クエスト1叶えたい願いはありますか?
追われる少女
数分の逃避行、のち
――左足がひどく痛む。
理由は知っている。出血しているからだ。
それでも少女は駆ける足を止めなかった。黒に近いこげ茶の、肩ほどまでの髪を振り乱して、少女は走る。質素な麻のスカートに擦れたふくらはぎもまた、血によって赤くなっていた。靴は片方脱げてしまった。
走りにくいので、もう片方も投げ捨てて、走る。
左足が痛いのも、靴がどこかに行ってしまったのも、そんなことはどうでもよかった。ただ少女は走り続けていた。数分かもしれないし、もう数時間たつかもしれない。時間の感覚などなくなって久しい。
がさがさと音を立て、少女の後ろで気配が動く。キリキリ、キリキリ、と不快な声をあげながら、獲物を追跡してきている。
少女は追われていた。後ろの気配に。
その気配が、人ではないことだけは確かだった。盗賊や、乱暴目的の荒くれものじゃない、それより怖い何かだ。
深い森の奥で、少女の荒い息づかいと草をかき分ける音と、そのきりきりという音だけが響いていた。
足がもつれ、転びながらも立ち上がる。足を止めればすべてが終わることは少女も知っている。
すべて。つまり命。
訪れる死が安楽なものかはわからない。いたぶり尽くされて殺されるかもしれない。
(確かなのは――絶対に殺されるってこと! )
死ぬなら、一瞬の方がいいと思う。裸足の足が岩にぶつかる。また傷が増えた。
追跡者は、村ではBUG―バグ、とよばれている。
ある日突然世界に現れて、人間を殺戮して回っているという。少女の村ではもう、5人殺されてしまった。大昔の災厄のときは、もっとたくさん死んだのだと村の世話焼きなおばさんも言っていた。
バグを退治するのは普通の人間ではだめだった。出稼ぎに行った男連中が急いで帰ってきても、太刀打ちできなかった。魔術師様を大きな町から呼んで退治してもらったのだ。
少女は山奥の小さな村で暮らしていた。都会の喧噪とは無縁なのどかな村。大きな災害があって、村の元あった場所がバグだらけになり、村全部で今の場所に移動してきたのだ。
(薪を拾おうと思ってただけなのに、ウイルナ様の森に近づきすぎたんだわ――)
少女は自分の浅慮を後悔していた。そして、後悔が大きくならないようにと走り続けていた。村からできるだけ離れるようにと、走り続けてきた。
村にこんなばけものを連れて帰ったら、また村がなくなってしまう。
森を抜ける街道に向かって走り続ける。街道はリートルードに続いているだけのただの道で、そこに誰か居るとは限らなかったけれど。誰か居たとして、バグを退治できるとは限らないけれど。
自分が殺されたとしてもできるだけ村から遠い場所に行きたかった。
――村から離れたかった。
が。
バキバキバキっ!
大きな木が少女に向かって倒れてきた。道を塞ぐように――事実塞ぐために誰かが倒したのだと思う。さっきまで地面に生えていたのであろう青々とした葉をつけた巨木だった。
後ろから迫るバグがきりきりきりと鳴く。呼応するように木の向こうからも、きりきりきり!と同じ耳ざわりな音が聞こえた。
(ああ…群れ、なのね…)
巨木を前に、少女は絶望して座り込む。背後からゆっくりと現れたのは、カマキリのような形をした、両腕が鎌になった大きなバグだった。
――神様、天使様、助けてください。
きりきりきり…きりきりきり…
少女の前から、そして背後から、バグの声が響く。
きりきりきり…きりきりきり…きりきりきり…
それは確実に数を増やして少女を取り囲む。1体だったはずが、2体、3体。
「いや、やめて、助けて……」
少女はへなへなとその場にへたり込んだ。もう大人になりかけている面差しだが、白い頬に、涙が伝う。
「…ウイルナ様…私たちの女神様…愚かなこの身をお救いください」
叫ぶ力もなくした少女が、呟くのは神への祈りだった。ここでなら、最期の瞬間ぐらいは、祈っても許されると思ったからだ。
「…ウイルナ様…この世界の壁を壊す女神様…どうか愚かな私たちに力をお与えください…」
それは彼女の村に伝わる祝詞。神への祈りの言葉。祈りが現実に効果があるかはわからないまま、彼女は祈り続ける。
もう居ない神への言葉。
届かない祈り。
けれどそれは、きっと届いていたのだろう。
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