醒める夢 Chapter.7

 ジル・ド・レは黙想する。

 思えば、信仰をてたのは──神に敵意をいだいたのは、いつであっただろうか。

 愚劣な政略によって、心酔する聖少女あるじが処刑された日であろうか。

 あるいは、流れ者の魔術師によって〈吸血鬼〉へとおとしめられた時からであろうか。

 いな、そうではない。

 根元ねもとは、もっと以前だ。

 幼き頃の悲劇が発端ほったんだ。

 母を失った。最愛の母を……。

 神への祈りは無駄であった。

 そして、信仰をてた。

 無力感にさいなまされた。

 やがて、また取り戻した。

 神の御使い〝ジャンヌ・ダルク〟との邂逅かいこうだ。

 されど、またてた。

 幼少期の無力感がよみがえる。

 闇にちた。

 神への敵対者とちた。

 そして、現在いまいたる──。



 軋み開く城門の音に現実へと呼び起こされ、ジルは静かにまぶたを開いた。

 十中八九、降伏は無い……それは承知の上だ。

 が、迎え出て来た決闘相手しゅくてきは予想外であった。

 カーミラ・カルンスタインではない。

 たった一人で出陣したのは、不遜ふそんなる流浪者るろうものだ。

 白ではなく黒が現れた。

 どちら・・・でも構わない。

 おのが選択の是非ぜひを確められるのならば……。

「よう、髭面ひげづら」不敵な笑みを浮かべ、柘榴ザクロかじりに挑発してくる。「相変わらず黙祷もくとうが長いな」

「フッ……捧げる相手など、もはやおらぬ」

 自嘲じちょうわす猛者もさ二人。

 互いに望んでいた──いつぞやの決着を!

「さて、始めるとするか……カリナ・ノヴェール!」

 今度は横槍などはいらない。

 いなれさせない!

 心行くまで殺し合おう!

 ロンドン塔城門前──多勢のゾンビがひしめめく渦中で、激しい剣舞ロンドが繰り広げられた!

 周囲の屍兵しへいなど歯牙にも掛けず、カリナとジルはぶつかり合う!

「「おおおぉぉぉぉぉーーーーーーっ!」」

 暴れる双刃そうじんに巻き込まれ、無頓着なしかばねさばかれていく!

 腐肉ふにくが破片と飛び、死血しけつきりはじけた!

 この決闘の瞬間に立ち会ったのが、彼等の不運だ。

 もっともなげく自我など有りはしないが……。

せろ!」

「邪魔だ!」

 互いに好敵手を狙いつつ、片手間で障害物たる屍兵しへいを排除する!

 剣舞を踊る足場を広く確保せねばならない!

 黒集くろだかりにひらいていく決闘場──それは滞空に戦況を見定みさだめる魔術師の目にもまった。

「アレは……カリナ・ノヴェール? またしても邪魔をするか!」

 プレラーティはうとましくにらみ、呪文を詠唱えいしょうした。

 早口の呪言じゅごんが意味する内容は不明だ。

 どちらにせよ敵意をびた攻撃には違いあるまい。

 獲物へと向けたてのひら種火たねびが収束していく!

 圧縮された炎塊えんかい一際ひときわ勢いを増した焔球えんきゅうと荒ぶる!

「……消えよ」

 気取けどられぬ狙撃が放たれようとした瞬間、予期せぬ一撃がほのおを破壊した!

 茨鞭いばらむちだ!

 奇襲方向を追いにらむ。

 白い麗姿れいしが滞空していた!

「……カーミラ・カルンスタイン!」

「まさか〈魔女ドロテア〉の他に暗躍者がいたとはね……確か〝プレラーティ〟とか言ったかしら?」

「ィェッヘッヘッ……その名で正解・・だよ」

 虚空こくうより下卑げび濁声だみごえ肯定こうていする。

 直後、カーミラの背後にが出現した。

 見窄みすぼらしい品性に黒いジャケットスーツ──いやしいニタリ顔に飄々ひょうひょうとした態度──プレラーティが見た事も無い怪人物だ。

「ィェッヘッヘッ……お初だねぇ? オレァ〝ゲデ〟──ハイチはブードゥー教の〈死神〉さ」

 太々しく葉巻はまきかしながら卑俗ひぞく嘲笑ちょうしょうが名乗った。

 魔術師がめつけにう。

「その〈死神〉とやらが、何故ハイチから出た?」

愚問ぐもんだねぇ? ダークエーテルが蔓延まんえんした闇暦あんれきじゃあ、世界中が超自然的な魔界環境だ。生地せいちに縛られるしがらみは無ぇっての。だったらよぉ──」深い邪悪をふくみ笑う道化者トリックスター。「──広い餌場えさばへと出歩であるいて、テメェから満喫した方が面白ぇじゃねぇかよ? ィェッヘッヘッ……」

