原案
石上あさ
フクロウ部隊
――『操縦兵士としての従軍要請通知』
森福賢太郎の元にその封筒が届いたのは、警戒態勢を告げる非常ベルのうるさい、ある夏の日のことだった。
太陽がただれたように暑かった。部屋を外界から隔離する窓ガラスがケロイドみたく溶けてしまうんじゃないかと思うほどの灼熱だった。それでも戦時中の都合のため、各家庭に供給される電量には限りがあった。賢太郎のような穀潰しは、当然空調の恩恵に預かる権限などない。
――戦時中。そう、今現在日本は〈大厄災〉によって突如発生した未知の怪物〈鬼〉たちとの交戦状態にあった。〈鬼〉たちは物理法則を嘲笑うかのような超常的な力をもっており、その異能の前に現代兵器をもってしても自衛隊はじわじわと後退を余儀なくされていった。
東京タワーもスカイツリーもへし折られ、陥落した。未来への希望以外のすべてを捨てて逃げ延びた人たちが千葉県に最終防衛戦線を築き必死の応戦をしているが、劣勢を覆すのは難しかった。
当然、ほとんどの国民もなんらかの形で戦争へと駆り出される。兵士、軍需工場の労働者、その他思いつくあらゆる形で結びつけられ、誰もが戦いとは無縁ではいられなかった。
賢太郎の母も例外ではなく、むしろ賢太郎のように家に引きこもっている方が圧倒的な少数派といえた。それはほとんど優生保護法の時代における障害者と同じ立場といってよかった。森福家は、だから、賢太郎のために近所からもまともな扱いを受けることがほとんどなかった。
はじめ、その現実から逃げるように賢太郎はゲームの中へとのめり込んだ。ところが戦況が窮するにつれやがて電気の供給量がおそろしく減り、賢太郎はとうとう水を替えない水槽みたいに空気の濁った、それでいて汗や体臭の匂いだけが濃縮された六畳一間のなかで逃げ場を失ってしまった。
なにかしなければ――。
そう思った次の瞬間にはいつも誰かのせいにするための言い訳が頭をよぎる。そうしている間にも時は過ぎ去り、全身を汗が伝い、無情にも日々が過ぎ去っていく。
そんなある日、賢太郎の部屋が控えめにノックされた。
まず、「おや?」と思った。
ここのところ両親は疲れ果てて以前のように賢太郎を説得することがなくなった。必要最低限の会話しかしない。ところが、今この時刻は食事を運んでくるタイミングではない。とすると――
やっぱり、『外に出て働いてくれ』と言われるのだろうか。
賢太郎は苦痛を強いられる人のようにそう考えるけれども、彼の年齢を考えればごく当たり前のことであり、ましてや緊急事態となれば論を待つべくもない。賢太郎は考える。戦争も、日本も、どうでもよいとは思うけれど、国のためではなく、両親のことを思うならばやはり働かねばならないだろう。だが、そう容易く上がる腰ならば引きこもりになどなりはしない。どうしようか、どう言い訳したものか――。
甘ったれた幼稚で利己的な思考が賢太郎の返事を送らせていると、母がとんでもないことを言い出した。
「賢ちゃん、あなたに会いたいって人がいるの」
「え?誰が?」
会いたい?自分に?……大方近所の誰かだろう、彼の矯正と社会復帰のためにありがたいお言葉をお聞かせくださるに違いない。
――だが、結果は予想を大きく裏切るものだった。
「あの……防衛省のお偉い方が……」
母の声が躊躇いがちに小さくなっていく。
「――は?」
文字通り、言葉を失った。今このご時世で最も忙しいであろう肩書きを背負った人間がこんな一般庶民の家まで立ち寄ってきて一体なにをしようというのか。まさか、働かない意地を張り続けたことが国家反逆罪扱いされて死刑?馬鹿な、いや――さすがに。
たまらず狼狽えていると、たっぷりと間を取った重みのあるノックが響く。
「君が森福賢太郎だね。私はあるプロジェクトの関係者として防衛省から派遣されてきた者なんだが、ぜひともきちんと聞いて欲しい。君自身の人生だけでなく、これからの日本の未来をも左右する大事な話なんだ」
「…………」
賢太郎、思わずドアを凝視する。その向こうにいるという姿の見えず、名乗りもしないお偉方を意識する。今なんて言った?日本の……未来?
