*虚無の肖像-きょむのしょうぞう-

 ベリルは、手にしている小さなナイフを見下ろした。

 ベルトに隠していたものだ。他の武器は全て奪われたが、これだけはフォージュリも見つけられなかった。

 近づいてくる気配に表情を険しくする。

 ほんの少し、対峙しただけだがベリルはそれで充分に理解した。フォージュリに手加減は通用しない。

 手加減の出来ない相手──それは、確実にフォージュリは死ぬという事だ。それに、これ程ほど躊躇うのはやはり、過去の重圧からなのだろうか。

 全てが失せたと思っていた。けれど、生き残りがいた。どんな相手だろうと、それはベリルにとって嬉しい事である。

「何故だ。フォージュリ」

 亡霊に取り憑かれたように自分を捜し回るフォージュリに目を眇める。こんな出会い方でいいはずがない。

「そこだな」

 フォージュリはベリルが隠れていると思われる壁を睨みつけ、憎らしいほどに感じる気配に舌打ちする。

 施設が襲撃されたとき、その騒ぎに乗じて学者たちと他のクローンを皆殺しにしてやった。

 そのあと敵から身を隠しながら、オリジナルであるベリルを探したが見つからなかった。

 十二年経ち、ようやく見つけたんだ。絶対に逃がしはしない。

「あいつを殺せば、俺を偽物だと言う奴はいなくなるんだ」

「偽物だと言う者が、すでにいなくてもか」

「ハ、余裕じゃないか」

 ゆくりなく姿を現したベリルに、フォージュリは警戒しつつも口の端を吊り上げた。

「そう思うか」

 よく見ると、微かに手が震えている。それが、なんの感情を表しているのかフォージュリは図りかねた。

「お前を偽物だという者は、誰一人いないというのに──。それでも殺し合うのか」

「貴様がいる限り、俺は偽物なんだよ。終らせるんだ」

 容赦なく射抜くエメラルドの瞳に体はすくみ、紡ぐ言葉が震えた。ひしひしと伝わる力の差は、フォージュリを絶望へと突き落とす。

 俺は──勝てないのか?

「そんな、はずはない」

 フォージュリは支配する負の感情から抜け出そうと頭を振った。ベリルを睨み付け、奥歯をガリリと噛みしめる。

「──っ」

 放たれる激しい憎しみにベリルは目を眇め、怯むことなく左足を踏みしめた。

「また会おう」

「フォージュリ!」

 走り去るフォージュリに手を伸ばす。しかれど、呼び止めてどうするのだと伸ばした手を躊躇いがちに握った。



 ──このままにしておくことは出来ない。奴は、必ず仕事も妨害してくるだろう。

「クローン」

 改めて、今さらに知らされたものに顔をゆがめる。

 本当に自分の細胞を使ったのかどうかは解らないが、動きはよく似ていた。そう思わせるためにわざわざ真似たなら、並々ならぬ努力をしたのだろう。

 とはいえ、クローンだからといって、必ずしも似る訳ではない。偶然、同じ動きになったと見るほうが妥当だ。

 フォージュリは施設から逃げ出し、どんな生き方をしてきたのか。あの動きから、ベリルと同じ世界にいたのかもしれない。

 そしてフォージュリの説明からも、彼らはまともな教育を受けていなかったのだと考えられる。

 ベリルのように、専門的な知識を彼らが学んでいたとは思えない。否、そもそも人としての教育を受けていたのかすら疑わしい。

 隠されていた実験から生み出された彼らに学ばせるとは到底、思えない。それでも、最低限の教育は受けていたと考えられる。

 それとは逆に、全てが優遇された生活がベリルには与えられていた。政府は、キメラに出来る限りを注ぎ込んだ。

 そうまでしたのはやはり、ベリルの持つ素質に気付いたからだろう。驚異的なスピードであらゆる知識を吸収していく様は、彼らを驚かせたに違いない。

 人工生命体は知識をどこまで吸収するのか──それを追求したくなるのも当然かもしれない。

 莫大な予算をつぎ込み、政府はキメラに最高の環境を与えるべく施設を増設していった。自由はなかったが、学ぶことに苦痛は感じなかった。

 倫理的にも大いに問題がある研究成果は国家最高機密となり、ベリルが十五歳のとき突然の襲撃に遭い施設は壊滅──全てのデータはチームメンバーが全て焼き払い、襲撃者に渡る事はなかった。

