第3話 馬鹿でもいいじゃない。と誰かは言った気がする。……多分。
悔色 マッド ドリンキングパーティー
当初の予定では、学校が始まり、数日が経った頃には、おれには大勢とまではいかなくとも、何人かの友達は出来ているはずだった……
「蓮たろ氏ー。 今日の新歓には参加するで御座るか?」
――そう、こいつのせいである
次郎は入学式の時のような強烈な塩酸のような匂いと、滝なような発汗こそ発しなくなっていたが、依然、常人としては異常な発汗と酸っぱい匂いを発生させている。
次郎曰く、「緊張すると少し汗が出ちゃううんだな」だって……
――いや……どのような測量法を用いても少しではないよな…
あれが少しということなら次郎の中では世界最大級のナイアガラの滝でさえ少し大きな滝ってことで済ませてしまうに違いない……
勿論。そんな次郎には友達がいないみたいで、あれからシツコクおれ達に付き纏ってくるようになった。
あいつは高校の頃都内でも有名なヤンキーのグループにいたから怖がって誰も話しかけてこないと言っていたが、どうせあいつの脳内設定だろうと気にしないことにしている。
そんなこんなで大学でのクラス分けも決まり、おれは涼と同じクラスになった。
――誠に遺憾なことに次郎もだが……
あと補足情報だが、蘭華も同じクラスになり、アイツはクラス委員に任命されていた。
蘭華はたまにドライアイスのように、触れると凍傷を起こしてしまいそうな程に冷たい視線をこちらに向けてくるものの、おれのことは努めて無視しているようだった。
そんな蘭華はあっという間に、クラスのヴィーナス的存在として崇められるようになった。
ただあの凍てつく波動に話たけたいが、話しかけられないとクラスの奴が話しているのを小耳に挟んだあたり高校と同じ状況で、あまり友達はいないみたいだ。
おれの見たところ蘭華といつも一緒にいるのは松落菜乃花ちゃんという入学式の時に次郎の隣りに座り、目に涙を貯めていた可愛らしい女の子だけである。
菜乃花ちゃんはそのぽわぽわした雰囲気から話しかけやすいのか、クラスでよく蘭華について質問されている。
今のところクラスで男子に一番モテそうなのが誰にでも優しい菜乃花ちゃんで、二番が綺麗だが話しかけづらい蘭華といったところか……
ちなみに女子に一番モテそうなのが、柊木昴という今流行りの茶髪の読モ風の外見のやつである。柊木人気の一因として親が大手食品卸売業の社長ということもあるらしい。
二番人気は端正な顔立ちにクールな雰囲気が人気の篠崎涼である。
アイツは次郎に付きまとわれているということがなければ、柊木と争えるんじゃないかというほど女子からモテている。
「イテっ。 どうしたんだいきなり?」 ムカつくのでなんとなく殴ってみた。
むしゃくしゃしてやった。後悔はしてない。
――勿論そんなおれはランキング圏外である……
入学式以降、友達を作ろうと涼といくつか気になったサークルの新歓に行ってみたが、どうもあの新歓独特の無理している感じや、可愛い女の子達に男の先輩が食いつき、それ以外の人たちをないがしろにしている所があまり好きになれず入部するには至っていない。
――ベッ別におれをかまってくれないことが不満な訳じゃないんだからね……
因みに新歓で「他にどこのサークルの新歓行くのー?」という話題は鉄板ネタらしく、おれの行ったどのサークルでも聞かれた。
そこで「飲研です」と応えるとみんな一様に「インケンっ!? あそこは止めといたほうがいいよー」と言われるほど美桜ねぇ達の飲研はかなり不人気だった。
飲研の通称は「陰険」や「淫研」らしく変人の集まりとも言われていた。
