【KAC2】戦場に二位はない

 その日、ユースチームのコーチ、柿崎シゲルは決断を迫られていた。

 来年度のトップチームに昇格させる選手を決めなくてはならなかったのだ。


 FWフォワードの山内圭吾と境澤信二、この二人のどちらか、もしくは両方。


 山内は技術とスピードを兼ね備えたアタッカー、境澤はその恵まれた身長を生かして前線でボールをキープし、他の選手にボールを預けるポストプレイヤー。境澤が攻撃の起点を作り、山内が点を取ることで今季のユースは快進撃を続けていた。


 柿崎は、山内のドリブルはトップでも間違いなく通用すると見ていた。長年高校生世代を指導してきたが、歴代の昇格選手と比較しても彼のテクニックは抜けていた。一方の境澤はポテンシャルは高いものの、トップレベルで戦うには時間がかかる、そう思っていた。同世代との駆け引きなら負けなしだが、一線級と競り合うにはまだ足りない。ただ数年後を考えて育てる価値は十分にある素材。加えて同ポジションにフィットする選手はそうはみつからないというチーム事情もあった。


(やはり二人とも推薦しよう)


 考えを固めた柿崎は監督室のドアを叩く。そして通訳を交え、トップの指揮をとるサンチェス監督に二人の特徴、将来性を率直に述べた。今後チームを担うであろう逸材に予算を割いてほしいと力説した。


 だが、サンチェスはそっけなく言った。

 

「時間がかかる選手は不要だ。我がチームにユースレベルの二番手はいらない。そのポジションにはブラジル人を起用する」



 トップとユースとでは求められるものが違う。トップでは目の前の勝利が全て。チームに貢献できない選手を置く余裕はない。少なくともリアリストのサンチェスはそう考えていた。一方、下部組織のユースでは、選手の才能を見極め、成長させ、トップに引き上げることが求められる。立場の違う二人の意見が食い違うことはある意味当然であり、結果的に監督の意見が通るのもまた、必然であった。たとえ柿崎がこれまで多くの逸材をトップに送り出してきた名うての育成者であったとしても、最終的な判断を一任された監督の決定が覆ることはなかった。


 昇格できなかった境澤は柿崎のつてで都内の大学へ進学を決めた。「自分にはサッカーしかない」と考える教え子を指導者として見捨てるわけにはいかない。それに卒業までに彼が飛躍した場合、他のチームに取られることは避けたい。資金力に乏しい田舎チームにとって、そういった人間関係をつなげることも大事な仕事だと思い、柿崎は首都圏の各大学のコーチと親密な関係を築いてきた。首都圏は学生リーグのレベルが高く、チームスカウトも常駐してはいるが、毎年教え子をお願いする立場として、自ら足を運ぶ事も彼は厭わなかった。



 サンチェス体制でシーズンを二位で終えたトップチームは、新人の山内やブラジル選手を加え、翌年を迎えた。チーム始動後の海外キャンプの段階から山内は徐々にその存在感をアピールし始め、待望の初優勝を狙うチームの中でも期待される新人として評価を高めていく。


 そして迎えたリーグ開幕戦、後半40分に投入された山内は、均衡を崩す値千金のゴールを決める。自分の得意な形でボールを受けると、得意のドリブルで相手DFディフェンダーを抜き去り、シュートフェイントでゴールキーパーまでも置き去りにして無人のゴールに蹴り込んだのだ。


 現地が歓声に沸く中、テレビで試合を見ていた柿崎が目を細める。



 だが、悲劇が起きたのはその数分後だった。



 後半ロスタイムに入ったタイミングでパスを受け取った山内は、ゴールではなく、無人の左コーナーに向かう。1点差を守りきるために時間を稼ぐ勝つためのプレー。だが、コーナーフラッグを前にスピードを緩めた瞬間、彼の足に相手DFから強烈なタックルが入った。


 画面に映る教え子が担架に乗せられて運ばれていく時のことを、柿崎は覚えていない。それまでもトップチームの練習に顔を出したときは山内に、怪我に気をつけるよう口を酸っぱくして言ってきた。まだ体のできていないルーキー、しかもスピードドリブラーという削られやすいスタイル。あわてなくていい、一年目はじっくり体を作れ。そう言い続けてきた。


 だが、それでも防げないのが試合でのアクシデントだった。悪質なタックルの瞬間、自分が手塩にかけて育ててきた若者の未来に影が差すことを柿崎は直感した。実際、山内の選手生命はここで断たれることになる。


 山内を欠いたサンチェスのチームは序盤こそ快進撃を続け、首位を独走するも、夏場以降取りこぼしが目立つようになった。目の前の勝ちにこだわるあまり、レギュラーメンバーを固定して戦い続けた結果、疲労のたまった選手たちのパフォーマンスは悪化の一途をたどり、それでも起用されない控え選手たちのモチベーションは、そのまま不満へと変わった。


