醒める夢 Chapter.6

 ロンドン塔敷地内にはいくつかの城搭じょうとうそびえている。

 双色そうしょく吸血姫きゅうけつきが連れられた場所は、その内の一つ〝ブラッディ・タワー〟であった。

「ずいぶんとカビ臭い場所だな」

 カリナの毒突きを拾い、カーミラが簡潔な説明をはさむ。

「この塔は、かつて拷問処刑場でもあったの。ゆえに現在でも、多くの拷問器具が眠っている。闇暦あんれき現在では利用されてないけれどね」

「ィェッヘッヘッ……そいつは、どうかねぇ? ま、お楽しみって事で……おおっと、此処だ此処だ」

 ようやく目的の部屋へと到着し、いやしい案内人はきしみ鳴く扉を開いた。

「こ……これは!」

 あまりの惨状に言葉を失う吸血姫きゅうけつき達!

 霊気と冷気がとどこおる蒼い石室せきしつ──時代ときの眠りから再利用された痕跡こんせきを赤々と刻む拷問器具の数々──そして、処狭ところせましと散乱する死体の山!

 子供! 子供! 子供! 子供! 子供!

 吸血鬼ですらせるかと思えるなまぐささが部屋中に充満していた!

「これは……まさか、ジル・ド・レ卿が?」

 思い当たる吸血騎士の性癖せいへきに、カーミラは絶句した!

「ま、そういう事らしいな。いつから再発したかは知らねぇが……おっと、コイツだコイツ」

 室内を慣れて探る死神が一人の子供の前でまる。

 見覚えのある少年であった!

「この子は……っ!」

 驚愕するカーミラ!

 居住区で出会った少年リックだ!