 さしものプレラーティですら忌避感きひかんを覚えた。

 この〝ゲデ〟なる〈死神〉は、純粋に負念ふねんを楽しんでいる。理念も理想も情も無い。ただ悪意のままにむさぼりたいだけだ。

「ま、そう警戒しなさんな。オレ自身が何かする気は無ぇよ。アンタを相手取るのは──」

 ゲデが一瞥いちべつで示すのは、臨戦意思のしろ外套マント

 双鞭そうべんを構えたカーミラが毅然きぜんとした誇りに宣誓する。

「悪いけど邪魔はさせない。カリナの邪魔も、ジル・ド・レ卿の邪魔もね」



 ジルの剛剣ごうけんが重い突きを放つ!

 初戦しょせんの再現よろしく、カリナはくろ外套マントの回転にまとわりもうと転じた……が!

「二のてつを踏むと思うか!」

 力任せに横へとぎ、無理矢理に太刀筋を変える!

「かはっ?」

 瞬時に魔剣を盾としてさえぎるも、頑強なやいばはカリナの脇腹を浅くえぐった!

 その衝撃を緊急離脱の慣性へと転化し、黒の吸血姫きゅうけつきは間合いを取る。

 片膝かたひざきの体勢に着地すると、吸血騎士をにらえた。

 押さえた傷口から零れ落ちる熱い感触──ひさしく味わってなかった痛みだ。

「少しは学習したかよ、髭面ひげづら

「先の決闘で貴様の傾向は覚えた。如何いかに戦い慣れしていようと、女の身では非力……それを補うべく俊敏さをじくとした奇襲へと転じるのであろう。されど読めてしまえば、どうという事はない!」

「そうかよ」

 カリナは軽く嘲笑ちょうしょうを含み、静かに立ち上がる。

 と、おもむろあかやいばを傷口へと当てた。

「吸え」紅刃こうじんほのかに光り、あふれる赤をすすんだ。やがて、次第に血が止まる。「……ふう」

血を吸う魔剣・・・・・・……だと?」

「物珍しいかよ」

「なるほど。わざと適量を吸わせて、止血しけつの仮手段としたか」

「傷そのものはったままだがな。それよりも──」挑発と皮肉を込めて、吸血姫きゅうけつきは不敵な蔑笑を浮かべた。「──よくも処女の身体を傷物にしてくれる」

 刀身に残るぬめりを払いぬぐう。

「おい、髭面ひげづら。地獄へ叩き落とす前にいておきたい事がある」

「何だ」

 互いに反目してたたずみ、静かな敵意をわした。

「確か〝ブラッディ・タワー〟と言ったか──あの城塔じょうとうでの拷問は何だ?」

「フッ、どうやら見つけたか」

 吸血騎士が乾いた感情に口角こうかくを上げる。

児童偏愛癖じどうへんあいへきか? あるいは子供に怨みでもあるのかよ?」

「……分からぬ」遠い目を虚空こくうへと投げ、ジルは愁訴しゅうそ吐露とろした。「現在いまに始まった事ではない。かと言って〈吸血鬼〉とちたからでもない。生前からの隠匿いんとくすべき悪癖あくへきだ」

「何人ったよ」

一過いっかの犠牲など数えておらぬ」

偏愛へんあいゆがみ……ではないな? あの容赦ない拷問ごうもんあとからして、苦しめ抜いて殺す事自体が目的だ」

「確かに異常な性癖せいへきだと自覚する。が、われにも自制はかぬのだ」

狂気者きょうきものは、みなそう言う」

「理解されぬは百も承知。俗論観念ぞくろんかんねんとは永遠に平行線だろう」

「それも言うのさ」

 子供の存在に依存いぞんしなければ自己確立が出来できぬ者──その点では、両者共に同じかもしれない。

 だがしかし、そのようは対極過ぎた。

 ジル・ド・レは、幼き命を悦楽のにえとする。

 カリナは、無垢な魂を道標どうひょう背負せおう。

 あいれるはずがない。

「子供には罪が無い──などと綺麗事は言わん。偽善者ぎぜんしゃども利己的りこてき詭弁きべん反吐ヘドが出る。されど、理不尽にいのち奪われるわれも無いだろうさ」

「母性が言わせるか……やはり〈〉よ」

「さてな──」満たされぬ想いに柘榴ザクロかじる。「──ただ、私の〈レマリア・・・・〉が泣くのさ」

「……レマリア?」

「気にするな。オマエにも殺せぬ子だ」

 吸血姫きゅうけつきは静寂を破り、黒い魔翼まよく息吹いぶかせた!

