僕がフクロウ神と歌った自分の歌

兵藤晴佳

僕がフクロウ神と歌った自分の歌

 バスに乗り遅れた。

 しんと静まり返った冬の道を、旧家の美しい箱入り娘と並んで歩く。

 そんな夢のようなシチュエーションは、単なる偶然に過ぎなかった。

「まさか、相手が峰石倫次クンとはね」

 コートの襟に顔を埋めた楡野友里は、抑揚のない、しかし皮肉たっぷりの声で言った。

「僕だって」

 まさか、これからの人生を決める宿命のライバルが、彼女だとは思いもよらなかった。


 楡野は大粒の雪がついと流れ落ちる冷たい闇の向こうを、じっと眺める。

「久しぶりじゃない? 歩いて帰るの」

 家は近かったけど、小学生の頃は、一緒に遊ぶことなどなかった。近所の悪ガキどもにからかわれるのがイヤだったからだ。もちろん、一緒に帰ったりもしなかった。

「そうだね」

 今でも、そんなことしか答えられない。

 中学生になると、彼女は文芸部に入った。

 僕はいわゆる「帰宅部」に入ったが、それは勉強するためだ。ちょっとでも偏差値の高い高校に入って、もっと広い世界へ出ていきたかった。

「雪、深いね」

 そのくらいしか、話せることはない。

 思い出したように街灯がぽつねんぽつねんと闇の中に現れては、降りしきる雪をわずかな光の輪の中に映し出す。

 結局、都会の高校には行けなかった。この田舎町の高校でくすぶることになった僕は、ひたすら帰宅部に徹する受験の鬼となった。

 足首までずっぽり埋まるのが当たり前の雪を、僕は小学生のように蹴散らす。

 楡野も真似をした。

「だから嫌なの、田舎は」

 意外な一言だった。この言葉には、二重の意味がある。

 楡野はというと、そんなに無理もせずに同じ高校に入った。聞いた話では、詩や小説に没頭していたらしい。

 気が付くと、僕と同じ受験生になっていた。

 しかも、いつの間にか成績も学年トップに上り詰めている。

「仕方ないだろ」

 返した言葉にも、二重の意味がある。それを彼女は、即座に因数分解してみせた。

「1つしかない高校から帰るバスが、1時間に1本あるかないかっていうのが?」

 遠回しな言い方に、ちょっとムッときた。 

 こんな雪の日に、そのバスに乗り遅れて歩いているのには、ワケがある。僕は僕で仕返しするように、それをわざと回りくどい言い回しで返した。

「そこから出ていこうとして、こんなことになったんだろ」

 ここは田舎だ。道の明かりは街灯しかないし、冬場でなかったら山の中からフクロウの声が聞こえるくらいだ。


 まさか、志望校がバッティングするとは思わなかった。

 僕の狙いは数少ない国公立推薦だった。

 どマイナーな「地方創生学部」。

 しかも場所は北海道。

 超低倍率が狙い目だ。

 父は役場勤めで給料はそれほど高くない。僕なりに気を遣ったつもりだった。

 そして、学校内で1人だけが推薦される入試に、僕は挑んだのだった。もちろん、スベリ止めは準備してある。夏休み前から受験情報を仕入れて、万全の態勢で臨んだはずなのに……。

 校内に対抗馬がいた。

 選考を受けることになり、腹を括って面接のある会議室に入ってみたら、そこには女子生徒が1人座っていた。

 長い黒髪をポニーテールに括った、ブレザーの細い背中。

 最初は誰だか分からなかったが、誰が相手だろうと、僕は動じなかった。

 実際、名前を呼ばれた彼女が冷たく張り詰めた声で返事するまでは、誰だか分からなかったのだ。

「楡野友里さん」

「はい」


 面接は長かったし、そのあとの個別指導も遅くまでかかった。

 校内選考の結果が出るのは来週だけど、担任はもう、次のことを考えていたのだ。

 僕が塾もない田舎町で受験勉強に勤しんでいるうちに、楡野は部活動で、しっかり結果を出していた。

 エッセイ、評論、詩に小説。

 さらに、通り一遍のことを覚えた通り棒読みで答えた僕とは正反対に、楡野はきっぱり言い切ったものだ。


 ……失われていくアイヌの言葉を学んで、詩や小説、戯曲の形で現代に残したい。


 本州のど真ん中で大きなことを言われてしまった時点で、僕の敗北は決定的だった。

 それを噛みしめながら、足もとの雪を見下ろしながら歩く。

「ねえ、何か話してよ」

 楡野がぼそりとつぶやいたのは、さすがに心細くなったからだろう。

 雪は夜闇の中を降りしきる。

 だが、心の底までもが冷え切っている僕は返事をしなかった。まっすぐ前を見て、目も合わせない。

 長いこと会わないでいるうちに、幼馴染……というより近所の顔見知りの女の子は、成長していたからだ。

 背はそんなに高くないけど、よく見れば出るとこ出ている。

 それは面接のとき、既に気づいていたけど……いや、そういう意味じゃない!

