第一章 エリア九州
テラピアの壱
持つべきものは友という格言を、今までの人生のうちに何度か感じたことはあるが、今回のものはまた格別だった。小学校時代からの友人で、同じ県内に住んでいるのに彼にはもう何年も会っていない。本当に年賀状交換だけだった。だが親同士も仲が良いため、個人的な情報、要は子供が小、中、高校に入ったとか、就職のために上京したとか、結婚して孫ができたとか、ということは知っていた。本人同士で話せばいいじゃないかと思うだろうが、お互いに仕事以外で電話をするという習慣がない。本当の友人というのは、何年ぶりに会ってもすぐに話すことのできる人の事というが、彼と自分は全くそのタイプだった。だがこの仕事を任されて、やはり情報は、特に釣り好き達のものは絶対的に必要だった。
「息子さんたちがね、上京するときに彼のお嫁さんに言ったんだって。「お母さん、お父さんが死んでも釣り具はそのままにしておいて」って。「言うことはそれ! 」とお嫁さんは思ったらしいのよ」自分の母親も笑いながら話してくれた。
それだけ彼は釣りが好きなのだ。むしろ自分は仕事をしてからしばらく遠ざかっていて、調査のためにダイビングの免許を取ってからは、どちらかと言うとそれで遊んでいることの方が多かった。
「公務員の中からも釣り師を募集する? 」
意外な感じだった。だがまあ新たな費用の捻出を抑えるためとすれば頷けることである。大学院では魚類の研究のため切片をひたすら作って「君は本当に器用だね! 」教授の良い小間使いになってしまい、そのあと県の職員になり海洋の調査などを担当した時期もあった。結婚して、子供ができるとどうしてもそれ中心になり、女の子が多いと釣りには行き辛くなる。一方友人は両方が男の子なので、物心つけば一緒に釣りを楽しんでこれたのだろうと、やはりうらやましかった。
その羨望がどこかにあったのだろうか、公務員として、仕事として釣りができるということに、もう五十になろうかというのに飛びついてしまった。でも合格する可能性は極めて低かった。
いつものように仕事をしていると県庁全体が妙にざわつき始めた。下の方からがやがやとする音が次第に上がってきているのが判って、その後
「今度環境大臣になる、ほら例の釣り師が来てる! 」
と誰かの声がした途端、明らかにボディーガードがいらないだろうという格好、いやでも何かしらのしっかりとしたオーラがあって、自分もフィッシングショーで見たことのある人物がやってきた。
「やあ、ご苦労様、えっと、釣り師に応募していた人に会いに来たんだけど」
ゆっくりと自分が椅子から立った。
「ああ、そう、君ね、やっぱりそうだね、写真通り、いいね、お願いできる? 」
「え! いいんですか? でももっと若くて知り合いの釣り師もたくさんいるでしょう? 」
「いるけれどね、身内でやったら、やれ談合だなんてことになったら面倒くさいでしょ? それにさ、この仕事は遊びじゃないんだ。絶対的のものもいる。君結構大物釣るでしょう? 雰囲気でわかる」
「ハイ・・・どちらかと言えば」
「大きいということは、長く生きている。それだけ繁殖もできるということだ。ブラックバスの場合は巨大化すると繁殖力自体がなくなってしまうけど、まあ、とにかく、大物を仕留める力も呼び込む力もいるからね。今の所九州は君一人、ほかの所も釣り部門は一人ずつしかいない。虫も動物も植物も人がいるからね。だが君自身が協力者を募ってやってもいい。その際の経費の使い方については後日送るから、とにかく頑張ろうね」との大臣の言葉にフロアー中が
「おー!」「おめでとうございます! 」「釣り、されていたんですね! 」
職場で拍手の嵐というのは、自分がドッキリカメラに一般人として引っかかり放映された時以来だ。そしてそのあとすぐにこの仕事が始めることになった。
