不幸鳥の怪人

信濃 賛

不幸鳥の怪人

「不幸鳥の怪人」の噂を聞いたのは大学のキャンパス内で、学生たちが群れて話しているのを傍聞きした。



「不幸鳥の怪人」。二年前に廃業したおばけ屋敷に出るという、首が180度回った状態で追いかけてくる怪異。夜中に出るということと首が180度回ることから、ふくろうの別名・不幸鳥の名を冠した怪人。



「不幸鳥の怪人」が現れるというおばけ屋敷は、キャンパスのある県から隣の県に移動する国道を少し進んで、一本入った町はずれにあるという。



オカルト研究会の一員としてこの噂の真相を確かめない訳にはいかない。


とはいうものの他のオカルト研究会メンバーは乗り気じゃなく、みんな何かと言い訳をして来そうになかったので一人で向かうことにした。



「ぃしょっ、と」



午後8時。わたしは少し前に買ったヤマハのトリッカーにまたがり、エンジンをかけ、目的地に向かって走り出す。ライダースジャケットを通り越して寒風が体にささる。



うわさの旧おばけ屋敷についたのは午後8時33分。この時間になると車の往来は少なく予定より十分近く早く着いた。



わたしは駐車場(車は一台も停まっていない)にバイクをおいて旧おばけ屋敷の前に立った。


二年と言うとそれほど経っていないように思えるが、人気ひとけのないおばけ屋敷からは実際に経った年数以上の年月の経過を感じ、ひどくさびれて見えた。



「さて、と」



わたしは、さびれた屋敷に活気を戻してやろうと中へ足を踏み入れた。



建物のなかは不気味な沈黙に満ちていた。


やはりこの建物には、いる。


わたしは、懐中電灯を手に妙にじめじめしたフロアを踏みつけ、進んでいく。





ほどなくして、最奥らしき部屋にたどり着く。


――とたん、空気が変わる。


不気味な沈黙は異常な粘度を持った笑い声に変わる。


じめじめしたフロアは足をからめとらんとする沼に変質する。


暗闇の中にさらに黒い「何か」が浮かび上がる。



「――。」



「何か」は人の形をしている。どうやら奥の方へ歩いているようだ。


わたしはゆっくりと懐中電灯の光を「何か」に向けた。


こちらに背を向けている。


懐中電灯の光を受けた「何か」は歩みを止め、その「場」にたたずんだ。


胴体に向けていた光を少し高くする。本来なら後頭部が見える高さに光があたる。



そうして見えたものは。



――暗闇に浮かんで見えたのは苦しみにゆがんだ青年の表情だった。



こちらに背を向けている状態では普通ありえない体勢。苦悶に満ちた青年の表情。それは、うわさに聞いた通りの様相で。



――不幸鳥の怪人が、出た。




不幸鳥の怪人は見られたことに気づくと、若干からだを前傾させた。



――走ってくる。



そう直感した。実際、噂でも走って追いかけてくると伝えていた。



――逃げなきゃ。



そう思うが早いか、わたしは入り口に向かって全力で走り出した。


数瞬後、背後で「何か」が動き出す気配がした。追いかけられている。


追いつかれてはいけない気がして必死に走る。

こんな状況なのに頭の中ではこんなに走るのいつぶりだ? などと平和ボケしたことを考えていた。



結局、わたしは「不幸鳥の怪人」に追いつかれることなく外に出ることができた。





翌日。わたしはオカルト研究会らしく、「不幸鳥の怪人」について詳しいことを知っている人に話を聞くことにした。



キャンパスの最寄り駅にある小さな喫茶店で会うことになった。



「そう、あの噂を確かめに行ったの……」



そういってタバコをふかす女性(美代子と言うらしい)。声も見た目も若くない、幸薄そうな人だった。



「ええ。追いかけられて大変でした」

わたしは媚びもせず、そっけなく答える。



「もの好きね……」



そういうと再びタバコを吸う。彼女の吐く煙は行き場を探してたゆたい、やがて大気に溶けた。



「で、『彼』の何が聞きたいんだっけ……?」



わたしは彼女の『彼』と言う発言を気にしつつも答える。



「『不幸鳥の怪人』について知っていることをできるだけお聞かせ願えますか」



しばしの沈黙。その間、彼女の吐いた煙だけが場を満たしていた。


やがて、煙が霧散すると彼女は満足したのかタバコを皿にこすり、火を消した。


そして、どこか覚悟を感じられる目をして、答えはじめた。



「私はねえ、このことについては忘れようと思っていたのよ。……でも、せっかく『彼』について聞きたいって人がいるわけだし、私自身もけじめがつけられるかもしれないからねえ、話すわ」



「私と『彼』――恋仲だったんだけど――はあの場所でおばけ屋敷をやっていたころの経営兼キャストなのよ」


「さっき追いかけてきたって言ってたわね。たぶんそれ、キャストとして働いていた時の動きだと思うわ」



「そうなんですか」



「ええ、おそらくね。 彼には生前から超人的な力があったのよ。それが、通称フクロウもどき。首を180度まわして固定する技。私は彼のその技を見て、計画していたおばけ屋敷に活かせると思って彼に言ったわ。一緒におばけ屋敷をやりましょうって」



