようだ。


おれは蒼先輩から渡されたハンディとメニューを軽く見て開店時間を待つ。


取り敢えずハンディは前使っていた店と同じタイプだし、メニューも似た名前のものがなくて取り間違えることはないだろうと一安心した。


「蓮太郎くーんっ! お待たせです。 着替えるの手間取っちゃいまして……」


と背後から声がしたので振り返ると、『月輪日日』の制服に身を包んだ菜乃花ちゃんが恥ずかしそうな様子で佇んでいた……


菜乃花ちゃんの制服も少し現代風にモダナイズされた黒の和服で、制服の丈はちょうどいいのに、その豊満なバストのせいか胸元のあわせが甘く非常にけしからんことになっている。


――菜乃花ちゃんは着やせするタイプなんだな……などと邪な事を考えつつ、胸元を盗み見るおれに対し


「――どっどうかな?」と菜乃花ちゃんは不安そうに自分の着こなしについて尋ねた。


「……にっ似合ってると思うよ」


こんなありきたりな言葉しか思いつくことの出来ない自分のボキャブラリーの無さに辟易しつつ、賛辞の言葉を送る。


「ありがと。 何も言ってくれないから何処か変なのかと思っちゃった。 胸がちょっと苦しいんだけどもう一個上のサイズだと袖がすごい余っちゃって……」


「動きにくいと仕事に支障をきたすからそのサイズでいいんじゃないか?」


――べっ別に他意はないんだからねっ。


「そうだよね。 あと……蓮太郎くんもすごく似合ってます…… 最初制服姿見た時にちょっと花火大会に来たカップルみたいって思っちゃいました…… 制服のデザインとか結構似てますし…… ――てへっ。なんだか照れちゃいますね……」


「――そんなこと言われるとこっちまで恥ずかしくなってくるじゃん…… よしっじゃあ、取りあえずハンディの操作の練習でもしておくかー」と変な事を口走ってしまう前に、慌てて話題を逸らすのであった……


卓番やメニューを覚えたり、ハンディをいじくっている内に開店時間が近づいてきたようだ。


「おはようございまーす」と他のエリアの人が店に入って来たので、おれと菜乃花ちゃんも挨拶と軽い自己紹介をする。


そして間もなくすると、開店時間を迎えたのであった……




――「ちょっとー。 私が頼んだのはガトーショコラの自家製ホイップ添えじゃなくて、『自家製ホイップのガトーショコラ添え』でしょっ。 私が頼む時はいつもガトーショコラが見えないくらいホイップまみれにしてくれるじゃないっ! 全く今日の店員は気が効かないわねー。 蒼様はいないのかしら?」


「スイマセーん。 私が頼んだのは小ライスよっ。 こんなんじゃ一口ライスじゃないっ」


開店すると最初の三十分くらいは席にも、おれの心にも余裕があったのだが、すぐにオープンキッチンの周りにあるカウンター席がふくよかな女性で埋まり、普通のお客さんと同じように接客していた菜乃花ちゃんに苦情が出始めていた。


この強烈な女性たちに常識は通用しないことを悟ったおれは蒼先輩のいる洗い場へと走って行った……


「蒼先輩っ! カウンターのお客さんから苦情が出始めています……」


「悪いッ。 言い忘れていた」と蒼先輩がホールに一瞬出てどの様なお客さんがいるか確認する――。


「カウンター二番にホイップクリーム一本。 五番のお客さんの小ライスは一升で大ライス頼まれた時は三十五合炊きの炊飯器ごと持って行ってくれ。 八番のお客さんはマヨラーだから業務用マヨネーズ一本持っていってくれ……」などカウンターのお客さんの好みを教えてくれ、的確な指示をくれる。


因みに一人で椅子を複数使うお客さんしかいないので、最大二十名ほど座れるカウンターは五人で満席になっている。


おれが急いで炊飯器などを抱えホールに戻ると、菜乃花ちゃんがホイップおばさんに捕まってあわあわしていた。


菜乃花ちゃんはどう対処していいのかわからないのか「ごめんなさい。 ごめんなさい」とひたすら謝っているようだ。


おれはそんな菜乃花ちゃんを助けるべく「先ほどは失礼いたしました。 これがお詫びのホイップクリームです。 勿論お代はよろしいので、ゆっくりしていってください」と爽やかな笑顔で目的の白いブツを渡す。


「あらやだっ、ありがとー。 これさえあれば文句は言わないわ。 あんた気が効くわねー」おばさんはご機嫌になり、ガトーショコラに勢い良くクリームをぶちまけ、白の巨塔を建築している。


