第2話
私の頭部の脇に、熱エネルギーの塊がある。頬から五十一センチ離れたところで、規則的な呼吸音が聞こえる。有機物かつ生命体だ。全長一メートル三センチ。表面温度は平均四十一度。その物体を感知した、私のセンサーがオンになる。つまり、いわゆる目を開けた状態だ。
犬だ。金色の毛並みの犬が、私の顔を覗き込んでいる。
時刻は午前八時三十三分。横になっていたらしい。私はゆっくりと身を起こした。雨の中で停止した機能が、ある程度回復している。予備のバッテリーに切り替わり、自家充電が始まっているのがわかった。
その間も犬は私をじっとみている。鼻面と尻尾が長く、耳が垂れた大型犬だ。その犬はさらに私に顔を寄せ、鼻先を十センチのところまで近づけた。私の匂いを嗅いでいる。この動物なりのやり方で、データを収集しているのだとわかった。
その間に、私は自分自身を点検する。着ていた衣類は脱がされていた。雨に打たれてびしょぬれだった衣類だ。今、身につけているのは綿素材の柔らかいシャツ一枚で、下にはなにも履いていない。
私は布団に寝かされていたらしい。尻と足の下に、シーツをかぶせたマットレスが敷いてある。私は寝返りを打ったのだろうか、それとも身を起こした時のものだろうか。皺が寄っている。マットレスの脇に毛布と、掛け布団が乱雑に丸まっていた。私の身体にかけていてくれたものを、身を起こした時に剥いでしまったのだろう。
続いて部屋の中へ視線を向ける。部屋は直線でできていた。奥行き約五メートル、部屋の幅は三・二メートル、天井の高さも同じく三・二メートル。南側の壁に大きな窓がひとつあって、カーテンが閉まっている。それ以外には家具もない、箱のような部屋だ。見慣れぬ景色に、私は自分の中の情報を照らし合わせてみた。そうか、ここは旧式家屋なのだ。
現在のような有機工法が月で主流になる以前の、切り出した木材や、成形した鉄や合金、コンクリートなどを使う建築法で建てられた家なのだ。月では珍しいが、現在でもあちこちに保存家屋として残っている。実際にこの目で見て中に入るのは初めてだった。
私が自分の置かれた状況を情報として取り込み、処理している間に、犬が私から離れて一声吠えた。
壁の向こうに足音が聞こえる。動けなくなった私に最初に声をかけてきた人物と、同一のものだ。扉が開いた。予測は正しかった。彼が入ってくる。犬が彼の傍へ寄った。
「気がついた? 良かった」
彼は私を見ている。青年だ。身長は百六十六センチ、体重五十一キロ。髪と目の色は榛色、年齢は二十一歳から二十三歳の間。ごく標準的な、月面人の男性だった。
彼は黙ったままの私に気づいて、わずかに顔を曇らせ、私の顔の前で軽く手を振った。
「おれのこと、わかるかな。あなたは道で倒れてたんだよ。病院に運ぼうとしたけど、行きたくないって言うから、家に連れてきたんだ。怪我はない? ずっと雨の中にいたけど、大丈夫かな」
そうか、病院には行かずに済んだのか。
「大丈夫です」
私は頷いてからそう言った。予想していたよりも明瞭に発音できた。
「よかった」
彼は笑顔を浮かべた。犬が彼の傍に寄り添って、長い尾を揺らしている。
「おれは
彼はそう言って、部屋の外を指さした。それから「タフタ」と、犬に声をかけると、私に小さく会釈して、犬を連れて部屋を出て行った。私は犬の名前を記録し、遠ざかる人間の足音と犬の足音を聞いた。犬の首輪につけた
翡翠が指し示した布団の脇を見ると、畳んだ服が重なっていた。腕を伸ばして広げてみると、Tシャツにパーカー、スウェットのパンツだった。
このシャツ一枚の姿は、人前に出るのに相応しくないということはわかっていたので、私は着替えた。同じ場所に、着ていたシャツを畳んで置く。
次に布団を整えた。できる限り皺がなくなるようシーツを伸ばし、その上に掛け布団を重ねた。翡翠と名乗った彼や、遠雷という人が私のために用意してくれたに違いなかった。私には、こんなものは必要なかったのに。
本当は置いたままではなく、邪魔にならないように片づけたかったが、場所がわからない。後処理だ。私はそう結論づけて、部屋を出る。細長い板を並べた床の廊下に出た。幅約一・七メートル。奥行き三・八メートル。脇にいくつか扉がある。だが、人の気配を感じるのは突き当たりだ。同じところに犬の気配も感じ取れる。
