完璧な日

美尾籠ロウ

完璧な日

 ひどく、冷静だった。心臓の鼓動は、いつも以上に落ち着いている。

 誇らしい。俺の身体には、特別に冷ややかな血が流れているのだ。

 俺は上目遣うわめづかいに、俺をにらみつけた。鏡の中から、長い睫毛まつげ縁取ふちどられた三白眼さんぱくがんが俺を見返す。

 完璧じゃないか。

 肌は白く、唇は赤い。黒目は濡れている。

 最高だ――俺は俺の姿にほれぼれした。

 ひどく、冷静だ。

 手の平は、汗をかくこともなく渇いている。指先は震えていない。俺は手を伸ばし、壁にもたせかけた鉄の塊を摑んだ。

 ペラッツィMX2000――上下二連十二番径二八インチ銃身のショットガン。

 いつもは墓石のようにひんやりとしている銃身が、今は命が宿ったかのように、ほのかに温かい。

 力そのものを発射した直後の熱の名残だ。揺るぎなく堅く、天井を向いてそそり立つ、黒光りする堅い銃身――俺はそれを静かに撫でさすり、そして優しく握った。

 太い銃口の先端に顔を近づけた。硝煙の匂いが鼻孔に刺さる。なんと甘いのか。思いっきり、息を吸う。その匂いで肺を満たした。そして銃把を摑み、銃床を肩に当てた。引き金に右の人差し指をかける。

 鏡の中の俺が、鋼鉄の力の塊を俺に向けている。黒々とした銃口の奥の深淵に、俺は見入った。いや、魅入られた。

 引きずり込まれないよう、俺は踏みとどまる。深淵を覗くとき、深淵もまた俺を覗き返している――と誰かが言ったはずだ。

 引き金から指を離した。やっぱり俺は冷静だ。俺は満足して、ゆっくりと銃身を下ろした。

 バスルームを出た。廊下をゆっくりと進む。俺は、焦ってなどいない。心臓の鼓動は、いつも以上に穏やかだ。だから、どす黒い血でべったりと濡れた廊下で滑ることもない。

 右手のドアを開いた。キッチンへ踏み込んだ。

 母さんはソファに上体を預け、うつ伏せになっていた。その肩がまだ小刻みに動き、ひゅう、ひゅう、というかすれた呼吸の音が聞こえた。右半身は真っ赤に染まり、右腕はあり得ない方向にねじ曲がっている。その光景に可笑しくなり、俺は思わず口元を緩めて笑い声を上げてしまった。

 俺の乾いた笑いが聞こえたのか、母さんがゆっくりと顔を俺に向けた。ひきつった頬が細かく痙攣している。年齢不相応に明るい色で染めた巻き髪が震えている。グロテスクなほど赤い口紅で彩られた口を開く。が、言葉は出て来ない。長すぎる睫毛の下の双眸は、まばたきを忘れたかのように見開かれている。

 銃口を向けた。

 引き金を引く。

 かちっ。

 母さんがびくっと体を震えさせた。

 俺はペラッツィMX2000の中折れ式銃身を中央で折り曲げ、空薬莢を排莢した。軽い音を立ててプラスチック製の空薬莢が床で一度跳ねると、母さんの心臓から漏れ出た血溜まりに転がった。

 ズボンのポケットから十二番八号装弾を二発取り出し、上下の銃身に収めた。

 構える。銃床を肩に当てて頬を押しつけ、狙いを定める。この至近距離で、はずすわけはない。

 見開かれる母さんの眼。

「なに? お説教しないの?」

 俺は半笑いでつぶやいた。そして、わずかな力を右手の人差し指に加える・

 銃声とともに、がくん、という反動。肩に食い込む銃床――白い壁に、赤黒い水玉が散った。

 なんて呆気ないことか。どうしてもっと早く、俺は十二番径散弾をぶち込んで、こいつの口を粉砕してやらなかったんだろうか。

 冷蔵庫の扉を開け、牛乳パックを摑むと、直接口を付けて一気飲みした。冷たい牛乳が食道を下っていくのを感じる。ますます、俺は冷えていく――完璧な俺に向かって。

 俺は母さんの残骸に背を向けた。キッチンを出た。廊下を出て左。ドアを開く――父さんの書斎。

 父さんは、デスクに向かって椅子に座ったままだった。

 ペラッツィを構えた。

 父さんは――いや、二十分前まで父さんであったはずの肉塊は、ちゃんと死んだままだった。

 俺はデスクの右の引き出しを開け、鍵束を取り出した。部屋の隅のガン・ロッカーの隣、装弾ロッカーをその鍵で開ける。十二番径八号装弾二十五発入りの箱が二箱とバッグが収められている。俺は装弾の箱をバッグに突っ込み、肩にかけると部屋を出た。


