鮮血の魔城 Chapter.3

「んーーっ! 肩が凝ったわ!」

 自室へ戻るなり、カーミラが清々しく伸びをする。凛然とした気負いは消え失せ、素直な自然体に砕けていた。

「……オイ」背後のカリナが冷ややかに呼び掛ける。唐突な変貌ぶりには呆れるしかない。「何なんだ、オマエは? さっきまでとは別人だぞ」

「だって、あんなにも多くの来賓がいるんですもの。それらしい態度で振舞わなければ、城主としての威厳が失墜するわ」

 悪戯いたずらっぽく肩をすくめると、部屋の主は豪華なベッドへと腰掛けた。

 その脇を叩いて相席をうながしたが、カリナは壁へと背を預けるだけ。頑として拒否する意向のようだ。無碍むげにされたカーミラは、少々不服そうな顔を浮かべていた。

「それで? どう処理するつもりだよ?」

 意地の悪い邪笑で無頼者が訊ねる。

 けれども、カーミラはケロリとした表情で簡潔に返すだけであった。

「別に? どうもしなくてよ?」

「……は?」

 珍しくも頓狂な声が出る。盟主にあらざるべき態度に、あっさりと毒気を抜かれてしまった。

「キサマ、さっき言っていた事と……」

「わたしはね、カリナ・ノヴェール? 正直、あんな些事さじはどうでもいいの。ううん、むしろスッとしたくらいよ。貴女あなたの傍若無人さに恐々とする彼等の表情を見た? 本当はわたし自身が、日々、ああしてやりたかったくらいなの」

「オマエ、城主にして盟主だろう」

「だからよ。望んでもいない威光なんてね、毎日の鬱憤うっぷんひどいものなのよ。それを貴女あなたが代わりにやってくれた──爽快だったわ」

「横槍を入れたクセに、よくも言える」

「あれ以上やっていたら、貴女あなたは本当に〝不死十字軍ノスフェラン・クロイツの敵〟となっていたもの。それにジル・ド・レ卿は、それなりの実力者──双方無傷とはいかないわ。そうなれば、わたしにしても全霊をもっ貴女あなたを吊し上げるしかなくなる。そんなのはイヤですからね」少女城主は穏やかな苦笑を飾る。「けれど、貴女あなたの素性と目的は聞かせてもらうわよ?」

「やはり警戒はするか。ま、当然だがな。してや、私のような危険分子は──」

「ううん、単なる暇潰し」

「──……」

 まるで暖簾のれんに腕押しであった。挑発を帯びた毒がことごとく中和されてしまう。

 奇妙なヤツに好かれたもんだ──と、カリナは困惑を持て余した。

「生憎、自分の素性は知らん。闇暦あんれき以前の記憶が無い」

「記憶が?」

 怪訝けげんそうにカリナを見つめる。

(それって、奇妙な事象ね。そもそも〈吸血鬼〉は、生前に何らかの固執やしがらみがあればこそ転生する──わば、それこそが自己存在確立レゾンデートルの根元だわ。にも関わらず彼女には、それが失われている……)