「何故、この子が此処に?」

「ィェッヘッヘッ……さらったのは〝魔女ドロテア〟さ」

「まさか、ジル・ド・レ卿と魔女は通じていたの?」

「いんや? あのショタコン騎士と魔女は通じてねぇよ。けど、まあ〈魔女・・〉とは通じてねぇが〈魔術師・・・〉とは通じていたってトコかねえ? ィェッヘッヘッ」

 ゲデの示唆しさは意味が判らない。

 判らないが……少年を守れなかったという後悔の念だけは、獄刑ごっけいのように彼女達を痛ぶった。

 この少年だけではない。むごたらしい部屋でもてあそばれた幼きいのち──その全てに対する懺悔ざんげだ。

 虫の息であえぎながら少年の瞳は縋っていた。

 自責に拘束されたカーミラを余所よそに、カリナが少年の脇へと歩み寄る。

「何が言いたい?」

 片膝かたひざきにのぞき込み、優しい瞳でたずねた。

「ゼェ……があ……ちゃ……」

 言葉をつむげぬもどかしさに幼い腕が伸びる。体を動かす事など叶わないというのに……。

 懸命けんめいうったええようと震える手を、黒姫くろひめの両手が柔らかくつつみ込んだ。

「心配するな、オマエの母は無事だ」

 苦しみあえぐ少年の顔が安堵あんどを覚える。

 母親が死んでいるか生きているか──真実は知らない。

 それでもカリナは、そうげた。

「オイ……ラ……どうじで……ごんな……?」

「……私の強さは知っているな?」

「う……ん」

「なら、安心して待っていろ。吸血鬼如き、敵ではない」

「……うん」

 苦しそうに、嬉しそうに、命が微笑ほほえんだ。

 れた母性が優しくでる。

 直後、少年が吐血とけつせきんだ。

 最期さいごは近い──だからこそ、カリナはていする。

「ひとつだけ選ばせてやる……私と共に生きる・・・か?」

「ぎゅ……げづぎ?」

「ああ」

 事のきをカーミラはもくして見守る。

 その確固たる眼差まなざしは、この後の展開を信じているかのようであった。

「どうする? 私と共に来れば、そんな苦しみからは永遠に解放されるぞ?」

 されども、少年は困ったように首を振る。

「ううん……があちゃ……の……子……いい……」

「……そうか」

 黒の吸血姫きゅうけつき慈愛じあい微笑ほほえんだ。

 予想通りの返事であった。

 望んだ答えであった。

 少年のまぶたをそっとじると、凛然とした所作しょさにカリナは立ち上がる。

 おごそかに引き抜いたあかやいばが小さな胸へとさきさだめた。

「私を信じろ。痛みなど無い」

 そして、魔剣は墓標ぼひょうとなり、幼い命を生き地獄から解放した。

 約束通り、一瞬たりとも痛みなど与えずに……。



 暗い静寂──。

 またひとつ命がった。

 たった数時間で、とうとき魂が続けてった。

 重い現実だ。

「さて……と、じゃあ約束通り教えてやるかね。お嬢の過去を──」

 頃合ころあいを見計みはからい、ゲデが切り出す。

「アンタはカルンスタイン令嬢が言う通り〈ジェラルダインの血統けっとう〉だ……って、それはいいか。聞きてぇのは、そっから先だろうからよ。ま、百聞ひゃくぶん一見いっけんにしかずってな。直接見た方が早ぇ。オレの手間もはぶける」

「直接見る? どうやって?」

 怪訝けげんを浮かべるカーミラに、酒瓶さかびんあおりの優越が答える。

霊視・・共有・・してやるって話よ。コイツもまた、出血大サービスだ……ィェッヘッヘッ」

 そして、ゲデのいやしい目は目映まばゆくも毒々どくどくしい赤光せっこうはなち、吸血姫きゅうけつき達を悪夢へとみ込んだ。




 旧暦きゅうれき中世、イギリス・ウェールズ地方に存在したしがない・・・・田舎村──。

 風そよぐ小高い丘にカリナ達は降り立った。

 空は清々しいほど青く、萌える草花は健全な生を息吹いぶいている。足下あしもとの緑が風にでられるたびに、ほのかに甘い香りが鼻腔びこうくすぐった。ラベンダーの香りだ。見渡せば遠景に山々が見え、丘陵きゅうりょうを越えた先には質素な集落が日常をいとなんでいた。

「なんだか懐かしいわね、この正常な光景は……」

 周囲の情景を展望したカーミラが、しみじみと懐古にひたる。

「どうやら村のはずれか」

 呟いたカリナは奇妙な違和感を覚えた。

 おのれの両手を視認し、さらに全身をながまわす。

 まるで幽霊ゴーストのように自分自身がけていた。

 いや、彼女だけではない。カーミラも、ゲデも──全員が霊体化しているではないか。

「幽体化した覚えはないが……」

 途惑とまどいを察知した案内役が、安い優越感で教示する。

現状いまのオレ達は〝時空を越えた意識体〟そのものだ。ただ眼前がんぜんの出来事を鑑賞するだけ……どう逆立ちしても史実に介入できないようになってるのさ。つまりは〝時空の摂理〟ってヤツだ。ま、アチラさん・・・・・コチラ・・・を見る事が出来ねぇがな……おおっと、来た来た」

 急に身構えるゲデの注視を追った。

 一人の娘が丘を登って来るのが見える。

 純白ドレスに、花摘はなつみのバスケットケース。赤い髪はツインテールにまとめられていた

 その少女を見るなり、吸血姫きゅうけつき達に衝撃が走る!

 とりわけ、カリナの驚愕は殊更ことさらに強い!

「アレは……?」

「この村の領主〝アンカース家〟の娘──それが生前のアンタ・・・・・・だよ」

「なるほどな。だから、キサマは〝お嬢・・〟と呼ぶ……か」

「まあな」

「に、しても──」過去の〝自分・・〟を、まじまじと観察する。「──まるで真逆まぎゃくだな。実感がかん」

 自嘲じちょう苦笑にがわらう。

 どちらかと言えば、カーミラりのお嬢様だ。

 なまぐさい生き方に身を投じる自分と同一人物には思えない。世間知らずがにじみ出た雰囲気は、むしろイケ好かないぐらいだ。

 花摘はなつみにすわるアンカース令嬢が、ふと背後へと気を取られる。誰かを待っているかのようだ。

 小さな人影が、せっせとけて来た。

 その姿を視認した瞬間、カリナは絶句にかたまる!

「まさか……レマリア?」

 絞り出した声が震えていた。

 懐かしさと、さびしさと、いとしさと、哀しみ──鎮静化ちんせいかしていたすべての感情が息を吹き返す。

「レマリアーーーーッ!」

 思わず駆け出していた!

 感情に支配されるままに!

 ただいとしさのままに!

「ああっと! 待てよ、お嬢!」

 制止の声など知った事ではない!

 歴史の改変が、どうした!

 あのぬくもりと安らぎが再び得られるなら、時空神クロノスにさえつばこう!