それでもおれは人を見かけだけで判断する人たちよりも文太先輩や蒼先輩、美桜ねぇのような人たちに魅力を感じ始めていた。
最初は次郎の見た目というよりは匂いに嫌悪感を抱き、平穏な大学生活を送るために関わらないようにしていたおれも今ではあいつも悪いやつでは無いと思うまでには至っている。
そんなサークルのなかにも、何人かは友達になれそうな奴はいたが、大学でおれ達が次郎と一緒にいることを知ると自分の保身のために離れていった……
上辺だけのような奴が多くなんだか寂しい気持ちになり、大学生活は思ったよりも輝かしいものではないなと少し落胆している次第である……
そして、現在。大学生活のスタートダッシュに見事に失敗したおれは一縷の望みを託し飲研の新歓へと向かっている訳である。
◆◇◆
大学から一駅のところにある町田駅は東京郊外とはいえ様々なデパートや娯楽施設がありそれなりに賑わっている。
飲研の新歓はあまり人が集まらなかったのか、何処かで待ち合わせてからお店に行くという形式ではなく、直接現地集合とのことだった。
大勢で集まるのは周りの人の迷惑にもなるし、遅れてくる人もいてどうしてもぐだってしまうため、そういうことが好きではないおれには都合がよかった。
店の場所もわかりやすく、おそらく町田駅のメインストリートであろうと思われる原町田大通りに面したところにあった。
祝前日ということもあり、喧騒の溢れる大通りを数分歩くと、新歓の会場であるアイリッシュパブ「HAB」が見えて来きた。
この店は東京各所にあるチェーン店で英国風の内装と暗めの照明でなかなかオシャレだ。そして、リーズナブルな値段もあいまってどこの店舗も混雑している。
そして英国風なためか外国人のお客もちらほら見かける。
少しがやがやしているが、静かな店で騒ぐと他のお客さんの迷惑にもなるし、新歓をするには丁度いいだろう。
重い木製のドアを開け店に入ると奥の方のボックス席に飲研のメンバーや次郎などといった見知った顔が集まっているのが見えた。
おぉー女子人気NO1の柊木もいるのか。あいつとは話してみたかったんだよなー。
――というかアラを探してモテ男の座を引きずり下ろしてやろうと思ってたんだよな。
――いや、冗談だけど……
他には…… ゲェっ菜乃花ちゃんもいるということは……
――隣りにいるのは……蘭華か。
非常に会いたくない奴との遭遇に落胆していると「蓮ちゃーん」とおれを見つけた美桜ねぇが、ちぎれんばかりの勢いで手をブンブン振っている。
その慣れた光景を華麗にスルーし、涼の隣に座ると蒼先輩はピッチャーからおれ達のグラスにビールを注ぎ「よし、全員揃ったことだしはじめるか。集まってくれてありがとう。 ここは親が経営している店なので皆気にしないで好きなものを頼んでくれ。 今日は楽しもう。乾杯っ」と短く乾杯の音頭を取った。
どうやら十人ちょっとの人が集まったみたいだ。
運悪く、丁度おれが座った前の席には不機嫌そうにカラカラとグラスを回す蘭華がいた。
めちゃめちゃ気まずいんですけど……なんかこっちのこと睨んでるし……
そんな乾杯のあとの微妙な空気のなか「じゃあまず自己紹介からはじめようかー」と美桜ねぇが能天気な声で自己紹介を始めた。
美桜ねぇから時計回りにインテリイケメン蒼先輩、ガチムチ文太先輩と続き、おれと涼も名前だけの短い自己紹介をした。
「山田次郎なんだな。 東京出身の人は知っているかもしれないけど、高校の時は少しヤンチャをしていて恐れられていたけど大学に入ってからはもう足を洗ったんだな。 だから気軽に話しかけてくれていいんだな」
