第7話 キャットニップには早すぎる

 その店は本通りからは少し入り込んだ場所にあるらしかった。うふふ、と歩きながら笑う横石を、気味悪くミケさんは見下ろす。「なんのたくらみだよ」

「失礼な! 三池さんとのデートが嬉しいんじゃないですかー」

「デート……」

 やっぱり断るべきだったか、と思ったのがそのまま顔に出たのだろう、横石はがっしとミケさんの腕を掴んでぐいぐい引っぱっていく。「もうお店に電話しちゃいましたし! いまから帰るとかなしですよ!」

「ええい、逃げないからあんまり引っ張るな! 袖が伸びる!」

 騒ぎながら暖簾をくぐると、意外なことに、店内にはALの姿もちらほらあった。

「いらっしゃいませー。さきほどお電話いただいた方ですか?」

 店員から明るく声をかけられて、ミケさんは目を丸くする。

 こんな近くにこんな店があるとは思ってもみなかった。ミケさんは自分の不明を恥じ、横石を疑ったことを内心で詫びた。

 カウンター席に並んで座り、ミケさんは物珍しくメニューを眺める。品数はあまり多くないが値段はそれほど張らず、ネギや玉葱などイヌネコが口にできない素材を使った料理には、きっちり注意書きが添えられている。

「どうです、いい感じのお店でしょ?」

 自慢げに横石が目を輝かせ、ミケさんはめずらしく何の憎まれ口も叩かず素直に頷いた。「そうだな」

「へへ。三池さん何食べます?」

 わたしはホッケの塩焼きと-、串とー、と嬉々として料理を選んでいる横石に生返事を返しながら、ミケさんは店内を見まわす。自分たち以外にも人間とALの組み合わせで話しこんでいる常連客らしい二人連れがいて、ALだけのグループがいて、人間だけのテーブルがある。

「三池さん? 食べたいものなかったですか?」

「ああ……いや、適当でいいよ。なんか肉か魚がちょっとあればそれで」

 そうですか? と首を傾げて、横石は店員を呼ぶ。オーダーを取る若い男は、横石が食べるものとミケさんが食べるものを確認して厨房に引っ込んでいった。

 いっときして出てきた料理は、横石と同じメニューでも、ミケさんのぶんだけ塩分控えめになっていた。

「ほんとにいい店だな」

 でしょ、と笑って横石は口いっぱいに焼き鳥をほおばっている。

 先日のことを、もっときちんと謝らなくてはならないような気がしていた。だが切り口をなかなか見つけきれず、ミケさんはいっとき聞き役に回って、横石が話す料理の感想だの新しい職場での失敗談だのに、呆れたり笑ったりした。

「……なんで市役所で働いてるのかって、前、訊いただろ」

 やがてそれなりに腹がくちくなるころ、串からササミを外してちびちび囓りながら、ミケさんは横石に教えた。

「前の職場にいたころに、こんな感じの店に通ってた時期があったんだ。そこはもう潰れっちまってねえんだけど。そこで、人間の飲み友達ができてさ」

 そのことを、AL以外の相手に話して聞かせるのはこれがはじめてだった。

「給料も安かったから、そうしょっちゅう行けてたわけでもねえんだけど。月に一回か、せいぜい二回かな。ときどき顔出してたら、人間の常連客で、話の合うオッサンがいて」

 前の人事課長だ。ミケさんと違って本当に頻繁に入り浸っていたようで、ほかの常連客たちの間でもずいぶん顔が広かった。

「最初はなんか、読んだ本の話とか、くだんねえシモネタとか……そんな話ばっかりしてたんだけどな。あるとき、市でAL職募集するから、受けてみないかっつって」

 後になって同僚から教えてもらったところによると、AL労働福祉の問題に長く関わってきた人らしかった。

「そんで応募して。給料もよかったし……まあ、ほかの普通のAL求人に比べたらだけど」

 だからつまりは金のためだと、キャットニップのカクテルをちびちび舐めながら、ミケさんは首をすくめた。

「ぜんぜん知らないことばっかりだったから、必死になって勉強した」

 話しながら、いまはもうないあの店の、人間もALもごっちゃになって騒いでいたにぎやかな空気を思い出して、ミケさんは不覚にも言葉に詰まった。

 市役所の職員。誘われるまで考えてもみなかった。そんなところで働いたところでマスコット扱いされるだけではないのかという可能性は、応募する前から考えていた。

 それでもいいと思ったのだ。金のためなら我慢できると思ったのではない。最初はそういうアピールだけのための施策だとしても、熱心にやって人間並みかそれ以上の仕事をしたら、何かが変わるのではないかと思った。

 だけど人間は、人間以上に優秀なALなど求めてはいないのだ。

 人間の社会制度について学べば学ぶほど、そのことがよくわかった。それを知るための五年間だったのかもしれないとも思う。

 社会がALに求めているのは、結局のところ、安価で従順な労働力だ。

「自分たちにはなんも関係ない話ばっかりだよ。基礎給付も健康保険も相続も固定資産税もさ。人間の社会ってよく出来てんなあと思って、最初は面白かったけど」

 言うつもりのなかった話が、酒のせいかぽろぽろと口から零れるのに、ミケさんは自分で呆れた。けれど横石は真剣な顔で耳を傾けている。そのことに背中を押されて、話を継いだ。

