醒める夢 Chapter.8

「クッ! 吸血姫きゅうけつきどもめ!」

 敗走はいそう呪詛じゅそを込め、魔女は忌々いまいましさをむ。

 空間転移魔法による逃亡を選択するしかなかった。

 テムズ川へととされたのは不幸中のさいわいか。黒くよど川面かわものおかげで、誰にも気取けどられる事無く脱出できたのだから。

 手近な屍兵ゾンビを数体だけ巻き込み、魔女は転移呪文を実行した。無事にイングランドを抜け出すまでは護衛が欲しい。

 してや、シティ外にはデッドがいる。万全ばんぜんな状態ならば敵ではないが、疲弊ひへいした身では排斥はいせきの自信が無い。

 魔女が転移したのは、防壁を越えたシティ外──非管理地区だ。

 反乱の暗躍者は、隔離された戦火をにらえる。

「まだ死ぬわけにはいかぬ! 総ては復讐・・のためだ! 歴史にしいたげてきた〈人間・・〉達に! 半端はんぱ魔性ましょうさげすんできた〈怪物・・〉達に!」

 徘徊はいかいする喰屍デッド達が獲物を察知して近付いて来た。

「やはり数は多いな……頭を狙って排除しろ。私に近付けるな」

 命令を受け、死体が死体を殺し出す。手にした鉄パイプや千切ちぎった死体の腕を武器に、ゾンビはデッドを破壊し続けた。

 しかばねのバリケードを傍観ぼうかんし、えずは身の安全を確信する。

 と、おもむろに魔女は黒月こくげつおびあおいだ。

 その巨眼きょがんへと畏敬いけいを込めて懇願こんがんする。

あるじよ! が契約悪魔〝バロン〟よ! いま一度チャンスを! 強大な魔力さえ与えて下されば、さらなる混沌を御約束おやくそくいたします! 何卒なにとぞ、あの〈吸血姫きゅうけつきどもほふれるだけの魔力を!」

「ィェッヘッヘッ……くれるワケねぇだろ」

 聞き覚えのある濁声だみごえにギョッとした。

 嫌悪感を誘発する気配を探して、一角いっかくめつける。

 やがて細道ほそみちの暗がりからあゆみ出て来たのは、予想通りの卑俗ひぞく──ゲデとかいう死神だ。

「ま、正しくは『与えたくとも与えられねぇ』ってトコだな。テメェとお嬢じゃ、根本的に魔力底値が違い過ぎる。下駄ゲタかせるにも限度があらぁな」

「黙れ! たかが原始的宗教の死神風情ふぜいが! あの御方おかたに不可能など無い! あの御方おかたは──」

「あぁ、よぉ~く知ってるぜ? 同業者・・・さんよォ?」

「な……何?」

 思いも掛けぬ呼び方に動揺する。

「オレもアイツに従う者・・・さ。混沌の御膳立おぜんだてをして、負念を生み出す──ソイツが〝御主人様〟のかてってワケだ。そうして、より強大になる。強大になれば闇暦あんれき世界の超自然的摂理せつりは、ますます根深ねぶかくなる──よくできた還元かんげんだよ」

 まわしからして間違いない。

 この死神もまた〈黒月の使徒・・・・・〉だ。

 何らかの契約関係にあって従う者・・・だ。

「何故だ? 何故、キサマような下衆ゲスが、われと同じ立場に!」

 腹立たしい屈辱感と納得出来ない動揺が、等しく魔女を支配する。

 恨みがましい凝視ぎょうし余所よそに、ゲデは太々ふてぶてしく葉巻はまき紫煙しえんを吐いた。

「ィェッヘッヘッ……オレにとっちゃあ、どうでもいい事さ。ま、えずアンタはミスを犯した・・・・・・んでな。その御報告ごほうこくに来てやったってワケさ」

ミス・・だと?」

「まず〝カリナ・ノヴェール〟を巻き込んだ事。お嬢の機嫌を損ねて、無事に済むはずがねぇやな──オレ以外は。ィェッヘッヘッ……」

 手近な瓦礫がれき腰掛こしかけ、葉巻はまきかす。

「次に、あの黒月・・を過大評価していた事。オマエさん、根拠無く心酔しんすいし過ぎだぜ?」

「根拠無き心酔しんすい……だと?」言葉のはしを拾い、ドロテアは自身の優位性を取り戻した。「クックックッ……盲目もうもく愚者ぐしゃが! やはりキサマと我は違う・・・・・・・・! あの御方おかたわれは旧暦時代から固いきずなで結ばれた契約関係! 裏切られる事など無──」

「ィェッヘッヘッ……エリザベート・バートリーも同じ考え方だったなぁ? やっぱ主従しゅじゅうは似るのかねぇ?」

「ふざけるな! われとエリザベートでは──」

捨て駒・・・末路まつろなんて、どうでもいい些事さじなんだよ。テメェが〝利用する側・・・・・〟だったんだから、当然わかんだろ? ィェッヘッヘッ……」

「なっ?」

「ィェッヘッヘッ……どうしたよ? 魂が動揺・・してやがるぜ?」

「ち……違う……われは……私は・・……?」

 ドロテアを懐疑心かいぎしんむしばんだ。

 ゲデの値踏ねぶみは絶対的な確信に満ちている。

 ゆえ信条しんじょう根本こんぽんらぎを覚えるのだ。

(認める必要はない! こんな下衆ゲス戯言たわごとに耳を貸す必要などない!)

