第2話 友達100人出来るかな?じゃねぇよ。そんないらねぇだろ。
~桜色 Reunion~
久しぶりの早起きは、春休みのせいで夜行性のなっていたおれには堪える。
本日は記念すべき大学生活初日というとこで、少し傷んだ短めの髪をいつもより入念に整える。
普段よりも遥かに時間を掛けたはずだったのだが、鏡に映る自分の姿はいつもと変わらず、冴えない顔をしていた。
新入生らしいフレッシュな表情をつくるのを早々に諦めたおれは、不機嫌そうな寝ぼけ眼に冷水を浴びせ強制起動させる。
「パンッパンッ」と顔を叩き気合をいれ、新品のスーツに袖を通し背筋を伸ばすと幾らかはマシに見えなくもない。
そう自分を慰めつつ、時計を見ると時計の針は無情にも八時を大幅に過ぎていた。
――やばっ。もうメシを食う暇がない……
急いで残りの支度を済ませ、バタバタと玄関に向かう。
「行ってきます」と家の何処かにいるはずの誰かに声をかけるが、その声は空しく生活間の無い無機質な家に木霊するだけだった……
そんな日常に慣れ切ったおれは帰ってくるはずもない返事を待つこともなく、あの日から急に重たく感じるようになったドアを開く。
少し重い気持ちで家を出ると、久方ぶりの日差しがスポットライトのように黒のスーツを強く照らした……
背中に集約される心地よい温かさを感じつつ、年季の入った自転車に跨ると、ふと高校の入学式が思い出された……
「そういえばあの時に初めてアイツと出会ったんだよなあ……」懐かしい顔を思い浮かべ、少し笑顔になったおれは年季の入った重い、ペダルをゆっくりと漕ぎ始めた――
◆◇◆
電車の中で真新しそうなスーツを着た人を見ると同じ大学の人なのかな? と想像は膨らむ。
ホームに到着し、ごった返す新入生と思しき集団を見ると希望に胸は膨らむ。
周りの人に声を掛けたくなる衝動を必死に堪え、人ごみについていくと「桜舞う」というにふさわしい立派な桜並木が新入生を優しく迎え入れていた。
なんとも言えない感慨に浸りつつ、秒速5センチメートルで地面に向かう花びらを目で追うと、ふと懐かしい横顔が視界に割り込んできた。
――真っ先に浮かんだ言葉は「まさか」だった。
肩より少し長い黒の巻き髪が、春風になびいている。
「なんだ人違いか。まあ、流屋敷がこの大学にいるわけないか」
落胆と、安心がないまぜになった、複雑な心境を吐き出すが、周りが次々と振り返る美貌はどうしても高校時代
の入学式を連想させた。
会いたい。でも、会いたくない。 二律背反する想い。
しかし、今のおれは「会いたい」の気持ちが勝った。
もう少しよく見ようと歩幅を早め人ごみをかき分けると、懐かしい横顔は足早に人ごみに消えていった……
「まさかあの優等生と俺が同じ大学なわけねぇか。」
悶々とした想いを抱えつつ、入学式色に装飾された校門をくぐり、目的地を目指す……
鬱蒼とした木立に囲まれた長い坂道を黙々と踏破すると、少し古びてはいるが「荘厳」という言葉がふさわしい立派な講堂が見えてきた。
「やっぱりアイツだったのかな? いや……まさかな……」
焦げたなべ底のように脳裏にシツコクこびり付くアイツの面影に囚われつつ、重厚な講堂の入口をくぐると、オーケストラの演奏が柔らかく降り注いだ……
柔らかく、心地よいBGMに耳を傾けつつ内履きに履き替え、パイプ椅子がぎっしりとそして規則的に並べられた講堂内をエントランスで配られた座席表を頼りに進んでいく。
「観光経営学部の席は左隅か……」
どうやら席は早く来た人から順に前に座っていくらしく、既に席の前方九割は埋まっていた。
やっとのことで空席を見つけ、硬そうなパイプ椅子に腰を降ろそうとしたまさにその時、「ぺちゃっ」という通常入学式という場では発しようもない音と共にハンカチが自分の座ろうとした席の前に落下してきた――。
明らかに湿っているを通り越し、ベッシャベシャになっているであろうその音に拾ってあげようという気は一切起きなかったが、非常に残念なことに、ここで無視できないだけの良心は持ち合わせていたようだ。(自分でも驚くべきことであるが)