 カーミラの黙考には構わず、カリナは続けた。

「で、目的の方はコイツさ」保護者にうながされ、外套マントの内側にひょこりと顔を覗かせる女児。「名は〝レマリア〟と言う。コイツの寝床と食事が目的だ」

 幼子は警戒に保護者の脚へとすがりつき、離れようとしない。

 いだいた不安感をぬぐうべく、カリナは優しく頭を撫でてやった。

 かろうじて安心した人見知りは、ようやく謙虚に頭を下げる。

「こ……こんばわ」

 舌足らずなつたない挨拶。

 カーミラはさらされたくろ外套マントの内へ、まじまじと見入っていた。

 困惑を隠せないでいるのを見抜くと、カリナが優越めいて感想をうながす。

「どうした? 人間の子供は初めてかよ?」

「あ……いいえ、そんな事はない……のだけれど……」下手な取りつくろいに動揺を隠していた。「そう、宿と食事……ねえ?」

 白魚しらうおのような指を線の細いあごに添えつつ、カーミラは思案を巡らせる。

 と、ふと気付く違和感があって、まさかとばかりにカリナへと確認を向けた。

「え、待って? もしかして、そのため・・・・だけに?」

「ああ。そのため・・・・だけに、この城を頂きに来た」

あきれた。そんな理由で、あれだけいる吸血鬼達に?」

「そんな理由の方が、私には大事なのさ」

 赤の果汁をすすりつつ不遜な態度に酔う。

 レマリアが大きな欠伸あくびをした。小さな握り拳でまぶたこすっている。

「眠いか?」

「……ん」

 カリナは女児を胸に抱き、ゆったりと背中をあやしてやった。

 緊張感が安らいだせいか、小さな癒しが誘眠を覚え始めている。

 興味津々に観察していたカーミラは、ややあって快諾を提示した。その口調は再び凛とした厳格さを帯びている。

「いいでしょう。貴女あなたの──いえ、貴女あなた達の客室を用意させます」

「食事もだ」

「無論です。そして、わたしの許可を得ない者も一切近付けさせません。ただし、わたしからも条件があります」

「条件?」

「ひとつ、城内に悪意ある騒乱を生じさせない事──先程みたいにね」

「誰彼構わずケンカを売るなって事か」

 正当性を帯びた妥当な強要だ。カリナにしても承諾するしかない。

 だが解せないのは、次なる条件だった。

「そして、ふたつめ。しばらくは滞在してもらいたいの」

「滞在だと?」これにはいぶかしんだ顔をせざる得ない。「意図が読めんな。先刻さっきの一幕を見れば分かるだろうが、少なくとも私は招かれざる客のはずだ。それを何故だ?」

「言ったでしょう? わたし、日々の鬱憤うっぷんひどいのよ。本音を零せる話し相手の一人もいれば、多少は気持ちが晴れると思うわ。要するに──」

「──暇潰し……か?」

「そうね」

 カーミラはクスッと微笑ほほえみ返した。

 しかし、続ける言葉に彼女のうれいがかげりを含む。

「それに他国や城外の話も聞きたいし……」

「オマエ、城から出た事が?」

「無いわ。かごの鳥だもの」

 ようやくカーミラの真意がめた気がした。

 自由じゆう気侭きままに旅路を行く自分とは対局にある空虚だ。

「やれやれ、雲上うんじょうの立場ってのも大変なモンだな」

 境遇への同情は湧かない。

 立場が違い過ぎる。

 さりとも、個人としての共感からは同情は覚えた。

 彼女も自分と同じように〝虚無感〟を覚え、埋めようと足掻あがいている。

 吸血鬼とは、永劫の時間を生きる〈不死者ノスフェラトゥ〉だ。それゆえに〝己の存在意義〟を見失ってしまう事も多い。

 有限の生に在ればこそ〝存在意義を懸けるべき目的〟というものは得られる。

 だが、不死者の時間は無限だ。致命的な失敗をしようが、やり直しはいくらでも利く。

 当然、達成感や充実感には疎くなる。それが〝存在意義の喪失〟に結実している事を、多くの吸血鬼は自覚していない。

 そして、怠惰に溺れ堕ちていくのだ……〝永遠の生〟へと。

 カリナは──そして、カーミラは──そうした〝虚無感〟が溜まらなく嫌だった。

 否、怖いと言ってもいい。

 いくら〝永遠の生〟であっても、心が満たされなければ〝永遠の死〟と変わらない。魂の牢獄だ。

 だから、足掻あがく。

 何でもいいから充足感に転化しようと、手探りに模索する。

 しがみつく。

 己の核たる〈心〉が死なないように……。

 カリナにとって幸いなのは、そばに〝レマリア〟がいる事であった。

 この子を護る誓いを自らに課す事で、自己存在意義の確立が出来ている。

 しかし、カーミラには、それが無い。

 哀れだった。

 そして、その痛みは他人事ではない。

「分かったよ。しばらくは厄介になってやるさ」

「本当に? ああ、嬉しいわ!」

 カーミラの表情が心底喜びに晴れる。

「勘違いするな。別に気を許したワケじゃない」

「それは徐々にでいいわよ。けれど、わたし達、親密な友達になれそうな気がしなくて?」

「下らん戯言ざれごとを」

「あら、素直な予感よ?」

「滞在猶予は確約できんぞ」

「構わなくてよ。一ヶ月でも二ヶ月でも……何なら一生居ても良くってよ?」

「調子に乗るな。気が向けば出て行く」

 やや舞い上がり過ぎたのを自重し、カーミラは肩をすくめて可愛げに舌を出した。そうした仕草は、悪戯いたずらとがめられた子供のように無邪気だ。とても〝不死十字軍ノスフェラン・クロイツ盟主〟とやらには思えない。

