鮮血の魔城 Chapter.2
正面入口から直結した大回廊。その空間は仰ぎ見るに天井高く、また所要面積も
しかしながら、
その霊気漂う空間で、吸血鬼一同が凍りつく。まるで時間が静止したかのように……。
警戒と驚愕のままに凝視するのは、大顎を開放した正面玄関。
淡い月明かりの逆光に、細身の
彼女が戦果と
紅き刃を奮い終えた少女は、戦闘の余韻へと浸っているようにも映る。自らが展開した惨劇に酔うが如く。
大理石の床をドロリと広がり染める赤黒い粘り。やがて死体からは偽りの肉が朽ち落ち、古びた骨格を本性と
「やれやれ……この城では、来訪者を問答無用に攻撃するのが
軽い剣舞に乱れた前髪を退屈に遊び、カリナは挑発めいた不敵を飾った。
品定めに流し見る吸血鬼達は、恐々と強張り血塗れた事後を凝視するだけの小物ばかり。彼女の
だが、その中にも
ギラついた敵意で睨み据える鎧騎士──ジル・ド・レである。
起きた状況を分析しつつ、彼は少女の正体を推測していた。
(
「
重ね重ねの無礼な挑発が、ようやくジル・ド・レを硬直から解放した。
「黙れ! 此処を何処だと──誰の城だと思っている! このような狼藉、許されると思うな!」
「狼藉……ねえ?」と、軽い嘲笑。
それがジル・ド・レの
「な……何が
「私は開放されていた城門を潜っただけさ。それが嫌なら朽ち錆びた城門を閉じておけよ──永遠に」
「此処は〈
「なるほど、城内侵入が罪状か。ならば──」悪意を向けた
それこそ彼女が望んだ展開となった。
一瞬、ジル・ド・レの背筋に、
少女の
生前の戦歴から、彼も腕には覚えがある。並大抵の相手ならば遅れを取る事も無い──そう自負していた。
だが、この不敵な少女からは、得体の知れない焦燥が負わされる。明確な技量差に屈服を噛むような感覚だ。まだ剣を交えてすらいないというのに……。
(ええい、呑まれるでない!)
静かに
それが窺えるからこそ、カリナにも高揚感が湧く。空虚な生が続く中で、彼女は絶えず血が
「来賓の皆々様、下がられよ。此処は
狼狽隠せぬ来賓勢に身の安全を約束し、吸血騎士は前へと進み出た。役目が久しい愛剣を
力強く腰を落としたジル・ド・レは、両手握りの両刃剣を顔脇の高さで水平に構えた。切っ先を照準の如く少女へと重なり合わせる。
決闘の覚悟を確信したカリナが、抜き身の愛剣を一振りに
先制の機を
「珍しいな」悪意の
「何がだ」敵意を逸らさずに騎士が訊う。
「オマエだよ。これまでも一対一の闘いはしてきたが、ちゃんとした〝構え〟を見たのは数えるほどだ」
「それは、貴様が剣の心得も無い
「……かもな。だから、満たされない」
これまでの味気ない楽勝を思い出し、カリナは自嘲に肩を
「貴様は
「私には〝構え〟など無いからな」
「そうか」
「そうだ」
睨む
地を蹴ったのは、共に同時!
跳躍の勢いのままに間を詰める少女を、ジル・ド・レの重い突きが迎え打つ!
不安定な滞空を攻められたカリナは、
紙一重で脇を掠めた力強い
その
「チィ!」
ジル・ド・レは
「それをやるかよ!」
忌々しさに吠えるカリナ!
続け様に繰り出す二撃目!
狙うは脇腹!
捕らえる!
「グッ?」
衝撃に体勢を崩しながらも、ジル・ド・レが片膝着きに乱暴な一振りを
圧を感じたカリナは、すかさず
ただ単に
体重を乗せた一蹴は鎧
再び距離を離れ、互いに
「フン……思ったよりも、やりおるわい」
「フッ……やはり鎧というのは厄介だな。有効打には程遠い」
先制の一撃はカリナが与えたが、今回の戦いでは
せめてもの利点は、彼女の速攻性が
「クックックッ、惜しいな」
ジル・ド・レが含み笑う。
「……だな。やはり
「いや、そうではない。貴様自身が……だ。それだけの戦闘技量──天賦の才かもしれぬが──なかなか御目に掛かれるものでもない。何故、貴様のような逸材が無名であったのか。否、何故に女の身に生まれたか。実に惜しいものよ」
「私の答えは、こうだ──『知るかよ』!」
互いに刃を交える価値を認めたか、愉悦を同調に浮かべる。
それは語らずとも再戦の合図となった!
