第2話 それはゲームから始まった

 そして3か月経ったある日、またも梨華から突然メールが届いた。

「今日、私とデートしない。本当は香奈子と食事に行く予定だったんだけど、香奈子がダメになっちゃったわけ。で、大野君どうかなと」

 松島香奈子も同期の一人だ。しかし、デートという言葉を使いながらも、香奈子の代わりだとバラされてしまうと冷める。断ろうかと思ったのであるが、どうせ帰りにコンビニで買った弁当を一人で食べるくらいなら付き合ったほうがまだましかと、誘いに乗ることにした。

 二人で六本木にあるしゃぶしゃぶの店に入る。

「この店、前から知ってたの?」

 梨華が店内を見回しながら言う。

「いや、ネットで調べた」

「ふ~ん。ほんとうは彼女と一緒に来たとか?」

 にやけた顔をつくりながら梨華が言う。

「なんでいちいち余計なこと言うかなあ」

 つい苛立って、きつめな言い方になってしまった。すると、梨華は急に俯いて、小さな声で言った。

「ごめんなさい」

 そんなしおらしい態度をとられると、自分のほうがが悪いことをした気になってしまう。

「別にいいけど」

「私ってこういうこと言うから男の人に嫌われちゃうのよね」

 前にも何かあったのだろうか。

「そんなに落ち込むことでもないさ。まあ、とにかく乾杯しよう」

 ビールで乾杯した後、ワインに変える。

「心配しないで。もう飲み過ぎることはないから」

 同期会でのことを後悔しているらしい。

「まあ、女の子はほどほどにしたほうがいいかもね」

「はい。わかってます」

 今日はいやに素直だ。こういう梨華は可愛いと思う。もともと顔は可愛いのだけど。

 その後は雑談で盛り上がり、楽しい時間を過ごしていた。話が一段落したところで、また梨華がおかしな提案をした。

「ねえ、大野君、ゲームしない?」

「ゲーム?」

「うん」

「どんなゲーム?」

「私たち仕事で外出することがあるじゃない」

「そりゃあ、あるよ」

「でね、例えば私が外出した時は私が大野君に電話して、大野君が外出した時は大野君が私に電話するの」

「部署が違うんだから特に用事はないと思うけど」

「まったくー、マジメか。そんなことどうでもいいのよ。これはゲームなんだから」

「なるほど」

「それでね、大事なのはこれから。話の内容は何でもいいの。その日ほんとうにあったことでもいいし、前日テレビで見たことでもいいわけ。ただ、会社で受けているほうはあくまで仕事の話をしているていにするわけ。例えば、『そうですか、先方に伝えておきます』とか、『はいわかりました。では、そのようにします』とかね」

「うん、わかるよ」

 しかし、ここまで梨華の話を聞いていてもそれほどゲーム性は感じられない。

「そして、話の最後に必ず『好きだよ』って言うの。ここまでがゲームのルールだから絶対守ること。特に最後の言葉は決め台詞だから、それ以外のことは言っちゃダメ」

「ええー、何、それー」

 純一は思わず大きな声を出してしまったが、次には受け入れてしまっていた。

「でも、面白いかも」

 まったく関心のない相手とだったらやらなかったと思う。でも、純一はすでにこの時点で梨華に好意を抱いていた。

 ゲームは翌日からスタートするということで、その日は早めに別れた。しかし、実際には仕事の中で行動を起こすチャンスはそうそう訪れない。特に企画開発部に所属する純一は、そもそも外出する機会自体が少ない。

 だが、その日は突然訪れた。

 純一が帰宅の準備をしていた午後8時頃、一本の電話が入った。電話をとった新人の木村敏夫が純一に向かって言う。

「大野さん、電話です」

「誰?」

「山村物産の方みたいです」

 山村物産は取引先企業の一社だ。帰ろうと思っていたところだったので、正直面倒くさいなとは思ったが出ないわけにはいかない。重い気持ちで受話器をあげる。

「はい、大野です」

「ワタシ」

 耳に飛び込んできたのは、梨華のいたずら気たっぷりな声。しかし、まだ残業している他の社員たちに悟られないためにも、こちらはあくまで山村物産の人間と話しているようにしなければならない。