 そう自分に言い聞かせても、完全否定が出来ない。

 狂信的きょうしんてき心酔しんすいは、一転いってんして得体えたいれぬ不安へと変わる。

 均衡きんこうくずしそうな心を愉快ゆかいながめ、ゲデは満足な一服いっぷくを深く吐いた。

「そして、最後のミスは──オレの前で〈ゾンビ・・・〉なんかを使っちまった事だよ……ィェッヘッヘッ」

 くわ葉巻はまきに指をパチンと鳴らす。

 途端とたん、取り巻くゾンビ達が脱力に崩れ倒れた!

 まるで糸を断たれたマリオネット・・・・・・・・・・・・のように!

「こ……これは!」

「ゾンビは元々もともと〈ブードゥー秘術〉だ。オレが自由に出来ねぇ道理は無ぇよ」

「な……何故だ!」

「あん?」

「その能力があれば、いつでも戦況を一変いっぺんさせる事が出来たでは──」

「ああ、そりゃよ?」いやしき邪笑じゃしょうが歯を見せる。「沢山たくさん殺し合ってくれた方が、オレとしてもオイシイ・・・・んでな……ィェッヘッヘッ」

 闇のさが違う!

 しつが違う!

 コイツの前では、カリナ・ノヴェールも、ジル・ド・レも、エリザベート・バートリーも、生温なまあたたか仄暗ほのぐらさでしかない!

「さて、ボーナス問題だ。魔力支配を失ったゾンビは、単なる死体・・──じゃあ、次にどうなるかね?」

 答えるまでもない!

 防壁外には魔気まき泥寧でいねいしている!

 此処〝フリート街通り〟とて、そうだ!

 そして、ダークエーテルの干渉かんしょうを受けた死体・・は──!

 恐怖に捕らわれ、視界のすみ見遣みやる。

 ゆっくりと起き上がるしかばね──忠実な衛兵だった肉体が、次々と再起動リブートしていた。

「く……来るな!」

 緩慢かんまんな動きに距離を縮める捕食獣ほしょくじゅう

 次の瞬間、飢餓きがに開かれた口腔こうこう喉笛のどぶえ千切ちぎった!

「っひゅ!」

 悲鳴が空気とれる!

 魔女・・にとっては致命的ちめいてき痛撃つうげきだ!

 最早もはや呪文詠唱じゅもんえいしょうかなわない!

 街のいたる所から、次々とデッド達がむらがって来た!

 死者の芋洗いもあらいが、鮮血せんけつまみれの魔女にんげんむ!

「ひゃ……ひゃへ……ひゃへほぉぉぁぁぁァグァヴゥアァァ……────」

 絶望に足掻あがき伸ばした腕は、喰屍しょくし底無そこなぬまへと沈んでいった。

「地獄に連行される自滅オチってか? 古臭ぇ怪奇小説ゴシックホラーかよ。ま、何にせよゴチソーサン……ィェッヘッヘッ」

 ふところから取り出した小瓶こびんざけあおる。

 さかなは戦乱の立役者がせた〈〉だ──期待したよりは薄味うすあじだったが。

 ふと黄色い単眼と目が合った。

アンタ・・・も呼び名を統一してくれねぇか? やれ〈魔王サタン〉だの〈妖怪球バックベアード〉だの〈門の鍵ヨグ=ソトース〉だの……こっちも混乱していけねぇや。単なる〝ダークエーテルの塊・・・・・・・・・〟に過ぎねえってのによォ」

 ゲデが毒突どくづいた通り、この〈黒月・・〉はダークエーテルの集合体・・・・・・・・・・・であった。

 同時に知性体であり、超強大な〈魔物〉でもある。

 闇暦あんれき世界に蔓延まんえんするダークエーテル──なれば、その集合知性体は〈世界・・そのもの・・・・と呼んでも過言かごんではない。

 存在自体が〈秩序・・〉であり〈法則・・〉だ。

 その支配力は、さながら〈闇の神〉か。

 口元くちもとざけぬぐうと、ゲデは興味きょうみめて歩き出した。

 これ以上とどまっても、戦乱しずまったロンドンで利益は無い。

 死神は新たな混乱を求め、街路がいろきりへと消えた。

 食事処しょくじどころには困まらない。

 闇暦あんれき世界のすべてが、彼の遊戯場あそびばなのだから……。

 神出鬼没で自由奔放じゆうほんぽうな〈〉への漫遊まんゆう──それが彼に授けられた役得やくとくであった。

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