 空は脳天気なほど明るかった。

 ガレージのメルセデス・ベンツのドアを開ける――成金趣味の俗物が大好きなSクラスのセダンだ。なんてわかりやすい親だったのか、あいつらは。

 後部座席にペラッツィをそっと横たえ、運転席に身を沈めた。

 両の手の平を見る。震えることも、汗ばむこともなかった。

 俺は、ひどく、冷静だ。

 ルーム・ミラーを覗き込む。鏡像の俺の三白眼がにらみ返してきた。

「You talkin' to me?」

 トラヴィスを気取って、英語で言ってみる。

 返事はなかった。俺はほくそ笑んだ。

 エンジンをスタートさせる。と同時に、カーステのスピーカーからオーケストラの演奏が俺の鼓膜を振動させた。

 ベートーヴェン作曲交響曲五番ハ短調作品六十七第四楽章――もう、運命は扉を叩いてしまった。

 トラヴィス・ビックルでもあり、アレックス・デラージでもあるのだ、今の俺は。

 マジで完璧じゃないか。

 カーステのヴォリュームを上げる。ストリングスが鼓膜を震わせる。アクセルを踏み込む。上体がぐいっとシートに沈み込んだ。

 俺は、冷静だ。生まれて初めて車を運転しても、まったく緊張することなんてない。動揺することもない。心拍数も変わらない。俺は、超絶沈着冷静なトラヴィスで、アレックスだ。


 正門脇にベンツを停めた。学生服の埃を払い、ボタンを襟元まできっちりと留めた。後部座席のペラッツィを手に取り、装弾の詰まったバッグを肩に掛けた。ルーム・ミラーを眺め、跳ねている髪をなでつけた。今日は、少し湿度が高いようだ。

 校門をくぐる。校舎まで二十メートルあまり。右手の運動場では、一年生の男子が体育の授業中だった。頭蓋骨の内側に筋肉と脂肪ばかりを詰め込んだ奴らが、ハンドボールを追いかけている。

 しばらく立ち止まり、運動場で蠢く奴らを見つめていた。奴らは、俺に気づいていない。奴らは、今の俺を知らない――今のパーフェクトな俺を。

「おい、君」

 不意に背後から声。俺は、できるだけゆっくりと振り返った。

「君は何年何組だ?」

 ごま塩頭に逆三角形の痩せた顔――教頭だ。

「授業はどうしたんだ?」

 教頭は右手に、落ち葉でいっぱいに膨らんだゴミ袋を提げていた。

「答えなさい。何組の生徒だ?」

「俺に言ってんのか?」

「な、何?」

「俺に言ってんのか?」

「こっちに来なさい!」

 教頭は気色ばんで手を伸ばした。俺はすぐさま左手で教頭の肩を突いた。ペラッツィMX2000を向ける。

「You talkin' to me?」

 教頭は怒りよりも驚きに満ちた表情で、俺の濡れた眼とペラッツィの黒い銃口に交互に視線を向けた。

 引き金を引いた、

 銃声。

 赤い飛沫とともに、教頭の頭の上半分が粉々に吹っ飛んだ。

 運動場の生徒たちはみな棒立ちになり、当惑の視線を俺に向けている。

 俺は奴らを無視し、地面にくずおれた教頭の死骸を踏みつけると、校舎へ向かった。

 が、俺が校舎にたどり着くより先に、昇降口から中年の女教師がよたよたと姿を現すのが見えた。ダルマのように膨満した体型のその教師の名前は覚えていない。

「あなた……」

 言い終えぬうちに、撃った。ダルマのようにぶよぶよと丸い胴体を、数十発の十二番径八号装弾がずたずたに切り裂いた。

 屍体と血だまりと肉片をまたいで、俺は昇降口に踏み込んだ。下駄箱の脇で、銃身の空薬莢を排莢し、新たに装填する。硝煙の匂いを思いっきり吸い込む。なんて甘いのか。

「ひっ!」

 女子生徒の裏返った声が耳に届いた。壁際からこちらを覗き込んでいる二人の女子生徒がいた。

「俺に言ってんのか?」

 撃つ。

 コンクリートが飛散すると同時に、一人の女子生徒の左肩を散弾が切り裂いた。さらに大きな絶叫。

 俺は焦らない。急ぐこともない。ゆっくりと、立ち並ぶ下駄箱のあいだを進み、廊下にうずくまる女子生徒に近づいた。もう一人の姿は消えていた。

 涙とよだれと血で濡れた顔で、女子生徒は俺を見上げた。

「お、お、お願い……」

 女子生徒は三白眼で俺を見上げ、わなわなと赤い唇を振るわせていた。

 顔はやめておいた。引き金を引くと、セーラー服の胸に真っ赤な血の花が咲いた。女子生徒は静かになった。

 その代わり、廊下の奥から言葉にならない悲鳴が響いた。

 二年四組――俺がいた、かつての牢獄。

 廊下に出ようとする生徒を押しとどめるように、若い男の物理教師が教室の中に向かって怒鳴っているのが見えた。物理なんていうゴキブリのウンコほどにも役立たないものに、なぜ俺の頭はわずらわされきゃいけない?