 話がまとまった後、城主は一人の吸血鬼を呼び寄せた。背中が曲がった小柄な老婆だ。その表情は見るからに温厚で、田舎村の人好き婆さんといった風貌だった。

「カリナ、紹介するわ。この者は〝サリー・ポタートン〟──わたしが城内でもっとも信頼している吸血鬼よ。サリー、こちら〝カリナ・ノヴェール〟──大切な客人よ」

 カーミラからの紹介を承けて、サリーが深々とこうべを垂れる。

 対してカリナは、鋭い眼力がんりきで交流の障壁を設けていた。露骨な敵意だ。

 過敏な警戒心に気付いたカーミラが、意固地な客人を安心させようと補足した。

「大丈夫、警戒しなくても平気よ。サリーは女子供の血は吸わないもの」

「本性の偽装を常套とする吸血鬼相手では、表層的な心象は信用に値すまいよ」

「いいえ、信用できるわ」

「何をもって?」

「サリーの事は、ずっと見てきたもの。それでも納得できなければ〝カーミラ・カルンスタイン〟の名に懸けて……ね」

 正視に交えたカーミラの瞳は嘘を飾っていない。

 一応の妥協に折れ、カリナは少しだけ険を解いた。

「今後、雑用があればサリーに言えばいいわ。彼女を世話役にしてあげる」

 主君の意向を察したサリーが、改めてこうべを下げる。

「どうぞよろしゅうに、カリナ様」

「有り難迷惑だが、まあいいさ。それよりも、さっさと部屋へ案内しろ」

かしこまりました。では、こちらへ……」

 先導するサリーに誘われ、くろ外套マントの少女は部屋を後にした。




 独りきりとなった静寂の中で、カーミラは考えていた。

 カリナが固執する〈レマリア〉なる存在が、どうにも釈然としない。

「可哀想なカリナ。きっと〈レマリア〉に縛られているのね」

 散らばる思念をまとめるべく、窓際へと歩み寄って遠景を眺める。

 相変わらずの闇空やみぞらに、相変わらずの黒月こくげつ──巨大な単眼が何処を見据えているかは定かにないが、現在いまだけは己の胸中を見透かされているような気分になった。

「なんとか自由にしてあげないと」

 人知れず決心を抱く。

「しばらくの滞在は、約束を漕ぎ着けたんですもの……後は、やり方次第。それには綿密に事を運ぶ必要がある──細心の注意を払わなければ、逆にカリナは果てぬ怒りに呑まれてしまうでしょうからね。あせってはならないわ」

 ふと今後の予定を思い起こし、指針定まらぬ思索をめる。

 現状は憂鬱ゆううつな定例会議へ向けて、心持ちを切り替えなければならない。




 カリナにあてがわれた客室は、なかなかに整った内装であった。

 積もるちりさえなければ……だが。

 室内を静かに賑わしている数々の家具類は、一様に格調高い美意識に統一されていた。かし製の棚やタンスは、にじむ年季のわりに現役の頑健さを維持している。細部に施された繊細な装飾もまた、充分に目を愉しませてくれた。室内に充満するのは、石壁特有の冷涼。部屋の角には蜘蛛が巣糸を飾っている。多少、鼻が不快に曇るのは、風通しの滞納が積年に埃臭ほこりしゅうはぐくんでいるせいだろう。統括して察するに、使われなくて久しい。

