オタクとフクロウ
いとり
『切っ掛けはフクロウ』
「うわぁ、また田中がオタク本読んでる」
「ほんと、キモッ」
僕は、いつもと変わらない雑音を聞き流しながら、この素晴らしい異世界物語に、自分を陶酔させ、永遠とも思えるこの長い長い地獄の休憩時間を過ごしていた。
(はぁ……あぁ、早く鐘が鳴って散ってくれねえかな)
毎日思うことを壊れた蓄音機の様に思いながら、不運にも女達の頭上にある時計の時刻を確認する。すると、彼女達はこれまた、壊れた蓄音機の如く、動物園のサルの檻に餌を投げ込まれたが如く喚きだす。
「げ、こっち見てんだけど……」
「マジ死ねばいいのに」
「それなw」
「あははははw」
(……何がそんなに面白いのか。僕にも教えて欲しい)
その意味を持たない言葉を受け流す僕だったが、
しかし、次の言葉で無関心を貫く僕の心はあっけなく砕け散ったのだった。
「
僕はその名前を聞いた瞬間、心臓を太い荒縄でねじ切る様に
締め付けられる感覚と、呼吸麻痺、心拍上昇、体温低下、冷たい発汗、
スゥーと血の気が抜けるあの感じを全身で食らっていた。
そこからは、一言一句、会話の内容が気になり、ラノベどころではなかった。
同じ行を何度も何度も読み返す。
頼むからこれ以上余計なことは喋らないでくれと、懇願と怨念を込めた僕の願いは、チャイムによって成就されるのであった。その音色は、まるで協会の鐘の様なしい音色だったことを覚えている。
「はぁ、疲れる……」
帰宅した僕は、制服のままベッドへとダイブする。
精神的疲労と人ごみの通学ストレスのせいかそのまま眠ってしまった。
外が静寂に静まり返った刻、フゥォウ、フゥォウと、おっさんが息を切らした様な野太い鳴き声が聞こえ、僕はそれによって目を覚ます。
(お、また来たか)と、準備しておいたビーフジャーキーを片手に、軽快な足取りでベランダの外に出ると、目の前には、住宅開発によって建てられた高層マンションが聳え立っていた。
そして、その真ん中の広場には、一本の大きな木が皆伐をまのがれ残っていた。
「おーい、フウ
僕は、持ってきたビーフジャーキーを左右に振りながら、そいつの名を
小声で叫ぶ。
すると、フサァ、フサァと聞こえるか聞こえないかの羽音をさせながら、ベランダの手すりに、一羽の灰色をしたフクロウが舞い降りる。
「ほらフウ助、お食べ」
僕はいつも、あの木に来るフクロウに”フウ助”と名付け、餌を与えることが日課となっていた。フウ助は慣れたように手すりに置かれたビーフジャーキーを美味しそうにほおばる。
無邪気なその姿に、日ごろの鬱憤が漏れ出した。
「お前は毎日が楽しいかい?自由に羽ばたけるってやっぱ気持ちいいものなのかな?」
何の意味も持たないと思われる会話と共に、夜は更け新たな日が始まる。
女子という生き物は、どうして、群れを成すのだろうか。会話をするにも、
トイレに行くにも、廊下を歩くことさえ、一人での行動に恐怖する。
「じゃま。どけ田中」
「え、あ……す」
「は?何言ってるか聞こえねえ!はっきり喋れ」
「す……みません」
「ふっ、誤ってやんの。ダッサw」
僕は、いつものように首を垂れながら、何も言い返せず、廊下の隅を歩く。
そして(廊下はお前のためだけにあるんじゃねえんだぞ!)と、心の中で叫び、自我を保つ。凄く……情けなく、やるせない気持ちが自分を襲う。
しかし、今日は、ほんの少しだけ違っていた。
女子の群れが通り過ぎるのと同時に
『ごめんね』
と、微かな声が聞こえた様な気がした。
振り向くと――そこには幾度となく見ていた、あの後ろ姿があった。
家に帰った後も、僕は微かに耳に残る声を何度も思いだしていた。
誰かにこの何とも言えない気持ちを話したい。が、ボッチである僕にそんな話をする相手がいるわけもなく、必然的にフウ助に行き当たるしかなかった。
しかし、待てど暮らせどフウ助のあのおっさん声が聞こえてこなかった。
話したく、話したくいても立っても居られなかった僕は、ベランダに出て、いつものように近所迷惑にならないよう小声でフウ助を呼ぶことにした。
「おーい、フウ助ー……」
少し待ったが、フウ助が来る気配はなかった。
これで、やっと
「フウ助ー」
『フウ太ー』
(……え?)
僕は戸惑いながらも、声がした方に顔を向ける。
するとそこには、高層マンションのベランダから身を乗り出し、驚いた様子で
キョロキョロしている女の子の姿があった。
僕はその女の子を見た瞬間、ドクッンと胸を打つ。
そこには、僕が決して、見間違うことのない女の子の姿があった。
しばらくして、向こうもこちらの存在に気づきく。
『田中君?』
「お、おう」
あまりの偶然と、驚きと、コミュ障のおかげで言葉が出ない!
『やっぱり田中君か!まさか、向かいのアパートだったなんて知らなかった。
しかも、いきなり叫び声がするんだもん驚いたよ』
「え、えっと。僕なんかが近所で……嫌じゃなのん」
『え?別に?どうして?嫌じゃないよw』
僕は、泣きそうになるのをぐっと我慢した。何故なら、生まれてこの方、
女の子という生き物に優しく接されたことがなかったからだ。
しかも、僕が想い焦がれていたあの子である。
フウ助のことをきれいさっぱり忘れかけて時、彼女が切り出す
『もしかして、田中君もあの木のフクロウのこと探していたの?』
「伊吹さんも⁉」
驚きのあまり、逆に普通に言葉が出たことにも驚いた。
そして、この驚きをもって僕の記憶媒体はキャパオーバーを迎え、
この後、何を話していたか覚えていなかった。
ただ、彼女が笑顔であったことと、会話の最後に
「また明日学校で」と、言ったことだけは覚えていた。
次の日、僕はいつもの様に罵られ、自分が上位人種であることの証明の供物とされる、変わらない日々が始まる。勿論、僕が伊吹さんと会話をすることなんてない。それが
あの日以来、僕がフウ助を見ることはなかった。
なかったのだが、僕は今でも毎日のようにフウ助を叫び続けている。
何故なら
「フウ助」と、
僕が叫ぶと、高層マンションから窓の開く音が、今でもするからである。
オタクとフクロウ いとり @tobenaitori
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