「流屋敷蘭華です。よろしく」
蘭華はおれと目を合わせないようにテーブルの辺りを凝視しながら自己紹介した。
蘭香の自己紹介が終わると美桜ねぇは「蘭華ちゃんは私の高校の後輩で無理やり連れてきちゃいましたッ。 かわいいでしょー?」と一言付け加えた。
――な・ん・てことしてくれた。
美桜ねぇはおれたちの気まずい関係を知っているはずなのにこいつ馬鹿なの? 死ぬの? と怒りのこもった目で見るが、美桜ねぇの理解力ではおれの思いが伝わらなかったのか、視線に気づき、親指を立ててきた。
「はじめましてー。 志水菜乃花です。 趣味は特撮を見ることで、好きな番組は暴走戦隊グレンジャーです。 戦隊モノが大好きで特にピンチになると敵をバイクで何度も跳ね飛ばし、味方を助ける暴走レッドが好きです」と菜乃花ちゃんが子供向けの戦隊モノの番組名を挙げ、ツッコミ待ちなのか本当に好きなのかわからない自己紹介をすると、
隣にいた柊木は「僕は蒼の知り合いで一年の柊木昴です。 よろしくお願いします」と爽やかに自己紹介した。
なにコイツモンダミソなの? 心無しかミントの香りがするんですけど……
オレなんか高校生になって初めて香水をつけた時、ほのかなラベンダー香りを纏い意気揚々と学校に行ったはずなのに、クラスのやつに「お前便所の芳香剤の匂いがする。 くセーから近寄んなよ」と散々馬鹿にされた挙句、あだ名が『フローラルT○TO』になってしまったというくらい爽やかとは無縁だというのに……
「昴の親がうちの会社の取引先で昔からよく遊んでいる。 仲良くしてやってくれ」
おれが黒歴史を思い出していると蒼先輩が柊木の紹介をしてくれた。
このあとに初対面の女の子三人組が自己紹介し、新歓はスタートした。
◆◇◆
女子三人組は皆同じクラスらしく、仲良く蒼先輩とサークルの活動内容について話している。
一人はかなり可愛い女の子だが必要以上に甲高い声と、わざとらしい大げさな仕草が好きになれそうもなかった。
その可愛い女の子は蒼先輩を狙っているらしく、積極的にアピールしているが、蒼先輩はそんな女の子に目もくれず、ふくよかな(といっても軽く百キロはありそうだが)女の子の質問に優しく、そして丁寧に応えている。
そんな周囲の状況を横目に観察しつつ、おれは一生懸命にグラスの汗を拭いている美桜ねぇに小声で「なんで蘭華のこと呼んだんだよ。 おれたちが気まずいのは知ってんだろ? もしかして馬鹿の?」と本日の最重要案件について調査すべく耳打ちした。
「私馬鹿じゃないもんッ。 私だって二人が気まずいのは気づいているよー。 だから今日は二人を仲直りさせるために呼んだよッ。 蓮ちゃんだって仲直りしたいんでしょ? だったら、美桜姉ちゃんに任せなさいっ!」と自信満々に小さな胸を叩いた。
「蘭華ちゃんは蓮ちゃんになんて話しかけたらいいかわからないだけだけだと思うけどなぁー。 だから蓮ちゃんから話しかけてあげなー」と美桜ねぇは続ける。
「わあったよ。 おれから話しかければいいんだろ」
確かに蘭華にはそういったところがあるかもな…… アイツはなんだかんだ言って恥ずかしがり屋なとこもあるし。
「蘭華が本当におれのこと嫌いになって他人の振りしてるなら、美桜ねぇなんか奢れよなッ」
「恋愛相談はこの歩く恋愛マニュアルである美桜ねぇに任せなさい!」と予防線を張るおれに美桜ねぇはエールを送ってきた。
アイツはマニュアルなんてちゃちなもんで手懐けられるような単純な思考はしていないと思うけどな……
でも……アイツに話しかける口実はできた。
よし……こうなったらやけくそだッ!