最初はテラピアの調査だ。最終的には駆除ということになるが、とにかく現地に行って釣って習性等を自分の体に叩き込む必要がある。だが自分は一度もテラピアを釣ったことがない。
テラピアはもともとアフリカの魚で、スズキ目、スズキ亜目カワスズメ科カワスズメ属に属する。ナイル、モザンビーク、ジルという三種が多いのだがこれらを総称してテラピアと呼んでいる。養殖もされており、味がタイに近いということからチカダイという呼び方もある。姿はまさにタイだ。一般的には十度以下の水温では生きていけないといと言われており、温泉地で繁殖していることが多い。九州でもそうだ。
「やっぱり引く? 」
もしかしたら彼と長電話をするのは初めてかもしれない。
「引く引く! 面白い! 息子たちが上京した年に初めて行って、孫が生まれるまでは頻繁に行きよった」
「免許ないだろう? それとも取ったのか? 」
「電車、電車の方が早い、ここからだったら。一度息子の運転で行ったけど、年末で大変やった」
「時期は、じゃあ年末? 」
「いやいや、大体春、秋やな。いつでも釣れるけど、秋の方が良かったかな、五月は繁殖シーズンらしい。産卵床を守っている大きな奴は喰わんから」
「そうか・・・まさかテラピアを釣ったことがあるとは思わなかった。間違ったな、一緒に行ってもらうべきだった、今回は絶対ダメか? 」
「今が一年で一番忙しい時期、五月にやっと一段落するから・・・と八月も忙しいから、それが終わって九月か十月かというサイクルだった、行ってた時は年に二回かな」
「じゃあ、秋は行けそうかな? 」
「連れて行ってくれる! でもなあ、電車の方が早い、早く着けば早く釣れる。そうだ! こっちのJRの駅まで送ってもらって、もし車が早く着いたら迎えに来てもらって」
「面倒くさい!! アッシーの極致じゃないか! 」
「じゃあお前も電車で、そうか、お前はクーラー持っていかんといけんのやろう? 」
「個体の解剖もあるからね」
「そうか、そうか、まあ、とりあえずチヌ針使ってやってみたらいい、でも二匹かけたら研がんとダメや」
「うわ、やっぱり。で一番最初は何で釣った? 」
「パンサーマーチン」
「好きやな、相変わらずパンサーが、小さいルアーが」
「でもその次行ったら全然だめ、餌もその時期その時期で違うみたいやな」
「沖縄のテラピアは何でもくるってブログで見たけど」
「んー、地域差か時期的なものかまでははわからん。でも女房のちょっと大き目のかしわめしで食いついたけどね」
「鳥肉ってこと? 」
「そうそう、甘辛煮、案外いい、ちくわでも来たけど、メーカーが違うと来なかったりして」
「すれてる? 」
「それもあるみたいやな、中学生も釣ってたから。ああ、それに俺は海では釣ってないから。港に行ってやったけど、フグだけ。お前学生時代ずっとスズキ狙いやったやろうから、釣れるんやないか? 」
「初めて行く海は駄目やろう・・・海にテラピアが降りるんか? 」
「大雨の時に流されるらしい。「この前の雨で大きいのは川にはおらんよ」って散歩の人に言われたことがある。でもやっぱり隠れとる大きいのがおるから」
「大物狙い? 」
「ちっちゃいのは可哀そうやろう? かかりそうになったら外す」
「サイトフィッシングの極致」
「でも驚くよ、とにかく水深が浅くてもよく生きていける、共食いの習性が功を奏したってやつかな」
「そうだろうな・・・さあ、明後日だから準備するかな。釣れたら報告するよ」
「いいよ、案外疲れるぞ。川の横の道はずっと上っていけるけど、急やから。釣り終わって、温泉浸かって、食事して即寝れる」
「ハハハ、極楽! 」
「いいなあ、俺も行きたい」
「じゃ今度」
「ああ」
楽しい取材が終わった。釣るときは全く一人だが、現地取材も主な仕事だ。さあ釣り場では何が待っているか、明後日が楽しみだ。
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