夜の帳、闇の捕食者

牧野 麻也

ロンドンの切り裂き魔

「お嬢さん、一晩幾らで枕を共にしてくれる?」


 突然背後からそう声をかけられ、街灯の下に立っていた女──茶色と白のマダラ模様の外套を肩にかけつつ、そこから覗く服は前合わせで美しいデコルテが街灯の明かりを反射する。スカートからは白い太ももがチラリと見え隠れしつつも、足にはゴツイ編み上げブーツを履いていた──は驚いて振り返った。


 振り返った先──路地の暗がりの中には、先程までの雨で濡れた石畳に濃密なカゲを落とした男が。

 女と同じように外套を着込んでいるが、フードは落とされ、顔の半分が街灯の光によって照らし出されていた。

 ブルネットの髪を横に撫で付け、少し神経質そうな顔には髭はない。妖艶に光る双眸とほんのり讃えられた笑みは、彼の魅力を最大限に引き出していた。


 その彼の顔を見て女は──

「やだっ……イケメンっ……!」

 頬をほんのり赤くした。

 その次の瞬間

「馬鹿者がっ!!」

 何処からともなく渋く野太い、別の男の声が。

 その声が上がった瞬間、彼女の肩にチョコンと乗った小さな鳥が、ビシビシと彼女の耳をつついていた。

「いたっ! なんでっ……いたたたっ! やめてよヤメっ……ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」

 耳を小鳥についばまれた女は、訳もわからず小鳥に謝る。

 一度大きく膨らんで、ぶふーと息を吐き出しながら、小鳥は気が済んだように小さくなった。

「お前、今娼婦呼ばわりされた事に気付いてないだろう。だから馬鹿なんだ。馬鹿。愚か者。痴れ者。デカ女」

「デカ女は関係なくない?!」

「あるわ大女。お前がデカイから。俺を見習え」

「アンタが小さいだけじゃん! 私は大きくないよ普通だよ!」

「お前そんな事言って──」


 路地に立つ男を完全無視して言い合いを始めた女と小鳥。

 男は、女の肩にチョコンと乗ってギャイギャイと小鳥を凝視すると、何かに気付いたのか、突然歯をむき出して大笑いを始めた。

「ははははは! お前が……そうか。最近噂に聞く『フクロウ』か!! トリを連れた男だと聞いていたが……噂はアテにならないね。確かにその鳥はフクロウのようだけど……小さいし。連れてるのは大きいが女じゃないかっ!」

 狂気を孕んだかのような男の笑い声に、女と小鳥は弾かれたかのようにそちらへと顔を向ける。

 そして

「フクロウではない!! ミミズクだ!!」

 小鳥は、人間の言葉──しかも、見た目にそぐわず野太い男の声──で抗議しつつ、しかし見た目は小さな鳥である為、可愛く羽根をバタつかせながら抗議した。

「ぷっ。たかが羽角うかくがあるだけで大した違いはないくせに」

 女がそう小さく笑うと、小鳥はすかさず高速クチバシ突きを女の耳へとぶち込む。

「いたっ! ごめんなさい! 羽角うかくはミミズクのプライドです!」

 女はすぐさま涙目で訂正した。

「分かったならよろし──」

 小鳥──小さなミミズクが、女の謝罪を受け入れて満足しようとした時。


 男が無言で石畳を蹴り、街灯の光を鈍く曇らせて照り返す大振りのナイフを抜き放って、女に肉薄しようとしていた。

「!!」

 ミミズクは飛び上がり、女はすかさず後ろへと飛び退くが、男は更にそれを追って、ナイフで斬撃を繰り出しながら前へと踏み込む。

「えっ?! ナニ突然?!」

 混乱しつつも、女は男の攻撃を紙一重でかわし続けた。空気を鋭く切り裂く音を間近で聞きながらも、怯えた様子はない。

 なかなか刃が届かない事に男も焦れた様子はなく、むしろ楽しげに笑いながら、じゃれるようにナイフを繰り出していた。

「最近なかなか娼婦獲物がいなくて困っていたところだよ! 見つけたと思ったら、それが噂の『フクロウ』だったとは!