扉が開いていたので、私は顔を出した。いちはやく私に気づいた犬が小さく吠えた。尻尾が揺らして、私に近づく。犬の行動で、部屋の奥にある台所にいた人物が振り返り、私に気づいた。
昨日、先ほどの翡翠と一緒にいた青年だ。つまり、彼が遠雷だろう。
遠雷は私に向かってなにか言った。先ほどの翡翠の言葉とは違い、私は瞬時にその言葉を解析し、的確な返事をすることができなかった。一・二七秒の後、私は彼が、
「よう、目が覚めたか。気分はどうだ」と、言ったのだと理解した。
その間に彼は火を止め、蛇口を閉めてから、台所から出てきていた。ダイニングテーブルに寄りかかり、前掛けで手を拭いている。犬がテーブルの下に寝そべる。
「ぼんやりと突っ立ってどうした?」
彼はそう言うと、からかうような目で私を見た。
身長一七六センチ、体重は六十八キロ。年齢は二十四歳から二十八歳までの間。月面人の標準よりだいぶ背が高いし、体つきも翡翠とは違い、骨を筋肉が分厚く覆っている。髪の色は明るい金髪。推測だが肩に触れるくらいまでの長さで、今はそれを襟足でひとつに結っている。髪の色は犬の毛並みに良く似ていた。
私が観察していると、彼はわずかに訝しげな顔をした。
「…言葉はわかるよな?」
「はい」
彼を不審がらせてはいけない。私はすぐ頷いて、目線を合わせた。不審そうな表情は消え、悪戯っぽく目つきになる。
「昨日のことは覚えてるか?」
「はい」
「熱はなさそうだったが、病院へ行くなら付き合うし、その前になにか食うか? 腹が減ってるだろ」
「いいえ、空腹は…」
「そうか?」
彼はまた怪訝な顔をする。だが、私はそれに対し、彼を納得させる回答を持っていない。
「珈琲か紅茶、それかミネラルウォーターしかない」
「なら、水をもらえますか?」
この場ではどれかひとつを選択することが、彼を納得させるのに最適だ。
「座れよ。寒くないか? よく風邪をひかなかったな」
彼はそう言って、四角いダイニングテーブルを指さした。その上の天井から照明と、飛行船と鳥の模型のモビールが吊され、ゆっくりと動いている。私は椅子のひとつに座った。
室温華氏七十五度、湿度三十二パーセント、快適な部屋だった。彼は私の前に、白黒の地球の写真が印刷されたコースターを置いた。その上に、透明な液体の入ったグラスが置かれる。
「ありがとうございます」
私はそう言ってグラスに口をつけた。水を口に含み、喉を動かして飲み干す。動力に変換できないけれど、人間のように飲み物を飲むふりができるのは、私の機能のひとつだった。金髪の青年は、私の前に灰皿を置いた。
「吸っても?」と、煙草を取り出しながら私に視線を向ける。
「もちろんです」と、私はグラスを置いて頷いた。青年がいちばん近くの窓を開ける。
「タフタ、煙草を吸わせてくれ」
青年が足元にいる犬に、そう声をかけた。
彼は私の向かいの椅子の背を引くと、外したエプロンを背にひっかけ、だらしなく足を崩して座った。
手の中でかちりと音がして、銜えた煙草に火を点ける。燃える匂いが辺りに漂った。
青年は一服してから、開いた窓に向かって煙を吐き出した。
「俺は遠雷、昨日あんたに最初に声をかけたのが翡翠。ここで一緒に住んでる。あんたの名前は?」
彼が求めているのは、私が製造された時の数字や記号ではないことはわかった。私は的確な答えを求めて、けれどすぐに回答できない。翡翠、遠雷、私は聞いたばかりの彼らの名前を頭の中で繰り返し、遠雷に不信感を与えない回答を探す。
「ジェイドです」
「ふうん、
遠雷はつまらなそうに呟いてから、私を見て目を細めた。
「あそこでなにを? 行きたくない気持ちもわかるが、雨に濡れて冷え切ってた。病院に行ったほうが良い」
「私は…」
遠雷の言葉は情報不足だ。彼にとってどんな回答が正解なのか、的確な結果が引き出せない。
「ここに来てどのくらいになる? 先輩面するわけじゃないが、別に怖いことはない。月は地球とは違う」
エラーだ。齟齬がある。遠雷の話す情報と、私自身の持つ情報は、同じ回答を導き出せない。私は言った。
「あなたはなにか誤解していると思います」
「誤解?」