 けて来る我が子を片膝かたひざきに待ち、抱擁ほうようせんと両腕を広げた。

「此処だ! 私は此処にいるぞ、レマリア!」

 されど屈託のない笑顔は、びる母性をけていく。

「もう! わたし、まってっていったのよ!」

 満面の笑顔で幼女が抱きついたのは〝忌まわしき吸血姫きゅうけつき〟ではなく、清廉貞淑せいれんていしゅくな〝アンカース令嬢〟であった。

「おねえちゃん、ズルい! わたし、こどもなのよ! おそいんですからねーだ!」

「うふふ、ごめんなさいね。さあ、ふくれてないでこっちへいらっしゃいな。ダリヤやラベンダーが一杯よ?」

「わあ、ほんとなの! これ〝おはなばたけ〟なのよ?」

「そうよ? 綺麗でしょう」

「うん、きえいね」

 噛み締める虚無感きょむかんには、背後から聞こえる微笑ほほえましいたわむれが残酷だった。あまりにも残酷過ぎた。

 現実の無情を突きつけられたくろ外套マントを、ゲデがあざけわらう。

「ィェッヘッヘッ……だから言ったじゃねぇかよ? オレ達ァ〝時空を越えた意識体〟そのもの。過去には介入できねぇんだよ」

「……分かっている」

「意識体が抱擁ほうようしようなんざ笑っちまわぁ。してや相手は過去の史実・・・・・に過ぎねぇ。金縛りにすら出来ねぇよ」

「分かっていると言っている!」

 癇癪かんしゃくのままにえた!

 さぞかし失意に沈んでいる事だろう──いやしい下衆ゲス根性こんじょうは、それを期待してほくそ笑む。

 しかし、立ち上がった美姫びきは、意外にも気丈きじょうたもっていた。

「そうか……あの子供が〈レマリア〉の前身ぜんしんか」

「ありゃ? 思ったよりも平然としてやがらぁ」

のままにならぬ現実など、とっくに受け入れている」

「クソッタレなタフさな事で」

 正直、カリナにしても平気なわけではない。

 傷心しょうしんえてなどいなかった。

 むしろ一生いっしょうぬぐえぬ。

 それでも、受け止めるだけの強さ・・を学んだ──いや、ふたつのとうといのちによってさずけられた。

 後は〈現実〉にまれるかいなか……それだけの話だ。

 無論、言うほど簡単ではないが。

「……あの二人、姉妹なのか?」

「ああ、あのチビスケはアンカース令嬢の妹──つまり〝生前のアンタ〟の妹さ」

「……そうか」

 実感をともなわないおもながめ続けた。

 心を満たしてくるのが〝嬉しさ〟なのか〝寂しさ〟なのかは、彼女自身にも判らない。



 月明かりがテラスから射し込む。

 穏やかな気候だ。寝苦しさは無い。

 にもかかわらず、アンカース令嬢は寝汗にむしばまれ苦しんでいた。ネグリジェを乱し、苦悶くもんあえぎ続ける。

「ぅぅ……ぁぁ……ハァ……やめ……て」

 なまめかしく悩ましいさまは、まるで夢魔インキュバス夜這よばいにっているかのようであった。

 そのはずかしめを、カリナ達はベッドのかたわらたたずんでながめた。

「……どういう事?」

「それはどちらの意味だ、カーミラ?」

「どちらも……よ、カリナ。わたし達はさっきまで花香はなかお丘陵きゅうりょうに居た。けれど、気がつけば此処にいる──時間帯も変わってね。それに……」苦しみもだえ続ける寝姿ねすがたを心配そうに見つめる。「生前の貴女あなた、とても苦しそう。この苦しみ方、ただの〝悪夢ナイトメア〟じゃなくってよ?」

「ああ、微弱ながら魔力を感じる。のこにも近いものだがな」

 彼女達〈吸血鬼〉が吸血行為にかよさい、似たような事象を獲物へとす事がある。相手に催眠効果を及ぼし、夢幻むげんの中でむさぼるのだ。常套じょうとう手段しゅだんのひとつだ。