 超人的跳躍にしょうじた風をはらみ、空中からの強襲戦法へと転じる!

 いのちけず輪舞ロンドの再開だ!

「飛ぶか! カリナ・ノヴェール!」

 ジル・ド・レは腰を落とし、安定した重心に構えた。

鎧装束よろいしょうぞくの重量では飛行など叶わぬ。なれば、攻撃に接近した瞬間を返り討ちにするしかなかろう)

 この戦術にいては、カリナの軽装が利点ときた。

 前から、背後から、右から、左から、休むいとまも無く黒翼こくよくが襲い来る!

 一撃離脱の攪乱かくらん戦法だ!

 彼女の軌道取りは、優美なカーミラに比べて鋭利で素速い!

ツバメすか!」

 忌々いまいましくにらみながらも、ジルは刃応はごたえに高揚こうようする。

 四方八方から縦横無尽じゅうおうむじんに襲い来るあかくちばし

 突撃の勢いをびるため、軽い体重であっても一撃が重い!

 加えて、レイピア形状の魔剣も相性が良かった。

 突きをきもとした攻撃は、まさに迅速じんそくやりの如し!

 戦人いくさびととしてつちかった感覚で、騎士は強襲方向を予測する!

 愛剣を盾にあか突尖とっせんはじき続けた!

 言うは簡単だが、それをすジル・ド・レの技量は並々ならぬものである。

 そして、重々しい反撃を繰り出した!

「むぅん!」

「当たると思うか!」

 直進軸をわずかに浮かせたくろ外套マントは、剛刃ごうじんの軌道かられ上をすべる!

 すぐさま直角上昇による離脱へと移行!

 が、びた剣圧けんあつには違和感を覚える。

 あまりにも標的への捕捉がアマい。

(当たらぬは承知の上で……か。手数を減らすための牽制けんせいだったかよ)

 小賢こざさしさを見極めた。

 だがしかし、その流れすら敵の思惑おもわく通りだ。

 やすかしいに過ぎない。

二度手間にどでまを掛けさせてくれる!」

 滞空たいくう静止せいしから方向転換し、急速降下で再強襲をこころみる!

 ジル・ド・レが上空をにらみ構えた!

 今度は確実にカリナを捕捉している!

(クソッ! 軌道を強制させるためだったかよ!)

 降下の勢いにまれ軌道変更は難しい。

 なれば、最早もはや突っ込むしかなかった。

髭面ひげづらァァァーーーーっ!」

「カリナ・ノヴェーーーール!」

 鋭利な紅刃こうじん剛剣ごうけんの突き上げが、互いの顔脇かおわきかすめてれ違う!

 間髪入れずに、またも強引な凪払なぎはらい!

 カリナは開脚かいきゃく後転こうてんに反動をみ、ジルの間合いからはなれた。その華麗な回避動作は、ジプシーの踊り子・・・・・・・・を連想させる。

 慣性かんせいのままにすべ路面ろめんとどまるカリナ。

 げる瞳ににらんだ吸血騎士は、平然とした態度を崩していない。

「……腹立たしいヤツだ」

 ほほきざまれた赤いすじを親指でぬぐった。

 同様に、騎士もこぶしぬぐう。

 両者が繰り出した一撃は、しくも敵をつらぬく事は出来できなかった。かすきずいたけだ。

剣技けんぎは互角か……いま一歩でらちが開かんな)

 かつてカーミラが示唆しさした通り、なかなか厄介やっかいな実力者であった。

 表層ひょうそうでは苛立いらだちながらも、カリナは冷静に思索しさくめぐらせる。朧気おぼろげながら状況打開の妙案みょうあんが見え始めた。

「カーミラに出来て、私に出来ぬ道理はあるまいよ」

 そう、同じ血・・・ならば……。

 薄く勝算をふくむ。

 その瞬間、不意に背後から右腕をつかまれた!

「何!」

 ゾンビの捕縛ほばくである。

 それを皮切かわきりに、次々と亡者もうじゃどもが少女の四肢ししを封じ始めた!

「クッ?」

 腕一本に一体ではない!

 足一本に一体ではない!

 およそ、しがみつけるだけの死体数が、四肢ししかせして拘束こうそくいる!

 如何いかに〈吸血鬼〉が剛力ごうりきとは言っても、とてもではないがほどく事など不可能であった!

「クソッ! 命令を変更したか!」

 焦燥しょうそう足掻あがくも動けない!

 まるで磔刑たっけいだ!