「「おおおおおおおおおおおおっ!」」
二人の雄叫びが激しく重なり、
と、その時!
「双方、剣を収めなさい!」
凛とした威令が過熱に水を差した。
唐突な横槍に場の流れが硬直し、息巻いた決闘は強制的に中断される。
声の主に一同が関心を注いだ。
階上の踊り場だ。
そこには、清廉な印象の令嬢が
(……誰だ?)
カリナもまた、優麗な支配力へと注目する。
純白のロングドレスに、淡く波打つ豊かな金髪。覗く柔肌は遠目にも白雪のようだ。
典型的な貴族令嬢であった。当然ながら、武力面で秀でている印象に無い。
にも
その正体に、カリナは強い好奇心を抱く。
同時に彼女の内には、他愛ない苛立ちが芽生えていた。
自分と対極にある品性が、いけ好かなかったからだ。
彼女が〝血統書付き〟だとすれば、自分が〝
純白の少女は緩やかに曲がる大階段を下り、
「ジル・ド・レ卿、これは何の騒ぎです」
「ハッ、申し訳ありません。されど、捨て置けぬ事態にあったが
「捨て置けぬ事態?」
「
「──私だよ」言い訳がましいジル・ド・レの説明を
「
怪訝そうに値踏みするカーミラ。
それを尻目に流したカリナは、愛剣で軽く空を切って
「で? その不埒者とやらを、どう処理する気かよ?」
相手を世間知らずの温室育ちと踏んだが
「き……貴様、無礼であろう!」
烈火の如きジル・ド・レの怒声。
それさえも、カリナは不敬な
「コイツが何処の誰だか知らんが、私には恐縮してやる義理はない。オマエ等〝飼い犬〟と違ってな」
「愚か者! この御方こそロンドン塔城主にして、イングランド領主! そして、我等が〈
飾り並べられる不本意な誇示を、カーミラ当人は複雑な心境で噛み殺していた。
「カーミラ?」微かに聞き覚えのある名に、カリナは記憶を掘り起こす。「ああ、
「ア……アレだと?」
敬意も緊張も畏怖もない態度に、ジル・ド・レの顔が益々紅潮していく。
「確か〝ドラキュラ〟とかいう
「ぶ……無礼者が!」
「先刻よりもいい顔しているぞ、
明らかにカリナは、ジル・ド・レを露骨な玩具としていた。思いの外に感情的な側面を知り、どうやら
「
「カリナ──カリナ・ノヴェール」
「そう、カリナ……綺麗な響きね」
相変わらず刺々しいカリナの攻撃心に、カーミラは
「で、どうする気だ? 〝伝説の
「そうね。
「……何?」
「互いに対等の立場で話を聞きましょう。その上で
(何だ、コイツ?)