 残った政府のデータも人工生命体は死亡とされ、埋もれるように乱雑なままデータベースの奥底に仕舞われる事となった。

 科学者たちが付けた名が政府に知られれば、彼は再びA国に呼び戻される。けれど、ベリルはそれに抵抗する気は無い。ただ生まれた場所に戻るだけだ。

 アルカヴァリュシア・ルセタ──ヨーロッパにある小国は森林が多く常用語はアルカヴァリュシア英語。イギリスの言葉に近い。

 街並みはイタリアを思わせる青い空の似合う風景が主だが、周辺の国の影響を受けている事が街の建物から窺える。

 研究施設は森の中に隠すように建てられ、数々の失敗を繰り返しベリルが生まれた。

 そのまま細胞の研究が続けられる予定であったが、ベリルの頭脳はそれ以外も求められる事となる。

 希望するほぼ全てを与えられる代わりに、広い世界に足を踏み出す事は許されない。

 ディスプレイに映される世界に、どれほど胸を焦がしても手を伸ばしても、触れる事は叶わない。

 それでも、ベリルは誰かを傷つけてまで自由を得るつもりは無かった。

 己の存在が赦されないものであることは充分に理解していたし、ベルハース教授たちは無骨ながらも自分を愛してくれていると解っていたからだ。

 彼らを裏切ってまで、手にする自由などベリルにはなかった。

「フォージュリ」

 つぶやいて苦い顔になる。

 彼をそこまで憎しみに駆り立てるものはなんだ。十二年という年月は、その憎しみを消し去ってはくれなかったのか。

 そこまでの憎しみを、一度も顔を合わせた事の無いベリルに向けている。それほどに、受けていた傷は大きかったのだろうか。

 それが前に進む力になっているのなら、私は憎まれたままで構わないとベリルは考えていた。けれども、あれは前に進む力とは到底、思えなかった。

 性格はその環境に影響されて決まるのならば、その性格自体を形成するのは──?

「遺伝子発現」

 ヒトの遺伝子についてはゲノムの解読は完了したものの、未だその全てを解明出来た訳ではない。

 遺伝子はただの情報でしかない。遺伝子が機能するためには、発現される必要があるが──遺伝子発現は未知数だ。

 発現したあとの調節によって、その後の方向は無限といってもいい。

(※遺伝子発現とは、遺伝子の情報が細胞における構造および機能に変換される過程)

「仕事の再開は未定だな」

 ベリルは、見えない先行きに溜息を吐き出した。



 ──それから一週間、フォージュリからの接触は無い。あれだけの殺意があったのだ、いつかまた仕掛けてくる。

 こちらが先に見つけたとしても、どうすればいいのか解らない。いや、彼は常にこちらを監視しているだろう。

 仕掛けるタイミングを図っているのかもしれない。

 ふいに、庭から言いしれぬプレッシャーを感じた。この威圧感は覚えている。

「フォージュリ」

 カーテンを引くと、青と緑が混ざり合う瞳で険しくベリルを見つめていた。その憎しみに触れるように、ベリルは戸を開く。

「殺してやる」

 ベリルの肌はフォージュリの強い殺意を感じてぴりぴりとした。

「お前は私のコピーではない」

「黙れよ」

 フォージュリはハンドガンを抜いてベリルに銃口を向けた。

 彼のお気に入りなのだろうか、コルトM1911がカタカタと小刻みに震えている。1911ナインティーン・イレブンは45口径のカートリッジが七発装てん出来る。

 銃身に一発、あるのなら少なくとも、それだけの数を避けなければならない。

「殺してやる」

 優位に立っている喜びなのか、フォージュリの目は歓喜に満ち、常にぶつぶつと何かをつぶやいて口元が卑しく歪んでいる。

「フォージュリ──」

 ベリルは目を細めた。

 彼の精神が壊れかけている。もう、私の声は聞こえないのかもしれない。闘うしか道はないのか。

 そのとき、フォージュリの足下に鈍い音が響いた。地面の土がその衝撃で小さく舞う。

「なんだ?」

 フォージュリは辺りを見回すが誰の姿も見えない。一歩、また近づくと今度は靴をかすめた。

「仲間か?」

 ベリルは頭を横に振る。

 自分の事を知っているのは、カイルという元傭兵の師匠だけだが、彼にも今の現状は伝えていない。

「チッ」

 フォージュリは喉の奥で舌打ちをすると、素早くその場をあとにした。

 追いかけようと思ったが、牽制した相手が気に掛かり立ち止まる。

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