白と黒の調べ Chapter.2
ロンドン・シティ居住区──巨眼の月光に浮かび上がるは、旧暦中世を彷彿させる街並みであった。灰色の
そんな情緒無き情緒を三人の麗姿が歩む。
カリナに誘われたカーミラとメアリーである。
「窓の灯りこそあるけど、人影が見当たらないわね」
周囲を見渡しつつ、カーミラが漏らす。
人々が住まう窓から漏れる灯火は、相変わらず生活感を押し殺していた。まるで害敵に怯えるかのように……。
「襲われる危険性が分かっていて、出歩くヤツなどいるはずがないさ」
「襲われる? 誰に?」
黒き案内人は答えない。ただ黙々と
先導者としての役目から、カリナは数歩先を進む形となった。
例によって片腕には幼女を抱いている。
レマリアはおどおどした目で、顔
そうした内向性を熟知しているが
カーミラは
「それにしても、専用
御丁寧に着衣ドレスと同色──つまり純白の
とりわけ、カーミラの純白装束は優美だ。まるで清廉な女神の婚姻衣装を思わせる。
「一応の保険さ。不測の事態に備えて……な」
「保険?」
またもや
「そもそも吸血鬼にとって、専用
「それって、敵がいるって事?」
「さてな……展開次第だ。
「だって、シティ内にデッドはいないのよ?」
「非道徳な犯罪者崩れ……ですか」
冷静な口調で見解を
「どういう事かしら? メアリー?」
「御報告した通り、近年は不埒な輩が横行し、弱者を物資略奪の標的としています。居住区治安劣化の原因の一環です。しかし、まさか、ここまで
「脳内シミュレーションと現実では、雲泥差があるという事さ」
「そう言ってもらえると、わたしも嬉しいわ。とりわけ、こだわった要素ですもの」
「だが、それだけだ」
「え?」
「中身は変わらん。結局は支配者側の独善を具象化した虚栄さ。言っただろう……このロンドンは〝張り子の虎〟だと」
「それって、わたしの配慮が〝ワンマンな偽善〟でしかないって意味かしら?」
カーミラの声音が、静かに不快感を含む。
「そう以外に、どう聞こえるよ」
「衣食住──その全てを補い、援助もしているわ。それに彼等への不当な扱いも許してはいない。他国と違って〝人権〟を尊重していますからね」
「御自慢の配給物資なら届いていないぞ」
「何ですって?」思わず耳を疑った。続けて彼女を支配するのは、隠しきれない動揺。「そんなはずは……だって、ちゃんと衛兵達に指示して」
「疑いも無しに信頼したってか? 監督不行き届きだな。末端とて人間──おっと〈吸血鬼〉って事さ」
「だって吸血鬼に、人間の食料なんか意味は……」
「まさか、等価交換を?」
「例えば〝瓶詰め血液〟とかな」御名答とばかりに補足するカリナ。「後は、その腹黒いサイクルが繰り返されるだけだ。腐敗と腐敗は結託しやすい」
「支援物資を横流しに? そんな事、許されるわけが」
「知られなきゃいい」
未熟な領主の瞳を正面から見据え、冷徹に言い捨てる。
先程までの挑発を帯びた皮肉から一転し、その表情は重々しい真剣味に引き締まっていた。
「じゃあ、人間達は?」
「貧困に
「……そんな」
ショックであった。
まさか自分が預かり知らぬところで、そのような不正がまかり通っていようとは……。
カーミラの心情を無視して、カリナが続ける。
「もっとも、
「そんな
それでも無遠慮は、悪意の
「キサマ等は
「わたしは……わたしは、ただ……」
ただ人間と共存できる社会構図を築きたかっただけ──そう主張したくとも、それ以上は口に出来なかった。
現実、彼女が想い抱いてきた理想郷は〝
自分が〝ローラ〟と過ごした
初めて抱いた〈人間〉への
そうした想いの具現化を
唇を噛む失意へ、手厳しい
「オマエが見ているのは、自尊的な幻想だって事さ……〝自己愛〟と言い換えてもいいがな」
「……やめて」
「何を起点としているかは知らんが、結局は〝それをしてやっている〟という己の行為に酔っていただけなのさ」
「やめなさい! カリナ・ノヴェール!」
容赦ない
発散される魔力と妖気が周囲の霧へと
「カーミラ様! カリナ殿!」
荒れる
もっとも、それが中核へと届く事はない!
カーミラの瞳が冷たい金色に染まり、カリナの瞳が情熱に飢えた
この不穏な流れを変えたのは、意外な
幼女は
ただ、カリナが意地の悪い表情を
それは、レマリアが嫌うものだ。
戦意に酔う邪笑を仰ぎ見つつ、大人を
「カリナ、メッよ?」
「…………」
「ケンカするの、メッよ?」
「……わかったよ」
幼い保護者に
普段とは逆転した立場だ。
彼女の周囲へと
それを
とりあえずの事態回避に、メアリーは胸を
もしも両者が
「レマリアに感謝しろよ」
取り残されたカーミラは、その後ろ姿を
「カーミラ様、大丈夫ですか」
「ええ」
視線を
その黙視をメアリーが追った。
街路の闇に呑まれていく
とはいえ、後追いできぬ距離ではない。
そもそも今回のカリナはガイド役だ。彼女達を置き捨てて行くはずもない。
「それにしても、無謀な……カーミラ様に正面から
「そうかしら?」
カーミラは黙し、それ以上は語らない。
ただ、眠れる
「レマリアに感謝……か」
「そういえば、そのように言っておりましたが……その〝レマリア〟とは?」
戸惑うメアリーの質問に、ようやくカーミラは普段の柔和な
「その事は、わたしに任せておいて。それと〈レマリア〉の事は他言無用で御願い。カリナ相手でも、その事に触れるのは好ましくないの」
「はあ、それは構いませんが……」
釈然とはしない──メアリーの表情は、それを明らかに含んでいた。
そんな彼女の様子を見て、少女領主は小悪魔的に
「さ、行きましょうか」
無責任な引率が消えた闇へと、二人は遅れて足を踏み入れた。
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