そう腹をくくったおれは目の前に座る蘭華に「まさか全国模試で上位に載るようなヤツと同じ学校になると思ってなかったよ。 元気にしてたか?」と勇気を振り絞り話しかけた……
「特待生で学費免除だったからよ。同じ大学で悪かったわね……」
――いつもどおりの憎まれ口を叩く美少女……
こんなやり取りができなくなって、もう半年は経つ。
「おれのこと、あの日からずっとで避けてたよな……? 話しかけて大丈夫だったか?」
「今更何言ってるの? 別にアンタのこと嫌いなのは今に始まったことじゃないじゃない。 話すことがなかったから話さなかっただけよ」蘭華はツーンという擬音が聞こえてきそうな態度でおれの質問に応える。
――これ……マジで嫌われてんじゃね……?
思わず無言になってしまう……
「――こっちだって気まずかったんだからもっと早く話しかけなさいよねっ……」
おれが不安になっていると蘭華は耳を少し赤くしてそうつぶやいた。
「あれっ? 蘭華ちゃんはいつも私に蓮太郎くんの話をしてくれていたから、てっきり仲いいのかと思っていたよ」
おれたちがぎこちなく話しているのを見て菜乃花ちゃんが思わず口を挟んだ。
「菜乃花ッ! 何嘘言ってんのッ? 私がそんなこと言うわけないじゃないッ」
頬をリンゴのように赤らめる蘭香。 そんな昔は当たり前だった事が懐かしくて……
思わず溜めこんできた気まずさが「ぶはっ」と洩れた。
「ははっ。 やっぱ入学式の挨拶の時も思ったけど、蘭華は蘭華だわ」
「――なんかまぁ 遅くなっちまったけど…… 大学でもよろしくな」
「フンっ 知らないっ あんたまた私が応えなくてもしつこく話しかけてくるんでしょ?」と
握手に応えこそしなかったが、蘭華はまんざらでもないようだった。
なんとか話しかけることに成功したおれは美桜ねぇに「ありがと」というと何も言わなかったが、にっこりと笑っていた。
蘭華と一応和解し、緊張が和ぎ周囲に気を配る余裕が出来たおれは、みんながどんな話をしているのか急に気になり、辺りを見回す……
次郎は菜乃花ちゃんにどうやったらそんなに友達ができるのか? リオンってヤンキー知ってる? アイツはおれとニコイチだったんだけど。ということを聞いている。
菜乃花ちゃんは「私そんなに友達多くないですよー 私も東京出身だけど親の都合でよく引っ越しが多かったから聞いたことないなー」と次郎の質問攻めに気さくに応えていた。
一方、涼は文太先輩や柊木とお酒について話しているようだ。このグループは酒好きということで話は弾んでいるようだ。
「二人は普段どんなお酒を飲んでいるんだ?」という文太先輩の質問に対し
「僕はシングルモルトしか飲みません。 父上も家でシングルモルトしか飲まないので家系ですかね」
その後も「でもやっぱり英国王室御用達のラフロイグのカスクが一番です。あれは口に含んだときの甘味、フィニッシュのヨード香が秀逸ですね。 僕はストレートでしか飲みませんがその際はグラス選びが重要です。 カスクウイスキーをロックグラスで飲むと度数が高いので芳醇な香りがアルコールの高さで消失してしまいます。 そのためグラスは少し上部が小さいチューリップタイプのバカラで……」と薀蓄が止まらない。
へー柊木のやつもウイスキー好きなのか。 おれも好きだし後で話してみるかな……
――でも待てよ、あいつおれが来た時からずっとシーバスリーガルしか飲んでなかったよな…… 「やっぱこれだよな」的なこと言ってたけど、あれブレンデットじゃん……
もしやにわかなのか? まぁおれも人のことは言えないからほっとくか。と思ったが死んだ魚のように生気の無い目で柊木の薀蓄に耐えている涼と文太先輩の顔を見るとほっとけなくなってしまった……
「今飲んでいるシーバスリーガルはブレンデットだろ?」