「急な事でしたので申し訳ございません。明日にはちりひとつなく掃除させて頂きますので……」

 卓上の燭台に明かりを灯しつつ、サリー婆が詫びる。

「そうだな。ま、今日のところは仕方ないだろうさ」

 浅い夢へとたゆとうレマリアを、そっとベッドに寝かし置いた。

 愛苦しい寝顔を短く慈しむと、カリナは円卓へとくつろぐ。

「カリナ様、御食事は? 当城には洋の東西問わず、赤ワインが揃えてございますが?」

「いいや、らん」

 妖婆が言う〝赤ワイン〟とは、すなわち〝生き血〟だ。

 吸血鬼独特の隠語表現である。

 そして〝貯蔵〟等の言い回しは『血液搾取用の人間を家畜同然に飼い囚えている』の意味だった。

 一聞するだけには、残酷な鬼畜の所行としか思えないだろう。

 しかし、それは人間の価値観だ。吸血鬼の価値観とはもとより異なる。レマリアを連れ歩くカリナにしても、いちいち吸血習慣をとがめる気など毛頭無い。

 第一、食糧の問題は種族存続の根幹を担う重大事だ。無理解に有る一方的な価値観だけで否定する方が、明らかに歪んだ独善である。

 してや、現在は闇暦あんれき──怪物達が支配する世界なのだから、人間の倫理に依存する価値観など何の意味も為さない。

 レマリアが標的にならなければ、それでいい──単に、それだけの話だ。

「今後も〝赤ワイン〟はらん。通常の食事だけを用意しろ」

「はて? 我等に人間の食事は意味がありませぬぞ? 抜けぬ習慣がきょうじさせる、形ばかりの真似事にございます。それでは御身体に障りますぞ?」

「構わんさ。慣れているのでな」

 淡白に述べて、柘榴ザクロかじる。

 その様子を見たサリーは「ははあ」とひと合点がてんした。

「カリナ様は、御優しいのですなあ」

「何だ、いきなり気持ちの悪い」

 老婆は、それ以上語らない。意味深なみを優しく含み、すすけた部屋を整え続けた。

 ゆるい沈黙に間が保てなくなり、カリナは先程から不思議に思っていた疑問をサリー本人へとぶつけてみる。

「確かオマエは『女子供の血を吸わない』と、カーミラが紹介していたな。妙な制約だとは思ったが……何故だ?」

「実は、私が吸血鬼として転生したきっかけこそが根本こんぽんでしてな。御耳おみみ汚しでよろしいか?」

「構わんさ」

 カリナは相席を足蹴あしげに差し出した。

 何か訳有りの臭いを感じ、安い好奇心を働かせる。

「では、失礼して──」

 曲がる腰をおもりわずらいつつ、サリーは樫席へと座した。

 卓上で揺れ踊る灯火が、妖婆のなまぐさい回顧を呼び起こす。

「あれは人間だった頃にさかのぼりますが、私には一人娘がいましてな。母一人子一人ながらも、それ相応に幸せでしたとも……ええ、そりゃもう…………」

 かつての幸せを咬み絞めるように、老婆は何度もうなづいていた。

「けれど、そんな幸せをアイツが──あの男が奪い潰していきおった!」

 語気含まれる根深い呪怨!

 先程までとは一転し、老婆の表情は悪鬼に歪んだ!

「あの男は娘をたぶらかし! 連れ去り! 麻薬漬けにし! 娼婦へとおとしめ! 妊娠した腹を蹴飛ばし! 挙げ句、薄汚い野良猫のように捨ておった! 許すものか……許されるものか!」

 それは、おぞましい程の鬼気であった!

 が、カリナは呑まれる事も無い。

 果汁すすりの平静な態度で聞き役へと徹す。

「最低な情事の果て……か。それで?」

「実家へと戻ってきた娘は、見た目にひどやつれていましてな。それでも、私は心の底から再会を喜びましたとも。あの子の傷心を想うと胸が張り裂けんばかりでしたが、それでも深く追求せずに痛みを分かち合ったのです。これからは、また親子でやり直そう……と。ですが、翌日、娘は遺書を遺して逝きました。私が仕事へ出た隙に入水自殺したのです」

「おそらく自分が惨めで、同時に己の浅はかさが許せなかったのだろう。責めてやるなよ」

「誠に左様で。そして、悲嘆こそすれど爪先ほども責めてなどおりませんとも。責めるべきはアイツ! 恨むべきはアイツなのでございますから!」

 鎮まった鬼が、また顔を覗かせた!