 正面からは剣をたずさえたジル・ド・レが、ゆらりと歩いて来る。

(さて、どうするか……)

 この窮地きゅうちを脱出する手段は──ある。

 しかし、それはひらいたばかりのさくもちいるという事だ。

ネタバレした手品・・・・・・・・では、ヤツのきょは突けまいよ)

 とはいえ、このままでは〝なます斬り〟だ。

(やはり秘策を先出さきだしするしかない……か)

 本音ではしぶりながらも、カリナは決心する。

 眼前がんぜんまで来たジルが仰々ぎょうぎょうしく剣を振り上げた。

(チィ……背に腹はえられぬ!)

 不本意ながらも秘策を披露ひろうしようと覚悟した──直後、彼女を拘束こうそくするしかはねが一体くずたおれる!

「何?」

 予想外の展開に動揺を浮かべるカリナ。

 振り下ろされたやいばさばいたのは、吸血姫きゅうけつきではなく屍兵しへいであった!

 宿敵の疑問ぎもん余所よそに、ジルは次々といましめをつぶしていく!

 愚鈍ぐどん加勢かせいひとしきさばき終えると、騎士は背後の闇空あんくうへと怒号どごうえた!

「プレラァァァティィィーーーーッ!」

 地の底から響いてくるような獅子のたけり!

「出過ぎた真似まねをするでないわ! これはわれとカリナ・ノヴェールの決闘! 何人なんぴとたりとて邪魔立じゃまだてする事はまかりならん!」

 心底しんそこからの激昂げっこうであった!

 それは大気を震わせるかの如く、テムズ川上空にて戦う従者じゅうしゃの耳にも届く。

「……ですって」

 相見あいまみえるカーミラが愛らしく小首をかたむけた。

「チッ!」

 舌を鳴らす黒魔術師プレラーティ

 大局たいきょくよりも些末さまつ騎士道プライドとらわれる傀儡かいらいに、貞淑ていしゅくぶった余裕に挑発を織り交ぜる実力者──すべてが彼の意にそぐわない。

 さりとて、ジル・ド・レの機嫌をそこなっては 万事ばんじ水泡すいほうだ。エリザベートのような失態はけたい。

 彼は眼前がんぜん難敵なんてきだけに標的を絞り込んだ。

「それで? 今度は、どうなさるのかしら?」

「……に乗るなよ、カーミラ・カルンスタイン」

 平然へいぜんくずさぬ白き麗姿れいしめつける。

「コライサラム・エキシサラム・シューサラム──」

 早口はやくち詠唱えいしょうに呼応し、てのひらへと火元素サラマンダーが収束していく。

「──ファイアーボール!」

 火種ひだね炎球えんきゅうそだち、ほのおえた!

 さりながら、白き吸血姫きゅうけつきには動じる素振そぶりもない。

 わずかに立ち位置をずらして、滞空のままに回避するだけだ。まるでおどすべるように……。

「リスペルサラム」

 再発動の簡略詠唱かんりゃくえいしょうとなえる!

 多数のほのおまれ襲った!

 炎球魔法ファイヤーボール連射れんしゃ攻撃!

 しかし、それさえもカーミラはわしつづける。

 時折ときおりけきれぬ数発があったが、それは茨鞭いばらむちまとくだいた。

 小気味こきみく舞い踊る白き麗影れいえい──存在しないはずの足場・・・・・・・・・・が存在している。

 万能的ばんのうてきに魔術を発現出来るとはいえ、魔術師や魔女は大別的たいべつてき種族分類しゅぞくぶんるいでは〈人間・・〉だ。根本こんぽんから〈魔物・・〉たる吸血鬼とはことなる。ただ超自然的スーパーナチュラル行使術こうしじゅつけているに過ぎない。

 魔術によって飛行能力を得ていても、それはかり付随ふずいの能力──不可視ふかし翼上つばさじょうすがり立っているのと変わらぬ。

 対して吸血鬼のそれ・・は、地上を歩行するのと大差ない通常動作だ。存在自体が〈翼〉と言ってもいい。

 結局〝鳥の翼〟と〝イカロスの翼〟では、根本的に雲泥差うんでいさがあるという事だ。

「……もとより空中戦で渡り合おうとは思っていない」

 邪瞳じゃどう策謀さくぼうゆがんだ。

「サラムプリズモルグ!」

 二指にしを立てた手を肘折ひじおりに突き上げる!

 カーミラの周囲に砕けたのこ達が、一際ひときわ大きく息吹いぶきよみがえらせた!

「何ですって?」

 炎ははしらのぼり、小鳥を捕らえる!

 灼熱しゃくねつおりだ!

