息をするより自然に


 空間が歪んだ――誰かが空間を歪めた、という気配を感じて俺は目を覚ました。

 リートルードに向かう荷馬車の上である。空間の歪みは、大規模な魔術を使った瞬間か、バグの発生した瞬間に起こることが多い。目線を巡らせると隣ではリウイがすぅすぅと寝息を立てて、昼寝を楽しんでいた。

 かっぽかっぽと快調な馬の蹄の音を聞く限り、旅に異常はないらしい。風が吹くたび木の葉が鳴る。時折暗く影が差すのは枝だろうか。もう森には入っているらしい。

 昴を出てから丸一日、馬車に乗って移動した。予定では明日の朝にはリートルードに着く。

 白いローブを着て座ったまま眠っていたので、目を開けば白いローブが見える。似合わない色のローブを着た自分の手をかざして眇めて見た。そこには、王宮魔術師の位を示す茨をかたどったブレスレットがあった。通常、魔術師は黒のローブを好んで着る。選抜された王宮魔術師は紺色のローブを纏う。その中でも生え抜きの、色彩の使徒には色付きのローブが与えられる。色付きは「バグ退治ができる」という意味も込められている。スカイが知っているのは濃い赤のローブの者と、濃い紫のローブの部隊だった。


 通常、人間より強力な力を持ち、時として群れであらわれるバグを退治する場合は、専門の魔術師が軍隊のように連携する。その連携は一朝一夕でできるものではないので、数人のチームで行動するのが原則だ。…つまり、色彩の使徒はすなわち、対バグ用の部隊の色分けだ。

 俺は通常魔術のほかに、文字魔術も使えるおかげで魔術師の仲間とつるむ必要がない、必要に応じて協力者を募ったりリウイを連れていくことにしている。

 それともう一つ。俺は、バグが居る場所を感知できる。時空の歪みを見ることができる体質だからだ。

 感じた歪みはそう大きくはなかった。


(…まぁ、どこかでへたくそが魔術でも使ったかな…)


 馬車の揺れと、鳥のさえずりに導かれて、俺はまたまどろんでいった。


――――――――――


 手をかざす。目を眇める。そうすると、肉眼で見える世界のほかに、世界を構成する式がみえる。

 世界は式の集合でできている。そう思ったのは、10歳のころだった。

 この世界は、すべて1+1とか、3×3とか、簡単な式でできているように見えた。そしてそれは、間違いではなさそうだった。


 3×9=27 が世界のルールだとすると

 3(2+7)=27 のように

 世界の式を自分の都合よく書き換えて、魔術師は滑り込ませた2や7に火や氷の力をのせて、魔術を行使する。

 魔術の失敗は、滑り込ませる数字の間違いがほとんどだ。


「と、思うんですが、師匠はどう思いますか」


「…あなたは、魔術式を見る目を持っているのですね」


 師匠が言うには、魔術の才能が秀でた者の中に、時折式が見えるものがいるのだという。見えるゆえに習得も早く、相手の式も見えるので防御も正確だ。


「見えている文字をそのまま書くと、魔術が使えます」


 スカイは空間にさらさらと文字を書く。それが氷の塊に変わった。


「…それは…人間が使える魔術の範疇じゃないですね…私が教えられるものではないので、自分で努力するがいいでしょう」


 師匠はその声を媒体にして氷を溶かして水にし、幼いスカイの頭を撫でた。


「師匠の魔術は、ここちいいからすきです」


 スカイは魔術師が苦手だった。特にへたくそな魔術師が。師匠の使う魔術はよどみがなく、世界が書き換えられる瞬間の歪みをほとんど感じず済んだ。

 だがへたくそが魔術をつかい世界の式を書き換えると、そこにとんでもない歪みができて、気に障った。

 魔術学校時代、歪みを見つけるたびに爆裂する魔術をかけてまわったことがある。校庭に、歪みに反応して3m四方の砂を消滅させる魔術文字を使ったときはさすがにとても怒られた。


「師匠、魔術を失敗するときに生まれる歪みは、バグが生まれるときの歪みによく似ています」


「……それをよそで言ってはいけない。あなたが研究し、あなた自身の力で答えをみつけなさい」


 それがなぜかは、今もわからない。


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