遠雷がまたも怪訝な顔をした。私の顔を見て、表情を窺い、そこからなにか情報を引き出そうとしている。私も同時に、彼に正確な回答を与える手順を考えた。まずは彼の質問に答えることだ。
「ここに来てどれくらい、ということですが、トリスネッカー市に来たのは十七時間前、昨日のことです。それまでいた場所から抜け出してきました。雨の中でずっと休みなく動いたので、バッテリーが切れたのです」
「バッテリー?」
遠雷が顔を顰めた。
「そうです。今は予備の方で動いています。自家充電できるので」
遠雷は険しい表情のまま私から視線を反らさず、黙って煙草を吸った。
「からかってないよな」
「はい」
遠雷に誤解を与えたくないので、私はしっかりと頷く。だが、彼の表情は険しいままだ。私は彼に不審がられている。彼を不快な気分にさせている。それは私の目的ではなかった。 私との会話は、彼にとって快適でなくてはならない。だが、私には彼の求める答えが正確に判断できない。
遠雷は煙草を銜えたまま、両手を組んで頭の後ろへやった。それから無遠慮な目つきで、私を見る。遠雷の誤解を解きたいと、私は黙って人間のように水を飲んだ。
「ジェイド、おまえ、月面人じゃないんだろ? 本当は地球人だ。そうだろ」
遠雷の誤解が決定した。私は首を振った。
「誤解です遠雷。私は地球人じゃありません」
「こういうからかわれ方は嫌いなんだが…」
遠雷は額に片手を当てて、煙草の煙を吐き出した。
「この言葉で喋っているのに? 昨日倒れたおまえに声をかけた時、おまえは地球の言葉で返事をした。それで俺は、おまえが俺の同類だと思ったんだ」
そうか、と私は理解した。遠雷の言葉を初めて聞いた時、処理に時間がかかったのは、私たちの会話の言語が、翡翠と話した時のような月の公用語ではないからだ。
「私たちが今話しているのは、地球の言語ですか?」
「そうだろ。それ以外に、この言葉が通じる奴なんていないだろ。月で聞いたことがあるか?」
「音声として人間と会話した記録はありません。あなたは地球人なのですか?」
遠雷の表情は、かなり警戒している。私はそこから、苛立ちを読みとる。
「おまえだって、そうだろ。俺になにを言わせたい?」
「私は地球人じゃありません」
「さっきも聞いた。じゃあ、おまえはなんだ? この言葉を理解して俺と喋ってる、おまえはなんだ?」
「私は…」
遠雷は不機嫌そうな目で私を見る。私がからかっているのではないと、信じられない様子だ。私は彼に、本当のことを伝えたかった。
「私は
意表を突かれたように、遠雷が目を丸くする。それから煙草の煙を払うような仕草をして、苦笑した。
「ジェイドだったか。あんた、イカれてんのか。それともそういう冗談が好きなのか」
「事実です。私はあなたを騙すつもりはありません」
「なあ、立って鏡で自分をよく見て見ろよ」
遠雷はそう言って、この部屋の入り口の近くの壁に掛けた、姿見を指さす。私は言われた通り立ち上がり、鏡に自分の姿を写した。身長一六十九センチ、体重七十五キロ、短い黒い髪に青い目。外見は二十五歳の月面人男性の平均データをもとに作られている。目鼻立ち、体つき、首の太さ、手足の長さ、胴回り、どこを見ても、見慣れた自分の姿だった。
「どうだ? あんた、自分が人造人間に見えるか?」
短くなった煙草を灰皿に押しつけてもみ消しながら、遠雷が肩越しに言った。私は振り返り、再び遠雷に近づく。
「人間に見えるように作られているんです」
遠雷は私を無遠慮に眺め、だらしなく足を伸ばした姿勢で、私を見上げた。
「マジでイカれてんのか。この言葉で話してる俺に、隠す必要あるか? それとも生体データの転送や、定着に失敗したのか?」
「あなたの言うことは不正確です、遠雷。私は地球人ではなく、人造人間です。内部のデータを転送したこともありません」
「じゃあ、どうして俺の言葉がわかる。地球の言語だ」
私は自分の中の情報を検索した。この情報にはロックがかかっている。だが、目の前の相手を納得させるためなら、外すことのできる軽いロックだった。
「私が今使っているのは、プログラミング言語です。私はこの言語で、自分の行動を制御しているのです」
遠雷がわずかに表情を変えた。片眉だけ上げて私を見て、疑り深そうな視線を向ける。
