幸運を運ぶフクロウさん

葵月詞菜

第1話 幸運を運ぶフクロウさん

「今朝、朝食の時に冷蔵庫開けたら、納豆と牛乳が切れてたんだ。でも牛乳はね、昨日の夜までは確実にあったんだよ? ふと流しの方を見たら空になったパックが逆さに立ててあって……うん、もしかしなくても兄さんが全部飲んじゃったんだよ。納豆の犯人は桃也ももやでさあ、あいつ最近成長著しいから。それから昨日はね……」


 目の前で、結構高そうなクッション付きのデスクチェアに座った小学校中学年くらいの男の子が、さっきからべらべらと喋り続けている。

 昨日は彼が朝から届くのを楽しみにしていた本がアクシデントで届かず、急に暇になった時間に録画していたアニメを見ようと思ったらなぜか報道番組が再生されてしまったらしい。要するに録画に失敗したのだ。

 また一昨日は、ご近所さんにもらったお土産のプリンを彼の兄弟と祖父に食べつくされ、彼の分は残っていなかったらしい。――少しご愁傷様だ。


「それでね、そのまた前の日は……って、ねえ、弥鷹君、聞いてる?」

 

 一体いつまで遡るんだろうとぼんやり思ったところで、確認の言葉とじとっとした視線が飛んで来た。


「……ああ、聞いてる聞いてる」

 

 滝谷弥鷹たきやみたかは適当に返事をしながら、手の平で弄んでいたスマートフォンを横に置いた通学鞄の中に押し込んだ。


「ホントにぃ? 今スマホしまったでしょ」

「それはそうと、お前はそんな愚痴を言うためにわざわざ俺を呼んだのか」


 弥鷹はさらりと話を本題に戻して、溜め息と共にふかふかのソファーに沈み込んだ。


「弥鷹君は帰宅部で、どうせ帰っても特に用事もないんでしょ?」

「何でそんなに上から目線なんだ。俺だって高校の勉強の予習復習に忙しいんだからな」

「ホントにぃ?」


 彼がまた訝し気にじとーっと見つめて来る。弥鷹はふいと視線を逸らした。


「まあいいや。弥鷹君のことだから、僕が呼んだら来てくれるだろうなって思ってたし」

「その自信はどこから来るんだよ、サクラ」


 彼――サクラはにっこりと微笑む。それはまるで純真無垢な少女のような笑みだった。これを見ると何でも許してしまいそうになるから危険である。


「で、本当に愚痴を言いたかっただけなのか?」


 もう一度確認すると、サクラは「それもあるけど……」と視線を宙に彷徨わせた。


「何だか最近ツイてないから、そろそろ探しに行こうかと思って」

「は?」

「折角だから、弥鷹君も一緒に行こうよ」


 サクラがチェアから立ち上がり、弥鷹の手を引っ張った。

 行くってどこに? 何を探しに?

 彼の行動はいつも突飛だが、毎度それに付き合わされ振り回される弥鷹としては困惑しかない。

 弥鷹が立つと、サクラの頭は丁度胸の辺りに来る。サクラはちらと弥鷹の顔を見上げ、すぐに手を引っ張って部屋を出た。

 短い廊下を少し行くと、薄暗くて書棚がぎっしりの空間に出る。ここはサクラの祖父が所有する私設図書館の地下書庫だった。先程まで弥鷹たちがいたのは事務作業等を行うための小さな部屋で、常からサクラが入り浸っている。

 薄暗い中を確かに足取りで歩いて行くサクラの背を追いながら、弥鷹はたまに躓きそうになる足元に舌打ちした。

 書棚に挟まれた迷路のような通路を通り抜け、ある鉄のドアの前まで来た。

 サクラが取っ手に手をかけ、ゆっくりと回して押し開く。急に差し込んだ眩しい光に目を眇めた。

 扉の向こうは、屋外に通じていた。いつの間に地下から上がっていたのだろう。

 だが、そこに広がる景色にすぐに眉を顰めることとなった。


「……ここどこだ? 森?」


 少し先に広がるのは木々が悠々と生い茂る広大な森だ。確かにサクラの祖父が所有する自宅と図書館の裏には山があったが、とてもその中に出たとも思えない。

 出て来たドアを振り返って、弥鷹はさらに唖然とした。

 そこには巨大な赤茶色の本の表紙があり、その下方の一部が鉄の扉になっていた。弥鷹たちはそこから出て来たらしい。

 サクラが扉をゆっくりと締め、うーんと伸びをして呑気に言う。


「わあ、久しぶりにここに来た。やっぱり空気がしんせーん!」

「……何からツッコんだらいいのか」

「何からツッコんだらいいのか分からないならツッコまなくていいよ」


 サクラが先に弥鷹の突っ込みと質問を封じる。そうは言われても。

 弥鷹が深呼吸をして、ああ良い空気なのは本当だなと現実逃避する横で、サクラが手で庇をつくって森の方に目を凝らした。


「じゃあ、探しに行こうか!」

「……だから何を?」


 ようやく疑問を口にした弥鷹だったが、サクラはスルーして歩き出す。ここまで来たら仕方がないので弥鷹も黙って彼の後をついていった。

 サクラはすたすたと森の中に入って行った。獣道が一本通っているが、曲がりくねっていて先を見通すことはできない。一体どこに通じているのだろう。

(ていうか、迷子になんないだろうな? 頼むぞサクラ)

