第103話 メイド in 冥土(再)

「ご主人様ぁ」

「帰りなさいませぇ」


 やたら舌ったらずな甘い声で目覚めた。あれ。すごい既視感を感じるぞ。この場合は既聴感とでも言ったらいいのだろうか。俺は横たわっていた地面から体を起こす。左胸に矢が刺さっているかと思ったら何もない。穴も開いていなかった。


 なんとなく懐かしさを感じるフワフワとした感覚で周囲を見回す。周囲は見渡す限りの荒野で、一方だけ霧がかかっており、そこにはチカチカと派手な電飾を付けたものがぼんやりと浮かび上がっていた。揃いの服装をした人影が見える。うーん。なんだろう? そっちに行っちゃダメという気がするが……。他にあてもないしな。とりあえず、そちらの方角に歩き出す。


 近づいて見るとだらしない格好のごろつき達がそれぞれ両手に女の子を抱いていた。みな可愛らしい顔立ちで、揃いの服装をしている。ウエストがきゅっとくびれた黒いワンピースに白いエプロン。俗にいうメイド服というやつだ。ワンピースの中に手を突っ込んでぐにぐにしている奴もいる。がっつきすぎてドン引きだった。


「んもう。慌てなくても逃げないんだからぁ」

「でも、私も感じてきちゃったあ。ね、上でゆっくりと」

 女の子達の嬌声に包まれた一団は坂道を上がっていった。ゲテゲテに飾り付けられたタラップと観光地で見るような海賊船を模した遊覧船のようなものを見て俺は思い出す。あかん。これは近づいたらダメなやつだ。


 踵を返そうとした俺の前にすらりとした女性が立つ。メイド服が意外に良く似合っていた。煽情的な感じはなく、むしろ気品さえ漂う女性。その顔を俺は良く知っていた。

「果音……」


 目の前の果音は優しく微笑む。

「山田。疲れたでしょう?」

「か、かの、山崎はどうしてここに?」

 俺は混乱したまま質問する。


「どうして? だって、私たちは恋人どうしでしょ? 側にいるのはごく普通のことじゃない? よく頑張ったわね。でも、もういいの。これからは二人で穏やかに暮らしましょう?」

 柔らかな微笑みを浮かべる果音。


 大量に酒を飲んだ時のように濁った頭で俺は一生懸命に果音の言葉を理解しようとする。

「二人で?」

「そうよ」


 果音が瞳を伏せる。

「それとも、私じゃ嫌かしら?」

「そ、そんなことはないよ」

「嬉しい。それじゃあ、ね?」

 果音が両腕を広げ、恥じらうような、それでいて俺を誘うような姿態を見せる。


 違う。果音はこんな子じゃない。がさつで直情径行で元気いっぱいで、それでいて実は心根は優しいけど、男に媚びることだけは絶対にしない。鬼の目に涙が光ることがあっても、悲しさに心が沈むことがあっても、極まれに甘えることがあっても、このような媚態はしない。


「せっかく、そんな姿にまでなったのに悪いな」

 俺は後ろを向いて走り出す。遠くで俺を呼んでいる気配がした。心配が3割と怒りが7割。うん、この感じは間違いない。生命力あふれるこれこそが果音だ。その気配に導かれるように俺は走る速度を上げて荒野を疾走する。


 やがて前方に深い断崖絶壁が現れた。向こう側は見えず、漆黒の闇が口を開けていた。それでも俺は確信していた。これこそが正しい道だと。意識を取り戻したら往復ビンタの一つも貰うんだろうなと頭の片隅で考えながら、俺は最後の距離を詰めて勢いよく跳んだ。


 体が揺られる感じに目を開けるとシュトレーセと目が合った。

「気が付いたわよ」

 ニヤっと笑うシュトレーセの八重歯がキラリと光る。

「私はこのままでもいいけど、ヤマザキが嫉妬するから、自分で歩いてね」


 俺のことをお姫様抱っこしていたシュトレーセがそっと俺を地面に立たせた。

「バカヤロウ。ぼやぼやしてんじゃないよ」

 容赦のない罵声を浴びせてくる果音。その体にはあちこちに赤黒いものが飛び散って付いていた。


「山崎。怪我したのか?」

「バカ。アタシがするわけないだろ」

 バカバカ景気よく言ってんな。

「じゃ、じゃあ……」

「ヤマザキはちょっと力が入り過ぎちゃったのよ。だから返り血をちょっとね」


 俺は足早に歩く一団に速度を合わせようと小走りになりながら、改めて仲間の姿を確認する。ティルミットも喘ぎながら走り、シュトレーセは長い足を動かし余裕で歩いている。果音は不機嫌と通常の中間といった感じの表情でズンズン進んでいた。そして、同じく血の付いたサーティスは心ここにあらずという風情だったが、俺と目を合わせるといつもと違い俺を見つめてくる。


「ど、どうして、こんなに急いでいるんだ?」

「誰かがドジを踏んで時間がかかったから、他の敵が来る前に離脱してるに決まってんだろ」

 道は川に突き当たるが構わずジャブジャブと入っていく。身が切れるように冷たい。それでも構わず果音は水をすくい上げ返り血を洗い流している。


 向こう岸に渡り、林の中に入ると速度を緩めた。

「ああ。さっぱりした。あんな奴の血が付いてると思うと気持ち悪かったからね」

 果音はそういいながら、クシュンと口を手で押さえながらくしゃみをする。

「山崎。大丈夫か?」


「ああ。これぐらい平気さ。歩いているうちに乾くよ」

 そして、語調を変えると人前だというのにとんでもないことを言いだす。

「それとも山田の体で温めてくれるとでもいうのかい?」

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