そして、反射的に口を挟んでしまった……
――しまった。 気持ちよく薀蓄を披露していたのを中断され、柊木めっちゃ怖い顔してんじゃん。 なんか反撃してきそうだし…… メンドクセー。
案の定柊木は「やれやれ」と言うかのような両手を広げたポーズで「これはパパも飲んでたし絶対シングルモルトですよ。 これだから庶民は……」と強気に反論してきた。
――うっぜーー。 いいぜそっちがの気ならやってる。
別に周りから絶対、蓮太郎が間違ってる。 みたいな目で見られてるからじゃないから。 その生暖かい目に耐えられないから戦う訳じゃないんだからッ。
そんなおれは少し涙目になりながらも「じゃあお店の人にラベル見せてもらおうじゃないか」と提案する。
「いいだろう。 どうせ吠え面をかくのは君だろうけどね。 マスター」と指をパチッと鳴らし店員を呼ぶ。しかし店内はざわざわしているため店員さんは気づかないようだ。
それでもどうしても指パッチンで呼びたい柊木はもう一度指を鳴らし、すうっと深く息を吸うと「マぁーーースターーーっ!!」と耳をつんざくような大声で叫んだ。
一回目で店員さんが来なかったため少し恥ずかしそうにしていた柊木だが、店員さんがこちらに向かってくるのを見るとドヤ顔になりこちらを見てきた。
――明らかに指パッチンじゃなく声のほうで気づいたんだろ。と言いたくなったが必死に堪える。これ以上うざくされたら、温厚なおれでも流石に堪えきれそうにない。
そして柊木は「シーバスリーガルのボトルを持ってきてくれたまえ。 大至急だ」と店員さんに命令した……
――数分すると店員さんが「お待たせしました」とビンを持ってくる。
ビンを受け取り、ラベルを見た柊木は「そっそそそんな馬鹿な……」と近くにいるおれでさえ注意していないと聞こえないような小さい声で言うと、ビンをこちらに渡さず、静かに店員さんに返した。
目が泳いでるどころかバタフライしているのを見て、勝利を確信したおれは「どぉーしたのかなー柊木くん? ラベルには何が書いてあったのかなー?」と自分でもうざいのを自覚してしまうほどのドヤ顔でそう言った。
蘭華が小さい声で、「鼻の穴膨らんでいる」と言っていたがこの際気にしない。
「ラベルにはそのような表記はなかったな……」と言ったあと、斜め上のほうを見ながら口笛を吹いているが、表記があったことは間違いないだろう。
顔は平静を装っているが彼の生み出す震度4弱の貧乏ゆすりによって、テーブルに置かれたグラスがガタガタと音を立てている――。
周囲の皆もそのことに気づき柊木が間違っていたことを薄々感じているみたいなので、これ以上は追求せず「残念だな」と言い、店員さんにシーバスリーガルを注文した。
しばらくすると洗練されたサーブで注文の品がコースターに置かれる。
必要以上に香りを楽しみ、頭を後ろに傾け口に含む。
「確かにこれはシングルモルトだなー。 流石お金持ちは舌も肥えてますなー。 いやーおれの完全なる敗北です。 今度からはソムリエール柊木様と呼ばせていただきますよ」と皮肉を言い、隣りで必死に笑いを堪えている涼の肩を叩き、彼の口に含んだ飲み物を吹き出させることで、柊木への復讐を終えてあげることにした。
――そんなこんなで酒も進み少し酔ってきたメンバーは思い思いに話している。
すると突然、筋肉質な文太先輩は隣りの席にいる外国人二人組気づき「あの外人めっちゃかっこよくい?タイプなんだけど」と話しかけてきた。
タイプ? 男なのに? まぁ確かに一人はブラピ似でカッコイイけどもう一人は完全に加齢臭しそうなおっさんだぞ? と思ったが、面白そうだったので「さっき先輩、英語得意だって言ってましたよね? 話しかけてくださいよー」と冗談混じりの提案をする。