茨鞭いばらむちでは……無理そうね」

 実体無き元素を斬り裂けるわけがない。

 下手をすれば、武器の方がちてしまう。

 魔術師がほのお格子ごうし前まですべり来た。

「……対決早々そうそうに動き回るべきだったのだ、キサマは」

「あら、今頃御忠告ごちゅうこくかしら?」

「エリザベート戦で見せた戦法は知っている。その機動力を封じれば、脆弱ぜいじゃく金糸雀カナリアだ。それに──」眼下がんかの決闘を一瞥いちべつする。「──今回はカリナ・ノヴェールの助力じょりょくも期待出来ない」

 唯一ゆいいつの不確定要素があるとすれば例の〈死神〉だが、ニタリ顔は向けられた視線におどけて肩をすくめるだけ。宣言通り、介入する意思は無さそうだ。

 関心を虜囚りょしゅうへと戻す。

「キサマをほふり、ジル・ド・レへと荷担かたんすれば事が終わる」

「ジル・ド・レ卿は、それを望んではいなくってよ?」

「……関係無い」プレラーティの冷酷なる真意。「思惑おもわくは〈吸血鬼勢力ノスフェラン・クロイツの壊滅〉にある。あの男の意向など眼中に無い」

ていよく利用したってトコかしら?」

「……如何いかにも」

「ひとつだけいてもいいかしら? できるだけ疑問は残したくないの」

「……何だ?」

 虜囚りょしゅうが無力化したとんだか、返す抑揚よくようは高圧的だ。

貴方あなた同胞どうほう〈魔女ドロテア〉は何処かしら?」

 名を聞いた途端途端とたん、プレラーティは嘲笑ちょうしょうふくむ。

「クックックッ……まだ気付かんのか、カーミラ・カルンスタイン」

 直後、魔術師が幻像げんぞうかすんだ。

 さながら残像効果のように姿形すがたかたちゆがみ、一回ひとまわり小さな体躯たいくが重なる。

 やがて陽炎かげろうおさまると、実体となったのは小柄な身体からだの方であった。

貴女あなたは──魔女ドロテア!」

 仇敵きゅうてきを前にしたカーミラが、思わず驚愕きょうがくの声を上げる。

 同時に、万事ばんじ合点がてんがいった。

 何故、こうも続けて謀反むほんしょうじたのか?

 何故、魔女と魔術師の手口てぐちが似ていたのか?

 策謀者さくぼうしゃは二人ではない──最初から一人・・だったのだ!

「暗躍がための〈性転換魔法〉だ。われは〝プレラーティ〟であり〝ドロテア〟でもある」

「どちらが〈正体・・〉なのかしら?」

「さてな……あまりにもなが歳月ときを掛け持ちした。最早もはやわれにも判らぬ」

「ジル卿やエリザベートの生前から、今回の根回しを? そうは思えないけれど?」

「生前の奴等やつらに接近したのは、単に〈〉を堕落だらくさせるためだ。さすれば、契約悪魔への献上品けんじょうひんとなる。おかげで多彩な魔術もさずかった。されど〈一級魔術師〉にはあと一歩いっぽといったところか……まだまだりぬ」

「あ……貴女あなたは……自身の魔力向上のためだけに、彼等かれらの〈魂〉を魔界へとおとしめたと言うの!」

我等われら〈魔女〉にとっては〈魔術・・こそが総て・・・・・。行使魔術が強大であればあるほど、その地位と権限は大きくなる」

 カーミラの胸中きょうちゅう嫌悪けんおつのる!

他人ひとの〈〉を何だと! その〈〉と〈〉を!」

愚直ぐちょくだな。われ奴等やつらうちくすぶを解放させてやったに過ぎん」

「もう、いいわ」

「……辞世じせいは満足したか」

「ええ。もう何も語らなくていい。聞くにえないみにくさですもの」

 我慢していたいきどおりを解放し、白い外套マントが踊り狂う!

 優美な回転に舞う白い波!

 自らを軸とした吸血姫きゅうけつきの円心は、みるみる加速を上げていった!

「な……何をしようという! カーミラ・カルンスタイン!」

 高速自転が続く!

 すでに実像が捕らえられない!

 炎の牢獄ろうごくには白き竜巻があばそだっているだけだ!

辞世じせいんだ──けれど、それは貴女あなた辞世じせいよ!」

 気流の暴力がふくれていく!

 自身もまれそうになりながら、ドロテアはこらえる!

 そして、炎のいましめがはじけた!