 まさかの高校生の自分が、小学生の彼に心の中で祈るしかない状況になっていた。

 一方のサクラはそんな弥鷹の胸中も知らず、ずんずんと先を行く。ときおり草をかきわけたり、木の上を観察したりしながら。


「なあ、サクラ、いい加減何を探してるのか教えてくれても……」

「あ、こっちっぽい!」


 全く人の話を聞いちゃいない。弥鷹は自分の我慢強さを褒めながら、足を速めたサクラの後を追った。

 サクラはついに獣道を外れ、草をザクザクとかき分けて奥に奥にと進んで行った。


「弥鷹君! あそこ!」


 サクラに強く手を引っ張られて顔を上げると、ぽっかりと開けた場所に出た。中心に、大きな樹が一本だけある。青々とした葉は瑞々しく、樹全体にエネルギーが漲っているのが分かった。

 その下に、一人の青年が立っていた。片手を自分の胸に、もう片方を樹の太い幹にあてている。

 サクラは弥鷹の手を引っ張ったまま、その樹と青年に近付いて行った。


「こんにちは」

「おや、サクラ君ではないですか。ご無沙汰しております」


 青年はサクラの姿を見て微笑み、一緒にいた弥鷹にも会釈をした。


「ホントだよー、ご無沙汰しすぎて、僕最近ツイてないんだからね」


 サクラがまたぐちぐちと言い出したので、弥鷹は「もうそれはいい」と口を挟んだ。サクラにとっては青年と知り合いとはいえ、いきなり愚痴をぶつけまくるのもいかがなものか。

 しかし青年眉を八の字に下げ、サクラの色素の薄い頭を撫でて謝った。


「それは申し訳ありません。それでサクラ君はわざわざ私を探しに会いに来てくれたのですね」

「うん! 見つけられて良かった! これで僕の運もきっと戻って来るー!」


 サクラが満面の笑みを浮かべ、意味の分からないことを言う。なぜこの青年に会って彼の運が回復するのか。そもそも、なぜ青年はサクラに謝ったのだろう。


「お前、自分の運のなさを他人のせいにするなよ」

「してないよ。でも、これから僕の運と弥鷹君の運は上向くこと絶対だよ」


 思わず諫めた弥鷹に、サクラはなぜか胸を張ってそう言う。全く意味が分からないし、その自信はどこから来るのだ。

 首を傾げるしかない弥鷹に、青年がふふふと笑った。


「大丈夫ですよ、サクラ君の言葉は恐らく正しいです。あなたもこれから暫くは何か良いことがあるかもしれません」

「何ですかそれ」


 ますます分からなくなる弥鷹に、青年はまた小さく笑った。そして、弥鷹の目を真っ直ぐに見つめた。


「サクラ君のことも、よろしくお願いしますね。サクラ君にとってはあなたの存在こそが幸運なのですから」

「はい?」


 眉を顰めて青年を見返した弥鷹の手を、いつの間にかサクラがまた引っ張っていた。一瞬、ぎゅっと力をこめて握られた気がした。



 青年に別れを告げて来た道――途中から道ではなくなっていたが――を何とか戻って森を抜け、あの巨大な赤茶色の本の表紙の所に辿り着く。前を行っていたサクラがふと森を振り返ったので、弥鷹もつられて振り向いた。

 遠く、一羽の鳥が飛んでいるのが見えた。褐色の羽毛に白い斑紋がうっすらと見える。

 何の鳥だろうと思っていたら、サクラが口を開いた。


「昼に飛ぶフクロウだよ、弥鷹君」

「ああ、あれフクロウか」

「そう、フクロウだよ。さっき会った人」

「へえー……って、え!?」


 爆弾を落としたサクラは弥鷹を置いてきぼりにして、鉄の扉を開け「早く早く」と急かす。

 弥鷹は彼に急かされるまま扉を潜り、小さな背中に尋ねた。


「あの人、フクロウだったのか?」

「そうだよ。幸運を運ぶフクロウ。その名も『福郎』さん。彼と出会った人には幸福が訪れるんだ」

「マジか」

 

 そこでようやく、サクラが青年に向かって運の話をしていたことに納得する。


「弥鷹君にもきっと良いことがあるよ。一緒に会えて良かった」


 前を行くサクラの顔は見えなかったが、弾んだ声に違わず嬉しそうな顔をしているのだと分かった。



***


「ねえ、聞いてよ! 今日、アイスで当たり棒が出たんだよ。それも二本も! 昨日は兄さんがこの前のお詫びのプリンを買ってきてくれて、一昨日は……」


 サクラがここ数日のラッキーな出来事を次から次へと語ってくれる。

 弥鷹は「それは良かったな」と適当に相槌を打ちながら聞き流していた。


「もう、弥鷹君、聞いてる?」

「……聞いてるよ」


 怪訝な声とじとーっとした視線を感じて顔を上げると、かわいい顔をしたサクラが眉を顰めてこちらを見ていた。


「弥鷹君は何か良いことあった?」

「そうだなあ……この前のミニテストの点数が良かったかな」

「小さな幸せだね。ていうかそれ自分の努力の問題じゃ?」

「小さな幸せで結構だ」


 サクラがふふっと笑う。その笑みは小学生にしては少し大人びたものだった。

 目の前にいる彼が一瞬、同じ高校生のクラスメイトのように感じられた。


「昔から弥鷹君はそんな感じだよね」


 小さく、サクラが呟く。どこか懐かしそうな声音だった。


「何の話だ?」

「ううん、何でも。じゃあ弥鷹君に僕からも良いことをプレゼントしよう。プリン残ってるから今日のおやつね」


 また一つ、弥鷹に小さな幸せが訪れた。

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幸運を運ぶフクロウさん 葵月詞菜 @kotosa3

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