第16話 キスをした日

「海が見たい!」

 星乃はキッチンの田上に大声で話しかける。


「海だぁ? 今、何月だと思ってんだよ」

 田上はオムライスを作りながら答える。


「見たいだけだもん。ねえ、いいでしょ?」

 星乃はコタツの中で足をばたつかせる。


「……まあ、たまにはいいか。食ったら行こう」



 北海道の冬の海は灰色に染まり、良い景観とは言えなかった。


「全然、雰囲気無いね」

 星乃は田上の裾を掴んで顔を見上げた。


「雰囲気なんて必要無いだろ」

 そう言うと田上はポケットからタバコを取り出して火をつけた。


「タバコ、吸うの?」

 星乃は驚いて目を見開く。


「ん? ああ。禁煙してたんだけどな。最近また、吸いたくなって」

 田上は煙を吐き出ながら答える。


「遠慮して損した」

 星乃もタバコを取り出して火をつけようとするが、火がつかない。ガスが切れていた。


「なんだよ。ほら……あれ?」

 田上がオイルライターを差し出したが、田上のライターのオイルも、田上のタバコに火をつけた時点で、切れてしまっていた。


「えぇー?」


「残念だったな」

 田上はくわえタバコでニヤリと笑う。


「ん」

 星乃はくわえたタバコを田上に向けて、目を瞑る。


「……目を瞑るなよ」

 田上は自分のタバコの先端を、星乃のタバコの先端につける。

 星乃のタバコに、火がついた。


「優さんとチュウしちゃった」

 星乃は照れ笑いを田上に向けた。


「バカ言うな。寒いし帰るぞ」


「……ねえ」


「なんだ?」


「アタシ、優さんの女になりたい」

 星乃は田上の裾を掴んだまま、俯いて呟いた。


「……だめだ」


「どうして?」


「歳も離れてる」


「8歳差なんてどこにでもいるよ」


「……せいらのこともあるし」


「アタシ、せいらちゃんのママになりたい」


「会った事も無いのに?」


「うん」


「会えば、辛くなる」


「それでもいい」

 星乃は田上に抱きついた。


 二人のタバコの火は、いつのまにか消えていた。


 田上の腕がためらいがちにゆっくりと上がり、諦めた様に降ろされた。


「……いつか、こんな事になるかも知れないと思ってた」


「じゃあ」

 顔を上げた星乃の両腕を掴んで、田上は優しく身体を離す。


「俺はもう、戻れないところまで来てる。お前はまだ戻れる。ちゃんとした仕事に就いて、平和な世界で暮らすんだ」


「だって……アタシが優さんを、そうさせたんだよ?」

 星乃の両目から涙が溢れる。夕陽が涙に反射し、星の様にキラキラと輝く。


「前にも言っただろ。お前には感謝してる。でも、俺と一緒になるのは、だめだ」

 田上の瞳に、星のきらめきがゆがんで映る。


「……」

 星乃の止まらない涙を、田上は指先でぬぐった。


「帰ろう」


「帰るから一つ、アタシのワガママ、聞いて?」

 星乃は涙を止めて、田上を見据えた。


「……わかった」



 田上は、星乃の望みを聞いた──




 ──そしてこの日以降、星乃が田上と2人で過ごしたマンションに来ることは……2度となかった。

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