これに文太先輩は「さてはおれが英語得意なの信じてないな? いいぜ。話しかけてやるよ」と欧米人バリの大げさなボディーランゲージで応えた。
酔っているのか? はたまた天然ゆえの自信なのかわからないが、文太先輩は席を立つと本当に話しかけに行った。
少したどたどしい英語で文太先輩はおじさんのほうの外人に「Hello! Wher are you from? Have you ever been to Jpan?」と話しかけた。
眉間に皺を寄せ少し難しそうな顔をしていた外人は「あのー。 日本語のほうがよくわかります」と流暢な日本語で応えた。
文太先輩はそんなことには屈せず英語で話しかけており、そんなやり取りを見守っていた飲研メンバーはクスクスと笑っている。
この後も精力的に外人と話してた文太先輩はおっさん外国人とすっかり意気投合したみたいだ。
和やかに話しているように見えたが、おっさん外国人がフレンドリーに文太先輩の肩に手を回した瞬間状況は一変した……
文太先輩の目つきが獲物を狙うライオンのように獰猛になると、突然着ていた上着を勢い良く脱ぎ紫のタンクトップ一枚になった。
「キミのヤる気~スイッチどこにあるんだろ~ 見つけ~てあげるよ~君抱けのヤる気スイッチ~」と消臭力のミゲルくんもびっくりのビブラートを効かせた美声で歌い上げると、臭そうなオッサンのシャツの上からミルクネックに噛み付いた。
おっさん外国人はブルブルっと身震いすると、「ウフォォオオオッイーーーーッ!」と雄叫びを上げ、着ていたシャツを勢い良く引きちぎった。
そして引きちぎったシャツからはチアリーダーが持っているポンポン一個分位はあろうかというくらいにボリューミーな胸毛が顔を出している。
そしておっさんは「カモァーン。 ブンタ」と妖艶な手つきで文太先輩を誘いはじめた。
そして文太先輩は吸い寄せられるかのように「――ファンタスティックギャランドゥー。 ファンタスティックギャランドゥー」と言いながらおっさんのアマゾンの密林を彷彿とさせるような豊かな茂みに胸毛に顔を埋め深呼吸している。
最初はなんか危ない薬でもキメてるんじゃないか? というほどの危ない顔をしていた文太先輩であったが、二秒ほどすると、鬼のような形相になり咆哮した――。
「このやろぉオーッ! なんで香水なんかつけてんだよッ! せっかくのイイ匂いが台無しだろッ。ふざけんじゃねぇよッ!」と激怒し、右手で胸毛をぶちぶちぶちッと盛大にむしり取り、左手でおっさんの脇の下にツッコミ汗を採取すると、おもむろにおっさんのハゲた頭に塗りたくった。
そして右手にある胸毛をふぁさっとハゲ頭の上に乗せた……
たいていの胸毛はハゲ頭の上に乗り即席のカツラを構築するが、大量の胸毛のうち何本かは風に乗り、向いに座っていたブラピ似の外国人の飲んでいたビールの中に混入してしまった。
ブラピ似の外国人はそっと泡のなかから胸毛を救出すると「アルコールだかーらショウドクされてマース」と言って何ごともなかったかのようにビールを飲んでいる。
ツッコミを入れる間も無く繰り広げられる非日常的な光景に空いた口が塞がらない。
その後も外国人と話している文太先輩は戻ってくる気配がなかったが、蒼先輩が「ほっとけ」と言ったのでほっておくことにした。
――というか心の底から関わりたくなかった。
それでも菜乃花ちゃん達の説明を求めるかの目に耐えられなくなったのか、蒼先輩は「皆も薄々気付いてはいるだろうが文太はゲイだ…… そして匂いフェチの変態だ。 特に蒸れたカツラの匂いと胸毛の匂いが好きらしい。 だが安心してくれ。 あいつは五十歳以上じゃないと欲情しないらしいから」と全然安心できないことをさらっと言った。
五十歳以上にしか欲情しないと言われたからといって油断はできない。
すぐさま、おれは未だ未開発のおケツをミッフィーちゃんした。