「君がどういう状況なのかは親御さんから聞いている。応対したくないのであれば、それでも構わない。本当は直接あって詳しい説明をしたいんだが、生憎私も忙しい身でね。書類をここに置いておくから、きちんと目を通しておいてくれ」
そう言ってドアの隙間から封筒が差し出される。明らかに不吉なことを連想させるその封筒の表紙には、次のような言葉が印字されている。
――『操縦兵士としての従軍要請通知』
「それじゃあ私はこれで失礼するが、分からないことがあったらその通知書の中にある連絡先で尋ねてくれ……あ、そうそう」
一旦さりかけた男が思い出したように付け足す。
「二四時間以内に君がその封筒の指示通りに行動しなかった場合、君と君のご両親は国家反逆罪で刑務所に収容されることになるから、くれぐれも忘れないように」
それきり男は去って行った。母も見送りに下の階まで降りていった。
「………………」
状況はさっぱり飲み込めぬまま。けれど、どうやら尋常ではないことが起こっているらしいことだけは鈍った頭でもはっきりと思い知っていた。非常警報が鳴っても昼寝の邪魔をされたくらいにしか思わなかった賢太郎は、今初めて戦争というものを身近に感じ、また、自らの非常事態であることを痛感した。賢太郎の首元や脇を濡らす汗は、数分前のものとはまったく種類の違うものだった。
「…………」
怯えながらも、入り口の所へ行って封筒を手に取る。意味もなく裏を確認したり、光に透かしてみたりしたあと、思い切って封を切る。なにが書かれているかと思ったが、中にはいっていたのは、名刺くらいの紙切れ一枚だけだった。
「これは…………URL、か」
どこに繋がるものかは分からないが、ともかくそのサイトを開いてみろということなのだろう。あんな脅しをきかされたあとでは選択の余地はない。節電を義務づけられてからというもの、しばらく放ったらかしにしておいたゲーミングPCを起動し、アドレスを打ち込む。
すると防衛省のロゴが表示されたあと、氏名とパスワードを求められる。氏名を入力したあと、パスワードなんて入っていたっけとアドレスの書かれた紙切れを裏返すと、十三桁の英数字が表記されているのを見つけた。セキュリティを通過し、生唾を飲んで見守っていると、画面に表示されたのは『部隊概要』という文字だった。
そこには、プロパガンダを含まない現在の生々しい戦況が書かれていた。ことごとく自衛隊の基地が破壊され兵士が死に、つまりは人員を損失し、無人戦闘機ドローンや無人攻撃機ロボットの操縦兵士ですら底をつきはじめた。そこで政府は思い切った舵取りを行った。軍用に開発した制御ステーションを家庭用ゲーム機と全く同じ扱いができるように改良を加えたのである。その狙いはたったひとつ、無人兵器を扱うための訓練の時間と予算を削ること。最初からゲームにおける戦いに慣れた「猛者」を徴収すればその者はまた詫間に戦場に適応することができる。いかに運動神経がなかろうと、忍耐力やコミュニケーション能力がなかろうと、無人兵器を操り〈鬼〉を殲滅できれば問題ない。そういうわけで様々なフライトシューティング、FPS、TPSから人員を選りすぐり、声を掛けたと言うことが長々と書かれている。
そして数時間後、どうやら全員が揃ったらしく、それぞれの得意分野に応じて無人航空機、無人戦闘機ドローン、無人攻撃機ロボットが割り振られていった。自宅のキーボードやマウス、コントローラーでも扱える制御ステーションや作戦等の簡単な説明がなされたあと、しばしの自由時間が与えられた。
そしてサイトの左下にはオンラインゲームのチャット欄のようなものが用意されている。おそらくこれも構成員のほとんどがニートであることに考慮してのことなのだろう。操縦兵士どうしのやりとりはここでやれということらしい。何か挨拶した方がいいかとキーボードに手を伸ばすと、ちょうど誰かがメッセージを送信したところだった。
* ここにいるのは、日常生活でも曲がり角を見るとクリアリングしちゃう病にかかったやつなんか?
また別の書き込みがある
* 足音に異様に敏感奴もおるやで
* これから戦争に参加する実感とか全くでらんわ
* それでええやろやることは結局ゲームと変わらんし
* それよりクラン名決めた方がええんやないか?
* そのまんまNEETでええやろ
* NEETの定義調べなおしてきてみい
それらのやりとりを見ていると、まだ半信半疑ではあるものの、少しずつ実感が湧いてくる。まさか本当に俺が戦争に参加するの日がくるだなんて。興奮で胸を躍らせながらチャットの流れを見守る。
* こういうのはどう?自宅警備員じゃなくて日本警備員
* 何言ってんだこいつ
* 嫌いじゃないけどもう少し捻った方がよくないか?
そこで賢太郎には閃くものがあった。森福賢太郎、そんな名前をしていたものだから、賢太郎には小学生以来ずっと続いているあだ名があったのだ。
* ワイらは働きもせずウンコ製造機やったやろ?そこでこういうのはどうや。苦労を知らないっちゅう意味で「フクロウ(不苦労)部隊」
* フクロウ(不苦労)部隊(キリッ
* 好き
* 日本警備員よりかはマシ
* ま、ええんちゃうんか
思いのほか、反応は好感触だった。こうして森福賢太郎の所属する部隊の名前が決定した。その後防衛省の切り札「フクロウ部隊」は、日本の命運、引いては人間の尊厳をかけて得体の知れぬ怪物、〈鬼〉たちと昼夜を問わず戦い続けめざましい戦果をあげて日本の勝利に貢献した――、が。それはまた別の話。
原案 石上あさ @1273795
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