 眼前がんぜん痴態ちたいは、それと同じ臭い・・がした。

「さて……と、まずは軽く説明してやるかねぇ?」

 耳障みみざわりな濁声だみごえが、揚々ようようと解説を名乗り出る。

「まずは〝時間と場所の推移すいい〟だが、コイツは自然としょうじるのさ。時間じくは〝生前のお嬢〟で、観察対象は〝吸血姫きゅうけつきへと変貌へんぼうした経緯けいい〟だ。それを基準としてながめているわけだから、関係事象だけをピックアップして過ぎていくって寸法すんぽうさな。そうでもなきゃ、一生分いっしょうぶんの時間経過を付き合わなきゃならねえ。クソ長ぇ駄作ださく映画のれ流しみてぇなモンだ。とてもじゃねぇが、オレでさえ御免ごめんだね」

 実体無き葉巻はまきを深く吐いた。

「で、お嬢を気持ちよ~くもだえさせている──」カリナの殺気さっきを感じ、たのしげに言い直す。「──苦しめている〝悪夢ナイトメア〟だが、いまは野暮やぼに語らねぇよ。それこそが今回の〝〟だしな。ただし、相手はチンケな・・・・夢魔・・〉なんかじゃねぇ。それだけは教えといてやらぁ」

「ハァ……ぃゃ……ぃゃ……」

「この現象は毎夜続き、日毎ひごとに強くなっている。今晩で五日目あたりかねぇ?」

「ぅぁぁぁあああーーーーっ!」

 突然、アンカース嬢が絶叫にねた!

 それは絶頂にも悲痛にも似た叫び!

 呼応するように、吸血姫きゅうけつき達は真っ赤な波動を感じる!

 カーミラは身に覚えがあった。

 魔剣を手にした時の荒れ狂う波動だ。

 ただし圧迫感は、あの時の比ではない。

「こ……この波動は?」

「まさか〝ジェラルダイン〟か?」

「イヤ……イヤァァァアアーーーーッ!」

 悪夢の餌食が激しく乱れ苦しむ!

 と、赤き圧迫が次第にしずまっていった。

 汗塗あせまみれに紅潮こうちょうしたアンカース嬢は、荒息あらいきながらに軽く痙攣けいれんしている。

「ィェッヘッヘッ……果ててやんの」

「……殺すぞ、キサマ」

 いつもよりも気色悪く感じるニタリ顔を、カリナが殺気任せにめつけた。

「けれど、これでハッキリしたわね。生前の貴女あなた魅入みいっていたのは──」

「──ああ、間違いなく〝ジェラルダイン〟だ」

 カーミラの演繹えんえきを、カリナが忌々いまいましげに噛む。

 ややあって、アンカース令嬢が起き上がった。

 その表情に自我はうかがえず、うつろな瞳はほのかに赤くともっている。

「やはり〝催眠効果〟を植え付けたかよ」

「いいえ、カリナ。どちらかと言えば、これは〝遠隔支配〟だわ。何故なら〝ジェラルダイン〟自身は訪れていないのですからね」

「さすがは〈原初吸血姫デモン・ヴァンパイア〉だ。たいした〈怪物・・〉だよ」

 皮肉を吐き、柘榴ザクロかじった。

 アンカース令嬢が虚脱的にすべり出たのは、夜風吹き抜けるテラス。

「いよいよ迎えに来るのかしら?」

「オマエなら、そんな面倒をくか?」

 カリナの指摘に、カーミラは苦笑にがわらいで首を振る。

「いいえ、あそこまであやつれるなら、呼ぶ・・わね」

 観察対象が芝庭しばにわへと跳んだ!

 まるで猫のように、しなやかな身のこなしで!

 二階の高さから物音ひとつ立てずに!

「あら、この頃から体術に覚えがあって?」

「……なワケあるかよ。どう見ても、アレ・・は運動音痴な箱庭はこにわいだ」過去の自分を誹謗ひぼうするのは、なんとも奇妙な感覚だ。「遠隔支配で身体能力までコントロールしてやがる。まさに〈怪物・・〉だな」

 思わず腰の魔剣へと警戒心を向けていた。



 白い夢遊病が辿り着いたのは、閑散とした石造りのであった。奥には祭壇のような角石かくせきが祭られており、一振ひとふりの剣が気高く突き刺さっている。

 魔剣〈ジェラルダインの牙〉だ。

 その前まで進むと、アンカース嬢は崩れ落ちた。

 様子を見る意識体が気配すらまずに会話する。

「おい、ゲデ……此処は何だ」

「此処は〝ジェラルダインの墓〟だな」

「……何?」

「人も寄りつかねぇ墓地裏ぼちうら雑木林ぞうきばやし──そこには見つけにくいほこらがあってな。ま、あるいは魔力で見つからねぇようにしてる・・・・・・・・・・・・のかもしれねぇが……ともかく、その中だ」

