白と黒の調べ Chapter.4
「さ、汚い所だけど遠慮すんなよ」
リック少年は、命の恩人達を明るく自宅へと招いた。
その構成は二階建てで、狭い敷地ながらも背高い。角石積みの壁面に、長細い窓枠。柱や鴨居には装飾意匠が彫られている。
ゴシック建築様式を気取っているものの、カリナ達の目には全体的に安っぽく映った。経年劣化の
「随分といい所に住んでるじゃないか」
カリナが露骨に
しかし、少年はあっけらかんと答えた。
「ただの安アパートだよ」
「……だろうさ」
静かに苦笑する。
どうやら少年は素直過ぎるようだ。言葉に含まれた
カリナにしても、別に険悪な展開を期待していたわけではなかった。単に皮肉屋の
「オイラ、ちょっと先に行くぜ。お客さんが来たのを、母ちゃんに報告しなきゃいけないから」
リックは一足先に建物内へと駆け入った。歓迎するのが待ちきれないといった様子だ。
「そんな御気遣いをなさらなくても──」謙虚な社交辞令を返すカーミラだったが、建物内へと一歩踏み入った途端、思わず
意図せず無遠慮な浮き世離れの頭を、カリナが軽く
「う……これは」
常に礼節を
「そんなに
「いや、そうではありませんが……しかし、失礼は
「温室育ちのオマエ達では、確かに無理からぬだろうな。潔癖な環境で暮らしていたが
黒い野良は優越感ながらに
両者とは対照的に、こうした劣悪環境には慣れている。
彼女達が観察するロビーは、確かに
中央に据え構えているのは、年季の
「はたして強度も疑わしいものだな」
カリナが
階段を
「此処は物置かしら?」
カーミラがそう判断したのは、別に嫌味からではない。ガラクタにも見える資材の山が、廊下の
「これも住人の家財だろうよ……一応な」
「さっきから
「何処も
「まるで下品な
「この
カリナの
顔を
「何やってんだ? 早くおいでよ?」
階上の
「どうやら二階がアイツの
迷わず階段を踏み出すカリナに、カーミラとメアリーが
リック家族の部屋は、二階の一番奥になる。
カリナは声を押し殺し、カーミラへと語り掛けた。
「改めて招き入れられたのは、偶然ながらも
「ええ。古来より〈吸血鬼〉は、
「ま、以降はフリーパスだがな」
薄いコンクリートを基盤とした
それを推察したカーミラが、少年へと疑問を向ける。
「節電中なの?」
「いいや。けど、普段は
「電気ぐらい使えばいいのに……。供給されているでしょう?」
電力供給は、カーミラが掲げる共存政策の一環である。
「まだまだ全然、電力が弱過ぎるんだよ。実用的な供給力じゃない。だから、冷蔵庫とかを優先的にしてるのさ。貴重な食べ物が腐っちまう方が痛手だからね」
「……そう」
少女領主は消沈気味に
いや、広げられなかった──
(リックが提示したのは実状報告に過ぎない。それでもコイツには、
同情は両者に対して等しく
が、
(答えを見出すのは、結局、本人次第だ)
「オマエ、家族は?」
「オイラと母ちゃんの二人暮らしさ」
「父親は?」
「オイラが小さい時に殺されたらしい。だから、顔も知らないや」
その抑揚には、特に
「デッドに……か?」
「ううん。吸血鬼にさ」
「っ!」
少年の独白に衝撃を受けるカーミラとメアリー!
それは
少年に他意があったわけではない。単に〝事実〟を示しただけだ。
それを理解していても、何故か後ろめたかった。
一方で、カリナは
「吸血鬼共の
「さあね。けど、特に理由なんて無かったかもな。アイツ等にとっちゃあ、オイラ達なんて
カーミラとメアリーの脳裏には、先程の末端達が思い浮かんでいた。
(ああした連中は、もっと以前から横暴を振る舞っていたのかしら)
そうした反応の
「では、家計は
メアリー一世の
「なんか変な呼び方だなあ。ま、いいけど。母ちゃんは働けないから、オイラが
「そなたが? 一人でか?」
「ああ。母ちゃん、病気で寝たきりなんだ。それでオイラが……さ」
「なんと、子供の身で……」思わず強まる
「基本、
一瞬、メアリーの表情が嫌悪感を呑む。王室育ちの厳格な
しかし、改めて実状を噛み締めると、気持ちを切り替えざる得ない。
(いや、そこは不問とせねばなるまい。人生経験未熟な少年が家庭の柱と奮闘するは、
小休止を終えて作業再開するリックに、またもカリナが会話を
「
「まあね。けど、慣れたよ」ようやく
通された部屋は、
ただし、個室
換気も
そこに寝たきりとなっているのが、少年の母であった。
リックは母親へと〝友人〟を紹介する。その抑揚は誇らしげに自慢するかのように明るい。
「母ちゃん、紹介するよ! こっちがカリナ! 前に話しただろ? オイラを救けてくれたって……」
「別に救けたわけじゃない。ただの
「チェ、素直じゃないなあ」不服そうに口を
「……………………」
いざ紹介という段階になって、少年は手際の悪さを思い起こす。新しい友人達の名前を聞いてなかった事を。
しどろもどろになる少年へと助け船を出したのは、カリナの
「〝マリカル〟と〝リャム〟だ」
「ちょ……っ?」「カ……カリナ殿?」
「ちゃんと
寝耳に水とばかりに
そんな
「これはこれは、こんな汚い所へわざわざ……。それに、カリナ様には息子が大恩を受けまして、どのようにして恩返しをしたら良いものやら…………」
瞬時に働くカリナの洞察眼──
「じゃあ、おとなしく
一転して放つは、あまりに冷た過ぎる
それまで友好的だったリックも、これには
「な……なんて事を言うんだ! いくらカリナでも、母ちゃんをバカにするのは許さないぞ!」
「カリナ殿、いまのは
どうやらメアリーも同感のようだ。
それを見た
だからこそ、表情ひとつ変えずに続けられるというものだ。
「無理した社交辞令など
突き放すように吐き捨てると、
「……カリナ」
扉の向こう側へと
一方で、少年の怒りは収まりそうもなかった。
「こ……のっ!」
後追いで殴り掛からんばかりに憤る!
