鮮血の魔城 Chapter.8

「なんだ、食べてないのか?」

 自室へと戻ったカリナは、卓上の配膳を見て拍子抜けした。

 レマリアの食事である。

 柔らかなロールパンに、温かなコーンスープとホットミルク……チキンやマリネ、ホールトマトも添えてある。決して贅沢な品々ではないし、吸血鬼には食欲をそそる物でもない。

 それでも、闇暦あんれきの人間にとっては御馳走だ。

 にも関わらず、それが手つかずのまま置いてある。

 行儀良く椅子へと座るレマリアは、顔をうつかせているだけだった。カリナのいには答えようともしない。かすかに覗ける表情は、ふてているようにも映った。

 ふと子守役へと目をる。

 暖炉だんろ前のロッキングチェアに揺られるサリーは、うたた寝でもしているかのようにゆるやかだった。

 しかしながら編み物をす鉤針は、緩々ゆるゆると定期的な交差を刻んでいる。寝てはいない。

「おい、サリー」

「はいはい、なんでございましょう? カリナ様?」

 カリナに呼ばれ、穏和なみが返された。

「ずっとこうなのか?」

「左様でございますな。カリナ様が城内散策へとおもむかれてから、しばらくして暇潰ひまつぶしの編み物を始めたのですが……どうにも下手ヘタの横好きというものでして」

「そうではない」

 思わずいらち気味の困惑がいた。

 まるで主旨しゅし違いな返答である。

 それを噛み殺して、カリナは明言化する。

「私がたずねているのは、レマリアの事だ」

「はて、レマリア──様?」老婆は記憶を探るように思索すると、やがて納得気に答えた。「ええ、ええ、左様でございますな。レマリア様に至りましては、カリナ様が出て行かれてから、ずっと斯様かような御様子で……実におとなしいものでしたとも」

「食が進んでいないようだが?」

 カリナの視線にうながされ、卓上の膳盆ぜんぼん見遣みやる。

「あれま? 左様で」柔らかな細目が、穏やかな驚きにき開いた。「いやはや気付きませんで、面目次第もございません。何せレマリア様は、おとなしゅうて、おとなしゅうて」

「おとなしい……か」

 確かにレマリアは人見知りが強い。マセた勝ち気を見せるのは、カリナに対してだけ──いや、天敵のゲテへ対しても……か。

 しかし、その二人に対してだけだ。

 それ以外には心を閉ざす態度が顕著けんちょであった。

 だから、おそらくサリーと二人きりの環境下では、ずっと緊張していたに違いない。借りてきた猫のように萎縮いしゅくした光景が、容易に想像できた。

 けれども、それが食欲減退の原因とも思えない。

 基本、レマリアは食と睡眠に関しては素直に準じる。腹が減れば食べるし、眠くなれば寝る。まかり通らないと駄々をこねる。子供ゆえの無遠慮さだ。

 一方で、サリーに何らかの非──例えば豹変した恫喝どうかつ等が、あるとも思えなかった。

 初対面時ならともかく、現在では信頼をいだいている。彼女の転生背景を知ったからだ。ゆえにサリーは女子供を絶対に襲わない。そればかりか、子供に対して人一倍強い母性を持ち合わせている。その事も確信していた。

(そうなると……皆目かいもく見当もつかんな)

 カリナは隠す心配に歩み寄り、レマリアの不機嫌そうな顔を覗き込んだ。

「食欲が無いのか?」

 さとほぐすような口調でう。

 女児は首を強く振った。

「メニューか? 好きじゃないのか?」

 これにも首を振る。

「じゃあ、どこか具合でも悪いのか?」

 首を振る。

 無言の否定が累積するほど、見通しのつかない懸念けねんが強まった。

 表情にこそ露呈ろていさせていないが、カリナの胸中には心配がつのっていく。

 病気のたぐいとなれば医者が必要となる。

 だが、この闇暦あんれきでは医者は貴重な人材だ。

 金の問題ではない。

 根本的に生存数の問題である。

 当てにならないやぶ医者やペテン師こそ横行しているが、確固たる医学知識精通者はまれなのだ。

「理由を話してみろ? 黙っていては判らんぞ?」

「……だって、いないのだもん」

「ん?」

「おはよしたら、カリナいないのだもん」

「ああ、城内を散策がてらに偵察していた」

「でも、いないのだもん」

「私達の──いや、オマエの安全を守るには、この城の主要人材を見極める必要があるからな。ま、敵情視察と言ったところさ」

「いないのだもん!」

「………………」

「………………」

「……もしかして、それが理由か?」

 ややあきれた気持ちで確認すると、レマリアはコクリとうなずいた。その面持おももちは心無しか、いまにも泣きそうな印象すらある。

 ふたを開けてみれば、実に些細ささいな理由であった。

 要するに一人きりで置かれた事が不服だったらしい。

 しかしながら、レマリアが寂しさと不安に怯えていたのは、紛れもない事実だ。訴える幼女の顔は、こらえていた感情を懸命に押し殺していたのだから。

「悪かったよ」軽い謝罪に頭を撫でてやり、カリナは隣へと相席した。「これからは一緒にいてやる。それでいいだろう?」

 レマリアの大きな瞳が、恨めしさと疑わしさに見つめ返す。

「やくそく?」

「ああ、約束だ」

「ホント?」

「ああ、本当だ」

「ホントのホント?」

「……案外しつこいな? 本当に本当だ」

 あきれた投げやりにカリナが宣誓すると、すかさずレマリアが小指を立てて差し出した。

「ゆうきいよ?」

「……指切りな」

 ふっくらと小さな指に、しなやかな指を絡ませる。

 幼稚で信頼性皆無な宣誓儀式だ──と、カリナは思う。

 が、この宣誓儀式は何よりも誠実で尊いものだ。

 そう、神への信仰や、悪魔との契約以上に……。

 とりあえずの確約に満足したのか、レマリアは一転して破顔一笑をいろどった。

 同時に、その笑顔を見ると、カリナの心中にも安らいだ癒しが芽生える。

「さあ、食べるがいい」

「うん!」

 よほどお腹も空いていたのか、レマリアはせきを切ったように食べ始めた。品行方正さなど御構いなしにがっつく様は、上辺うわべを気取ったやからには下品と映るだろう。

 だが、カリナには愛しい。

 それはたくましく生きている証であり、つむがれる生命力の存在感なのだから。

 ひたすら頬張る女児を、母性に満ちた眼差まなざしが頬杖に眺める。

 頬に付いた食べかすを取ってやると、自身も柘榴ザクロたしなんで付き合った。

 守るから癒される──癒されるために守る──究極のギブ&テイクだと、カリナは思っている。

 これに比べれば吸血鬼達の〈血液嗜好症ヘマトディプシア〉など、永遠に満たされぬでしかないのだ。

 心満たされる術を自覚している自分は、なんと恵まれているのだろうか。

 質素な卓上が、堅実な家庭へと変わる。

 と、レマリアが不意に頓狂とんきょうな声を上げた。

「あ!」

「どうした?」

 幼女は困惑した顔を向ける。

「いたらきます、してないのよ」

 しばし、絶句の末……カリナは吹き笑った。


 そんな慎ましい幸福を、老婆は優しく見守っていた。

 かつての自分と娘を重ね見るように……。

 ゆらゆらと揺れるチェアは、まるで過去と現在を時間の波につなげているようであった。

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