 最終的に順位を大幅に落としたチームは、シーズン終了後にサンチェスを解任。昨年彼と話し合いを持った段階で柿崎はこの展開をなんとなく予想していた。


 ところが、そのサンチェスと同時に解任されたのが柿崎であった。



『なんでシゲさんが辞めんといかんのじゃ!』


 当時まだリハビリ中だった山内が電話をかけてきた。プロとはいえ、19歳の新人が組織運営の裏側を意識したことなどこれまでなく、自分に目をかけ、支え続けてくれた恩師がチームを離れる現実が理解できなかった。

 

「すまん。後を頼む」


 柿崎はそう答えるしかなかった。サンチェスの構想が原因とはいえ、今年はユース選手を一人も昇格させることができなかった責任から、チーム状態に後ろ髪を引かれる思いを感じながらも去らなければならなかった。



 だが、柿崎は再びこのチームに戻ることになる。



 3年の指導者としての留学期間を経て、低迷期に入ったトップチームの監督として招聘された彼は、現場に入るとさっそく改善に取り掛かった。シーズンオフの間に状況を確認すると、キャンプで基本的な約束事から一つ一つ手を入れていき、意志の統一をはかりながら烏合の衆を戦える集団に作り変えていく。


 そして内定が決まっていた境澤を大学卒業とともにチームに合流させると、今度は綿密な戦術練習を繰り返し、守備の動きを浸透させていった。


 このころ山内は現役復帰をあきらめ、柿崎の後任としてユースのコーチを任されていたが、柿崎の依頼でトップチームのコーチも兼任することが決まった。4年前とは全く違う立場で共に戦うこととなった3人。だがやるべきことは明確だった。山内は選手の動きを分析し、攻撃時の距離感をチームに叩き込む。それを受けて境澤は他の選手との連携を深めていき、プレーの精度を上げていった。


 そして迎えた開幕戦。相手はあのサンチェスが率いるチーム。


 この互いに手の内を知り合う者同士の戦いは引き分けに終わったが、その後この2チームがリーグ戦の主役として1位、2位を争うマッチレースを展開する。


 とはいえ、ブラジル人の前年度得点王が破壊力を見せつけて危なげなく勝つサンチェスに対し、予算的に薄い選手層での戦いを余儀なくされる中で1点を守りきりなんとか勝ちを拾う柿崎と、力の差は明らかであった。それでも柿崎たちはなんとかくらいついていたが、夏場の連戦で痛い連敗を喫してしまう。



 そんな暑いある日、柿崎は自宅で血を吐いた。長いことストレスにさらされてきた彼の胃は、病魔にむしばまれていた。医者には緊急入院を勧められたが、すでにステージが進行していたこともあり、彼はそれを断り、誰にも情報を漏らさないよう家族にかん口令をしいた。


 チームの状況は好転しないまま、怪我人の穴を新人で埋める自転車操業で苦しい展開の試合が続く。守備の要のGKゴールキーパーが虫垂炎で離脱し、控えGKをユースからの仮昇格者でまかなう試合もあった。なんとか善戦するも、1位のサンチェスとの勝ち点は5ゲーム差まで開いていた。


 9月に入り、最初のホームゲーム。相手に先制され、終盤まで点を取れないまま後半のロスタイムに入る直前、山内は選手交代にトップに仮登録されたばかりの新人、津島の起用を進言する。だが柿崎はためらった。津島は山内の秘蔵っ子で、プレースタイルが現役当時の山内に似ていた。そのため、山内の二の鉄を踏まぬよう、トップに上げてもじっくりと育てるつもりであった。しかし、目の前でアップを繰り返す津島を見て、結局彼をピッチに送り込む。


 すると津島は境澤との連携で敵陣をつき崩し、交代わずか1分で得点をあげた。わき起こるホームサポーターの歓声に勢いづいたチームは、残りの3分間攻め続けると、ラスト1プレーのコーナーキックを境澤が押し込み、逆転に成功する。


「やった!」


 拳を握りしめて立ち上がった山内の目の前で、同じように両腕を上げかけた柿崎の身体がゆっくりと崩れ落ちた。試合終了と同時に急遽搬送される恩師。代行としてインタビューに応対しなければならず、遅れてスタッフと病院に駆け付けたとき、山内は柿崎の病について知らされた。



「シゲさん、なんで黙ってたんだよ!」



 柿崎の意識が戻らぬ中、翌日より監督代行となった山内は、メンバーに事情を伝える。そして、残り試合すべて勝ち、優勝することを公言した。昨日の勝利で、リーグ2位の座は確実だったが、山内は言った。


「戦場に2位はない。生きるか死ぬかだ。選手としてピッチで死ぬか、俺になぐられて死ぬか、好きな方を選べ!」


 その言葉で勢いを取り戻したチームは、その後連勝を続けた。一方でサンチェスは前回同様主力選手の疲労がたたり、試合を取りこぼし始める。



 そしてゲーム差なし迎えた最終節。二人目の恩師と戦うことになった山内は、0-0のまま終えた前半戦の後、控室でメンバーに告げた。


「シゲさんはどうやら今日が山らしい。今日しかない。勝ってシゲさんにトロフィーを持って行くぞ!」



 紙一重の戦いを制した柿崎の教え子たちは、恩師の死を看取るとともに、この街で永遠に語り継がれる伝説となった。

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