「……クッ?」

 しずまる台流たいりゅうたたずみ、白い麗姿れいしたねかす。

「精霊魔法にて〈火〉を相殺そうさつするのは〈水〉のみ──その概念がいねんに捕らわれ過ぎていたようね。確かに〈風〉は〈火〉を助長じょちょうする。けれど、圧倒的に過剰かじょう暴風ぼうふうなら、どうかしら? 今回は暴飲暴食ぼういんぼうしょくが過ぎた……許容量越えキャパシティーオーバーよ!」

「キサマ、最初から抜け出せる算段を?」

「ええ、少しでも情報を収集したかったの」

 にこりと微笑ほほえ貞淑ていしゅく

 実力に裏打ちされた余裕であった。

「それじゃあ、先程さきほど御忠告ごちゅうこくしたがうわね!」

 白い翼が疾風しっぷうと舞い飛ぶ!

 エリザベート戦で見せた厄介やっかい攪乱かくらん戦法だ!

「ラジュガ・ミフェ・ディーヨ──」

 早口な呪文詠唱じゅもんえいしょう

「──マヴォラ!」

 魔女の姿が三人と増えた!

 三人が五人となり、五人が十人となる!

「分身魔術?」

「間抜けなエリザベートと同格にあなどるな。みすみす標的ととどまる気は無い」

まとが増えたなら、そのすべてをつぶせばいい!」

 気迫をえるカーミラ!

 白き疾風しっぷうが、茨鞭いばらむち連撃れんげきを乱発する!

 次々とつらぬかれていく幻影げんえい

「な……何っ? 力押ちからおしを!」

 カーミラの戦闘能力を改めて脅威きょういに感じる。

 脅威きょうい

 いな、これは〈恐怖・・〉だ!

 真正しんせい魔性ましょう対峙たいじした人間の・・・恐怖・・〉だ!

水泡すいほうしてなるか! 今回の戦乱は、大きなチャンスなのだ! これだけ大量のにえささげれば〝次期魔女王〟の座すら掌握しょうあく出来るかもしれんのだぞ!」

「それが貴女あなたの〈目的〉……そんな下らない事・・・・・が!」

「キサマには分かるまい! 強大無比な魔力に恵まれたキサマに、我等われら〈魔女〉がさいなまされる積年せきねん渇望かつぼうは!」

 しいたげられてきた歴史を思い起こす。

 迫害はくがいの痛みを忘れてはいない。

 そして、まわしき〈魔女まじょり〉の暴虐ぼうぎゃくを……。

貴女あなたにも〈吸血鬼〉の虚無感きょむかんは判らない!」

「生まれながらにして祝福しゅくふくされし者が! よくもほざく!」

 ドロテアはさらなる呪文を詠唱えいしょうした!

 しかし──!

「そこォーーーーッ!」

「かはっ?」

 魔術発現と紙一重かみひとえで、渾身こんしんの一撃が本体ドロテアの腹を貫通かんつうした!

 飛行魔術の集中も乱され、無様にちていく!

 墜落ついらくさまを滞空静止に見下みくだし、カーミラは魔女の敗因を指摘した。

「動作は真似マネ出来ても、呪文詠唱そのもの・・・・・・・・は出来なかったようね……魔力蓄積まりょくちくせき呪文発声じゅもんはっせいは〈本体〉である貴女だけ・・・・だったのよ」

 同情などいだく必要は無い。

 狡猾こうかつなる〈魔女〉は私利私欲しりしよくために、あまりにも多くの犠牲をにじってきた。

 エリザベート──ジル・ド・レ──そして、カーミラが温情をかたむける〈人間〉達を。

 テムズ川がけがらわしい水柱みずばしらげる。

「わたしと踊ろうなんて百年早かったようね」



「おい、従者じゅうしゃったぞ」

「プレラーティの愚か者が……カーミラ・カルンスタインをあなどったな」

 遠方えんぽうに起きた黒い水柱みずばしらに、カリナとジルは戦況の進展を把握はあくする。

 魔力の源泉げんせんを失い、周囲の屍兵ゾンビが〈死体〉へとかえっていった。

 とはいえ、どうでもいい。

 両者の目が捕らえているのは眼前の敵のみ!

 叩き折りたい敵刃てきじんのみ!

 手数は圧倒的にカリナの方が多い。

 それらあか閃光せんこうを確実にはじふせぎつつも、ここぞとばかりに重い一撃を繰り出すジル・ド・レ。

 突発的にまれせま剣圧けんあつを、黒姫くろひめ輪舞ロンドの如き体捌たいさばきでわし続けた。

 目まぐるしい一進一退いっしんいったいきざまれる。

鬱陶うっとうしい相手ヤツだ。さっさとくたばれよ」

「死すべきは貴様よ!」

 騎士の剣が大きく振り上げられた!

 小競こぜいを無視した力任ちからまかせだ!

 密着した状態では、如何いかにカリナでも離脱回避りだつかいひなどできない!