「峰石君?」

 やましいことを考えていたので、他意のない問いかけにも、身体がすくむ。それだけに、場を取り繕わなくてはならなかった。

「他のところは、受けるの?」

 うろたえたからとはいえ、最低の答えだったと自分でも思う。

 今、僕たちの間でいちばんデリケートな話題だ。

 でも、答えは結構、さらっと返ってきた。

「ここ落ちたら、どこも受けない」


「じゃあ、どうするの? これから」

 だが、これはどっちかっていうと、我が身を心配する言葉だった。

 テストの点数しか取り柄のない僕なんかより、多才な楡野のほうが遥かにウケが良かったに決まっている。

 それでも、寂しげな声で答えが返ってきた。

「ここで結婚する……かな」

「え?」

 いきなりの展開に、僕は思わず目を剥いた。

「もともと婿取りの家でね。両親とも、私が出てったきり帰ってこないの心配してるんだ……山や田んぼもあるし」

 ちょっとイラっときたので、皮肉を言ってみた。

「まあ、僕は出てってもあと腐れないしね」

 あるのは街から離れた、土地も家屋も安そうな一戸建てだけだ。

 だが、楡野は結構むくれた。

「山だって土地だって、今は税金取られるだけだって知ってる?」

 一言もなかった。面接のために時事問題はきっちりチェックしていたつもりだったけど、そういう生活に密着したことはノーマークだった。

 だから、話題を切り替える。

「じゃあ、何で受けたの? 推薦」

 わざわざそんなことをしなければ、バスに乗り遅れるまで面接やることもなかったし、こんな雪の夜道を歩くこともなかった。

 遠くの街灯が、降る雪をびっしりと照らし出している。

 しばしの間を置いて、思い切ったような答えが返ってきた。

「賭け……両親との」

「どんな?」

 聞いてみたけど、答えは、はぐらかされた。

 突然、友里は雪降る夜空を見上げて歌いだす。


 Shirokanipe ranran pishkan, konkanipe ranran pishkan……。


 唖然とする僕に、楡野は得意げに解説する。

「知ってる? これ、アイヌ語」

「何でそんなの」

 さっきから抑えていた苛立ちが、不機嫌丸出しの口調になって表に出た。

 楡野はつぶやくように答える。

「1時間にバスが1本しか来ないような田舎って、この先どうなると思う?」 

「言ってることがよく分からない」

 もう、何の話をしていたんだか分からない。でも、はぐらかされたわけではなかった。

「北海道のアイヌ民族も、地方の片田舎も、同じ」

 発想が極端すぎる。

「いや、それは……」

 ついていけずに言葉は濁したが、彼女のほうは淀みなく言い切った。

「大事だ大事だって言われてる割に、世界の隅っこに置かれて敬遠されてるってところは変わらない」

 怒りすら感じられる口調に、反論はおろか返事もできないでいると、彼女は再びつぶやいた。

「私みたいね、まるで」 

 そう言ったきり、彼女はまた、その場を取り繕うように歌いはじめた。

 

 銀のしずく降れ降れまわりに、黄金のしずく降れ降れまわりに……。


 大学の長い夏休みに入って、僕は北海道の無銭旅行を試みた。

 真っ青な空の下に、小高い丘の向こうへと広い道が続いている。僕はバックパックを背中に、何があるか分からない先へと歩いていた。 

 なぜ無銭旅行かというと、学生として北海道にいるわけではないからだ。あの冬、僕は校内選考の結果が出る前に推薦の希望を取り下げたのだった。

「銀のしずく降れ降れまわりに、黄金のしずく降れ降れまわりに……」

 受験勉強から解放されて、やっと調べる余裕ができた歌を口ずさむ。アイヌの神謡ユーカラ、「ふくろう神が自らを歌ったうた」だ。

 かつては豊かだったが今は貧しくなった家の子供が、かつては貧しかったが今は豊かになった家の子供にいじめられている。それを見かねたフクロウの神様が、その矢に自ら当たってやるという歌だ。

 別に、楡野に恩を着せているわけではない。もともと敵わないことは分かっていたし、僕の家の両親も、本音では息子をあまり遠くにやりたくなかったらしいのだ。その辺りは、楡野の両親とたぶん変わらない。

「美しい鳥、神の鳥、さあ射よ、あの鳥を……」

 その鳥とは、フクロウのことだ。

 楡野の声が蘇ってくる。

 

  Pirka chikappo! kamui chikappo! Keke hetak, akash wa toan chikappo……。 


 1台の車が、僕を追い抜いていった。とっさに、親指を高く上げてみる。

 こんなサインが今どき通用するかどうかは分からなかったが。

 車は静かに止まった。ゆっくりとバックしてくる。だめもとで聞いてみた。

「すみません、乗せて……」

「いいよ、峰石君」

 開いていく窓から、振り向きもしないで答えた声に聞き覚えがあった。

「楡野さん?」

「久しぶり」

 

 僕が車の後部座席に乗るなり、楡野は言った。

「こんなんじゃ、フクロウ神の恩返しにはならないけど」

「え……」

 同じことを考えていたのが意外だったが、すぐに種明かしがされた。

「親に言われてたんだ。他に受ける人がいたら、ダメだって」

 賭けは、受かる受からない以前の問題だったわけだ。

 あのまま踏ん張っていれば、この車を運転するのが僕で、乗ってきたのが楡野だったかもしれない。

 恩を売るわけじゃないけど、聞いてみた。

「これから、どうするの?」

 楡野はさらっと答えた。

「卒業してから考えるから、それまで待っててくれない?」

 まだ日は高いのに、どこかの森でフクロウが間抜けた声で鳴いたような気がした。

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僕がフクロウ神と歌った自分の歌 兵藤晴佳 @hyoudo

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