その腕を
温厚な表情は息子に反して怒りになく、ただ
雑多に小汚いダイニング。使い古された鍋やフライパンが、シンクの貯め水に積み重なっている。樫製の円卓にシミと化しているのは、質素な食事の
家財道具は
卓上へと置いた
「長くはない……か」
独り黙想へと
母親の方は自覚があるようにも
「おばちゃん、しんじゃうの?」
「ああ、そう長くはない」
優しく子供の髪を撫でてやるのは、自身への
「なんで?」
「おそらく原因は栄養失調辺りだろうが、それはあくまでも引き金に過ぎんだろう。それによって抵抗力が慢性的に弱まり、内在する
「なんのびょーき?」
「さあな、私は医者じゃない」
「それって、イタいイタい?」
「……さあな」
痛いとすれば〝心〟だ。
息子を置いて
「リック、かあいそうね?」
「……そうだな」
レマリアは、保護者の脚へコロンと頭を預けた。
事態など理解していない。
ただ何となしに甘えたくなったようだ。
親指を吸いながら自分を
はたして自分には、この子との
静かに扉が
カーミラだ。気配で分かる。
「お母様、寝たわ」
「そうか」
「彼、相当怒っていたわよ?」
「……そうか」
「お母様が
「構わん。別に誰からも好かれようと思った事など無い」
あまりにも寂しい孤高──カーミラは、心優しい嫌われ者が
沸き立つ衝動に気持ちを
「それは、わたしもなの?」
甘い吐息は〈
「……そうだ」
「つれない事を言うのね」
「私にはレマリアがいる。コイツがいれば、それでいい」
カリナが自己愛に撫でる
(でもね、いつかは
と、不意に窓が
静寂を破ったのは、明らかに異常事態の発現!
「何だ!」
窓へと駆け寄って外の様子を
「いったい何事なの?」
背後から覗くカーミラにも、困惑の色が浮かんでいる。
「カリナ殿! カー……マリカル様!」血相を変えたメアリー一世が、隣の部屋から飛び込んで来た。リックも一緒だ。「何が起こったのですか?」
「知るかよ。だが、ただの火災じゃないようだ」
カリナが
「まさかデッドが?」
「いや、違うな。奴等の手を見てみろよ」
各人の手には、剣や
彼等は
「デッドには道具を扱うだけの知恵や記憶は無い」
「じゃあ、
「さあな。しかし〝死人〟には変わりないようだ」
「どうして断言できるの?」
「自我損失・
正直、カリナには心当たりが無いわけでもない。
(おそらく〈ゾンビ〉か……)
アレが〈デッド〉でないならば、
一瞬、ゲデの暗躍かとも考えた。
だが、それは有り得ない話だ。
あの
そんな面倒を
「数にして二〇体程度かしら?」
「いや、六〇体はいるだろうよ」
「それって見た感じより多過ぎなくって?」
「視覚認識の情報よりも、最低限二倍~三倍程度は見積もれよ。目に見える範囲だけが総てではない。初歩的な鉄則だ」
意思持たぬ集団殺人鬼は、次々と
階下の惨劇を、カリナは
そして、意を決する!
「いずれにせよ、
「行くの?」
察したカーミラの
「勘違いするな。ただの
「そう……じゃあ、わたしも
愛用の
「勝手にしろ」
静かな戦意に染まる二人の
それに触発されたメアリー一世も、
「では、
「いや、オマエは此処へ残れ」
「カリナ殿?」
「万ヶ一……という事もあるやもしれん。不測の事態が起きたら、オマエが守ってやれ」
言い残して
その時、
それまで
「あ、カ……カリナ!」
「何だ?」
「そ……その、さっきは…………」
そこまで口にしながらも、それ以上は言葉が
後悔を抱く少年が
仲直りをしようと自分へ言い聞かせていた──にも関わらず、肝心な時に勇気を
カリナは少年の
そして、やがて静かな口調に
「オマエは母親の
「え?」
「余計な心配を
「う……うん!」
決意を込めて、力強く返事をする。
その
少年は思い出す──初めて彼女と出会った時を。
いまのカリナの表情は、あの時と同じものであった。
だからこそ、少年は
「さて、
「あら、それはわたしではなくってよ?」
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