28

「リウイちゃんはスカイさんに引き取られてから、長いのかしら?何年くらいスカイさんと一緒にいるの? ……あ、言いたくなかったら、言わないでいいわ」


 うーん、と最初の問いにリウイが考え込んだのを、ライラは「話したくないことにふれてしまった」と勘違いしたらしく、あわてて言葉を付け加えた。それを見て、リウイは「チガウチガウ」と慌てて首を振り、にっこりと笑みを返す。唇の端からは、人間のそれより少し長い犬歯がのぞいていた。


「言いたくないワケじゃなくて、ボクはあんまり覚えてないんダヨ。ボクのお父さんもお母さんも人間だけど、ボクだけこうだから」


 こう、といってリウイは自分の獣耳を指さした。猫のような、獣人の特徴である耳。人間の耳があるべきところはつるりとしていて何もない。偽物ではなく、これはまごうことなき本物の耳なのだ。


―――――――――――――――――――

 生まれたときに、最初に聞いたあれは、母の絶叫だったらしい。獣の耳を持ち、しっぽが生えた我が子を、母は拒否した。

 これは何かのまちがいだと、生まれた子供は死産したことにして、馬小屋に放り込まれた。

 普通ならそこで潰えてしまう命の灯をつなげたのは、奇しくもその獣人の血だった。地の精霊たちが、同じ小屋にいた馬に乳母を頼んだのだ。

 乳だけで育たない年になると、季節の山菜が差し入れられた。寿命が終わるのがわかった野ウサギがその身を捧げに来た。そしてそれを火の精霊が焼き、リウイの糧になった。

 精霊の気まぐれ。といってしまえばそれまでだが、精霊たちにとってリウイはあくまで「トモダチ」で、誇り高き精霊が人間によって死んでしまうことを許さなかった。

 だからリウイは、大地に、精霊に育てられたのだ。


 当然、人間の言葉は知らなかった。そして要らなかった。こころを交わせる精霊たちは、リウイの良い理解者であり遊び相手であった。


 それを見て、村人たちは更に恐れおののいた。人語を理解せず、糧を与えないでも育つこの子は悪魔の子ではないかと。そして殺すと災いが街に降りかかるのではないかと危惧して、王都にある魔術師に伺いを立てたのだ。


 それを聞きつけたのが、シルヴという魔術師だった。シルヴは優秀な――人とは違った――子供を集めて引き取り、魔術師として訓練することが多い。彼は精霊の加護を受けるリウイを保護し、弟子であり、精霊を使役することのできるスカイの従者につけた。


 スカイと初めて出会った時のことを、リウイは今でも夢に見る。



 あれはきっと、10年くらいは前だったんだろう。背丈が今の半分くらいのスカイが、やっぱり今より半分くらいの背のリウイを見下ろしている。人間というものに危害を加えられた経験しかないリウイは、怯えた目でリウイとその師匠のシルヴを見上げていた。


 彼の銀色に輝く髪は、肩ぐらいで切りそろえられていて、おかっぱになっていたのを覚えている。


 スカイが数歩近寄り、リウイの頭に触れる。それはリウイが初めて知った、人からの親愛の情だった。その耳を撫でて、それがたしかに体温の通う本物の耳だと確かめるように、優しく摘む。そして、二言三言、師匠と言葉を交わしたあと。


「辛いことをさせるかもしれないけれど、僕の従者になる気はありますか」


 耳に届いたスカイの声は、未だ声変わりもしていない幼い声だった。不思議と従う気になった。

 そのために自分は生まれたのだと感じた。


―――――――――――――――――――――――


「辛いコトがあるかも知れないケド、一緒に来るかってスカイは聞いてきたんだ。その時ボクは、ご飯もロクにもらえてなかったから、このままココにいるより、スカイと一緒の方がツラくないって思った」


 ライラは、どう反応していいか判らないようだった。確かに親に捨てられた話と、今の主人に見つけられた話を同時にされても、良かったねとも大変だねとも言えないように思う。


「あ、ゴメンネ、暗い話じゃないんだ、ボクとスカイが初めて会ったトキってだけだよ。ボクはスカイのものだから、スカイが大変なトキには、ボクが死んでもスカイを助けなきゃなんだ。」


「死んでも……」


 ライラの瞳が暗くなる。迷っているようにリウイには見えた。でも、何をだろう?リウイが考えをまとめるまえに、ライラは呟いた。


「自分が駄目になっても、やらなきゃいけないことって、あるのね……」


「ソレをやるのが正しいかどうかはボクにはわからないケド。やらなきゃ、未来のボクが後悔するってコトだけは判るんだ」


 リウイはきっぱりと断言する。それが正しいことかリウイにはわからないけれど。ただ、後悔しない道だけを信じてスカイについてきたリウイには、幼い容姿とは裏腹に強い精神が宿っていた。


 ライラがリウイの手を握る。ほのかに暖かいその手は、カタカタとふるえていた。


「私、やらなきゃいけないことがあるの……たぶん」


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