第2話 路地裏の2人

時は遡って……3年前。


「じゃあ、行ってくるよ」


 妻の遺影に挨拶をし、田上は娘の手を引き、家を出る。娘はまだ4歳。妻は、娘を産んだ後すぐに死んだ。


 田上の妻は亡くなる直前に、「せいらの母親になれる人を探してね」と言った。田上はつい、「無理だよ」と答えてしまった。それが、妻を見送る言葉となってしまった。

 それを引きずり、4年経った今でも、田上は彼女すら作る気になれないでいた。


 田上はごく普通のサラリーマンだ。新卒で就職した会社に勤め続け、同窓会で再会した同級生と結婚。


 結婚して5年で娘が生まれ、妻が亡くなった。互いの両親は既に他界しており、シングルファザーとして、幼稚園や会社に助けられながら、なんとか生活していた。


 ──ところが。


「せいらちゃんが!」

 幼稚園から突然の電話。


 娘が倒れた。


 不治の病と呼ばれる難病だった。


 延命治療にすら多額の資金を必要とするその病気を克服するため、田上はありとあらゆる方法を試し、民間療法にも頼り、果てはまじないの類にまで手を出した。

 しかし、田上の娘の病は治ることはなく、結局カネは瞬く間に消えていった。


 田上はひたすらに働き、休日には署名を集め、借金を返すために、娘が寝た後、夜も働いた。


 しかし、田上の努力も虚しく、娘の病状は悪化の一途を辿る。


 そんな、ある日。


 夜の仕事が残業になったため、睡眠もとらずにスーツに着替えて出社しようとした田上は、空腹と疲労と睡眠不足が災いし、自分の歩いている場所もわからなくなって、フラフラと街を彷徨い、ついには道に倒れた。


「神様……俺、何かしまし……た……か?」

 息も絶え絶えにそう呟き、田上は無為に腕を前に伸ばす。誰も、手を差し伸べる者などいない。


 田上の目の前に、カラスが数羽、舞い降りる。黒い死の遣い。田上は明確に、死を意識する。


 しかし、そんなファンタジックな事はなく、実際にカラスが群がっていたのは、大きなゴミ箱。そこは、すすきのの飲食店の裏口が並ぶ、狭い路地裏だった。


 ゴミにまみれて、もはやのたれ死ぬ寸前、田上の前に星が煌めいた。キラキラと輝く光。


 走馬灯ではなく、星だった。愛する娘でも、記憶の中の妻でもなく……


星、だった。


 田上は自分の人生が、走馬灯を映すほどでもない、つまらないものだったのかと嘲笑した。やがて田上の前で煌く星が彼の眼前まで迫ると、星たちは表通りの朝日を反射するのをやめ、次第に人の形になった。……スパンコールドレスを着た、女の形に。


「……ねぇ、アタシ、知らないおじさんの死体なんて、処理したくないんだけど」


 それが、彼女と田上の出逢いだった。

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