「…そうか、そりゃよくできた作り話だな」
言葉と表情が一致しない。遠雷はまだ納得していない。だが、これ以上私にできることは同じことを繰り返すだけだ。そして同じことをひたすら繰り返しても、相手を納得させる最善の手段ではないことを、私は既に学習していた。
「あんたが人造人間だと言うなら」
黙ったままの私に、遠雷が言った。
「あんたを作ったのは誰だ? 誰かいるだろ。企業か?」
「その情報はロックがかかっています。言えません」
「都合がいいな」
「すみません」
遠雷の気分を良くするために、私はほかにどんな行動をとるべきかわからなかった。途方に暮れる、とはこういう状態のことかも知れない。推測しながら、私は軽く頭を下げた。
「あんたが俺と同じ元地球人で、月面人として病院に行くのが嫌なんだと思ったから、
遠雷は立ち上がりながら、そう言った。窓を閉めて戻ってくると、彼は私にも再び座るように指で示した。
「私は欠陥品なんです。欠陥品なので、あの場所にいるのは相応しくないと思ったのです」
「人造人間の欠陥て?」
「構造上の問題です」
私は内部の構造と各部の機能、欠陥品であることによって、どのような作用が不具合を伴って現れるのか詳細に話したが、遠雷は間もなくさっぱりわからない、という顔をして、私に向かって軽く手を振った。
「わかった、もういい。人造人間の構造のことはよくわからないが、ジェイドには欠陥がある。俺にわかるのはそれだけだ。で、欠陥品だから、秘密の置き場所から逃げ出してきた、と」
「逃げたというか、欠陥品なら処分しなければならないと思って。ここは海が近いでしょう。私には泳ぐ機能はありません」
遠雷が目を丸くし、次に可笑しそうに笑った。
「蒸気の海で入水自殺するつもりだったのか?」
「正確には熱の入り江です。蒸気の海は浅瀬の続く海岸ですから、相応しくありません」
「言われてみりゃ確かに、入り江のほうは崖に囲まれてるな。下調べの入念なことで。あんたが本当に人造人間なら、自殺を考えるなんて必要ない機能もついてるな」
「はい、遠雷の言うとおりです。この思考も不具合のひとつです」
「なのに行き倒れてたのは? マジで死体だと思ったぞ。翡翠がいなけりゃ、置き去りにしてた」
「バッテリーが切れたからです。その前から二十七時間、私は動き続けていたからです。今は予備のバッテリーで動いているので、動作と機能に制限がありますが、あと十三時間でメインバッテリーの充電が回復します」
「これからどうする? そんなに高性能だっていうなら、追跡されて回収されたりしないのか」
「実は私があの場所から出てきて一時間五十七分後に、戻って来いという信号がずっと送られてきているんです。今もそれを受信していますが、私の身体の不具合のせいで、私はその指示に従わないでいるんです。私が発する位置情報の信号は切っていますが、私自身では停止できない機能がいくつかあります。場所は把握されていると思いますが、回収されるかどうかは、私には判断できません」
「わかった。もうじゅうぶんだ」
遠雷は軽く手を叩いた。
「ジェイドは自分に欠陥があって、役立たずだと思ったから自殺を考えた。だけど長時間雨に打たれたせいで、自殺するより先に身体が動かなくなった。それを俺たちが見つけた」
「はい、間違いありません」
「で、これからどうする」
「それは」
私は遠雷の質問に対する的確な答えを探した。だが、黒い壁が立ちはだかるように、私のデータベースの中から必要な情報は取り出せなかった。
「決まってないのか」
「正確な答えが出ません」
「そうか、よかった。それなら俺が決めてやる」
遠雷はどこか不敵に笑いながら、そう言って頷いた。
「これからのあんたの行動で、いちばん重要なのは翡翠を安心させることだ。まず、この近くで自殺はするな。事件になったり、人の噂になるようなことはしないでくれ。どうしても自殺したいなら、もっと別の場所で、日も改めてやるんだな。それから行く当てもなく、しなくちゃならない用事もないなら、明日までここにいて、俺を手伝ってくれないか」
それは唐突で、意外な申し出だった。私はすぐに的確な回答ができなかった。
遠雷が笑って肩を竦める。
