捕食者は消えず
片山順一
梟は音もなく飛ぶ
平日の午前中、スーパー銭湯は閑散としている。
手持ちぶさたな利樹は、鏡に自分の姿を映してみた。
四十五歳、腹が出て、白髪も目立つくたびれた中年の男の姿がそこにある。
脱衣所には掃除をする若いアルバイトくらいしか、居ない。
広い浴室の方も同様だ。にらんだ通り、洗い場も閑散としている。
時計は十時十分、奥から五番目の洗面台に座り、体を洗い始めた。
一人で体を洗っていると、ぼんやりと身の上を振り返ってしまう。
もう、四年、本が出ていない。雑誌は次々と廃刊になり、ネットの仕事は若い連中の手元にある。ヤクザや、半グレを、金とコネを使って丹念に取材する利樹のやり方は、時代遅れに等しかった。
ライターとして、二十年を生きて来られたが、そろそろなのかと思っていた。
そんなときだ。梟が目の前に現れたのは。
※ ※
梟とは、戦国時代に現れた腕利きの忍者の通称だ。
寒気のする暗殺の腕前を持っていた。
昼間、村人たちがなん十人も居並び、田んぼで猿楽を見て笑っていた。
標的の侍五人がそこに通りかかり、野辺に腰かけ、村人と共に卑猥な歌に聞き入り、踊り手をはやしたてて、笑い転げた。
しばらくして、ある村人が気付く。満面の笑みの侍たちの頭が、妙に低い場所にある。
改めて見て、ぎょっとした。侍五人の首は、笑い転げた表情のまま、草の上に並べてあったのだ。
切り口に血の一滴もなく、胴体は、影も形もない。混乱する村人たちが、田の方を振り返ると、猿楽の演者まで姿を消している。
ただ、梟の尾羽が泥水の上に浮いていたのだ。
梟という忍者は、この一挙で腕を示し、地侍に取り入って仕官した。
凄絶な活躍をする。
主と敵対する侍が厳重に警備する名刀を盗み出し。
敵国の領主が、政略結婚のためにとっておいた、大切な姫を犯し。
和睦の使者を殺害して成り代わり、和議を乱して敵国同士の戦を長引かせた。
もちろん、優れた部下や、領主の息子は暗殺した。
まんまと図られた者達は、必ず尾羽を見つける。
そして、梟とつぶやくのだ。
だが、気味の悪いほどの腕前は主人からも恐れられ、仕官して二年後、かわや、つまり便所に入ったところを狙われ、槍と刀で扉ごと突かれて死んだという。
奇妙なのはここからだ。
百年ほど経た江戸時代に、火つけと殺し、強盗を屁とも思わない恐ろしい盗賊が居た。梟と名乗り、梟の尾羽を現場に残した。
その梟が刑死した後も、梟の尾羽は時代の片隅に現れ続けた。
幕末、明治維新を巡る政争の中に。
あるいは、大正、昭和、軍隊と政治の闘争の狭間に。
二次大戦後の混乱期、進駐軍の高官や、軍需物資で儲けた成金が殺された事件の間に。
高度成長期、バブル、崩壊後、そして数年前のヤクザの抗争――。
梟の尾羽は、戦国の時代から、事件の裏に脈々と置かれ続けている。
オカルト雑誌に寄稿している、知り合いのホラー作家によると、梟は日本のサン・ジェルマンと呼ばれる存在なのだそうだ。
※ ※
利樹は、その梟を取材する機会をつかんだ。
抗争や分裂でシノギが減って、もう足を洗うという十年来の知り合いのヤクザが、最後にとっておきのネタとして、話をつけてくれた。
現代の梟は、人を行方不明の形で処理するのが得意なのだそうだ。
ヤクザは、仕事で何度か世話になったことがあるという。
本が出て、金回りが良かった頃、そのヤクザには、女と薬をつかまされ、百万やそこらでは聞かない額の金を巻き上げられたが、その負い目もあるらしい。
カタギを目指すとなれば、急に自分の行動が嫌になることもあるのか。
頭を洗い、体を洗い終わったところで、利樹の隣に青年が座った。
青年。どう見ても、三十台にも届かない、ひょろりとした青白く細長い青年だった。
「利樹さんですね」
「は、はい」
大抵の取材相手には動じない自分が、気後れしてしまった。
振り切るように、たずねる。
「ふ、梟」
「ええ」
あどけない微笑だ。こんな青年が。
あのヤクザが、自分をかついでいるのか。そうかも知れない。だが、それにしては、取材料を要求してこなかった。
「……最初の五人の、名前は」
「佐七郎、五郎左衛門、貞伊、永吉、九衛門」
梟が居たという市の、市史まで遡らないと分からなかった名だ。
「あの五人は戦場ではぐれて、野武士のようになっていたことがありましてね。ある村を荒らして、男を斬って女をさらって。そこから、逃げ出してきた十四の娘が、私に自分の体をやるから、代わりに奴らを殺してくれと。楽しませてもらいましたよ」
