ラピスラズリ・インの


 リウイがぴっと耳を立てた。これは彼女が足音を察知したときにする行動だ。

 俺も、一応ドアのほうに注意をやる。コンコン、と扉がノックされて、この宿の主人である親父――ジッドの声がした。


「おーい、そろそろ晩飯だよ。ウィリアムさんたち、食べるだろ」


「たべルー!! スカイ、食堂にイコ! 」


 俺の代わりにリウイが返事をした。外を見ればもう夜は訪れていて、成程夕食のいい香りがただよってくる。

 リウイに引きずられるように、俺は食堂へ出た。

 この宿はラピスラズリ・インという。俺たちの常宿だ。

 メシが美味くて、店主のジッドは気さくというか、老獪な爺さんだ。


「デモさー、なんでジッドはこんなところに宿屋ナンカ作るンダロ? 魔術師は普通は昴の中に泊まれるんデショ? 」


「魔術師は、な」


 昴には魔術師しか入ることを許されない。現在昴で学んでいる者か、過去に昴で学んだ者。それから、素質を見込まれてこれから昴で学ぶもの。魔術の訓練方法や理論を、王都から秘匿するためだともいわれている。


「そうそう、魔術師は商売には向かないってね! ウィリアムさん、リウイちゃん、今日はシチューだよ! 」


 魔術師達も、霞を食って生きているわけではない。食料は必要だし、日用品も必要だ。娯楽施設もバーも飲食店も、人間には必要だ。

 それを提供するのは、魔術師ではない近隣の街から来た商人だった。店を構えるものも、露店を開くものも、流通を仕事にする者もいる。

 そのうち商売をする者たちのための宿が必要になった。そうしてこのラピスラズリ・インがある下町が形成されていったという。

 その中で家族を持った者もいるが、商売に来る人間はだいたいにおいて単身者だ。

 利権にうるさい王都の貴族と違って、昴を管理する魔術師たちはそれを見咎めなかった。そのうちに商人や流れ者はもちろん、昴に滞在しづらい魔術師も、塔の外に安い宿を求めた。


「――他のところはそんなかんじで宿屋になったみたいだが、このラピスラズリ・インは違うのさ。聞きたいか?」


 きれいな禿頭と裏腹に、豊かな口ひげを生やした壮年の店主、ジッドはそう言って、リウイに向かってウインクした。彼は獣人に抵抗がない。本人曰く「たまたまそう生まれただけだろう。宿代くれるならなんでもいいさ」とのことだった。

 その心の広さ――おおざっぱさを気に入っている、というのも俺がこの宿を使う理由の一つだ。

 ジッドはここの成り立ちを話したがり、そしていつもリウイにフられていた。


「イヤ、別にイイ。ミルクおかわり!」


「そーかい、ミルクね。ちょっとまってくれよ」


 俺も昔からよくこのラピスラズリ・インを使っていたが、成り立ちには特に興味がなく似たような返事をしていた気がする。

 

「スカイ、今度昴に連れて行ってヨ! ボク入ってみタイ! 」


 リウイの通算150回目のオネガイは無視した。魔術師ではないリウイは、どれだけ魔術の素養があろうと昴には入れない。


「ミルクおまち!昴なぁ。ワシも長くこの宿をやっているが一回も入ったことがないな。リウイちゃんだって魔術師じゃないから中には入れないだろう?」


 ミルクを持ってきてくれたジッドの言葉に俺は無言で頷く。


「ボク、たぶん使えるヨ。炎出したり風吹かセタり、得意!」


 得意げなリウイの額に軽くチョップした。


「そんなんじゃ手品師だって塔に入れちまうだろ。それにお前が使ってるのは自分の魔力じゃなくて精霊の力だ。魔術の基本を知らない奴に、昴は門を開かないのさ」


 ミルクと一緒に出された、ジッドお手製シチューにパンを浸して食べながら俺が答える。近くの山で採れる山菜と、市場で買ってくる鶏肉を使った特製スープは辛口で、俺にとってはソウルフードだ。


 基本的に俺は天使種族に似た外見を持っている。しかも従者は獣人のリウイ。一人でも目立つのに俺とリウイの二人で行動すると「失われた古代文明セット」と陰で言われるのだ。


「モーいい!それで、王都からの手紙はナンだったノ?」


「あ、指令か」


 リウイの言葉にようやく俺は、指令を思い出した。

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