29
ライラが椅子から立ち上がる。そして古い引き出しのなかから、地図を取り出した。それをリウイに向かって広げてみせる。その地図はとても年代物で、もともと白かったであろう紙は茶色に変色し、端のほうはところどころ破けていた。
細く白い指先が、その地図を指す。そこには街道があった。
「ここには昔からある街道があるの。町に続いているって、彼が……アンディが言ってた」
「アンディ? 」
「そう。私の恋人。出稼ぎに行くためにここから馬車に乗ったの。見送りにいったからよく覚えてる」
街道の一部の絵がこすれて途切れていた。何度も恋人を見送った場所を地図で眺め、指でなぞったか涙を落としたか。いずれにせよ複雑な思いが込められていたことは想像に難くない。
「きっとボクたちが通ったのもコノ道ダネ」
リウイはそれに気づかないふりをした。どう慰めていいのか、いや、慰めていいのかすら判別ができなかったからだ。事実、ライラはまだ彼を待っているのだろう。
「そうね……いまのこの村は……たぶんこのあたりね」
ライラは地図の端のほう、何もない森の中を指さした。それを見てリウイは首をひねる。もしもこれが村周辺の地図なのであれば、村が中心にあることくらいは、社会経験の少ないリウイにも分かった。
「ココ、なんにもナイじゃない」
「そうね、今の森は……ウイルナ様の加護の無いただの森だから」
地図の中央に、ひときわ豪華な飾り文字で、金箔を押されて書かれた森があった。その文字は、リウイには読めなかった。
「コレ、なんて書いてアルの? 」
いかにも、秘蹟。神域。特別な場所のように思えるその場所をリウイが指さす。ライラは薄く微笑んだ。やはりその表情は、微笑んでいるよりは泣いているようにリウイには見えた。
「ここは、私たちの村があった場所。神域、ウイルナ様の森よ。ここは世界の中心。女神ウイルナ様が神様になった場所って言われているの。村の中心には神殿があってね、ウイルナ様の像があったのよ」
「どうして今はそこに住んでないの?」
思い返せば確かに村の建物は、そこそこ年季が入ってはいたが、小屋以外は朽ちては居なかった。リウイの生まれた村に比べて、家の土台なんかもしっかりと作られてはいなかった。まるで、仮ごしらえの家のように。
いつか、神域に還る予定だったのだろう。
「でも、もう住めないんだって。わたしのおばあちゃんの時代にね、大災害があったんだって。それでウイルナ様の森の中にあった村から出て、ここに来たの」
「すぐ戻るつもりだったんだネ?」
ライラが返す微笑みが、何よりの肯定だった。もうかえれない村。それはリウイの生まれた村もそうだった。ただリウイにはそれに対する後悔も郷愁も生まれはしなかった。けれど、故郷を失ったものの悲しみを想像することはできた。
精霊たちがそうだったからだ。人間たちが森を開拓したとき、森にすむ木の精霊やツタの精霊、水の精霊に大地の精霊は住む場所を失い街のそこここにうなだれて、死んでいった。かけらとなったそれを体に取り込んで、リウイは育った。
そのときに彼らの悲しみが、きっとそれに近いのだろう。
「そうよ。突然村ごと吹き飛んで……でもいつか帰る予定だったの。叶わなかったみたいだけどね」
「ヤッパリ神様に祈るの? 」
リウイは王都にいた、アトラを信じる者たちの教会での祈りを思い出していた。彼らはアトラをかたどったレリーフをいつも首からかけ、それに祈りをささげていた。
「いいえ。ウイルナ様には、祈ってはいけないのよ」
祈ってはいけない神様。それがウイルナなのだと、ライラはきっぱりと言った。
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