梟雄の述懐

加湿器

梟雄の述懐

『心せよ、我は梟。汝らのくびを落とす者。』


満員の議場で、男は高らかに叫ぶ。

長い旅路で伸びきった髪には、ところどころに白髪が混じり始めていた。


『心せよ、悪徳に染まった者どもよ。天道を欺く者どもよ。』


外套を翻し、傷ついた鎧に篝火を反射させながら。

磨かれた石の階段を、男は荒々しく踏み鳴らし、下ってゆく。


『――寝ずの番night owlは、お前を見ている。』


* * * * *


わたくしが、最初にその部屋を訪れたのは。

温厚な我が故郷には珍しく、寒気の残る春先の日のこと。


当時の私はというと、いまだ算術を習い始めたばかりだというのに、すでに都市ポリス中の教室を追い出されたような暴れ者であった。

親兄弟にもほとほと愛想をつかされ、勘当寸前といった有様。

親族筋にすがってようやっとたどり着いたのが、その教室である。


かつん、かつんと、二つ分の足跡が響く。教室があるという塔の先へと、使用人だという女性の後をついて階段を上っていた。

窓の無い塔の内側は、まだ日の高いうちから薄暗く、使用人の持つ蝋燭の明かりだけが、大きな人影を作り出してゆらゆらとゆれていた。


『知ってるか?その爺さんなぁ、できの悪いガキを縛り首にしちまうらしいぜ』

『わたしは、毎晩子供を連れ去って血を吸うんだ、って聞いたわ』


友人や兄弟から、こぞって聞かされた噂話が脳裏によぎる。

そこは、都市の外れ。中央から来たという、悪鬼と呼ばれた将の館。

そこは、物心ついた時から、乳母や使用人にいつか叩き込んでやると言われ続けた、悪魔の教室だった。


「さあ、どうぞお入りなさい。」


階段の先、質素なつくりの扉の前で、使用人がゆったりと微笑む。

縋る様に使用人を見つめるが、そんな姿をおかしがってか、くすくすと楽しそうに笑うばかりである。

もじもじと少しの間悩んだが、ここに受け入れてもらわねば、明日にも家を追い出される身分である。


すう、と息を深く吸い込む。

意を決して踏み入ったその部屋に、その男は一人たたずんでいた。


「よく来たな、ボウズ。」


大きく曲がった鷲鼻に、肩まで伸びた総白髪。

窓からの陽光に照らされたその顔には、彫り込まれたように深い笑い皺が刻まれていた。


「なんだ、オマエもあることないこと吹き込まれたクチか?」


散々脅かされた悪鬼を前に、私が声を出せずにいると、その男はくつくつと喉奥で笑いながらそう言った。

好々爺然とした口調ではあったが、その眼は、射竦めるように鋭い。


私が生まれる少し前、私の国は、大規模な夷狄征伐の遠征を行った。

その指揮を執ったのが、私の目の前にいる男。

あまりに悪辣な戦いに、悪鬼と呼ばれた残虐非道の将。


「おいおい、取って喰いやしねぇよ。」


「お、おれは!」


肩に触れられそうになって、とっさに声を上げる。


「あなたに、学問を、教わり、に、きた……」


「オウ、知ってるぜ。」


そういって、またくつくつと笑いながら、男はどかりと寝台へ腰掛けた。


「座れ。作法だなんだは気にしなくていい。どうせ、議席も軍籍も追われた男だ。」


骨ばった指で、あごの無精髭をいじる。その後、何年にも渡ってみることになった、「先生」の癖のひとつだった。

……その日から私は、毎日のようにその塔を上り、学問を修めることになったのだ。


その第一日目。今でも、昨日のように思い出せる。先生は、幼い私の緊張をほぐすように、いろいろな話をしてくれた。


子供のころ、先生も私と同じように、手のつけられない暴れ者であったこと。

自身で旅したさまざまな地方の風景や、料理や人々の話。

中央都市で出会った、情熱的な婦人の話。その婦人をめぐって、都市中の男たちがあわや暴動になりかけた話。


それに、ずいぶん前から、教室を追い出された者を受け入れると宣伝しているが、本当に叩き込まれたのは私が始めてであるということ。


最初は恐々と震えていた私も、次第に恐怖を忘れて、仕舞いには自らもっともっとと話をせがむようになっていた。


「もし、お二人さん。」


扉の外から、先ほどの使用人の声が響く。ふと気づくと、窓からさしていた陽光はすっかりと傾いていた。


「そろそろ、お授業はお仕舞いのお時間ですよぅ。」


「おう、もうそんな時間か。」


じゃあ、また明日な、と先生が私の頭を撫でる。私がこくこくと頷くと、先生は満足げに、くつくつと笑った。


かつん、かつんと、本当に真っ暗になった階段を下りてゆく。

蝋燭の明かりを見失わぬように必死になってついて行くと、不意に使用人が、先生の様子はどうでしたか、と尋ねてきた。


「すごく、優しい人でした。たくさんお話をしてくれて。」


「ふふ、話し相手ができて嬉しいのでしょうね。本当は、ただのおじいちゃまですから。」


そういうと、彼女は少しだけこちらに振り返って、また、ゆったりと微笑んだ。


さて、それから数年は、とりとめも無い日々が続いてゆく。

私は毎日塔を上り、寝台と、一対の机と椅子があるだけの部屋で学問に励み、日が落ちれば塔を降りる。時には部屋の掃除を手伝ったり、先生の部屋で夜通し同じ本について語り合うこともあった。


