【KAC4】最低の拡散する種
「ウイルスってバイ菌のこと?」
「えっ?」
優子に聞かれた私は言葉に詰まった。
「似たようなもんじゃない?」
「どう似てるの?」
「……えっと、きっとパパが教えてくれるよ」
この手の話は浩二くんの方が詳しい。私が助けを求めると、彼はみそ汁のお椀を置いて言った。
「どっちも病気の原因になるけど、バイ菌よりもウイルスの方が小さいんだ。100分の1ぐらい。だからウイルスは普通の顕微鏡だと見えない。電子顕微鏡でないと見えないんだ」
「ふうん」
「100分の1ってわかる?」
「……なんだっけ?」
「逆に言えば、バイ菌の方がウイルスより100倍大きいってことだよ」
「あ、そうなんだ」
テレビのニュースを消した私はそこで思わず口をはさんでしまった。
「分数はもう習ったわよね?」
そこで黙り込む優子にイラっとする。
「1割る100は0.01で100分の1だったじゃない。覚えてないの?」
「……そうだった」
「あんた本当に理解してるの?」
「うん」
「じゃあ100分の1と1000分の1はどっちが大きい?」
「1000分の1」
「全然理解してないじゃない!!」
思わず大声を出してしまった。
「まあまあ、落ち着け。お金で考えたらわかりやすいよ。ゆうちゃん、100円と1000円だったらどっちが欲しい?」
「1000円」
「だよね。誰だって1000円欲しいって言うよね?」
「そりゃ多い方がいいもん」
「じゃあね、校庭に生徒が1000人います。ゆうちゃんもその中の一人です。で、先生が生徒全員に向かって『100円玉と1000円札を一つづつ、西門と北門に置きました。みんなどちらかを選んで集まって下さい。そして集まった人たちでお金を山分けして下さい』って言いました。ゆうちゃんはどっちを選びますか?」
「え?」
「もし全員が1000円を選んだとしたら、もらえるのは一人いくらになると思う?」
「1000円割る1000人で、1円ってこと?」
「そうだね」
「なら100円の方を選ぶ!」
「でもみんな同じように考えたらどうなるかな?」
「100円割る1000人で、0.1円? そんなお金ないよ?」
「そうだね。だけどそれが分数なんだよ」
「どういうこと?」
「山分けする場合、人数が多いともらえるお金は多くなる? それとも少なくなる?」
「少なくなる」
「じゃあ、100分の1と1000分の1、どっちが良いと思う?」
「あ、そっか! 100分の1の方が大きいんだね。そういえば丸いケーキを分けるの塾で習った!」
そう言って目を輝かせる優子を見て、私はほっとした。浩二くんがいてくれて良かった。私だけだったらまた優子を泣かせるところだった。
コロナウイルスの影響で仕事も学校も休みになってしまい、自宅に家族がずっといると、私は気が休まらない。どうしてもイライラしてしまう。だから二人で一緒に居てくれるととても助かる。本気でそう思う一方で、私は毒親なのか? と落ち込んでしまう。優子には私立中学を受験させてあげたいし、それが本人のためだと思うけど、勉強を教えていると途中でどうしても、彼女の飲み込みの悪さに腹が立ってしまう。浩二くんのような丁寧な教え方は私にはできないし、つらい。本当につらいのは優子の方だってこともわかってるんだけど……。
☆☆☆
翌日の夜だった。
「いいかげんにしろ!」
いつも怒らない浩二くんにカミナリを落とされた。
私が……優子に手をあげてしまったのだ。
一喝されたところで我に返った。
……私、最低だ。
「ごめん、優子、ごめんね」
思わず我が子を抱きしめる。また泣かせてしまった。
優子を寝かしつけた後、二人で話す。
「ごめんなさい。なんというか、なんでこんな簡単な問題がわかんないんだろうって、そう思うと感情が抑えられなくなっちゃって、つい……」
「そりゃ大人にとっては簡単だけど、子供にとってはそうじゃないからな」
「うん、そうなんだよね。だけどなんでだろ、優子に対しては厳しく当たっちゃうの」
「でも怒ったっていいことないよ。逆に勉強嫌いになるだけだ」
「そうだよね」