そしてその白くてぶっといのをスプーンを使わず一気に喉奥まで突っ込む。


案の定、ゲホゲホとむせてるが、至福の表情で何度も喉奥まで突っ込んでいる。


「ごめんね蓮太郎くん……」ミスしたことを気にしているのか、菜乃花ちゃんは心無しか元気がない……


なにか励ます言葉をかけてあげなくちゃと考えるが、他のお客さんに呼ばれてしまったため「はーい」と言い注文を取りに行くことにした……




それからまた少しすると、カウンターだけではなくホールのテーブル席も埋まってきたため菜乃花ちゃんは完全にテンパってしまっている。


「蓮太郎くん……」と呼ばれたので行ってみると、「どどどうしよう…… 三番テーブルと五番テーブル打ち間違えちゃった……」菜乃花ちゃんが申し訳なさそうにそう言っている間にも「スイマセーん」とお客さんからの注文が途絶えない。


菜乃花ちゃんはやることが多すぎるため泣き出しそうなほどテンパっているようだ。


「大丈夫だよ。 履歴見れば修正できるから、打ち間違えは任せといて。 六番テーブルの注文取ったあとは、そろそろ一番テーブルの焼き物が出てくる時間だからそれお願い」


「ごめんね。 了解です」と言い菜乃花ちゃんはお客さんの元へと駆けていった。




――ふー。やっと客足も引いてきたけど、流石に一人でコースのペースを見つつ菜乃花ちゃんのことを見るのはキツかったな。さっき蒼先輩が一人休憩していいって言ってたからそろそろ菜乃花ちゃんに休憩してもらおうか。


そう考えたおれは菜乃花ちゃんを探す――。


すると、丁度裏で水を飲もうとしていた菜乃花ちゃんを見つけ、肩を叩いた……


――「ガシャンッ」


しかし、その行動が菜乃花ちゃんを驚かせてしまったみたいで彼女は飲もうとしていたグラスを落としてしまった。


グラスは菜乃花ちゃんの豊満なバストの上で一度バウンドした後、床に落ちてしまった。「あぁごめんなさい。 私ミスばっかりしてしまって……」菜乃花ちゃんは割れたグラスを手で拾おうと屈んでいる。


屈んだ彼女の濡れた胸元が丁度目に入る――。


心では目を逸らさなくちゃ。と理解しているのだが、目が釘で打ち付けられように固定されてしまっている。


――この状況は精神衛生上大変よろしくない……


反抗期のマイサンが益荒男の如く猛々しく荒ぶっている……


――まさにライジングサン状態である。


このままではバイトにも支障をきたすと感じたおれは必死に荒ぶる気持ちを押さえ


「気にしないで大丈夫だよ。 丁度ここ掃除しようと思ってたから」と声を掛ける。


「ごめんなさい……  でっでも…… 私のミスですし……」


「今日の菜乃花ちゃんは謝ってばっかだね。 そういう時はごめんじゃなくて、ありがとうって言っておれに任せなさいッ」


「おれ人の血を見るの嫌いなんだよね。 あと別に菜乃花ちゃんのためにじゃなくて、自分のためだから気にしないでよ。 ほらほら。そんな濡れた制服じゃ仕事できないし、蒼先輩が休憩行っていいって言ってたから着替えも兼ねて休憩してきなー」と優しく声をかける。


しかし菜乃花ちゃんはミスを気にしているのか、いつもの陽だまりのような笑みに雲がかかっていた。


見慣れない菜乃花の暗い表情を見かねたおれは言葉を続ける――。


「おれまで浮かない顔をしてたら菜乃花ちゃんも気にしちゃうよね。 ハイッ。 じゃあお終いっ。 気を取り直して頑張ろう」と笑顔を作り、手を叩いた。


 「おれだって始めたばっかの頃はミスばっかりして、バイトの先輩に面倒見てもらってたんだよ。 でも実際に自分が先輩立場になってわかったよ。 そんなことは全然迷惑じゃなくて、菜乃花ちゃんが困った顔しているほうが気になっちゃうな。 だからさ、いつもの笑顔でいこうよ」


おれのその言葉に菜乃花ちゃんは少し無理やりながらも笑顔を作り「ごめ……じゃなくて、ほんとーにありがとうございます。 実は……私はいつも蘭華からドジって言われてて……自分ではそういう風に思ってなのですが…… 私自身は頑張っているつもりなのに空回りしちゃったりとか…… なんにも無いところで転んじゃったりとか…… こないだの新歓の時とかも酔っちゃって、グラス倒しそうになってしまったんですけど、蘭華が私のそういうところを知っていてフォローしてくれてたんです…… よし、じゃあ休憩行って気持ちを切り替えてきますッ」


ようやく多少無理しつつも笑顔になった菜乃花ちゃんは、スタッフルームへと歩いて行った。

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