「最近はALの人権がどうのとかって言うけど」

 ふっと、ため息が落ちる。「ALっつうのはさ、要するに家畜なんだよ。おれらの待遇だ福祉だっていうのは、ほんの二十年前まで、動物愛護法の問題だったんだ。別に人間扱いされたいわけでもないけど」

 人間なんかと一緒にするなと思っているALも少なからずいることを、ミケさんは知っている。

「困ってるALは、市役所の本庁舎には相談に来ねえんだ。保健所。死んだときも保健所が引き取るしな」

 ミケさんと一緒の管理施設で育ったきょうだいは、いまはもう散り散りになっているが、そのうちの一頭は、遊園地のアトラクション業務に配属されることが決まって、訓練中に高所から落ちて死んだ。

 その遺骸を引き取りに来た保健所の職員の手袋からしていた消毒薬のにおいも、焼いたらAL用の合同霊園に掘られた穴に骨壺もなく放り込まれておしまいであることも、ミケさんは一度も忘れたことがない。

 それでも十年前、二十年前に比べればずいぶん待遇もよくなってきてはいるのだ。

 もっと遡るなら、ALが人間の社会で労働力として使われはじめた初期は、働けなくなればすぐに殺処分だった。それに比べればいくらもましだ。

 さすがにそんな話を飲み食いの席でする気にはなれず、ミケさんは少しのあいだ黙り込んだ。

 人間に産まれたらお国がそれなりに面倒を見てくれる。基礎給付もあるし社会保障も充実している。ALにそんなものはない。そのことを理不尽に思うだけの知識さえ、AL用の寮でお仲間とばかりつるんでいるときには持ってはいなかった。

 なんでも相談窓口に九時から十七時十五分まで毎日座って、利用者に親身に案内をする一方で、それらの話が自分たちには何一つ縁が無いことを、口には出さずに腹の底にしまいこむ。AL職員のテスト採用を提案した人物は、そういうことをどこまで想像していただろうか?

「おれは、人間なんか嫌いだ」

 静かな口調で、ミケさんは言った。

 その感情を、横石にぶつけるのは理不尽だ。

 だがそれでもこれが、ミケさんの本音だ。言っておかなくてはフェアではないと思った。最初にちょっと親切にされただけで、無邪気にミケさんを「いいひとだ」なんて思い込むようなお人好しには。

 一呼吸置いて、ミケさんは続けた。「だけどアンタに八つ当たりしたのは筋違いだ。すまなかった」

「ゆなです」

 ミケさんは一瞬、何の話かわからずに、即座に反応できなかった。それから思い出した。最初に会ったときにも聞いた、横石の下の名前だ。

「呼ばねえよ」

「えー、ケチ」

 横石は唇を尖らせている。何の話してんのかわかってんのかなと、ミケさんは思わず耳をぴくぴくさせたが、彼が何か言う前に、横石のほうが話しはじめた。

「わたし、三池さんのこと、じつは前から知ってました」

「あ?」

「ちょっとだけですけど……県で働いてるときに、上司から聞いたことがあったんです。最近、市役所の三池さんって方からよく問い合わせがくるって」

 その話を、ミケさんは少しの恥とともに聞いた。採用になってしばらくの間は、右も左もわからなかったから、とにかく知らないことにぶつかるたびに方々に問い合わせていた。迷惑がられているのはわかっていたけれど、とてもテキストで勉強するだけで追いつくものではなかったから。

「あんまり何度もかかってくるから、ちょっと面倒だけど、でもすごく熱心でよく勉強してて、頭が下がるって。三池さんのところで知ってうちの窓口にやってくる人が、すごく親身に対応してもらったって話してるの何度か聞いたって……だから窓口ではじめてお会いしたとき、そのことをすぐ思い出して」

 いままで言わなくてごめんなさい。なんだか言い出しにくくてと、横石はばつの悪そうな顔をした。

 少し言いづらそうにためらってから、横石は続けた。「その人が、三池さんの記事を見て。ああALだったのか、非常勤なんだろうな、もったいないなって」

 その話を誇らしく聞いていいのか、怒りとともに受け止めるべきなのか、決めかねてミケさんは戸惑った。だが、結局どちらも難しくて、ただ小さく肩を落とす。

「……そんなら、実物を知ってがっかりしただろ」

「いいえ」

 言い切って、横石はグラスをテーブルに置いた。

「三池さん、最初にお話しした日に、親切なんてうわべだけだって仰いましたけど。わたしはその三池さんがうわべだっていう親切で、本当に助かったんです。ほかにもそういう人、たくさんいたはずです」

 やめろよ、と返すミケさんの声は弱かった。「単なる案内係だっつうの」

「誰だって単なる公務員だったり、単なる修理工だったり、単なる店員だったりするんじゃないですか。自分に任された仕事の範囲で一生懸命やって、それが誰かのためになるのって、立派なことです」

 その横石の言い分は、働くことに疲れたいまのミケさんにとっては、少しばかり眩しすぎた。

 けれどミケさんが反論する糸口を見つけきれないでいるうちに、横石は続けた。「人間なんか嫌いだって思ってても、その嫌いな人間のために一生懸命勉強して、相談にきた人に親切にされてきたのは、三池さんが立派なひとだからです」

 人じゃねえっつってんのにと、言いかえしそびれて、ミケさんはひげを垂らした。

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