「いつもお世話になっております」

「ふふ」

 純一の答えを面白がっているようだ。それにしても、『ふふ』は勘弁してほしい。

「それで今日はどのような用件でしょうか?」

 純一はあくまでビジネス対応をする。

「あのさあ、今、私、公園近くの公衆電話からかけてるんだけど、目の前でカップルがイチャイチャしてるのよ。どうしてくれるのよ」

 こっちが梨華の話に乗れないのをわかっていて、わざと仕掛けてくる。

「はあ。そうおっしゃられてもですねえ」

 梨華は純一の言葉などまるで無関心のように、自分の言いたいことだけを言う。

「あっ、話違うんだけどさあ、今週の金曜日またデートしない?」

「ええと、その件はスケジュール調整しまして、こちらから改めて連絡させていただきます」

「うん、わかった」

 そう言った後、少し無言になる梨華。沈黙に耐えかねて純一が口を開く。

「いかがでしょうか」

「好きだよ」

 ためにため、思いを込めたように言って、いきなり電話は切られた。その瞬間純一は心臓をわしづかみされたような感覚に陥った。少しの間受話器を持ったままボォっとしてしまった。ゲームの初回ということもあってか、今日は刺激が強かった。胸の中のざわつきが収まらない。こんなことが繰り返されたらどうなっちゃうのだろうか。純一の、この心配は、いい意味で現実のものとなる。

 営業部に所属する梨華のほうが外出の機会が多いため、必然的に梨華から電話を受けることのほうが多くなる。梨華は、最後に言う『好きだよ』の言い方を、その都度変えてきた。ある時は可愛い声で、可愛らしく。ある時は色っぽく『す・き・だ・よ』と言ってみたり。時には、恥ずかしそうにボソッと言ってみたりと。いつしか純一は梨華の電話を心待ちしていた。

 一方の純一にも数は少ないものの外出の機会はあった。その際には、梨華に負けじと最後の決め台詞の言い方に工夫を凝らした。例えば、わざとぶっきらぼうに言ってみたり、低い声で囁くように言ってみたり、甘えた口調で言ってみたりと。

 ゲームが二人の距離を縮めたことは間違いない。デートも重ねるようになった。ただ、実際はデートというより、同期の気の合う仲間と雑談を楽しむという雰囲気だった。暗黙の了解で、お互いゲームのことには触れないようにしていた。もし触れたら、真剣に話し合わなければいけなくなるような気がして、二人とも触れたくとも触れられないと思っていたのかもしれない。

 しかし、最初の動機がゲームだったとしても、『好きだよ』と言われ続け、またいい続けることによって『恋』は本物になっていた。少なくとも純一はすっかり梨華に心を奪われていた。だから、純一はルールを破る決意をした。

 ある日、久しぶりに訪れた外出の機会。仕事を早々に終えた純一は、新宿にある公園の中に入った。この公園は都内にあるにも関わらず昼間でも人が少なく静かな場所であることを知っていたからだ。携帯を取り出し、会社に電話する。

「営業部の立花梨華さんをお願いします」

「どちら様でしょうか?」

「親戚のものです」

 純一の声に緊張が混じっていたせいか、受付の者は何かあったと勘違いしたようだった。すぐに繋いでくれた。

「はい、立花です」

「あっ、梨華ちゃん?」

 最近ではこう呼ぶまでの関係になっていた。

「ええ、そうですが」

「俺、蟹座なの知ってるよね」

「はい、存じ上げております」

「今朝のテレビの占いによると、蟹座の人は今日絶好調らしいんだ」

「それは良かったですね」

 梨華は純一がこの後何を話すと思っているのだろうか。

「驚くなよ」

「はい? 何でしょうか?」

「な、なんと、俺、この4月から主任となることが内定しました」

「えっ、そうなんですか。それはおめでとうございます」

「ありがとう。だから、これからは仕事が忙しくなるので、悪いけどこのゲーム今日で終わりにしたいんだ」

「そうですか…」

 梨華の声が沈んでいく。

「うん。それで、これから最後のアレを言うからよく聞いてほしい」

「わかりました」

 今にも泣き出しそうな梨華の声に、純一の胸まで詰まる。

「これから俺が話すことはゲームなんかではなく、本当のことだと思ってほしい。俺は梨華のことが『好きだよ』、大好きだよ」

 すべての思いを込め、心から言った。電話の向こうで梨華が息を飲んだのがわかった。

「だから、俺と結婚してください」

 梨華は黙ってしまった。梨華の沈黙が純一にとってはひどく長いものに思えた。ひょっとして自分は大きな勘違いをしていたのだろうか。

 その時、梨華の声が再び聞こえた。

「ありがとうございます。そのお申し出、喜んでお受けさせていただきます」

 精一杯ビジネス対応している梨華が、愛おしくてたまらなかった。

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ゲームから始まった恋 シュート @shuzou

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