「じゃあ〝ジェラルダイン〟は、この村で最期さいごを?」

 食いついてきたカーミラを一瞥いちべつすると、葉巻はまきかしの物臭ものぐさが答える。

「さあねぇ? あるいは此処で一度死んで、また復活した可能性はあるが……相手は〈伝説上の怪物・・・・・・〉だ。オレとは存在自体が格違い。その真相詳細なんか把握はあく出来ねぇよ。何にせよ、此処に〝ジェラルダインの想い〟が強くのこされているのは事実だがな」

 アンカース嬢が朦朧もうろうとする意識を起こした。

 眼前がんぜんに構える剣を認識した途端とたん、その表情がこわばる。

「アナタなのね……毎晩、私を苦しめているのは!」

 わなわなと抗議の声音こわねを震わせているのが、怒りか恐怖かはさだかにない。

「何故? 何故、私を苦しめるの? アナタとは会った事すら無いというのに!」

 傍目はために不可解な状況であった。

 彼女の反発は魔剣へと向けられたものではある。

 しかしながら、その口調や態度は明らかに〝〟へと向けられたものではない。目の前に居る〝何者か・・・〟へと向けられたものだ。

「どういう事かしら?」

「おそらく見えている・・・・・のさ。いや、見えるようにされている・・・・・・・・・・・のかもな」

「それって〝ジェラルダイン〟の魂?」

あるいは魔剣に巣食すくう残留思念だ。どちらにせよ〝選ばれた〟って事さ……クソ忌々いまいましいがな」

 哀れなにえの抵抗が続く。

「なんでよ! なんで毎晩『血を吸え』といるの! そんな異常で恐ろしい事を、私にさせようとするの!」

 愁訴しゅうそが涙をふくんでいた。表情も感極かんきわまりつつある。

「アナタは恐ろしい精神異常者よ! そして、私にも一線いっせんを越えさせようとしている! 悪い仲間に引き込もうとしている!」

 必死な無力をながめ、黒の実力者が零した。

「どうやら相手を〈吸血姫きゅうけつき〉とまでは認識していないようだ。まだ〈人間の異常癖性者〉だと勘違いしてやがる」

 われながら馬鹿らしい白痴はくちさだ。情けなくて笑えてくる。

「私は狂ってなんかいない! 血を飲みたいなんて思ってない!」

 一心不乱に頭を振って、否定し続けた。

 それが何にもならぬ事を〝カリナ・ノヴェール〟は知っている。

血液嗜好症ヘマトディプシアは無かったのかしら? 強引に〝ジェラルダイン〟から植え付けられた?」

「いや、潜在的に有ったはずだ──何せ〈血統けっとう覚醒かくせい〉だからな。さもなくば、魂の共鳴など起きん。その現実を直視出来ず、駄々に拒絶しているだけさ」

 とはいえ、それは〈〉で在り続けるには大事な線だ。

 屈した者こそ〈外道げどう〉へと堕落だらくする。

「もう、やめてよ! 父様も、母様も、村の人達も……そして、レマリアさえ──大事な人が、みんな美味おいしそうに見えるの! その肌の下に熱く赤い物が流れていると思うと、食らいつきたくなるほどかわくのよ!」