「というか中学受験、どうしてもやるの?」
「本人もやりたいって言ってるし」
「それ、君が言わせてる気がするけど」
「ううん、自分で。涼音ちゃんみたいになりたいからって」
東京の中高一貫校に通ういとこの涼音ちゃんは、優子にとって憧れの存在だ。
「いや、あいつマジで天才だから。昔から勉強しなくても何でもできる子だったし」
「やっぱり優子は地頭悪いのかな?」
「そうじゃないって。そんな簡単な話じゃないんだよ」
「じゃあどうすればいいと思う?」
本当にどうすればいいんだろう。わからなかった。正解が知りたかった。
「受験しないという選択肢はないのか?」
「だって、将来のことを考えたら今のうちに頑張らないと」
「頑張るのは優子であって、君じゃないだろ?」
「それはそうだけど」
「親が必死になったらダメだよ」
「けど、大学受験のことを見据えてどこの親もみんな準備してるし」
「違うと思うけどな」
「なんで?? 子供のことを考えたらダメなの?!」
「まあ落ち着け」
しまった、語気が荒かったみたい。
「確かにネット上で中学受験についていろんな情報が出てるけど、それが正しいとは思えないんだよね。少なくともうちの子にとっては」
「じゃあ受験やめた方がいいってこと?」
「あの子は優しいから、お母さんに喜んでもらいたい、認められたいって気持ちが強いんだよ。君のために頑張ろうとしてる。けどそれが本当に良い結果につながるのか? 自主的に自分で楽しんで勉強するような子になるか? ならないと思うよ」
「私が悪いってこと?」
「そうじゃないけど、じゃあ君が小さい頃はどうだった? 親に勉強しろって口うるさく言われなかった?」
「言われた」
「それで素直に従ったか?」
「……ううん、反発した」
「優子も反発できればいいのかもしれないけど、あの子は優しすぎるんだよ」
確かにそのとおりだ。私が優子に甘えていたんだ。自分のことを棚に上げて私、本当にダメな母親だ。
「中学受験って、いろんな成功、失敗の体験談がブログとかで拡散されてて、やって良かったって話も多いし、それが間違ってるとは言わないけど、そういった情報が教育産業の飯の種になってることも事実だと思うんだよね」
「見栄っ張りな毒親を増やす種にもなる?」
「親の見栄も間違いなく刺激してると思う。君がそうだとは思わないけど。ただ今のやり方だと、良い方向には行かないんじゃないか? 君にとっても優子にとっても」
「じゃあどうすればいいの?」
「優子は努力してないと思う?」
「あの子なりに頑張ってるとは思う」
「もしこのまま勉強を続けて合格できなかったら、君は優子に失望するかな?」
「いや、それはないよ、実の娘だもん。私のためじゃなく、自分のために生きてほしい。人生長いんだから次の目標に向かって頑張ってほしいって思うよ」
「ならあまり入れ込み過ぎずに、もっと自主性に任せた方がいいんじゃない? 厳しく接するよりも褒めた方があの子は伸びるんじゃないかな」
「そうね。確かに私、入れ込み過ぎてたかも」
これまでの自分を深く反省するとともに、私、この人と結婚して本当に良かった、そう思った。年下だけど尊敬できる、そんな男、そうそういないだろう。
「ところで浩二くんのお父さんはどうだったの? 優しかった?」
「土建屋の親が優しいわけないだろ。めちゃくちゃヤバかったよ」
「そうなの?」
「中学1年の時、担任が美人だったんだけどさ、ちょっかい出そうとしたうちの親父が学校に来てね、体育教師に取り押さえられたことがあったんだ。別の先生が血相変えて部活中の俺を呼びにきて、職員室で話を聞かされたんだけど、平謝りするしかなかったよ。二度とこんなご迷惑はおかけしませんので警察だけは勘弁してくださいって。それから俺、学校でヤンチャできなくなってね。あっという間に噂が広まって、模範生を押し通すしかなかったんだ。自分が親になってもああはなるまいと思ったね」
「それは最低ね」
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