 俺はツイてる!」

 そう半ば叫びながら哄笑する男に、女は眉をピクリとさせる。

「コイツもしかしてっ……」

 男の言葉に気取られた女は、ステップを踏んでいた足を石畳に引っ掛けてバランスを崩し、仰向けに倒れ込んだ。

「カムイ!!」

 小鳥が慌てて男に突っ込むが、パシリと手で叩かれて水溜りへと落ちた。


「さぁ、楽しもう……レディ」

 倒れた女に跨って立つ男は、唇を一度ベロリと舐めて、ナイフを両手に構え直した。

 石畳に仰向けになりながら見上げる女の、外套からはだけてむき出しになった白い足にジットリとした視線を這わせて。

 嗜虐的な笑みを浮かべて見下ろす男を、ミミズクに『カムイ』と呼ばれた女は、無機質な表情で見上げていた。

切り裂きジャックジャック ザ リッパー……」

 女──カムイがその名を呼ぶと、男は嬉しそうにはにかんだ。

「『フクロウ』にも名を知られてるとは嬉しいね。君も僕たちの間では有名だよ? ま、あくまで噂だったから……実物を知って少しガッカリだけど。

 まぁでも、その『フクロウ』と楽しめる僕は幸運だ。ましてや、君のように極上で醜悪な『女』なんだから」

 男──切り裂きジャックジャック ザ リッパーは、女──カムイの胴に腰を下ろし、両手で持ったナイフを胸の中心へと充てがう。

「君の嬌声を聞かせて……?」

 うっとりとした艶かしく優しい声でそうそっと呟くと、次の瞬間、目を見開いてナイフを振りかぶった。


「じゃあ、コイツを、食べていいんだね?」


 女──カムイのその声に、男は途轍もない悪寒を感じてナイフを振り下ろした手を途中で止めた。

「ああ。コイツが次のターゲットだったようだ。俺たちはツイてる」

 いつの間にか、落ちた水溜りから街灯へと場所を移していたミミズクが、嬉しそうにそうさえずる。


 えも言われぬ恐怖に支配された切り裂きジャックジャック ザ リッパーが、その感情に突き動かされて腰を浮かそうとした瞬間。

 両腕を石畳に広げた女──カムイの、白い両脚が彼の上半身に絡みつく。

 勢いそのまま地面に横倒しにされ、逆にカムイが切り裂きジャックジャック ザ リッパーの上に跨った。

 彼の首とナイフを持つ片手を彼女は器用に両足で踏みつけ、両腕を外套と共にバサリと広げた。

 ザワザワと、その外套と腕が

 彼を地面に縫い付ける彼女の脚も、まるで何かが粟立ち茶色く覆い尽くしていく。


「久々のご飯……私はアンタと違って獲物をいたぶる趣味はないの。すぐに息の根を止めてあげる。苦しくないからね?」


 切り裂きジャックジャック ザ リッパーの顔に、グイッと近づけられた彼女の顔。

 瞳が、金色に輝いていた。

 そうしているうちに、風にたなびいた羽のようなものが、彼女の全身を覆い尽くす。

 ザワザワという耳障りな音が止むと──


 大きなフクロウが男を組み敷いていた。


 彼の首や手首を踏みつけていたブーツは、いつの間にか鋭い爪が生えて猛禽のソレに変化し、広げられた外套と腕は、白と茶色でマダラに彩られた大きな翼となっていた。


「コタン・コロ・カムイ。ここではトドメだけ刺して、ゆっくり楽しむのは町の外でにしよう」

 街頭に留まった小さなミミズクが、フルフルと楽しげに身体を震わせて、男にのしかかる大きなフクロウに、目を細めてそう笑いかける。


 それに大きく頷いたフクロウは、喉を締めつけられ声も出なくなった男に向けて


「じゃあ、いただきます」


 嬉しそうにそう呟いた。



 ***



 地平線から顔を出した朝日が差し込む郊外の川辺にて。

 近くの木の根元にもたれ掛かり、女は久々の満腹感に微睡んでいた。

 その肩には、小さなミミズクが身体をモコモコに膨らませて眠りこけている。


「人間の世界って大変だよね。食べ物に困らないのにするヤツがいるなんて……」

 ミミズクは小さくイビキをかきながら寝ている為、女のその声には答えない。

 女も構わず独り言として続ける。

「しかも、この国は共食いする人間の男が多いねェ。まぁ、だから私が『町を守る』って名目でご飯にありつけるワケだけどー……」

 女の金色の瞳に、瞼がトロンと落ちてくる。

「コノハ……そろそろ起きて……私もう限界……」

 女は、肩に乗った小さなミミズクをそっと掴んで自分の横の地面に置く。

 そして、首元をくすぐってを起こした。

「……ん? もう朝か。昼型なのに夜更かししたからキツイな……」

 ミミズクは、小さな翼をめいいっぱい広げて伸びをする。

 そして登ってきた朝日を、その金色の目でじっと見つめた。


 小さなミミズクは、全身の羽をざわつかせて大きく膨らむ。

 本来であればひと回りほど大きくなるだけの筈のその身体が、ムクムクと大きくなっていく。


 全身のが収まると、小さなミミズクは枯葉を模したかのような外套に身を包んだ、人間の男になっていた。

「じゃあコノハ……あとよろしくー……」

 木にもたれた女が、最後に小さくそう漏らすと、完全に目を閉じてグッタリする。

 彼女の全身がザワザワと茶色い羽が生えてきて、それに応じて全身がスルスルと萎んでいく。


 場が落ち着くと、木の根元には大型のフクロウが一羽完全に寝こけていた。


「お疲れ、カムイ。じゃあ、また俺は町に戻って次のターゲットを探すよ」

 男はすくりと立ち上がり、寝こけたフクロウを肩に乗せる。

 フクロウはコックリコックリしながらも、足でしっかりと男の肩につかまった。

「重っ……このデカ女が……」

「私の一族はこれがフツー……」

 ボソリと呟いた男の言葉に、フクロウが寝ぼけながらも反論する。

 そんな彼女の首元を、男はサワサワと撫でた。

「さてと。行くか」


 男と大きなフクロウは、朝日に色を取り戻していく町へと、ゆっくりとした足取りで戻って行った。



 ***



 世間を震撼させた切り裂きジャックジャック ザ リッパーが結局捕まることなく姿を消した為、伝説のシリアルキラーになったという事を、二人は知る由もなかった。



 了

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