そんなこんなで澱んでしまった空気を変えようと美桜ねぇが「よーし。 ぶんちゃん居なくなって安全だからゲームやろうかー」と提案した。
場の空気を気にしたおれも少し無理して明るい声をつくり「美桜ねぇいいこと言うじゃん。 大学生らしくて面白そうだな。 こういうの憧れだったんだよ。 因みに何ゲームするの?」と続ける。
「もちろんここはゲームのキングである、王様ゲームが妥当だろう」と蒼先輩は鞄の中から自作の王様ゲーム用の割り箸を取り出した。
えっ? いきなり王様ゲームなの? 大学生の定番。山の手線ゲームなるものをやってみたかったのに……
「よーしっ。 じゃあ始めようかっ!」
そうこうする間に、美桜ねぇから蒼先輩の握る割り箸を取っていく。
「君に決めたっ!」とおれは勢い良く割り箸を引くと、そこには「キング」と書かれた割り箸があった。
フフっ。 おれが王様か…… 最初からほっぺにキスしろみたいな過激な命令を選んでしまうと周りから引かれることは間違いないだろう。
――というかそのような命令をして美桜ねぇや蘭華が他の人にキスしてしまったら胸くそ悪いし……
一回目の命令は重要だ。空気を読めるやつはこれを参考にして似たような命令をするだろう。 よってここは軽い命令にし、美桜ねぇや蘭華が誰かにキスするような展開を避けるのがベストか……菜乃花ちゃんのような可愛い女の子と触れ合える機会が失われるのは少し残念な気もするが、背に腹は代えられない。
美桜ねぇの「王様だーれだ?」の声に対しおれは「はーいッ」と元気良く応え「じゃあ一番が三番にお酒を選んであげて三番はそれを一気飲み」と軽目の命令をした……
――どうやら一番が次郎で、三番が菜乃花ちゃんみたいだ。
次郎は菜乃花ちゃんに「何が飲みたいんだな?」と聞き菜乃花ちゃんは女の子らしいカシオレを注文し、ゆっくりと飲み干した。
そして次の王様は蒼先輩になった。
「一ノ瀬蒼が命じるっ!」ばっと右手を前にだしポーズをとっているあたり、蒼先輩はノリノリなんだろう。
「王様以外全員がテキーラを一気飲みだッ!」
――しまった…… このままのペースで一気していると美桜ねぇが泥酔し、どんな無茶苦茶な命令をするかわかんねぇ……
高い度数の酒特有の喉が焼けるような感覚に辟易しつつ、酒を飲ませる系の命令にしたことを後悔していると、次の王様である美桜ねぇが「じゃぁー私も蒼くんと一緒で全員テキーラ一気っ!」と笑顔で命令した。
――このようなペースで王様ゲームが進むと当然みんな酔ってしまっている。
あの仏頂面がデフォルトの蘭華でさえ陽気に笑っている有様だ。
涼と蒼先輩は酒が強いようで普段と変わっていなかったが、柊木は酒が弱かったのか、トイレに立った時、千鳥足になって何度も壁にぶつかり「ごめんなさい。 ごめんなさい」と何度も謝っている。
そして王様ゲームは回数を重ね、次の王様は本日三回目の美桜となった。
美桜ねぇと蒼先輩異常に強くないか? まさか……仕組んでいる? と疑ってしまうほどに強運な美桜ねぇは「じゃあ五番が一番にビンタっ!」と一気飲みの流れを崩した。
「げぇっ。 おれ一番じゃん」
「五番だ。 私」と蘭華は不敵な笑みを浮かべ腕まくりをすると「バシッ! ペチっ」と往復ビンタしてきた。
「イッテーー。 なんで二回も叩くんだよっ! おれにも一回ビンタさせろよっ」と立ち上がったおれに対し、蘭華は微かに潤んだ一対の瞳をこちらに向けている……
そしてその瞳は自然と上を見上げる形となり、久しぶりに直視した蘭香におれの心臓はありえない速さで脈打っている。
「――ずっと…… ずっと……」
そう言うと蘭香は「ハッ」と我に返ったのか「なんでもないわ」と言い、静かに席に着いた。
「ずっと……」――アイツはあの日からずっと何かを考えていたのか?