鼻歌でも歌いだしそうな顔で、そう平然と口にする。
恐らく、本物なのだ。
次の質問に移ろうとしたとき、にわかに、老人が六人ほど入ってきた。
「おっ、お先の人が居るなあ」
「まだ若いんじゃないか。なんで昼間からこんなとこ」
聞こえよがしに話しながら、近くの椅子に座ってくる。
「ちょっと面倒だな。サウナはどうです?」
「いいでしょう」
取材対象から、こうもいいようにあしらわれるのは初めてだった。
※ ※
四十度のサウナであることが信じられない。梟は確かに、記憶を持っていた。
「そもそも、最初の男はただの下忍です。怪我をした僕の親を捕まえて食べ、ひな鳥だった僕も、殺して食べました。腹が空いていたのでしょう」
梟とは、本当に鳥のフクロウだったか。
「当たり前の殺生だったけど、悔しくて仕方がなくって。気が付くと、その男になっていましたよ」
まるで、伝奇の世界だ。
「音もたてずに動けるし、羽の生えたように跳べる。刃物も薬も、男の持ってた忍びの腕以上に使えました。だから、羽ばたいてやろう、殺して奪って好きに生きようって。梟なんだから、それでいいかって」
ネズミでもにぎりつぶしているみたいに、青年はほほ笑む。
「最初に移ったのは、かわやで殺されたとき、刺された槍からかな。戦で殺しまくって、殺されたときにまた移って、盗賊になった後は、役人に。そんな感じで、移っては殺してきました」
細い体に、汗一つかいていない。
「でも百年くらい前から、この国急に平和になってきて。戦争もないし、銃はおっかないし、まあ殺し屋で、落ち着いてますね。いくら治安が良くても、人殺しに大金や体を出す奴らだけは、居なくならないんです。理由はどうでもいいけど、いい思いさせてもらってますよ」
にこにこと笑う青年にとって、殺しは本当に日常なのだろう。
利樹は取材した事件を思い出した。たとえば悪の権化のように言われる、ワンマン社長や、裁きを逃れた殺人犯などに、梟の羽が置かれることもある。
だがその反対に、政治家の汚職を追及していた検事の下に羽が降ったこともある。ある地方で、誠実に働き、美しい妻と娘を養っていた、人格的な経営者が羽と共に消えて、地域を支えた会社が倒産。妻と娘の二人が、風俗店に堕ちたこともある。
一度など、首相になれば国を変えると言われた候補が、大臣に上り詰める直前で、梟の羽と共に姿を消したことさえあった。
あの全てを、本当にこの梟が。
「どれくらい、その、葬って」
「数えていませんよ。あなたは、お茶碗一杯の米粒を、取り出して、並べたことがあるんですか?」
梟にとって、消した人間はその程度の存在だ。
鳥のふくろうも、生涯食べたネズミの数など記憶していない。
「でも、そろそろ飽きちゃったかなあ。利樹さん」
しまったと、思ったころには遅かった。利樹は首をつかまれていた。
青年の目、瞳の黒い部分が白い部分を覆い尽くしていく。これは爬虫類と同じ目だ。鳥類の目、捕食者の目だ。
「ひとつだけ、言ってないんです。実は、殺されなくても移れるんですよ」
握られているのは首だが。利樹は背中に、猛禽類の鋭い爪が突き立ったような気がした。
「あなたは本当に理想的ですね、利樹さん。落ち目のフリーライターで編集者や出版社とも知り合いが少ない。独身、家族なし、かつての取材対象とも疎遠で、どこで何をしていても誰も気づかない」
「あ、あぁ……」
「なにより、私に興味を持ってくれた。次の器にとてもいい」
「あ、悪魔」
絞り出した言葉に、梟は口元だけで笑う。
「的確ですね。でも、四百年以上、この国の人は悪魔を求めてくれました。これからもきっと同じ。私は好きに殺して奪って、巻き上げ、遊びます」
景色が暗くなって来る。自分が消されていくのが分かる。思い出せることすらない。薄っぺらい人生だったのか。
「梟は音もなく飛び移り、悲鳴も上げさせず獲物を狩る。次はあなたの人生を楽しみますね」
利樹の意識は消えた。
※ ※
二時間後、清掃に来た従業員が、青年の遺体を見つけた。死因は心臓麻痺。長時間サウナに入っていたのが原因だった。
ただ、静かに眠るその胸元には、こんな都会に居るはずのない梟の尾羽がひとつ、置かれていたという。
その後、利樹の姿を見た者は居ない。
今日もどこかで、梟は音もなく飛び、悲鳴も立たせず獲物を狩っているのだろう。
捕食者は消えず 片山順一 @moni111
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