【KAC3】最低のUターン
浩二くんと結婚したことは後悔していない。
バツイチの私を引き取ってくれたイケメン、しかも小さいとはいえ、工務店の社長さんだ。
いや、そんな条件的なことを加えるまでもなく、私は浩二くんを愛している。たとえ今後彼が禿げるとしても、会社が倒産したとしても、関係ない。彼と一緒に人生を歩んでいきたいと私は心から思ってるから。
しかも今、私の中には彼の子が宿っているのだ。
なのに、この後ろ向きな気持ちはなんなのだろう。
マタニティブルーの時期はとっくに過ぎたはずなのに。
なんなのだろう。この心にぽっかりと空いてしまった空洞は。
本当なら幸せをかみしめている時期のはずなのに。
結婚後に借りた新居での二人暮らしはそれなりに楽しかった。
浩二くんと二人で料理を作ったり、ドライブに行ったり、現場にお弁当届けたりしたなぁ。
私の妊娠が判明した日、彼はめちゃくちゃ喜んでくれた。女の子だってわかったときには、姪っ子の涼音ちゃんみたいにカワイイに違いないって小躍りしてた。
両家からお古の育児用品をいただき、狭い部屋を整理していた時だった。
私は倒れてしまった。
目が覚めたら病院のベッドで寝ていた。
重い病気ではなく、少し疲れがたまっていたらしい。翌日には退院できた。
だけどその後、うちの母に言われた。
「この狭い部屋にずっとおったらほんまに病気になるよ。うちに来んさい」
「えー嫌だよ」
浩二くんと離れるのは嫌だ。
「こんな状況じゃ浩二さんにだって迷惑かかるし。職場、ご実家なんじゃろ? というかこんな部屋で二人で子育てするのは無理よねー」
「でも――」
「赤ちゃん泣くよ。周りに迷惑じゃけぇ」
母の言葉に浩二くんは、
「まあ、よく考えたらここ、壁薄いしな」
確かにレオパ〇スだけども!
なんどかお隣さんから壁ドンくらったけども!
ずっと浩二くんと一緒に居られるって思ってたのに。
そんな感じでしばらく離れ離れになることに。
さみしい。
さみしい……。
浩二くんの仕事が終わるころ合いを見計らって毎晩のように電話をかけるけど、直接じゃないと言えないことも多くて、つい遠慮してしまう。強がって良き妻を演じようとしてしまう。
「たまにはお酒でも飲みに行って来たら? ぱーっと気晴らしに行ってきなよ」
『いや、いいよ』
「なんで?」
『本当に行ったらみっちゃん怒るし』
「そんなことで怒んないよ」
『こないだめちゃくちゃ怒ったじゃん』
「え? そうだっけ?」
『先週末、酔っぱらって夜の11時に帰ったらそれまで俺のスマホに鬼電してたじゃん。で、「こんな時間までどこ行ってたのよ!」って超激怒したじゃん』
しまった、そういえばそんなこともあったかもしれない。
『明日も朝から現場だし、もう寝るわ』
「あ、うん、おやすみなさい」
私がもっと我慢しなければ……。
『あ、そうだ。明後日久しぶりに休み取れそうだし、どっか行かねー?』
「え? いいの?」
『みっちゃんに長いこと会えてねーし、心配だしな』
さすが浩二くん! 私のこと、わかってくれてたんだ!
『お義母さんに無茶言って迷惑かけてそうで』
さすが浩二くん! 全部わかってるんだ……。
☆☆☆
その休みの朝、いつもより早起きした私は、作ったお弁当をバスケットに詰めつめし、浩二くんの車を待った。
「ごめん、ちょっと寝坊した」
「ぜんぜん大丈夫だよ~♪」
姉さん女房らしく、余裕あるところを見せないとね!
……と思ったのも最初だけ。車に乗った後は目的地までずっと私のターンでしゃべり続けてしまった。それも実家の愚痴ばかり。
浩二くんはずっと私の話を聞いててくれるけど、しゃべり足りない私は壊れた蓄音機みたいに何度も同じ話を繰り返していた、かもしれない。
浩二くんは、高速道路の入口を通り過ぎ、Uターンして来た道をひき返す。
「えっ? 海に行くんじゃないの?」
「みっちゃん、しゃべり足りないだろ? どっか落ち着いたところで話聞くから。それならファミレスとかでいいじゃん」
「やだよ! せっかくお弁当作ったのに! 海行こうよ!」
「じゃあこのまま普通にドライブでもいいじゃん」
「やだやだ! 海に行きたい!」
私は駄々をこねてしまった。彼にわがままを言いたかったわけではない。ただ、甘えたかった。自分の辛さをわかってほしかった。本当は海が見たいわけじゃないの。ただ二人だけの世界に浸りたかっただけなの。それが言語化できずに暴れてるだけなの。おねがい! わかってよ!
そんな私の思いもむなしく、彼は黙ったまま、方向を変えずに車を走らせる。
怒ってる?
浩二くん怒ってるの?
表情から彼が何を考えているのか読み取れない私は、だんだん苦しくなってきた。
「いたた……」
思わず下腹部を押さえる。
「おい、大丈夫か?」
「やばい……かも……」
これまで経験したことのない痛みが私を襲う。
「このまま病院に行くぞ、あとちょっと頑張れ」
☆☆☆
病院につくと、すぐに検査を受けることができた。どうやら予定が早まったようで、今晩が山らしい。
着替えた私はあてがわれた病室で押し寄せる痛みに耐えながら何度も時計を見る。こういう時に限って時間はなかなか進んでくれない。
陣痛がこんなに辛いものだったなんて知らなかった。これまでさんざんわがまま言ってきた罰だろうか。いっそ死んでしまいたいとさえ思う。気を失うことができればどんなに楽だろう。
浩二くんはそんな私の背中をずっとさすり続けてくれた。波のように周期的に押し寄せる痛みを逃がし、和らげてくれた。彼がいなければ私はこの陣痛の辛さに耐えることができなかったと思う。今までの人生で最も長く苦しい時間だった。
涙を流す私を励ましながら、波の合い間に私の作ったお弁当を美味しいと言って食べながら、浩二くんはその時の私のためにできることを全てやってくれた。それが嬉しくて、だけど申し訳なくて、私はずっと「ごめんね」と言い続けた。
☆☆☆
「頑張ったな、みっちゃん」
その声が今日のすべてから私を解放してくれた。そして彼と、元気に産まれてきてくれた我が娘が、これまでにない感覚を与えてくれた。これが幸せというものだろうか。
「この子の名前、俺が決めてもいいかな?」
「どうしたの? 急に」
「産まれた時の顔を見て、思いついたんだ」
「なんて言う名前?」
「優子」
「古風な名前ね。なんでそれがいいと思ったの?」
「今朝のドライブの時、直前になって高速に乗っちゃダメだって思ったんだ。なんでかわからない。けど、この子が教えてくれた、そんな気がする」
「うそ!」
「本当だよ。だから間に合った。もしあの時海に向かっていたら大変なことになってたかもしれない」
「確かに。車の中じゃ耐えられなかったかも」
「お母さん思いの優しい子なんだよ。この子は」
「ふふっ、そうかもね」
「だからUターンのゆう子だ」
「最低ね」
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