一ノ3

 翌日の放課後、部室の入り口で恵莉は足を止め、既に作業を始めていた今井とその傍らで木彫を進める薫の後ろ姿に見入っていた。窓から差し込む西日を受けた彫刻と対峙する今井は集中しており、安定と充実とわずかな不安を含んだ美しい白い薄雲が肩から頭の上までを薄く包み込んでいる。薫の少しだけ丸まった背中からは、桜色の小さな光が炎の様に揺らいでいた。恵莉は、薫が放つこの桜色が好きだな、と思った。静かで穏やかで平和な空間に見入っているのも束の間、恵莉の肩を叩く人があった。

「恵莉ちゃん。こんちわ。」

 二年生の立花由佳里だった。

「由佳里先輩。こんにちは。」

 そう言うが早いか、由佳里に腕を掴まれて一緒に美術室に流れ込んだ。

「こんちわ。励んでますか。」

 由佳里はそう言って荷物を置くと、今井に後ろから近寄った。

「先輩、どうですか。順調ですか。」

 瞬時に日常状態に戻った美術室の入り口で、恵莉は由佳里達の様子を静かに目で追った。

「おう、由佳里。まあまあだよ。お前の方こそ、どうなんだよ。」

「うん、ほぼ仕上がったから、そのうち持ってくるけど…。」

「学祭の作品じゃなくて、受験志望のことだよ。絵画専攻で決心ついたのか?」

「う、その件を言われると…。」

 由佳里はボディブローをくらったような仕草をした。今井はパンチするようなポーズをする。由佳里は少し今井とじゃれていたが、ふと薫が不自然な彫り方をしていることに気付き、動きを止めた。

「あれ?薫君、もしかして彫刻刀で指切った?」

「あ、はい、昨日…。今井先輩に処置してもらったんで大したことなく済みました。」

 薫が絆創膏を巻いた左手を持ち上げて見せた。

「やだあ、危ない。彫刻刀って絶対に誰か指切るよね。」

「突いただけで、大事に至らず良かったよ。」

 と今井が補足する。

「そう。もう気を付けないと。…じゃ、みんなくれぐれも怪我は気を付けてね。」

 そういうと、由佳里は自分の荷物を掴んだ。

「え、なんだ、もう帰るのかよ?」

 と今井が言うと

「先輩の顔を見に来ただけ。ホントは相談したいことあるんだけど、励んでるみたいだから今日はいいや。」

「相談?」

「うん、また連絡するんで。じゃね。さよなら。」

 由佳里は突風の様に去って行った。今井の引退後、次期部長となるはずの由佳里だったが、画家をしている母親のアトリエが自宅にあるとかで、美術室での活動らしい活動はせずにいる。

 <あの人はちゃんと部長になってくれるのだろうか…。>

 恵莉は由佳里の気まぐれな様子に、少しばかり不安を覚えていた。

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