細心の注意を払い、親指と人差し指の柔らかなタッチでハンカチを取得し、爽やかな笑みを作り「落ちましたよ」と多汗症であろう人に受け渡す。
ずっしりとした水分を内包したハンカチを受け取ったその人は、壊れたファービーのようにどもりながら、「フぎゅッ。あ、あああ、あああありがなんだな」とおそらく感謝であろう言葉を述べている。
おれの隣に座り、滝のような汗を流しているソイツは、控えめに言っても東福寺の布袋増級に太っていると言えるほどの豊満なぜい肉を有しており、その脂ぎった肉はかけている丸眼鏡の縁を埋没させていた。
軽く0.2トンはあるであろうその巨漢に気をとられつつも、同じ学部にはどんな奴らがいるのかというワクワクは抑えることができず周囲の状況を確認。
やはり大学初日という言葉の持つ期待値というものはそう簡単には、払拭できないものなのだ。
すると、おれの半径10メートルにいる人の大半がハンカチやスーツの袖元を鼻にあてがっているという異様な光景が網膜に焼きついた。
そんな中ひと際目を引いたのは、布袋増の横に座っている茶髪の美少女であった。
ハンカチを持っていなかったのだろうか? 彼女は周囲でただ一人鼻を露出させている。
――まぁ入学式というものは、鼻を露出させている方が普通なのだが……
その小動物のように愛くるしい少女は小刻みに肩を震わせ、少し垂れた大きな目いっぱいに涙を貯めていた。
疑問よりも早く鼻を付く匂いで理解をした――。
手で扇がずに直接嗅いだ時の希釈した塩酸ような刺激臭が辺りに漂っているのだ。
発生源は確認しなくてもわかる……
隣に鎮座する布袋増だ。
彼は床に汗が落ちないように「シュッシュッ」と音がするほど高速で汗を拭っている。
最初は匂いに耐え切れず女の子は涙しているのかと思ったが、今では匂いに耐性のあるおれも目に涙を溜めている。
濡れた坊主頭を擦るとどうなるか知っているか?
――そう。水飛沫が飛ぶのである。
そして布袋増の散布する分泌液が目に入り涙を流すというメカニズムで彼女は涙していたのである。
目の痛みと刺激的な匂いで朦朧とした意識の中でさえ、発生源がどんな容姿なのか気になってしまう、あくなき探究心に従い、おれは隣の席を再び盗み見る――
そして、その視線がバイオ兵器の一対の円らな瞳と衝突した――
バイオ兵器は恭しく眼鏡の直すと、自己紹介を始めた。
「ようやく次郎君の発する覇気に耐えられるような猛者に出会えたんだな。自分の名前は山田次郎なんだな」
あぁこいつ中二をこじらせちまったんだろうな……
一目でそう判断できてしまう程の残念臭。
ほとばしる中二オーラと共に布袋増はこの後もなにやら話しているみたいだったが、激臭によって意識が朦朧としていることや、声が小さかったこと……
――そしてなにより、ハンカチを拾ったときに付着してしまった分泌液を一心不乱に隣の座席で拭っていたこと。
その二点により、話半分に相槌を打っていたので、なにを話していたのか覚えていない。
しかし、この行為がおれのイメージしていた輝かしく平穏な大学生活を崩壊させるとはあの時のおれは知る由もなかった――。
拭いても拭いても不快なヌメリ気がとれた気がしないので諦めかけようとしたその時……
「おい。何しているのか理解に苦しむが、そこに手を置かれると座れない」とまさにおれが分泌液を塗りたくっていた席の前に佇むイケメンに注意された。
脊椎反射的に「その椅子に座らない方がいい」と口から出かかるが、注意するにしても、もう少し柔らかい言い方で注意するべきだ。
狭量の狭いおれは、警告の言葉をそっと胸の内に秘めておくことにした。
訪れる沈黙……
すると不意に右隣から「悪かった」という謝罪が聞こえてきた……
予想外に低姿勢な対応をするイケ面。
その切り返しに心身ともに負けを悟るおれ――
社交辞令的に「気にしてない」と口にしようとしたその時。
「お前は席を摩擦熱で温めてくれていたのか。おれは便座もそうだが、座席を温めないと座れないタチでな」とイケMENは柔和に微笑みかけるのであった。
かなり検討ハズレなこと言ってるけど、コイツ大丈夫か……?