 アンカース嬢はうずくまり、苦しみの吐露とろすすり泣いた。

「それを理性でくのが、どれほど苦しい事か! アナタに分かって? 猟奇りょうきを美徳とするアナタに〈人間・・〉であろうとする心が理解出来て?」

 魔剣は黙したまま語らない。

 が、傍観する魔姫達は意思意向を感じる事が出来た。

「……次だな」

 カリナが確信をつぶやいた直後、それは現実の展開となる。

「い……いや!」

 アンカース嬢の身体からだが、本人の意思とは関係無く動かされ始めた。

「これって、まさか強制支配を?」

「ああ、遠隔支配の延長だろう。まったく……強引な手に出てくれる」

 魔剣がいたにせよ〈原初吸血姫デモン・ヴァンパイア〉がいたにせよ、おのれが〈吸血姫きゅうけつき〉とす瞬間を見るのは気分がいいものではない。

「いや……やめて……いやよ!」

 理性を振り絞って抵抗するも、少女の細腕ほそうで不可視ふかし剛腕ごうわんで無理矢理動かされた。

「私は、アナタの〈〉なんかじゃない! 私は〝アンカース家〟の娘よ! 御父様と御母様の娘なのよ! 絶対に〈吸血姫〉になんかならない! なりたくない!」

 クシャクシャに泣き崩れた顔で、それでも〈人間〉としての尊厳にすがり続ける。

 されど、強大な〈魔〉の前では、小鳥のさえずりに過ぎなかった。

 震える手が着実につかへと伸び、そして──。

「いやあぁぁぁーーーーっ!」

 彼女は呪われし魔剣を引き抜いた。

 血塗ちぬられたごうと共に……。



 夜風はおだやかだった。

 窓から吹き込む風精霊シルフが踊るたびに、幼き寝顔は髪やほほでられて笑う。

 夢現ゆめうつつで、いい匂いがした。

 レマリアが大好きな人の匂いだ。

 だから、ゆっくりと意識が覚める。

 お姉ちゃんが胸へと沈めてくれていた。

 髪をでる優しさは、いつからか風のたわむれではなかったようだ。

「……ん、おねえちゃん?」

 寝ぼけまなこで見た表情は、優しく、寂しく、何処か冷たい。

 これから起こる事を確信しながらも、カリナは傍観するしかない。それが、とても歯痒はがゆかった。

「……ゲデ、いま一度う。過去は変えられぬのだな?」

「ああ、無理だね」

 喜色きしょくに酒の小瓶をあおる。

「例外的な措置法も無いのか?」

「無いね」

「……そうか」

 それ以上はあらがわなかった。

 覚悟を決めて直視するだけだ。

 確定された哀しみを強く抱き締める。

 がたい展開に心折れぬように。

「おねえちゃん、どうしたの?」

「どうもしないわ、レマリア」

 魔性のけは、優しく髪をで続けた。

 幼い妹は、いまだ本性を見抜けていない。

 軽く感じた違和感さえも、警戒心へ直結させる事が出来なかった。

「ねむねむできないの?」

「そうね。ちょっと眠れないの」

「イタいイタいなの?」

「ううん、もう苦しくないわ」

「うん?」

 親指吸いにコテンと頭をゆだねる。

 姉は──姉だった者・・・・・は、いとしさのままに細指ほそゆびを動かし続けた。時折ときおり、髪をいてやりつつ。

 感情を浮かべぬ冷たい表情が、若干じゃっかん寂しそうなはかなさをふくんだ。けれども、それは仮面・・ではなかっただろう。

「ねえ、レマリア──」

「うん?」

「──大好きよ」

「わたしも、おねえちゃんだいすきなのよ?」

「……有り難う」

 悲しみを微笑んだ。

「ずっと大好き……ずっとずっと一緒だからね」

「うん。ずっといっしょなの」

 幼さが嬉しそうに染まる。

 深く顔をうずめた愛を、幻夢げんむはあやし続けた。

「さあ、もう眠りなさい……それまで、こうしていてあげるから」

「うん」

 約束通り、幼きいやしが寝付ねつくまで続けた。

 おだやかな寝息が聞こえると、ようやく魔性が行動を起こす。

 静かに──そして、ゆっくりと喉笛のどぶえに牙を刺した。

 起こさぬように──声を上げさせぬように──痛くないように──そして、恐怖を与えないように。

 気品に愛されたうるわしき令嬢は、血をすすいやしいけもの畜生ちくしょうちた。

 咥内こうないなまあたたかさで満たされていく。鉄分の臭いが鼻を抜けていく。

 いとしい生命いのちを自分の中へと受け入れた瞬間、彼女の脳内ではじけた。

 それを契機けいきに満たされぬかわきが暴れ出す。

 爛々らんらん血走ちばしった目からこぼちた涙は、彼女が哀しみにのこした〈人間・・〉の一滴ひとしずくであった。



 旧暦中世──かつてウェールズ地方には、しがない田舎村が存在した・・・・・・・・・・・・