こうからめるか!」

「それしかなかろうよ!」

 広刃こうじん細刃さいじんがぶつかり合い、つばいの態勢たいせい余儀よぎなくいられる!

 男と女の差は、カリナにとっていささか不利に働いた。ちから体躯たいくも……だ。

 それでもとどまるだけの技量は、戦闘慣れした実体験からか──あるいは意地か。

「惜しい……実に惜しいものよ」

「あんな大振りが惜しいものかよ」

「そうではない。以前も言ったが……何故、貴様のような傑物けつぶつが〈女〉の身に生まれたのか? それが実に惜しいのだ」

「また、それか。何か〈女〉にトラウマでもあるのかよ」

 吸血姫きゅうけつき辟易へきえきびた蔑笑べつしょうを返す。

「貴様程の実力があれば……貴様が〈男〉であれば、が片腕にもさそえたものを」

「いいや、そうはならんさ」

「何?」

「暑苦しいジジイのおりなど、私が御免ごめんこうむるからだ!」

 わずかに魔剣を引き、均衡きんこうくずした!

 きょを突かれグラついた鎧を渾身こんしんる!

 その勢いを加味して、カリナは大きく退すさった!

 再び得た間合いに黒い翼をふくらませる!

「またも飛ぶか!」

「腹立たしいなら飛んでみせろよ」

 黒き矢が天をす!

 みずからを回転軸とした螺旋らせん上昇じょうしょう

 ふたつの高速運動をひとつの力点りきてん転化てんかし、カリナは黒槍こくそうと飛ぶ!

「一撃必殺と穿うがつ気か!」

 旋回せんかいに迫る黒渦くろうずにらえ、ジル・ド・レは迎撃を構えた!

 狙うは軸芯じくしん……真紅しんくさきだ!

 迫り来る数秒が数分にも感じられた。

 れる──次の一撃が決着の瞬間ときだと確信するからこそれる!

 うなたけ螺旋らせん射程しゃていへと入った!

けぇぇぇーーーーィ! カリナ・ノヴェェェーーーール!」

 全身全霊を込めた剛剣ごうけんの突き!

 雄々おおしくもたくましいやいばが、美しき吸血姫きゅうけつき脳天のうてんをブチ抜く!

 死の瞬間に見開かれるまなこ

 あらぶる魔姫まきつらぬいた──ジルがそう思えた瞬間、眼前に在った亡骸てき霧散むさんして消えた!

瞬間しゅんかん霧化きりかだと!」

「……此処だよ」

 めた警鐘けいしょうに視線を落とす。

 くろ外套マントふところもぐんでいた!

 繰り出す突きに身を乗り出した体勢へと!

「実体化を?」

「遅い!」

 対応するすきも与えず、あかい牙が騎士をつらぬく!

 前屈みゆえに無防備となった喉笛のどぶえへと!

「吸えぇぇぇええ! ジェラルダイィィィイイン!」

 雄叫おたけびをえ、全身の力で突き上げた!

 百舌もず早贄はやにえの如く、串刺くしざし刑とさらされる吸血騎士!

 鮮血せんけつ噴霧ふんむえる魔剣のシルエットは、皮肉にも〈逆十字〉に見えた。

 彼等〈不死十字軍ノスフェラン・クロイツ〉のシンボルに……。




 白い空間に優しく包まれ、ジル・ド・レの意識は走馬燈そうまとうながめる。

 痛みも恐怖も無い。

 ただ胎内回帰たいないかいきにも似た安らぎだけが在った。



 旧暦一四〇四年──フランス名門貴族の家系にて、彼は生まれた。ざいも人脈も恵まれた環境である。

 当時、フランスは百年戦争の渦中かちゅうに在った。

 日々ひび何処かで戦火が上がり、日々ひび何処かではかない命が散った。戦果と落とされる貧困は人心じんしんむしばみ、国内情勢も不安定におちいっていた。明日あすへの希望は陽炎かげろうの如し。