最初はその短髪を逆立てた髪型のようにツンツンした性格なのかと思ったが、素っ頓狂な発言に妙に親近感が湧き、もっと話してみたいを興味を持ってしまった。
そして「おれは志水蓮太郎。これからよろしくな」と自己紹介すると「篠崎涼だ。こちらこそよろしくな」とイケメンは目を赤くしながら右手を差し出してきた。
おれはそれに応えるために未だヌメつく右手を差し出し、がっちり握手を交した。
――コイツもきっと布袋増の分泌液が目に入ったんだろうな……
そうこうする間にエルガーの『威風堂々』が流れ入学式が厳かに開始された。
校長の挨拶位まではちゃんと聞いていたのだが、単調な式に飽き、涼と軽い談笑をして時間を潰していると、マイクによって拡声された司会者の声がおれの鼓膜を揺さぶった。
「在校生代表。観光経営学部三年。一ノ瀬 蒼」司会がそう告げると会場から黄色い声援があがった。どうやら壇上に上がる人物はこの大学ではそれなりに有名な人らしい。
どんなやつなのかと壇上に注目していると、まさに優等生という外見の代表生が颯爽と壇上に上がり挨拶を始めた――。
「新入生の皆さんご入学おめでとう。第一志望じゃなかった人もいるでしょうが。大切なことはどの大学に入学したか、よりも大学生活で何をしたかです。新しい環境にはいり、大変なことも多くあると思いますが、これからの大学生活を楽しく、そして有意義なものにしてください」と、式の終了を一刻も早く望む新入生のために短く挨拶を終えた。
――確かにカリスマ性もあるし、爽やかなルックスは女子にモテそうだな。
うん……とりあえず爆発しろ。――というかモゲろ。そう力強く邪念を送っていると
「新入生代表。観光経営学部一年。流屋敷蘭華」
司会は次の壇上者の名を告げた……
その言葉は、強く鼓膜を揺さぶった。
いや。そんな生易しいもんじゃない。揺さぶるではなく、『殴打した』
――それでもまだ控えめか……
とにかくおれにとっては他のやつらの聞こえ方よりも、遥かに強く響いた……
「――えッ…………」
思わず口から洩れだす本音……
「どうした? 鯉が餌を待つような顔をして?」涼が心配してくれるほど間抜けな顔をしているらしいが無理もない。
「――まさか」が現実になったのだ……
艷やかにたなびく黒髪。長い手足。スポットライトの眩い発光を考慮しても真っ白な肌はつややかで、気の強そうなつり目はしっかりと前を見据えている。
――間違いなく「アイツ」である……
アイツらしい教科書通りの挨拶は少し長めだったが、新入生は誰一人として目を閉じていない。 それどころか、アイツの放つ華やかだが少し影のあるオーラに釘付けになっているようだ。
周囲の新入生たちは「おれ、この入学式が終わったら、蘭華ちゃんにアドレスを聞きに行くんだー」や「めっちゃ、かわゆーいっ。お友達になれないかなー」などの蘭華の話題で持ちきりである。
そんなことよりもなんでアイツがこの学校にいるんだよ……
確か東大受かったって高校の奴が言ってたよな? ってかおれと同じ学部だし……なんて話しかけりゃいいんだよ…… あの日からいくら連絡を取ろうとしても無視されてたし、どうせアイツはもうおれのことなんか眼中にないんだろうな……