 一夜いちやにして地図から消えた〈呪われし村〉だ。

 紅蓮に染まる灼熱と、阿鼻叫喚あびきょうかん木霊こだまさせる殺戮さつりくの赤きやいば──血に飢えた狂気の麗獣れいじゅうが、すべてを根絶ねだやしに終わらせた。



 墓地裏ぼちうらに在るほこらは発見される事も無く、びた鉄扉てつとびらを硬く閉ざし続ける。

 その奥深くで、魔性は眠りにいた。

 むべき牙を抱きかかえ、いつ目覚めるかも判らぬ眠りに……。

 激情任せの虐殺ぎゃくさつを忘却したかった。

 おのれの存在さえも消し去りたかった。

 されど──。

「──レマリア」

 いとしい存在だけは忘れたくない。

 魂が疲れ果てた。

 その心労しんろう誘眠ゆうみんえ付ける。

 そして、彼女は石の如く眠った。

 運命の目覚めまで──。




 気がつけば、カリナ達は例の拷問場に居た。

 状況が動いた形跡は無い。

 現実時間は数秒しか経過していなかった……という事だろう。

「そう……そうだったの」

 カーミラはひとり納得する。

 闇暦あんれき以前の記憶が無い──カリナの奇妙な経歴が、ようやく説明付いた。

 同時に、彼女が〈レマリア〉という幻像を生み出し、狂気的固執こしゅういだいていた理由も。

(けれど、彼女は〝同属化〟をしなかった──妹を始めとして、村人の誰一人として)

 カーミラのいつくしみをき消すように、下衆ゲスな死神が声高こわだか雄弁ゆうべんを演じる。

「最愛の妹をテメェであやめた罪悪感にえきれず、理性がブッ壊れた。コレが惨劇の幕開けだ。血に飢えた魔獣とち、一晩で村を全滅させちまいやがった。家族も、村人達も、それこそおんな子供こどもも、一人残らずな。ま、それさえも魔剣の支配意志かもしれねぇが……さすがのオレ様も、そこまでは判らねぇ」

 聞いているのかいないのか……カリナは無反応だ。

 少年の亡骸なきがらへと黙祷もくとうささげるだけである。

「何にせよ、それからお嬢はながい眠りに就いた。忘却ぼうきゃくの眠りってトコか──ま、オレから言わせりゃ現実逃避・・・・だわな……ィェッヘッヘッ。ところが目覚めの時がおとずれる。旧暦きゅうれき一九九九年七の月にな」

「それって〈終末の日アンゴルモア・ハザード〉で?」

御名答ごめいとうさ、カルンスタイン令嬢。ダークエーテルが呼び起こしたのは〈デッド〉だけじゃなかったって事だ。おびただしい負念ふねんを魔剣が吸い、お嬢のかてへと転じた。眠りながらにして、吸血行為に等しい魔力吸収がおこなわれていったのさ。もっともしばらくはたくわえて眠るだけ……準備じゅんび万端ばんたんに目覚めるのは、闇暦あんれき年号が始まってからだ」

 またひとつ、カーミラの疑問が氷解ひょうかいした。

柘榴ザクロ偏食へんしょくながらも、おとろえを感じさせない魔力底値の高さ──それは魔剣の性質によるものだったのね。吸血行為を自粛じしゅくするカリナにとって、魔剣は〈武器〉であり〈牙〉なんだわ。つまり敵を斬り捨てれば斬り捨てるほど、吸血行為に等しいかてられるという事……)

くして最強最悪の〈怪物〉たる〝カリナ・ノヴェール〟の誕生でござ~いってな……どうよ? 御満足ごまんぞくいただける御伽話おとぎばなしだったかい?」

 沈思ちんしひたるカリナへと、ゲデの値踏ねぶみが投げられる。今度こそ、さぞかし失望しているであろう──ゲデは内心ないしんほくそ笑んでいた。

三文ハム役者、聞くにえん狂言きょうげんは終わったか?」

 期待を裏切り、カリナは平然と憎まれ口を返す。

 目の前で眠る少年の顔をながめていると、何故か〝レマリア〟がかさなった。

 見渡す限りの未熟みじゅくな命──約束された未来を奪われた不条理。その哀れさを思うと、おのれの過去など些末さまつにさえ思えた。

生憎あいにく、もはや過去などに興味は無い」

「はあ? お嬢が説明しろって言うから、わざわざ──」

「結局、現在いまの私は〝カリナ・・・ノヴェール・・・・・〟だという事だ。それよりも優先すべき事がある」

 腹立たしさを噛むゲデ。

 とはいえ、結局は折れるしかない。

 しゃくだが、それが両者の力関係だ。

「チッ! 何だよ、優先すべき事ってのは?」

「この部屋で息絶いきたえた子供達の無念・・──一人ひとりのこさず、私に伝えろ! 一人ひとりのこさずだ!」

 激情あらわに立ち上がり、孤高なる愛・・・・・えた!

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