自分から散々挑発しておいて何だが、カリナは珍しくも戸惑いを覚える。
彼女の隠し武器でもある毒気は、清らかな流水に希薄化されるかのように効果を弱めていた。
(カーミラ・カルンスタイン……初めて会うタイプだな)
思いがけない未知なる収穫に、カリナの興味が改めて首を
コイツの底を見極めてやりたい──そんな強い衝動に沸き立ち、久しく眠らせていた好奇心が高まった。
薄暗い石造りの通路を、ジル・ド・レは黙々と進む。
在城階級者だけに利用される幅狭い通用路だ。他に往来の姿は無い。
硬い涼気が陰湿な霊気と混じり合い、飾り気すら無い
等感覚で石壁へと設置された燭台が、暖かな
カリナとの激闘に剣を収めた彼は、続け様に事後の始末へと奔走した。来賓勢の不安を
そうした城内管理の責務を一
黙々と闊歩しながらも、その胸中は穏やかにない。
雌雄の決着が棚上げとなった
ユラリと大きく灯火が息吹いた。
一瞬膨張した燭台の陰影から、一片の影が分裂して踊り出る。黒の平盤は醜い泡を吐いて
陰湿な雰囲気を
抑揚を抑えた声で、従者が主人へと呼び掛ける。
「……ジル・ド・レ様」
「プレラーティか」
ジル・ド・レは振り向きもせず、憮然と闊歩したまま応対した。どうやら背後の気配を察知していたようだ。
「先程の闘い、実に惜しゅうございました」
「フン、何処からか見ておったか」
「我はジル・ド・レ様の〝影〟にございます。いつ
プレラーティは粛々と
この男──〝フランソワ・プレラーティ〟は、生前時代からジル・ド・レの片腕的存在だ。
そして、ジルを〈吸血鬼〉へと誘った人物でもある。
かつてのジル・ド・レは錬金術に傾倒していた。
目的は、伝説の秘石〈賢者の石〉の精製。
日々の散財に枯渇する資産を潤すためである。
錬金術最大の極意である〈賢者の石〉さえあれば、無尽蔵に〈金〉を生み出せるはずだ。
そのために雇用した錬金術は数知れぬ。
しかし、全てが自称者であり、
失望に怒り、どれほどの人材を首にしたかは数えていない。
そんな折りに現れたのが、この〝プレラーティ〟なる人物であった。
詳しい出自はジル・ド・レも知らない。
肝心の〝本物〟でさえあれば、その辺りは不問と構えていたからだ。
どちらかといえば、プレラーティは錬金術よりも黒魔術に長けていた。
だが、その腕前は──
だからこそ、ジル・ド・レは喜々として召し抱えたのである。
目的が〈賢者の石〉から〈悪魔召還〉へと推移したが、大局的には問題ない。
この
自身が心底から追い求めた真の欲求は、その先にあるものだと……。
「しかし、あの者もなかなかの手練れであったかと──確か〝カリナ・ノヴェール〟でしたか」
プレラーティが分析の感想を述べる。
「フン、
主君に身の安全を警鐘した彼の進言は、少女城主の柔和な
「確かにカーミラ・カルンスタインならば、あのカリナ・ノヴェールとかいう小娘にも遅れは取らぬでしょう」
「だが、それは同時に、ワシとの実力差を明瞭に暗示しておるのだ。カーミラ・カルンスタインの
己との実力差を忌々しく噛む。
「戦いは男にこそ本分! 女は男に頼ればいいのだ! 女の身にあって、剣を握るなどと……!」
生前に於ける主君を想起したジルは、込み上げる苛立ちを呑んだ。
「力あらば……我に、もっと力あらば…………っ!」
永きに渡る渇望が益々募る。
そんな主人の葛藤を、暗い瞳は淡々と見つめていた。
脳裏に去来する悲劇──英仏百年戦争。その苦々しい記憶を、ジル・ド・レは
「
「停戦の和平を結びたくば、手土産として決起の象徴たる英雄の死を差し出せ──と」
「そうだとも。そして、我が祖国・フランスは、イギリスからの不条理な条件に乗った。恥知らずにも救国の英雄を見捨てたのだ。恩義も誇りも無い
「私は、それを叶えるべく
「そうだとも! だからこそ、魔性へと身を
「しかし、
「ああ、そうだ! それこそが〈吸血鬼〉に転生した経緯だ! どうだ! 貴様の姦計通りか!」
「……私は、
「フン」
あくまでも沈着冷静に徹するプレラーティの態度に、ジル・ド・レは激昂を削がれていく。
「後悔なさっておられるのか?」
「……いや、確かに〈吸血鬼〉へと転生する事で〝力〟は得た。そして、それはワシ自身が望んだ結果よ。そこに不服はない。だがしかし──」
「しかし?」
「──まだ足りんのだ。このままでは、カーミラ・カルンスタインには届かぬ。あのカリナ・ノヴェールとかいう小娘も凌駕できぬ。力が足りんのだ……全然な」
「……
いま、ジル・ド・レの内には、あの時の欲求が甦りつつあった。
「……プレラーティよ」
「はっ」
「会議の日取りが近い。現状は下がるがいい」
「……はっ」
素直に影へと還る従者。
強い負念が激しい
迷いの根源がカーミラへの嫉妬心からなのか、現在は亡き主君への固執からなのか──もはや彼自身にも分からぬままに。
いずれにしても、かつて彼が心酔した〈聖少女〉は、もういない。
カーミラ・カルンスタインは〝
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