大切に仕舞い込んでいた過去を発掘し、哀愁漂う表情で考え込んでいるうちにどうやら入学式はつつがなく終了したみたいだ。
周囲の人がぞろぞろと席を立った。
おれ達もこの流れに合わせ席を立ち、強烈な刺激臭から逃れるように講堂を後にした。
「サッカー部に入れば大学生活、ぼっちでも大丈夫ッ! ボールという友達ができるよっ!」
「ウホッ! いい男! 漢ならラグビー。ラグビー部に入りカラダとカラダを熱く、激しくブツけ合おうジャマイカッ!」
講堂を出ると大勢の先輩たちが部活やサークル勧誘のため花道を作り、周囲はコミケ並の異質な熱量と喧騒に包まれていた。
涼とはぐれないように苦労しながら、興味のあるサークルのチラシだけはなんとか貰いつつ、先先輩たちの勧誘を躱し、坂道を下る……
「蓮ちゃんっ!」
坂を下り終えると不意に視界の外から声がした。
「やっぱ蓮ちゃんだー。久しぶりっ。サークルはもちろん私たち飲食研究会にはいってくれるんだよね?」
どうやら自分の鳩尾あたりの高さが音源らしい。
この高さから声がするということは―――。
……美桜ねぇに違いない。
そう言えば美桜ねぇもおんなじ大学だったな……
――美桜ねぇとは親同士が友達で、小さい頃から交流がある。
家は同じ駅だが別に近いわけではないため小さい頃は年に数回、親同士の共用の別荘で会う位だったが、小学校が同じになってからは頻繁に会うようになった。
まぁ。いわゆる幼馴染ってやつだ。
小さい頃はいつも自由奔放な美桜ねぇ振り回されてばっかりだった……
年を重ね、おれが美桜ねぇの身長を追い抜く頃にはその自由奔放は大分影を潜め、おれの手を引っぱり連れわすことはなくなっていたが、それでも美桜ねぇの突拍子もない言動や行動。そして仲の良さは変わることなく、初めて好きな人ができると恋愛相談なんかもしてもらっていた。
――そんな回想をしつつ視線を下ろすと、案の定。
綺麗な栗色の髪を二つに結わえた美桜ねぇが「ちょこん」と佇んでいた。
「久しぶりだな。つーか、勝手にサークル選びという大学生活においてめっちゃ重要なこと決めてんじゃねぇよ。 それに今友達もいるんだから後でにしてくれ」
そうやんわりと断ったのだが、それを阻止する人物が隣にいた……
「このちんまいのは蓮太郎の知り合いか。フム。面白そうだ。入部しよう」
隣にいた涼は美桜ねぇがおれに向け差し出していた書類をひったくり、なんの迷いもなく滑らかにペンをはしらせていた。
――な・ん・て・こ・としてくれる。
「お前もしかして……ロリコ……」
おれが言い終わるよりも早く、涼は今日一番の笑顔でこう言った。
「オレの実家に、ステファニーというそれはそれは可愛い子犬がいてな……上京するにあたって、しばらく会えないと思っていたんだが、まさかこんなところで会えるとは……蓮太郎と知り合えたことは別段嬉しくないが、感謝してやらんでもない。これでもう寝る前に枕を濡らさずに済む」
「蓮ちゃんっ! 私カワイイってー」
人間として扱われてないが美桜ねぇは上機嫌に顔をほころばせている。
――ってか涼ひどくねっ!?
