恐れが確信へ変わるとき


 世界がひっくり返るほどの、強烈なめまいがして、俺は無理やり体を起こした。一瞬、荷馬車が横転したかと思うほどの。

 じきに、それがただの眩暈じゃないことを知る。これは、バグの気配だ。


「リウイ、起きろ!」


 その鋭い声で、リウイも起き上がる。教えた通り、簡易式の鎧にダガーを装備していた。行軍の途中なので二人とも靴は履いたままで、荷台を開けて飛び降りる。今まで、何度もバグ退治の依頼をこなしてきた。リウイにも仕込んであるから、動きは悪くない。

 相手が魔族でなければ……出来るだけ見通しのいい外に出て、あたりを見回す。バグは近くにはいないようで、とりあえず胸をなでおろした。


「……マワリにはナニモいないみたいだケド……」


 体を動かしたはいいが、意識はまだ半ば夢心地のリウイの声に被さるように、男たちの声がした。ギースだった。


「おい、どうした! 盗賊か!? 」


 俺たちのただならぬ気配を感じて、ギースが慌てて馬を止めた。商人からすれば、積み荷を狙った盗賊が一番脅威だろう。普段は血色のいいであろう顔が青ざめている。馬は数度いなないて止まったが、そのギースの慌てように、馬たちもおびえた様子で耳を伏せている。


「いや、バグの気配だ」


 スカイがこともなげに言うと、ギースはさらに顔を引きつらせる。今にも馬に鞭をやり、馬車を走らせそうな勢いだ。


「バグ⁉ そりゃあいけない、早く逃げるぞ。ここいらの森は出るって噂があったんだ、変な女神を信仰してる奴らが住んでて、魔法で森を消しとばしたんだ! 」


「ま、マホー!?」


 神が行使するものを魔法、人間が使うものを魔術という。

 だから、魔法で森が消えたとなると「神が存在して森を消した」ということになる。

 そんなことはありえない。少なくともスカイの知る神話には記されていなかった。


「魔術、な……ってそんな話聞いたことねぇよ。教科書に載ってるのか?」


「乗るわけあるかい、載った後に消された話だぞ!?」


「なるほど、そいつは載らないな」


 嫌というほど経験を積んだ、獣人を恐れない商人でも、バグは怖いらしい。なんてどうでもいいことを考えながら、スカイは懐から手紙を取り出しギースに手渡した。なんの飾り気もない白い封筒で、差出人はスカイ・ウィリアムとなっている。

 最初の目眩の時点で、嫌な予感がして手紙をまとめておいたのだ。


「ギース、あんたはリートルードにこのまま向かってくれ。手紙があるからそれをポストにでも入れてくれればいい。それ以上の迷惑はかけない」


 馬車を降りようとするギースを手で制する。ずいぶん遠くに、大量のバグの気配があったが、近くにいる可能性も否定できない。ギースは手紙を受け取りながらも、怯えた目であたりをきょろきょろしている。

 無理もない。バグに普通の人間が対峙したら、まず無事では帰れない。


「……この道は安心か?」


「バグの気配が濃いのは、森の中深くだ。街道近くに気配はないから安心しろ」


「……バグ討伐部隊を呼ぶのか? あんたらは?」


「大丈夫ダヨ!スカイは詳しいカラ!」


 馬に鞭をくれながらも、二人を気にしているギースに背を向けて、スカイが片手をあげる。


「心配するな。討伐部隊はもう、


 歪みの濃い方向に向かってまっすぐに。スカイとリウイは街道からそれて、足早に森へと入っていった。

 鈍色の空はどんよりと夕方に向かっていく。見えない太陽は夜に向かって、傾き始めているように思えた。


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