こがれたのだ

とりなべ

ヒイラギとカリン



父から好きなものを選びなさいと、お前の好きな様にして良いと。薄暗い地下に連れられ、目に飛び込むのは檻に入れられた人間、ヒトガタの合成生物、妖精や獣人まで幅広かった。美しいものから醜いもの、見下げたり見上げたり。其の中で1つ、目を閉じて口枷をするヒトガタに何故か惹かれてしまって、他を見る父の許から離れ近付く。暗い影に溶けそうな髪に正反対の肌色。他の売り物とは確実に、何か、言い表せないが違う。鳥籠を模した牢は隙間だらけで、繋がれてもいないこのヒトガタは容易に逃げ出せるだろうが然し、其の気は全く無いらしく、暗闇で只座っていた。業と音を立てながら其れに近付くと、閉じたままの目で此方をついと見、ゆうっくり歩み寄る。気配を感じ取っているのだろうか、まるで見えているかの様に俺の前まで。自分より大分低い背丈だが魔力は俺よりも強い。産まれて初めて体内が、どくりと、脈打った。


「十日前に私の屋敷の玄関へ血塗れのこの子が横たわっていました 種族は直ぐに分かったのですが見た事が無い瞳の色で この場所を説明すれば理解し 全く抵抗しなかったのですよ 敬意を示すため拘束はしませんでしたが 彼の方から口枷をするように促されてしまいして 私が言うのも何ですが 酷い掟に囲われた 可哀想な子ですよ」


父と友人同士な店主は奴隷商人にも拘わらず、其の商品に対して父性にも似た愛情を抱いてしまうらしい。丁寧に扱い、無抵抗の者は拘束せず、教養ある者は自身の屋敷へ置く事もある。もうこれは商売と言うよりも野良猫の里親捜しだ。


「最初招こうと思ったのですが 迷惑が掛かると断られてしまいまして でも貴殿方ならば安心でしょう ああぼっちゃん 如何なさいますか」


檻の隙間から手を入れてみれば、一回り小さな指がそっと、触れそうな所まで運ばれた。冷たそうな肌色とは思えないとても温かい気配がして、改めて商人へ此の子の種族を問う。吸血鬼。しかも絶滅寸前の虚血種。血を摂取すると力が弱るが、潜在する魔力の量が半端ではない。同時に其の血は、興血種にとって非常に美味と噂されている(囁かれているのは禁忌である同族喰いで数を減らしたのだと)。特徴としては銀色の瞳らしいのだが此の子は。


「  おやおや 今朝渡した分を又飲まなかったのかい すみません坊っちゃん 人間の血がどうも苦手みたいで 見ておかないと飲まないのですよ 困ったものです ああでも丁度良い 変化を見てもらいましょうね」


長い睫毛の隙間からは、瞳が確認出来なかった。

真っ白。虚無とは違う、確かに其所にある白。閉じられていた理由は光が酷く眩しいからだとか。文献での知識しか無いが、殆ど近親相姦で成り立つ虚血種は、欠けがある赤子は早々に棄てる。然し上位の者の子は次に産まれるまで取っておかれ、百年に1度しか産まれない純血は大事にされ、障害の有無を問わず囲われる。だが其れも完璧な次世代が出来た時点で掌を返されるのだ。此の子が何故生き残れたのか甚だ疑問である。ぐつぐつと考えていれば、商人は血液パックを其の子に渡し、この方を見て飲んでみなさいと。口輪を外すと小さな牙が見える。手にした物をゆうっくり口にし、空いた穴へ器用に差し込む。白くて細い、握り潰せそうな喉が数回上下し、ごくりと心地良い音が何度か鳴る。改めて、息を飲んだ。瞳に色が薄く付き、渦巻く様に深く、濃くなって行く。苦しそうに飲み終えた此の子の瞳は、とろけそうな程美しい、今も尚変化し続ける、深い深い緋色だ。


「自身もここに来て初めて知ったみたいで 何でも常に目を閉じているように言い付けられていたと 他者が多い時は布を巻かれたみたいです 完璧主義の閉鎖的古血種は理解出来ませんね 初めて見たのが血液パックだなんて 全く 悲し過ぎません」