周囲に何とも言えない苦い空気が漂う。
そしてしっぽを振っている美桜ねぇを慈しむように見下ろす涼の額に、美桜ねぇは力の限り背伸びし、軽くデコピンした。
「もうっ 可愛いだなんてー。 年上のお姉さまをからかっちゃだめだぞっ」
美桜ねぇはいつになくご機嫌なご様子だ。
――というかこのお方、完全に調子に乗っちゃってます……
いつも通り頭のネジはおろか歯車。いや、メインフレームまで母親の胎内に忘れてきてそうな美桜ねぇに大学生活初日の緊張は何処かに消し飛んだようだ。
気付けばおれの強張った顔は笑顔に変わっていた。
美桜ねぇと涼の会話を小耳に挟みつつ、ぼーとしているとおれは一連のやりとりを見た他の飲研の先輩に両脇をガシっと囲まれた――。
俺の右腕を掴むのは山田勝己もドン引きするほどの筋肉質な体系の男。
きっと明日には掴まれた箇所に青アザができていることだろう。
左腕を掴むのはインテリイケメン。爽やかな香りが微かに鼻孔をくすぐる。(正直爽やか過ぎて不快だ)
「君は美桜の知り合いなのかい? じゃあ飲研にはいるしかないな」
「二人も君の友達が入ったことだし、もうサインしちゃえよッ! 飲研に入部し、熱い大学生活をおくろうぜッ!」といつの間にか、がっちりホールドされている。
あっこの右側にいる人はさっき在校生代表で挨拶してたリア充じゃん。
――いやっ、そんなことより…… 待てよ、待て、待て……
ソフトに流してしてるが、ガタイのいい方の先輩は『 二 人 も 』友達が入ったって言ってたよな……?
おれは大学に二人も友達がいない……
そもそも会話したことある奴も涼を含め二人しかいない。
蘭華も当てはまるが、アイツはおれと知り合いだってことを初対面の人に話したりしなさそうだしな……
「――本当に二人ですか……?」
「おうッ! お前達の後ろにいたから聞いてみたらお前の友達だって言ってたぞ。 ポテンシャル高そうだからスカウトしてみたら、あっさり承諾してくれたぜ」とガタイのいい先輩は車のハイビーム並に無駄に眩しい笑顔でサムズアップしている。
「………おれ、お母さんにタバスコ買ってくるように言われてたんだった。てへっ」
聡明なおれは不吉な予感を回避するため、ボルトよろしく全力疾走した。
涼という面白い奴と友達になれなかったのは残念だが、友達はまた探せばいい……
――ただ、アイツと関わると大学で周りから白い目で見られ友達ができなくなることは明白である。
「――蓮太郎?」涼はおれの突然の激走にポカンとしているのだろう。
罪悪感に苛まれ、後方を見た一瞬の前方不注意が、おれの短い脱走劇に終止符を打った。
「べしゃっ」という効果音のあと、トランポリンのような強い反発が前方の障害物から生じ、おれは盛大に後ろへコケた。
「アベ氏ッ! いいいきなり次郎君の胸に飛び込んでくるなんて流石マブダチなんだな」
――ああ このウエッティな触り心地かつ、スパイシーな香りはあいつか……
いやね……おれも薄々気付いていたんだよ……講堂から真っ先に出たのに、とても刺激的な香りがするなー。と思ってたんだ。
でも刺激臭ってほら、なかなか鼻から取れないし……って自分に言い聞かせてたもん。
それに、後ろのほうでなんか「ハァハァ」言ってたのもバッチリ聞こえてたし……
――でも信じたくないじゃん。やっぱ、嫌なことからは目を逸らしたいじゃん……
だからね、一度も振り返らなかった訳だけれど……
「れれれ蓮たろ氏は入学式の時、兄弟の契を交わしてくれたんだな。 僕とライバルと書いて友と呼ぶ関係になってくれるって」
えっ? そんなこと平穏な大学生活を望むような人が言う訳無いじゃん。
どんだけポジティブシンキングなんだよ。と心の中で次郎の言葉を全否定する。
しかし、隣でおれ達のやり取りを見ていた涼はおれが今最も聞きたくない言葉を発した。
「確かに俺が座ろうとした時そんな話してて、お前頷いてたぞ……」
(頷いて…… いた……?)
「――アカーーーーんッ!」数秒の沈黙のうちおれは天に向かって吠えた。
確かに。確かに。確かに。確かに。頷いてはイマシタ……
でもそれは意識が朦朧としてたからでありまして……適当に返事してただけでありまして……変な意味じゃないんでー勘違いしないでねー?
うん。もう手☆遅れッ!