「明日は土曜日だろ? 夕方から家でパーティーをすることになってる。昨日は買い出しだったんだが、あんたの介抱をしたせいで、全部終わらなかったんだ。準備を手伝ってくれれば、ジェイドは俺たちの役に立つ。あんた自身に価値が生まれて、少なくともこれから二日間は自殺する理由がなくなる。そういうのは、どうだ?」
私はすぐに彼の求める的確な回答ができなかった。だが彼の『役に立つ』という言葉は、私の意志決定に強く働きかけた。
「ご迷惑では、ないんですか?」
「全然。翡翠は心配していて、あんたを病院に連れて行かないことを怒ってた。あと一日二日ここにいて、元気な姿を見せて安心させてやってくれ」
「遠雷がそう言うなら、その従います」
「そりゃよかった。交渉成立だ」
遠雷がテーブル越しに身を乗り出し、右手を差し出した。私はその手を取って握手を交わした。遠雷の力の込め方は、私の推測より強かったが、それは不快を与える力強さではなかった。
「話が決まったところで、頼みがある」
私を見て、遠雷が左手の人差し指を立てた。
「もう少し人間らしくできないか? 翡翠に人造人間だなんだと、余計なことを言われたくない」
「人間らしく、ですか?」
「そうだ。俺と話してて、あんたができるだけ、俺の質問に正確に答えようとしてくれてるのはわかった。だけど不自然だ。人間同士は、こういう会話はしない」
「遠雷、あなたは私が、人造人間だと信じていないようですが」
「そうだな」と、彼は笑って頷いて続ける。
「どっちでもいいんだ。俺はあんたが人造人間だろうと、そう思いこんでる風がわりな人間だろうと。ただ、翡翠に余計な心配をさせたくない。あんたは自殺志願者で、俺たちがそれを止めた。宿代がわりに、明日のパーティーを手伝う。その筋書きで振る舞ってくれ。人間らしくする機能はあんたには無いか? それともそれも不具合で、壊れているのか?」
「いいえ、使えるはずです」
「そりゃ良い。その推論と結果みたいな話し方は止めて、もっといい加減に、適当にやってくれ」
「『いい加減』や『適当』を、もう少し具体的に指示してもらえませんか」
「そうだな」
私の言葉に、遠雷は短く考えてから言った。
「嘘を吐くんだ。話し相手の考え方や行動を変えるような嘘じゃない。小さな、どうでも良い嘘だ」
「残念ながら、私には嘘の大小を測る機能はありません」
「そんなところは旧式なのか」
遠雷はそう言って薄く笑う。
「自分自身について、的確なことを説明しなくていいんだ。相手の会話の内容に合わせる。たとえば俺は月面人だ。そうだろ」
私は今の会話で学習したことを回答した。
「そうです」
「ほら、今みたいなパターンだ。会話の運びをスムーズにする、事実ではないことをランダムに挟む。できるか?」
「わかりました、やってみます」
私は頷いた。
「おっとそうだ、もうひとつ、重要なことが」
遠雷はそう言うと、立てた人差し指を左右に動かし、私の方へわずかに身を乗り出した。
「この言葉は禁止だ。翡翠の前では話さないでくれ。俺が地球人だってこともな。翡翠の前では、絶対に言わないでくれ」
「心配ならロックをかけてください。私は会話の中で、相手が求める最適で正確な答えを回答するように指示されています。誰かの話があなたのことと合致した場合、その情報を提供する可能性があります」
「ロックをかけるだけで安全なのか? ずいぶん原始的だな」
「単純な方が確実です。プログラミング言語で行った遠雷との会話の編集しました。今から暗号モードに切り替えます。好きな言葉を私に言ってください。それでロックされます。遠雷が私にその言葉を言わない限り、そのロックは外れません」
遠雷は頷いた。私は彼の言葉を待つ。
「『俺の名前は雷鳴』」
「ロックが完了しました」
「ほんとにこんなことでロックがかかったのか?」
「その機能は正常です」
「人間らしさにはまだ遠いみたいだな。まあ、いい」
遠雷は笑って、軽く両手を叩いた。
「さあ、ここからは月のことばで話そう」
口から出た言葉ががらりと変わった。使用言語と、それに合わせて私の処理速度が変わった。
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