 ジルの幼年期も、そうした情勢にあった。

 両親からあつい信仰心を受け継いだ少年は、そうした世相せそうに心を痛め続ける。

 だから、決意をした──大人になったら、この戦争を一刻いっこくも早く食い止めよう……と。

 その瞳はまだ純粋で、まぶしい希望に満ちていた。



 旧暦一四一五年──最愛なる母がった。

 ジルが十一歳の頃である。

 母は病弱な人であった。

 されど、無力な自分がしてやれる事など無い。

 ゆえ日々ひび祈り続けた。

 神へとすがった。

 だが、結局は無駄であったと思い知る。

 続けて、父がった。

 戦死だ。

 口々くちぐち名誉賞賛めいよしょうさんされようと、それが何になろうか。

 少年に与えられた神の見返みかえりは、理不尽な無情のみ。

 後見人こうけんにんに引き取られる中、彼の瞳には〈〉が芽生めばえ始めた。

 あつい信仰心は一転して、神への憎悪ぞうおへと推移すいいする。

 だから、少年は信仰をてた。

 救済無き信仰など〈呪い・・〉でしかない。



 旧暦一四二九年──百年戦争へと参加する。

 看過かんか出来ぬ戦況に自警団じけいだん旗揚はたあげした。

 私兵しへいとはいえ、局地戦きょくちせんける貢献度こうけんどは大きい。

 フランスのためでは無い。

 苦しみあえぐ民衆のためだ。

 そんな中で、後々のちのちまで彼の人生観を決定付ける存在にめぐり会う。

 オルレアンの野原で出会った娘は、みずからが受けた〈神託しんたく〉を粛々しゅくしゅくと語り聞かせた。

 さすがにいぶかしんだが、一応は国王への謁見えっけん御膳おぜんてしてやる事とする。

 そこで少女は〈奇跡・・〉を見せつけた。

 謁見えっけんした王が偽物にせもの見抜みぬき、傍聴ぼうちょうへとかくまぎれていたシャルル七世を見事に言い当てたのである。初面識はつめんしきにもかかわらず……だ。

 少女を間者かんじゃうたがったがゆえ奸計かんけい──それを知るのは立案者りつあんしゃである国王シャルル自身と、ジルを含めた宰相さいしょう達のみ。

 何故、それが看破かんぱされたのか?

 もはや〈かみ御使みつかい〉としか思えなかった。

 聖少女ピューセル〝ジャンヌ・ダルク〟との邂逅かいこう──それは喪失そうしつした信仰心を取り戻すに充分過ぎた。



 旧暦一四三一年──百年戦争末期、むべき魔女裁判。

 激しい混戦下での撤退とはいえ、実に不覚であった。

 心酔しんすいするジャンヌ・ダルクが、事もあろうに敵陣てきじんへと取り残されたのである。

 狼狽うろたえながらも、ジルには希望もあった。

 英仏間の戦争協定により、保釈金を払えば捕虜は取り戻せたからである。

 イギリスより提示された保釈額は、決して払えぬ額ではない。

 にもかかわらず、祖国フランスは拒否した。

 救国きゅうこく英雄えいゆうを見捨てたのである。

 この一連いちれん失望しつぼうした彼は、表舞台おもてぶたいから姿を消した。

 信仰も愛国心もてて……。

 隠遁いんとん生活の中で魔術師プレラーティが訪れたのは、これよりわずか数年後の事である。



「フフフ……思い返せば、実に波乱な人生であったな」

 乾いた笑いにおのれなぐめる。

 遠くからおだやかな安らぎが近付いて来た。

 母だ。

 おさなくして死に別れた母が、いつくしむ微笑ほほえみを向けている。

 ひさしく忘れていた膝枕ひざまくらぬくもり……子守歌こもりうたのように頭をでる細指ほそゆび──ジルは童心どうしん想起そうきする。

「ああ、そうであったか……ワシが本当にころしたかったのは──」

 ──自分自身・・・・

 ──おさなき日の無力な自分。

 ──いとしい母を救えなかった後悔。

 ようやくジルは、おのれの真実へと辿たどいた。

 殺したかった自分・・・・・・・・を、児童じどうへの拷問行為ごうもんこういえていたのだ……と。

「……いても戻らぬ」

 時間も、経歴も、子供達の命も……。

 ひたすらにいとしくが子をで、母はうなずいた──ジル、もういいのよ。

嗚呼ああ……母よママン

 慕情ぼじょうに差し出した手が、されど届く事など無い。

 慈愛じあいに満ちた母は天国へとみちびかれ、血塗ちぬられた自分はかえるのだから。




 闇空あんくう凝視ぎょうしころがる亡骸なきがらへと、勝者しょうしゃは静かに語り聞かせる。

「最初から瞬間しゅんかん霧化きりかだったのさ。そのほか大技おおわざは、派手はでおとりだ」脇腹わきばらきずを、鈍い苦痛に押さえた。「もっとも精神集中がままならぬ実戦下では、私にしてもけではあったがな」

 それを易々やすやすせるカーミラの実力を、改めて噛み締める。

 視野しや片隅かたすみ霧散むさん消滅しょうめつが始まる。

 カリナは無関心にきびすを返し、そのさま見届みとどけようとはしなかった。

 好敵手に対する、彼女なりの手向たむけである。

 死霧しぎり闇空あんくうへと拡散かくさんし、誇り高い鎧と剣だけがのこった。


 闇暦あんれき三〇年──ジル・ド・レ、死す。

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