何度も通ううち、良くも悪くも遠慮がなくなるもので、朝霧も晴れぬ早朝の内から、あるいは、夜更けも迫るころに、私は何度も先生の部屋を訪ねた。

ひとつ不思議があるとすれば、先生が寝ているところを一度も見たことが無かったということだ。せいぜいが、昼間から寝台に横になって、酒や干し肉や果実を貪る姿を、たまに見かける程度だった。


先生は、学問に対しては誠実で厳格な人だった。どこの教室も匙を投げた私も、先生に尻を叩かれながら、比喩でなく本当に尻を叩かれながら学ぶうち、都市でも評判の秀才となっていたのだった。


ある時、先生は私に尋ねた。


「オマエ、俺がなんでここにいるか、知ってるか。」


若い私は、正直に答えた。


「人を、たくさん殺したのだと聞きました。」


私の答えに、先生は一瞬あっけに取られたような顔をすると、また、例のくつくつ笑いをした。


「ああ、そうさな、たくさん、よ。敵も、味方もだ。殺して、頸を落とし、吊るし、串刺しにした。」


でも、そうじゃない。そう語る先生の眼は、ここにいない誰かを見つめているようだった。


「俺には、息子がいる。年のころは、アイツと同じくらいか。」


アイツ、とは件の使用人のことだ。


「殺しに出かけた国で、殺すはずだった女に産ませて。そんで、その国に置き去りにした息子さ。中央のやつばらは、俺がそいつを、この国の王にするつもりだと思っている。」


しん、と、場を沈黙が支配する。私が言葉を探していると、先生がまた不意に問いかけてきた。


「学を修めたら、どうするつもりだ。」


「中央へ行き、軍に入ります。……先生と、同じように」


オウ、そうかい、と、先生が応える。結局、その日はそのまま解散となった。


……そんなやり取りも、忘れかけていたある日。

その日は、突然にやってきた。


思えば、静かな朝だった。いつものように、私が部屋を訪ねると、やけに格式ばった格好で、先生が待っていた。


「オウ、悪いが、髪を切ってくれ。そうしたら、出かけるぞ。」


普段なら、いつもの使用人に切らせている先生だ。それも、いつものように肩でばっさりと落とすのではなく、正装に合わせて、短く整えろという。

なれぬ鋏に悪戦苦闘しながら、どうにかそれらしく整えると、先生は、まあまあだな、と笑って、私を表へ連れ出した。


そうして、それから数日も馬に揺られて。

連れて行かれたのは、中央都市の議会場だった。


何もかもが唐突過ぎて、理解の追いつかない私に。

先生はただ、ここで待つように、とだけ告げて、議場の中心へと歩いていった。


* * * * *


――満員の議場で、男は高らかに叫ぶ。


「悪徳に染まった者どもよ。天道を欺く者どもよ。」


短く整った髪、しかしあの時と変わらぬ眼光で、男は階段を下っていく。


「お前たちの梟が今、帰ってきた。」


幾人かの議員が声を上げんと立ち上がるが、衛士に阻まれる。

もはや、議場はこの男に支配されたも同然であった。


寝ずの番night owlは、ここに恥ずべき内通者を告発する。」


* * * * *


まるで。戯曲の最高潮クライマックスのような喧騒の中。

私一人が、劇場のすべてにおいていかれたままだった。

混乱で靄のかかった視界の向こうで、先生は舞台役者のように、高らかに弁舌を振るう。


ひとりの、でっぷりと太った議員の前で、先生が吼えている。耳が捉えていた言葉を、後から思い返せば、その男は夷狄との内通者で。

……先生の、息子と、通じていた内患の一人だった。


が足りなかったな。閨で少し撫でてやれば、ひょいひょい喋ってくれたぜ。」


議員の前に、先生が何かを突きつける。呆然と見ていた私が、視界に捕らえた、それは。

あの使用人の、切り落とされた――。


* * * * *


……気がつくと、私は中央の宿に、一人寝かされていた。

すっかりと日の落ちた部屋の中に、先生が一人。

こちらに背を向けて、蝋燭を見つめていた。


「起きたか。」


こちらを省みることなく、先生はそういった。


「あれが生まれたときになあ、星読みに言われたよ。その子は必ず、災いをもたらすと。」


結局、そのとおりになったよ。先生は、身じろぎひとつせずそういった。

だがな、と先生は続ける。一先ずの清算はついた、と。


「オマエは中央ココに残って、軍に入れ。そう遠くないうちに、将になれるだろう。」


「代わりに殺せと、そういうのですね。」


「俺のすべてをやるよ。オマエには、教えられることはもう何もない。」


「そのために、私を。」


ぐるぐると、感情が脳髄をかき回す。すべて、すべて。私は、そのためだけに――。


気がつくと、私は一人、血にまみれて立っていた。


「そうか、俺の梟は、オマエか。」


先生の死は、公的には自殺と処理された。

私は、先生の取り戻すはずだった議席と、軍籍を手に入れた。

それが、先生の遺言だった。


「なら、それでいい。」


そうして、梟は産声を上げた。

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