 撃つ。

 撃たれたことに気づく前に、物理教師の頭は粉々のミンチになって廊下と教室にばらまかれた。

 俺は、教室の後ろの扉に歩み寄り、長方形の窓越しにぶっ放した。

 教室内から絶叫が破裂する。俺は素早く弾を装填した。もうすっかり慣れた手つきだ。俺は俺の機敏な指の動きにうっとりした。完璧な指使いだ。完璧な匂いだ。股間が熱く堅く勃起する。なんて気持ちいいんだ!

 教室の前の扉から、慌てふためき我先にと三人の男子生徒が飛び出した――昭島あきしま多野たの鈴本すずもと――クラスでもっとも成績がいい奴と、もっとも口数が多い奴と、もっともどうでもいい奴。

 奴らの背中に向けて、続けざまに二発、八号散弾を浴びせた。三人とも上半身をズタズタに引き裂かれ、廊下にもんどり打って倒れた。

 わざとゆっくりとした歩調で歩み寄ると、そのうち一人は、まだひくひくと喉の奥から息を漏らしていた。鈴本だった――もっともどうでもいい奴。血みどろになりながらも必死に両腕と両脚を動かし、もがきながら這って逃げようとしていた。

 俺は、あまりに滑稽なその姿に、思わず吹き出した。

 空薬莢を排莢し、新たに二発装填すると、鈴本に近づいた。

「ま、ま、マジありえねえ……」

 鈴本は俺の気配に気づき、泣きながらうめいていた。

「You talkin' to me?」

 俺は今まで鈴本と会話したことがあったっけ? と少し考えた。

「や、やめて……ホントやめて……」

 鈴本は、涙と洟水でグズグズに濡れた顔で俺を見上げていた。

「You talkin' to me?」

 これが、こいつとのはじめての会話なのか、と思うと可笑しくなってきた。俺はゆっくりとペラッツィの銃身を下へ移動させた。

「やめ……」

 鈴本の股間に向かって、散弾をぶち込んだ。

「ぎえええ!」

 鈴本がケダモノのような醜悪な声を上げた。クソやかましい。鼓膜が不愉快に揺るがされる。しかたなく、もう一発を顔面にぶち込む。熟したスイカのように、そいつは弾けた。やっと、静かになってくれた。

 新たな悲鳴に振り返った。

 教室の後ろの扉から、次々に生徒たちが飛び出していた。

 まだわからないのか、こいつらは。俺は呆れた。

 今の俺が完璧な状態であることを、今の俺は完璧な存在だということを、まだ気づかないのか、この群れは。

 狙いも定めず、撃った。

 水攻めにあったアリの巣みたいだ、と思った。わらわらと湧いてくる。わらわらと。

 撃った。血しぶきと絶叫と嗚咽と内臓と混沌と肉片と絶頂と快感と恍惚と射精。俺は嗤う。再装填する。そして、撃つ。飛散する肉片。再装填。撃つ。脳漿。再装填。撃つ――


 教室は、真冬の墓場みたいに静まり返っていた。

 壁にもたれて床に座り、黒板に眼をやった。

 断末魔のミミズがうごめいた痕跡のような、チョークの筆跡があった。

 トムソンの原理。クラウジウスの原理。オストヴァルトの原理――熱力学の第二法則。

「ちょ……エントロピー増大かよ」

 吹き出した。ケッサクだ。笑いを止められない。肩を震わせ「ひいひい」と声を上げて笑った。教室に転がる二十二個の屍体は、俺の笑い声を聞いちゃいなかったが。

 ペラッツィMX2000の銃口を口にくわえた。鉄の味がみる。むせかえりそうな硝煙の匂いにくらくらと眩暈めまいを覚えた。靴を脱ぐ。

 ふと、右手を自分の心臓の上にあててみた。心臓の鼓動は正常だった。冷静だ。

 右脚の親指を、引き金に掛けた。

 なんて完璧なんだ、今日の俺は。

 最高じゃないか。

 そして引き金を引く。


「完璧な日」了

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完璧な日 美尾籠ロウ @meiteido

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