雨魔 ~和傘と洋傘を背負ったフクロウの都市伝説~

澤松那函(なはこ)

『じゃのめとこうもりを背負ったフクロウ』

 埼玉県浦野宮市に伝わる都市伝説。

 雨の夜、自分の部屋の一番大きな窓を八回叩き、三度口笛を吹いてから鍵を開けておく。

 すると助けを求めた者が眠りについた時、気配を感じて目を覚ますと、夜具の傍らに和傘じゃのめ洋傘こうもりを背負ったフクロウ『雨之介』が居るという。









 しとしとと降り注ぐ霧雨が大気に満ち、雲を通して微かに届く月光に照らされ、銀色に光っている。

 菜種梅雨のせいか、ここ三日ほど雨が降り続けていた。

 大学生の三島恵子が、帰りの夜道を歩く時、気配を感じるようになったのも丁度三日前からだ。


 一日目は、粘ついた視線が背中を撫でた。

 振り返っても誰も居ない。でも誰かに見られているという感覚は消えなかった。


 二日目は、視線と一緒に湿った足音が付いてきた。

 振り返ってみると、ぼんやりと何かの影が見え、雨の中で薄ら笑っているようだった。

 走って家まで帰りつく頃には、気配は消え失せていたが、言い知れぬ気味の悪さを覚えた恵子は、翌朝警察に相談をするも――。


「深夜、人気のない道を通らないように気を付けてください。特に君みたいな美人は、変質者に狙われやすいですからね」


 事務的な対応に愕然としながらも、大学に行かねばならず、不平を飲み込んだ。

 実際、恵子の曖昧な証言では、警察としても動きようがない。

 警察の次に恵子が頼ったのは、中島美波准教授である。

 恵子は、民俗学を専攻しており、中島准教授には悩みを打ち明ける事もしばしばだった。

 恵子が中島准教授に相談したのは、理由は信頼以外にももう一つあり、


「雨魔? あなた雨魔を見たの?」


 雨魔。

 恵子の住む浦野宮市に伝わる都市伝説の一つだ。

 雨の降り続ける日にのみ起こる怪奇現象で、浦野宮市が全国屈指の失踪者数を誇る原因ではないかと噂されている。


「見たというか、感じたというか。都市伝説なのは知ってますけど、先生から聞いて気になってしまって」


 以前、中島准教授は恵子の地元に伝わる都市伝説だと教えてくれた。

 都市伝説といっても起源は、室町時代まで遡るとされ、雨魔について記した文献もいくつか見つかっている。


「警察もあんまり相手にしてくれなくて……」


「それなら一つ試してみてほしい事があるの」


「どんな事ですか?」


「雨の夜、自分の部屋の一番大きな窓を八回叩き、三度口笛を吹いてから鍵を開けておく。すると助けを求めた者が眠りについた時、気配を感じて目を覚ますと、枕の傍らに雨之介というフクロウが現れると言われてる」


「フクロウですか……役に立つのかな」


「おまじないだと思って、試してみらどうかしら?」


「はぁ……」


「現れたらどんなフクロウだったか教えてね!」


 中島準教授も結局半信半疑なのだろう。

 最近バイトのシフトを深夜にしたから疲れているのは事実だ。

 気配や足音も、もしかしたら疲労から来る思い過ごしなのかもしれない。

 そう考える事にして講義を終えた恵子は、いつも通りバイト先のコンビニで汗を流し、深夜未だ止まない霧雨の中、傘をさして帰宅の途に付くと――。




 ――かわいいね。




 背後から鼓膜を揺らした声に全身が硬直した。

 尋常の声ではない。人の言葉を話しているが、断じて人ではないと本能が理解した。




 ――おいしそうだね




 視線も感じる。




 ――いいにおいだね。




 足音も近付いてきている




 ――たべちゃいたい




 振り返ってはいけない!!




 直感に従い、恵子は傘を投げ捨てて走り出した。

 家まで一分の距離。

 足の速さには自信がある。

 けれど気配と足音はピッタリ張り付いて来て距離を放せない。

 住んでいるアパートに辿り着く直前、恵子は鍵をバッグから取り出し、バッグを背後に投げ付けた。


 ――痛っ。


 足音が止まった。

 数瞬生まれた隙を活かし、恵子は人生で一番早い手さばきで一階にあるアパートの自室の鍵を開け、部屋に飛び込んで鍵とチェーンを閉めた。


 ――あしたで四日目。明日が四日目。アシタ、会おうね。


 声と気配と足音が遠ざかっていく。

 安堵と同時に、恵子の身体に堪えていた震えが襲い掛かった。


「また明日って……」


 またあれが来るのか?

 あれが何か分からないが、人間ではない何かである事は間違いない。

 考えただけで吐き気が止まらず、えづいてしまう。


 誰も信じてくれない。

 誰も助けてくれない。

 どうすれば?