小さな指に触れた。怖がらず視線を反らさず、俺の手を弱い力で握る。ぬくい体温と秘められた膨大な魔力の塊を感じ、溢す様に息を吐く。俺のものになれ。瞬く緋色は少し揺らいで、よくよく俺の目の中を覗いた後、表情変えず音無く頷いた。




―――――――――――――




「彼の時何を考えていた」


二百年経った。只でさえ遅い吸血鬼の成長は、血液嫌いが拍車を掛けてか、未だ背丈は並ばない。幼児特有の可愛らしい見目は失せていたが、変わりに此の種族特有の美しさが際立つ様になった。まだまだあどけなさが勝っているが。


「なんのこと 今忙しい」

「本は後で読める 俺に構え」

「ん ちょっと待ってね」


城内の書庫。其の場所がもう殆ど彼の部屋だ。様々な分野の書物を揃えてある此所は、彼によって約十数年で読破されてしまい、小間使いに命じて世界中から集めた本と取り替えている最中だ。そんな1冊をぱらぱらと速読し、切りの良い所で分厚い本を閉じる。魔力で具現化させた眼鏡を取り払い、薄い桜色の瞳で俺を見た。3日前の色からは大分薄らいでいて、だがどの様な色であれ飽きさせない美しさだ。もう1度なんのことと首を傾げ、俺の髪をわしゃりと撫ぜる。


「俺のものになれと言った時 暫く間があっただろう」

「今さらだな まあ あなたなら一族に見つかっても大丈夫そうだなって思ってただけ それだけだよ」

「全くお前は強かだな 高貴な種族が奴隷として売られ そうまでして生きたかったのか」

「プライドなんて最初から無いよ 産まれた時から棄てられるのが決定していたのだから それに折角見えることが分かったんだ もっと色んな景色や物を見たかった」


知識も力も与えられず、魔力の使い方も狩る事も学べなかった吸血鬼が、急に外の世界へほおり出されたのだ。どの様な者でさえ縋る他無かっただろう。(本当に彼の商人に拾われて良かった)(だからこうして出会えたのだから)。そんな悲観せず生きる道を行く彼は面白いし、酷く愛おしい。俺の髪が何故かお気に入りらしく、先程から指に絡めたり梳いたりして遊んでいる。心地良いので抵抗しない。ぼぅと眺めていると、ちかり、彼の瞳の奥に在る光が1つ、星が燃える様に消えてしまった。本人は気にせず髪で遊ぶが、此はもう飲ませるしか無い。


「殆ど見えていないだろう」


俺が口にした瞬間彼の手が動きを止め、普段あまり動かない表情が一気に険しくなる。血を摂取してから3、4日は見えるが、其れから徐々に白く、眩しくなり、完全に視力は無くなってしまう。盲目の期間が長かった御陰で日常動作は完璧なのだけれど。俺が教えている魔力操作を応用して、今は本当に見えなくても問題が無い。もっと不器用であれば良かったのだが。はあ。血を飲ます事が困難極まりない。


「補えばまだ見える」

「好き嫌いはいけません」

「不味いんだって」

「生き血は良いぞ 特に処女の血 極上のワインに勝る」

「ええ なんで知ってるの」

「俺は色々やってるから」


腰に手を回して逃げない様に。首に掛かる髪を払い、少し傾けた。飲んでみるかと勧めれば、より薄くなった桜色を見開き後ろへ、身体を反らす。


「やだ」

「良いじゃん 多分恐らくきっと害は無いし」

「不確定すぎる と言うか うまく吸えるか分かんない」

「未だに生き血未経験は勿体ないぞ 純血種族」

「ほんと 急だな」

「そろそろ城で教える事が無くなってきた 此から外出が多くなる 人里にも降りるかもしれん」

「なんの」

「其の牙初めに俺へ刺して」

「     ああ そう言うこと」


彼の初めては出来るだけ俺であって欲しいが、本当に稀少故目に付き易い。だからこの二百年城で匿い、外出も俺が付いている。情報屋から聞いた話では、最近興血種の動きが目立っているらしく、特に西の国には近付かないようにと。本音はこのまま城に隠しておきたい。然し彼は色んな物を、景色を見たいと言った。血を飲ませる為にも彼の願いの為にも、外に出なければいけない。退屈だと思っていた生活が今は、大変で厄介で素晴らしいものである。