「だから、復讐した! 夜闇に紛れて拉致らちし、ベッドへとくくり着け、供血管で血を抜き取ってやった! 生きながらにして少しずつ……少しずつ! 一滴残らず! 遅々と確実に〝死〟へと近付けてやりましたわい!」

 無自覚に加熱した興奮を抑え、サリーは再び平常の語り口調へと戻る。

「時には温情の演技を見せ、一縷いちるの望みも抱かせてやりました。その時のヤツの顔といったら……まだ自分が救かるなどと勘違いをしている間抜けぶりで。いえいえ、勿論もちろん、最初から許す気なぞ更々ございませんとも。すぐに罵倒にあざけり返し、蒼白に歪む泣き面を存分にまなこへと焼き付けました。それを最期まで繰り返しました──朝を迎えるまで」

「なるほどな」

 とりあえず、カリナの疑問は氷解した。

(コイツが自らに課している禁忌きんきは〝深い母性〟と〝拭えぬ後悔〟が転化したものか。だが、それは言い換えれば、己自身への呪縛でもある)

 回顧の怨念に浸る妖婆は、またも激情に自制が利かなくなったようだ。

「だが復讐しても、まだ足りぬ! 足りぬ! 足りぬ足りぬ足りぬ! 本当ならば地獄の底までも追いかけて、八つ裂きにしてやりたいところ!」

「やめておけよ」きょうめに聞き役がさとした。「それをしたところで、地獄では永遠に満たされん。罪人の魂は、獄刑執行のために何度でも再生するからな。それどころか、八つ裂き刑を無限に繰り返す羽目となるだろうさ」

「構いませんとも! むしろ望むところですじゃ! アイツを何度も殺せるならば!」

 鬼女は聞く耳を持たない。

 それほどまでに激情へと呑まれていた。

 うんざりとしたいきを吐き、カリナは平然と毒突く。

「やれやれ……オマエの娘とやらも哀れなモンだな。これで煉獄れんごくへの拘束は延長決定だ」

「何と? いま何と申された! 如何いかにカーミラ様の客人とはいえ、我が娘を侮辱されるか! 許しませんぞ──許されんぞ!」

「侮辱しているのはキサマだ!」

 怒り任せに一喝し、カリナは席を立ち上がった!

 いまにも襲い掛からんばかりの鬼を、吸血姫きゅうけつきの凄みが気迫に呑み返す!

「現世での報復は仕方あるまい。それだけの遺恨はあるのだからな。だが、己の母が永劫に〝羅刹らせつ〟と在り続けるのを、逝った娘が望んでいるとでも思うかよ!」

 牙をいた鬼が逆上の憤怒ふんぬに吠える!

「オマエに……オマエ如きに、何が判るか! あの子は──〝ペニー〟は、私の生き甲斐だった! 私の全てだったんだよ!」

「その娘の魂から、怨鎖の解放までも奪うかよ!」

「なっ?」

「自殺は決して許されぬ魂の罪。なればこそ、キサマの娘は煉獄れんごくに囚われているはずだ。いつ解放されるか分からぬまま、紅蓮ぐれんくさびに縛られてな! それに追い打ちを加え、オマエの果てぬ殺意を呪縛の鎖錠さじょうと課すかよ! オマエが殺意に溺れれば溺れるほど、元凶たる娘には罪の重さが増すのだぞ!」

「おお……ぺ……ペニー!」

 真に迫る気高き波動が、鬼を成す琴線きんせん断裁だんさいした。

「わ……私は……私は!」

「挙げ句『望むところ』だと! このエゴイストが……キサマは〈母親〉という肩書きに酔っているだけだ! 愛情の有様ありさまを履き違えるな!」

「おお……おお……おおおおおお!」

 復讐に生き続けてきた妖婆は、見開いた目に大粒の涙を流していた。

 さりとて、これは負の涙では無い。

 零れ流れる温かさは、永らくサリー自身が殺していたもの──自分自身であった。

「お……おおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ………………」

 年老いた母親は、ただひたすらに泣き崩れる。

 ようやく救われた気がした──永遠に続くとも思えた呪刑じゅけいから。

 人の心に泣き濡れながらも、サリーはカリナへの感謝を吐露とろせずにはいられなかった。

「カリナ様は……カリナ様は、本当に御優しいのですな」

「フン、脳味噌でも逝ったかよ?」

「だって、ほれ」しわれた古枝ふるえだのような指が、カリナの嗜好品を指す。「カリナ様の優しさは、その〝柘榴ザクロ〟が証明してございます……証明してございますとも」

「……チッ、ごとを」ばつ悪く顔をそむけたカリナは、身を投げるように座り直した。誰にも明かさぬ本意を見透かされ、ひねくれ者は弁明を盾とする。「ベジタリアンなのさ、私は……」

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