『雨之介』


 恵子の脳裏に、ある言葉が浮かび上がる。

 途端に恵子は、自分の部屋にある西側の一番大きな窓をコン、コン、ココン、コン、コン、ココンと八回叩き、ピーピーピーっと三度口笛を吹いてから窓の鍵をそっと開けた。

 そしてパジャマに着替えず、桜色のシャツとデニムのまま布団に潜りこんで瞼を閉じる。

 先程経験した事が事だけに眠れそうになかったが、突如堪えがたい微睡が恵子を襲った。




 ――お嬢さん。




 耳元で響いた聞き心地の良い男の声に、恵子が目を開くと、フクロウのドアップが視界に飛び込んできた。


「いやあああ!!」


「えぇ!? 呼んだのに、その反応!?」


 くちばしを器用に動かしてフクロウは喋っている。

 相当大きい。シマフクロウによく似ており、背中には赤い和傘じゃのめと黒い洋傘こうもりを背負っていた。


「ご存知、雨之介です。こんにちは」


「存じてませんけど。て言うか、こんばんわじゃ?」


「夜行性なもんで」


「ああ。なるほど」


「まぁおやすみなさい。今日は私が見張ります」


「いや、寝れそうもないんですけど」


「じゃあ……トランプでもしますか?」


「えっとなんかあれですね。フランクなんですね雨之介さんって」


「よく言われます。イメージと違うって。イメージより俗物的だって」


「でしょうね。なんかホラー映画の主人公だったつもりが、一気にほんわか動物ギャグ漫画の主人公になった気分です」


「まぁとにかくこの雨之介が来たからには、ご安心して眠りなさい。でも雄と一つ屋根の下で寝るのが不安? ご心配なきよう。生憎と人間の娘には全く性的興奮を覚えないですから、そっちの心配もいりませんよ」


「あんた、フランクってより畜生だな」


「わたし、フランクってより畜生だな!?」


「オウム返しすんな」


「フクロウだけにね!!」


「訳分からん」


 付き合っていると負けな気がして、恵子は眠る事にした。


「おやすみなさい。お嬢さん」


 けれど雨之介の声は、ささくれていた心を撫でて穏やかにしてくれて、数日振りに安らかに眠りについた恵子だった。







 翌朝、雨之介の姿はなかった。

 外では、まだ雨が降り続いている。

 夜を迎えるが怖いけれど、楽しみにしている自分も居た。

 雨之介との会話は、夢ではないと断じる事が出来る。

 そして何かあれば、あのフクロウが助けてくれる、そんな期待感があったのだ。


 この日、恵子はいつも通りに過ごした。

 大学に行き、講義を受ける。中島准教授には、あえて雨之介の事は話さなかった。

 全てが終わった時、話すべきだと考えたのだ。


 講義を終えてコンビニでバイトする。

 これもいつも通りの深夜〇時にシフトを終えた。

 いつも通りの帰り道をいつも通りに歩く。

 雨は、この四日間でもっと激しく降っており、傘を叩きつける音がやましいぐらいだ。

 

『会いに来たよ』


 背後から響いた一声が昨晩を凌ぐ怖気を伴って投げ槍のように恵子を貫いた。

 スニーカーの靴底がアスファルトに接着剤で張り付けられたように動いてくれない。

 なのに、上体は振り返り、背後に居る何かを確認してしまう。

 逃げ出す事よりも、自分に降りかかる災厄の正体を確かめずにはいられない好奇心を恵子の無意識は選択したのだ。


 それは、二階建ての家屋に迫る背丈の赤黒い肉塊であり、体表が雨粒を吸い込む度、煮立ったように泡立っている。

 各部から生えた十七本の触手が大蛇のように蠢き、ラベンダーと鳥の腐肉を合わせた芳香が先端から漂い、恵子の鼻腔を痛め付けた。

 肉塊のあちらこちらがひび割れ、人の奥歯ばかりを並べたような歯が鈍い光を放っている。


『会いに来たよ』


 ――殺される。


 恵子を過ぎる死の直感を証明するかのように触手が迫る――。


「こうもり鎌!!」


 しかし上空から降り注いだ洋傘が濃厚な死の気配を触手ごと断ち切った。

 洋傘の取っ手が鎌のように鋭く鋭利な刃となっている。


「これって……」


 恵子が仰ぎ見ると、和傘を背負ったフクロウが翼を広げて急降下してくる。


「雨之介さん!」


 肉塊は、触手のターゲットを飛翔する雨之介に定めて伸ばす。

 恵子の目には知覚すら出来ない速度域で伸びる触手を雨之介はそれを上回る機動で難なく躱し、


「じゃのめ槍!!」


 空中で一回転しながら背負っていた和傘を身体から離し、右足でがっちりを掴んで投げ放ると、音を置き去りにした和傘は、骨組みが裏返って捩じれ合い、槍の形となって肉塊の中心部を貫いた。

 傷口から黄銅色の液体を流し、肉塊は金属の擦れ合うような音を上げながら痙攣している。

 雨之介は、肉塊へ急降下し、突き刺さった和傘の柄をクチバシで咥えて一つ羽ばたくと、柄の下から三分の一が引き抜け、白銀のように輝く刀身が姿を現した。


「じゃのめ剣!!」


 雨之介が翼を翻した刹那、流麗な剣閃が幾重にも重なり、肉塊に刻み込まれていく。

 断末魔すら上げる事を許さず、肉塊は巨大な水泡へと姿を変え、そのまま雨粒の群れに溶けていった。


「すごい……」


「大丈夫かい。お嬢さん」


「ありがとう雨之介さん」


 雨之介は、和傘と洋傘を背負うと空を見上げた。


「もうすぐ雨が止む」


「そうなの?」


「私には分かるんだ」


 雨脚が雨之介の言ったように収まっていく。

 比例するように雨之介の姿が透けていった。


は、雨の中でしか姿を保てない。もしもまた雨の日、人知れぬ気配を感じたら呼んでおくれ。雨の降る日ならいつでも駆け付けるからね」


 声だけ残して雨之介の姿が湿った空気と一体になっていく。

 恵子が空を見上げると、満月が微笑むように輝いていた。

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雨魔 ~和傘と洋傘を背負ったフクロウの都市伝説~ 澤松那函(なはこ) @nahakotaro

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