面倒くさい奴だなと毒吐くが、少し強張った力で俺の肩を掴んだ。やり方自体は把握しているらしく、丁寧に血管を探し当てると、熱い舌が這わせられる。唾液に麻痺の効果があるからだが、此は不味いものすごくえろい。素直にそう伝えれば、喧しいと睨まれてしまった。そう言えば此方からする事はあっても、彼からしてくれる事は皆無に等しいので嬉しいと思う。正直呪いや毒の類いは効かないので、麻痺も意味が無いのだが決して言わないでおこう。痛かったらごめんと上目で見られ、首筋に牙を押し当てた。


「   」


ずくり、体内に異物が入る感覚がして、自身の血が確かに吸われて行くのを感じて、何だかやけに興奮した。痛みは無い。元より疎いのもあるが、1番に彼だからこそ、なのだろう。ゆっくりと飲み込む音も、時折零れる吐息も近い。其れからもう2、3度喉を鳴らして牙を抜いた。


「旨いか」

「へんな味 飲みやすいけど」

「目 開いて」


瞼を閉じるのは癖。分かってはいるが、其の美しさを伏せているのは酷く勿体ない。鉄の香りが濃い彼の頬を寄せて口付けると、重く瞼が開かれた。何故か熱を帯びた、俺の目色が混ざった黒赤。見た事が無い色だった。瞳がそっくり自身の色を宿しており、其れを取り巻く様黒赤色が、何とも言えない妖艶さが。じいと魅入っていれば恥ずかしそうに、もう良いだろうと目を伏せ笑う。触れている箇所が熱い。鼓動が早い。吸血鬼は死人に酷似する体温なのだが、虚血種は何故だか温かく、そうであったとしても彼は一際人間の温度に近過ぎる。可哀想に。閉鎖的な虚血種の中でこんなにも違えば、例え上位の者だったとしても風当たりは強かっただろう。珍しい存在は囲っていたとしても何処からか嗅ぎ付けられ、収集家や自称美食家、禁忌をものともしない興血種が執拗に探りを入れている。は、絶対に渡してなるものか。俺を選んだのは賢い。力量を見極めるのは、盲目でありながら随分と長けていたらしい。いや、盲目故にか。

離れようと身を捩る彼を強く抱き寄せ、少し困惑した表情のまま口付ける。仕舞い切れない牙を見付けた。水音を態と鳴らせば、熱い身体がひくりと跳ねる。何時もよりも反応が良い。この歳まで成長すれば(まあ普通よりも遅過ぎる成長だが)、自分の意志で隠せる牙も、こう其の儘にしてしまっている事から、如何やら余裕が無いらしい。本人も戸惑っている様で、珍しく押し返されてしまった。


「ま って 何か へん」

「身体熱いな 俺の血吸って興奮したの 嬉しいねえ」

「ちが」


違わないだろうこれは。悪魔の血を吸った吸血鬼はこうなるのか、成程、また一つ知識が増えた。彼は白い頬を真っ赤にして、放せだとか怒るぞとか言って暴れているが、血を飲んだ直後の虚血種の力等赤子同然。口端が吊り上がる。俺と同じ瞳の色をべろりと舐めると、小さな悲鳴を上げて思い切り顔を押し退けられてしまった。息を荒げて細かく腕を震わして、そうまでしても此の程度の力とは。


「分かった分かった ちゃんとベッドに運んでやるから」

「どうしよう何も分かっていない」

「ほら行くぞ 此れ以上抵抗しなかったら優しくしてやろう」

「もうやだ」

「素直なのは好ましい 反抗的なのはもっと好ましいが」

「  二百年一緒にいれば嫌でも知るよ」


だから素直な方が、被害が少ないことも分かるんだ。何処で育て方を間違えたのか。動けない彼をそっと抱き上げて、書庫から出ると何時の間にか、美しい三日月が高く輝いていた。従者は今出払っているので、今城には小間使いの魔族だけだ。煩く小言を言う奴等は居ない。優しくすると言ったがどうも加減出来るか如何か。ぼそりと呟いた言葉はしっかりと彼に届いていた様で、とろける顔のまま思いっ切り眉を寄せられてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

こがれたのだ とりなべ @torinabe

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