――それとも、ずっとおれに冷たい視線を送っていたのには何か訳があったのか?
もしかしておれに謝りたかったのか……?
まさか仲直りしたかったとか?
「ごめん……」
考えすぎかもしれないが、もしそうであって欲しいというちっぽけな願望を望んで謝罪してしまう……
もし、おれの考えが間違っていたとしたら言葉のキャッチボールは成立しない。
その事態に気がついてしまうと、急速に耳たぶが熱くなったの感じた……
周りの面々は急に空気が重くなったのを感じ取ったのかしんと静まり返ってしまった。
そんな空気を感じ取ってか「はーいッ。 では次行ってみよー」と明るく美桜ねぇは言うとゲームを再開した。
昔の蘭香を思い出し、複雑な気持ちになっていたおれにとって、空気を変えてくれたのはありがたかった。
――そして再びハイテンションで再開されたゲームでは「またまた私が王様―」とまたもや美桜ねぇが王様になった。
「――待てまてまてっ。 絶対イカサマしてるだろっ! そう言えば美桜ねぇが王様になる時はいつも最初に引いてたしっ」
「さーてどうでしょう? 次は7番が飲研に入部っ! 命令は絶対だからねー」
――絶対おれ7番だ…… 見たくねぇー。 この割り箸見たくねぇー。
涼とこっそり割り箸を交換しようとすると蒼先輩が「不正とは感心しないな志水。 さて、お前の割り箸は何番だ?」とおれに詰め寄ってくる……
――ハメられた…… てか不正すんなってあんたに一番言われたくねぇよッ!
最初はじめた時に一応割り箸に細工がされていないか確認したが、どこにもおかしなところはなかった……
美桜ねぇがこんな高度なこと出来るわけないから、蒼先輩はかなりの策士だな……
きっとここでおれが何を言っても対応策は考えているんだろう……
酔っていたことや、蘭華とのやりとりで、気分が高揚していたこともあり「やっぱり先輩にはかないませんね…… 分かりました。 入部届をください」とすんなりと白旗をあげてしまった……
おれが渋々入部届にサインしたのを見届けた美桜ねぇは「いやったーー。 蓮ちゃんを騙すなんて流石蒼くんだねっ」と言って蒼先輩とハイタッチしている。
「じゃあ種明かしもしたことだし、隣の席で野獣と化しているアホはほっておいて、一本締めするか。 よーお」
『パンっ』と一同は手を叩く。
約一名不在であったが蒼先輩は強制的に場を締めた。
――とまぁここで十三日の金曜日は終わりを告げたことにおれはしている。
しかし実際は帰り道で「勘のいいお前は気づいているだろうが…… おれはふくよかな女性が好きだ。 一度あの温もりに包まれると、もう埋もれ心地の悪そうな女性には興味がもてん」と余計なカミングアウトをしてきた。
――あぁようやく淫研と言う通称を理解したよ……
こいつらやっぱりキチガイの集まりだったんだな……
入部してしまったが活動に参加しなければいいか……
しかし、おれの浅はかな考えは一瞬にして打ち砕かれるのだった……
「因みにお前は店内が暗くて気付いていないだろうが、活動をバックれると罰金が発生するという記述が肉眼でかろうじて読める程度の小さな文字で記載されている。 お前のことだから入部だけして活動にはこないつもりだったんだろうが残念だったな」と言われた――。
おれは目の前が真っ白になり ――あぁとんでもないところに入部しちまったな……心底そう思ったが心の弱いおれはこのやり取りをなかったことにしている……
認めてしまうと心が折れてしまいそうだったから……
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