「そうしたら彼は何と?」



「すっごく乗り気でね。人気ナンバーワン間違いなしだ、なんていってね……」

そう懐かしむように微笑みながら言う彼女。その顔は今日見た中で最もやさしく、最も切ない顔だった。



「そう……! その時、彼と私、約束をしたのよ。『このおばけ屋敷を一緒に何年、何十年と続けて繁盛させよう』って。その約束は叶わなかったけど……」



かすかに鼻にかかりはじめる声。心中を察して、野暮ったいとは思ったが問うた。



「何か、あったんですね……?」



「ええ……。開店して、フクロウもどきのうわさが広まって人気が出始めた頃にね……彼、死んでしまったのよ。いえ、殺されてしまったの方が正確ね。業務中に、ちょっとやんちゃが過ぎる子が来てね。その子に思いっきり首をねじり回されて……ね。即死だったそうよ」



「……むごいことを、するものですね」



「若者っていうのは向こう見ずなものよ。だからって収められる話じゃないけれどね……。そんな事件があったのに続けるわけにもいかないからおばけ屋敷は廃業して、何をする気もなくなってタバコに逃げたってわけ。……ああそう、あの建物に『彼』が出るとうわさになったのは廃業してから間もなくのことよ」



深いため息をつき、これで話はおしまいという感を出す美代子。



「つらいことを思い出させてしまい申し訳ありません」



「いいのよ、私の中でも一区切りになったから」



「……あと一つだけ聞かせてください。『不幸鳥の怪人』には今後どうあってほしいですか」



「え……? ……そうね、まだ未練があるのだったら、それを無くして成仏してもらいたいわ」



成仏。美代子はそう言った。未練があるならそれを無くして、とも。



「そうですか。成仏、してほしいと。……その感情に間違いはありませんね?」



わたしの突然の問いに戸惑いながらも首肯する美代子。



「わたし、こういうの専門ではないのですが、今回に限っては彼を、『不幸鳥の怪人』を成仏させることができると思います」



わたしの想像が確かならば、「不幸鳥の怪人」を成仏させることができる。



キーとなるものは『約束』だ。



「そう、なの?」



「はい。霊を成仏させるには未練を断ち切ればいいんですよ。大抵の場合は。そして、今回の霊は大抵の場合の方。つまり未練を断ち切れば『不幸鳥の怪人』は成仏するというわけです」



「彼の未練はわかっているの?」



「ええ。火を見るよりもってやつですね」



自信満々にいうわたしのペースに美代子は巻き込まれていく。



「じゃあ聞くわ。……彼の未練は一体なんなの?」



「彼の未練は、美代子さんあなたと彼の経営するおばけ屋敷がつぶれてしまったこと。彼の行動はおばけ屋敷で働いていた時のものと言ってましたからね。彼は一人でそれと気づかずにおばけ屋敷を続けているんでしょう。そして、ここから推察できる、彼を成仏させる方法は――」



「おばけ屋敷の……再建と繁盛?」



「ええ。それで間違いないと思います。――今夜、時間ありますか?」






――「おい、お前だよな? 首がぐるって回るヤツ」


何か、予感がした。こいつと関わっちゃダメだと。


  「ちょっと首かせよ! おいっ! 待て!」


逃げた。おばけ屋敷のキャストが逃げるなんて。自分はキャスト失格だ。


  「逃げんじゃねぇ! っし、つかまえた。行くぞ、お前ら見てろよっ――」


ああ、こいつ力強いな。これはもうどうしようもないんだな。逃げるk――


  ゴリュ……、ブチッ………………。……………………。―――――――。




今日もまた、客が来たようだ。昨日の客は叫び声こそ上げなかったが、逃げる時は速かった。昨日は昨日でビビってたんだろうけど、やっぱり叫び声が欲しい。今日の客の反応はどうかな。



梟介きょうすけくん!」



違和感はあるが、耳に覚えのある声だった。それは俺の技を褒めてくれた。俺のことを認めてくれた人の声。



「私、またここで――いや、ここのおばけ屋敷を繁盛させて見せるから」



そうだね。今のこのまばらな客の入りじゃあ人気ナンバーワンなんて程遠い。

ちゃんと客を入れてもらわないと困るよ、みよこ。



「だから、ね。そばで見ていて。約束通り、続けていくから。何年、何十年も」



いつだって見ているよ。みよこ。――約束、先に破ってごめんな。





美代子の前に黒い「何か」が浮かび上がった。黒い「何か」はふわりふわり揺れると、青年の形を成す前に闇に溶けて霧散した。




キャンパスのある県から隣の県に移動する国道を少し進んで、一本入った町はずれにあるおばけ屋敷がリニューアルオープンしたといううわさが流れたのはその一か月後だった。


キャッチコピーは「切り札はフクロウもどき。本物の幽霊いるかも?」。一般の人々は怖がって近づかないが、心霊好きの好事家に人気のスポットとなった。


おばけ屋敷が好きな人は行ってみると良い。ひょっとしたらまだその屋敷の最奥には切り札の「不幸鳥の怪人」がいるかもしれない。

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