次郎は仲間にして欲しそうな目でこちらを見ている。
仲間にしますか? はいorいいえ。
(いいえ。 回り込まれた。 逃げられない。)
(いいえ。 回り込まれた。 逃げられない。)
(いいえ。 回り込まれた。 逃げられない。)
「こ…れ…か…ら…よろし…くな…」とおれが苦渋の選択をすると。
「おめでとう」 「おめでとう」 「おめでとう」
この光景を見た蒼先輩と美桜ねぇ、涼が拍手をしている。
「こんな勇者気質な奴は文太位だと思ってたよ。 お前…もしかしてそっちなのか?」
「そっちってなんのことですか?」
「いや……わからないなら気にしないでくれ……」と蒼先輩は余計気になるようなことを呟いたが、追求しても教えてくれなさそうなので気にしないことにした。
あまりの絶望により、自然と分泌されてしまった体液によって、ぼやけてしまった視界をクリアにするためおれが目頭を抑えている間、次郎はガタイのいい先輩となにやらいい雰囲気で雑談しているようだった。
ガタイのいい先輩は次郎の匂いにも嫌な顔一つせず、それどころか新緑の爽やかな香りを胸いっぱいに吸い込むかのように深呼吸し、次郎の香りで胸を満たしており、その顔には聖母のような優しい笑みを湛えてさえいた……
どうやら和やかにサークルの活動について話しているみたいである。
――すっごくいい人だな……春なのに赤いタンクトップ一枚だけど……
素直にそう思った。
おれもあの先輩のこと少しは見習わなくちゃな。――タンクトップ的な意味ではなく。とくだらないことを考えていると、美桜ねぇが先輩たちを紹介し始めた。
「一人はもう知ってると思うけど紹介するね。こっちが部長で入学式でも挨拶していた、一ノ瀬蒼くん。そんでもってこのガチムチなのがが岩代文太くん」と美桜ねぇは先輩の威厳というやつを意識しているのだろうか少し胸を張って俺と涼に二人を紹介した。
前方に次郎。
両脇に先輩。
――そして、足に美桜ねぇがしがみついているという孔明先生もびっくりの無敵の布陣。もう少し現代的な言い方をするのなら真矢さんにも「諦めてッ!」と勧告されちゃうくらいの状況に、もう逃げ道はないと観念し「一花美桜先輩の幼馴染の志水蓮太郎です」と自己紹介をするのであった。
「逃げることを辞めたのは懸命な判断だな志水。 それではうちのサークルについて軽く説明しよう。 基本的な活動内容はみんなで意見を出し合い、新宿に飲食店を開業し経営することだ。 そのため最初は町田にあるおれの親の店でアルバイトをしつつ、俺たちの店の詳しい形態を模索していく。 店の内装、外観、メニューからイベントに至るまで、すべてを俺たちが考え、実行していく。 何か質問や疑問に思うことはあるか?」
料理が趣味のおれにとって飲食店を経営するのは魅力的であったが、依然入部したくないという気持ちが一万と二千倍ほど勝っている。
入部を断る隙を探すため「サークル費はどのくらいなのかと、週にどのくらい活動するのか教えてください。 あと開業費用はどこから捻出するのかも」と質問した。
「サークル費は無料。 活動は週一でアルバイトは自分のペースで大丈夫だ。 費用は親の会社である一ノ瀬ホールディングスからの出資だ。 ちなみに合宿費も無料だ」
金銭面の問題と事業実現の可能性という二点を突こうとしたおれの質問はいともあっさりと返されてしまった……
逃げ切れそうにないと考えたおれは「面白そうですね。 ちょうどアルバイトも始めようと思っていたし。 とりあえず新歓は行ってみようと思うので日程を教えてください」と速やかに現場を逃れることにシフトチェンジした。
「十三日の金曜の十九時だ。 詳細はこの紙に書いてある」と美桜ねぇが書いたであろう下手くそな料理の絵が描かれたチラシが渡された。
多分この絵はお粥……だよな? そこにはお皿らしきいびつな円の上になんか、もにょもにょしたものがのっている絵がそこには描かれていた。 しかし幾重にも重ねたその線は料理というよりも、黒曜石といった黒く、硬質的なものを連想させた。
そして、次郎からも逃れられないことを先刻の選択肢で、薄々感じていたおれは無駄な抵抗はせず、十三日の金曜日。新歓に出てみることを決意したのだった……
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