*殺意の在処-さついのありか-

「あんたに、どれほど会いたかったか──オリジナルのあんたにね」

 これは殺意だ。ベリルは肌に伝わるピリピリとした痛みに眉を寄せる。

「笑えるだろう? フォージュリだって! 初めから偽物なのは解っているだろうに、この名前!」

 喉の奥から絞り出すように笑い。大きく手を広げ「みんな聞け」というように声を張り上げる。

 しかし、その声は上空を通過する大型旅客機の音にかき消された。

「クローンチームは、あんたのチームを羨ましがってた。そりゃそうだ。偽物じゃなく、本物を扱えるんだからな」

 あいつらが扱えたのは、あんたの細胞と俺たちクローン! 惨めだよな。本当に惨めだ。

 自虐めいた甲高い笑い声が響き渡る。しかし突然、ぴたりと止まりベリルをじっと見据えた。

「イミテーションは所詮、イミテーションだってよ。ムカツクよな」

「っ!」

 まずい!

 フォージュリの殺意を感じ取ったベリルは、すぐに身をひるがえした。

「──っ」

 投げられたナイフがベリルの右腕をかすめる。目的は私の殺害かとリビングの扉を閉めて、音を立てずに階段を駆け上がり身を潜めた。

 住宅街で武器を手に闘う訳にはいかない。

「無駄だよ、あんたの気配はすぐにわかる。俺は、あんただからな」

 ゆっくりとリビングに足を踏み入れ、窓の鍵をかけた。この家の間取りは充分に調べている。

 セキュリティはとうに切った。逃げ場はない。

 ──クローゼットで息を潜めるベリルは、荒い息を整え血のにじむ右腕を一瞥いちべつした。

 唐突に突きつけられた真実は、ベリルの思考を混乱させている。

「さっきのナイフ。少しは当たったろ? それには麻酔液が塗ってあったんだ」

 麻酔──?

 激しい眠気に頭を振るが、どんなに抗っても意識は遠のいていく。殺意は確実に近づいているというのに思考が回らない。

 私を造り出したベルハース教授のチームも知らされていなかったとは──自由を手にして十年、新たな真実はあまりにも衝撃的で残酷だ。

 政府からはキメラと呼ばれていたが、ベルハースたちは密かにベリルと名付けていた。

 チームリーダーのベルハース教授は、白髪混じりのブラウンの髪に仏頂面の威圧感を漂わせる老齢の無骨な男性だった。

 彼らはキメラの誕生に喜びつつも、心に暗い影を落としていた。しかし、国は生まれた人工生命体の知能の高さに目を付け、施設を増設しあらゆる専門家たちを集めた。

 ベリルはそうして、物心が付く前から日に十二時間以上もの勉学を課せられていた。

「う──っ」

 意識を保つことが難しくなってきた。見つけられるのは時間の問題だろう。

 次に目を覚ましたとき、奴は私をどうしているのかと考えながらベリルは目を閉じた。

「見~つけた」

 クローゼットを開けたフォージュリは、意識のないベリルを見下ろし下品な笑みを浮かべた。



 ──目を覚ましたベリルは、ゆっくりと今の体勢を確認する。

 両手は後ろ手に手錠をかけられているようだ。足は拘束されていない。装備していた武器もほとんど奪われている。

 首に何か巻き付けられている。重たく冷たい感覚──これは、チェーンか。

「おはよう」

 フォージュリの声に目を開く。

 微かに鼻につく鉄の臭いと壁の端に積まれている鉄骨、視界に映る天井クレーンに、ここは古い溶接工場の中だと理解した。

 頭を少し動かすと、フォージュリはパイプイスの背を前にして相変わらずのにやけた顔をベリルに向けている。

 フォージュリの側には、天井クレーンを操作する押しボタンスイッチが吊り下げられている。大きなものを運ぶための天井に吊されたクレーンだ。

 建物内には二つ設置されていて、その片方がいまベリルの真上にある。

「なるほど」

 奴はこれから、とても悪趣味な事をするらしい。

「最後に何か言い残すことは?」

「何故、そこまでこだわる」

 ベリルの問いかけに、フォージュリのにやけた顔が無表情に変わる。

「あんたには解らない。毎日毎日、オリジナルがどうとか。クローンは所詮クローンにしか過ぎないとか。うるさい」

 右手で顔を覆い、再び自嘲気味に笑う。

「他の奴は他の奴で、自分たちはクローンだから仕方がないみたいな顔しやがって、ムカツクんだよ!」

「そうか」

 ベリルは静かに目を伏せる。

「だからといって」

「あ?」

「だからといって、命を意味無く奪う事は許されない」

 向けられた鋭い視線にフォージュリはぞくりとした。

「いいね」

 異様なまでの瞳の輝き。これが、オリジナルか。

 あらゆる人種のDNAが混ざり合い、引き起こした遺伝子の発現はつげんなのかと目を見開く。

「人間の可能性」──ベリルからはそれが垣間見える。しかし、フォージュリにとって、そんな事はどうでもいい。

 科学者たちに馬鹿にされ続けた屈辱──所詮は偽物──その怒りと憎しみを、目の前の奴にぶつけられれば、それで満足だ。

 施設から逃げて十年。その恨みは、消えるどころか日に日に膨れあがる。もう止められない。

 あいつらがうらやみ、求めた。この美しい化け物を、今すぐ醜く殺してやる。貴重な生命体はお前らの手には届かず、さぞ悔しいだろう。

「死ねよ」

 フォージュリは狂喜の笑みを浮かべ、クレーンの上昇ボタンを押し込んだ。ベリルの首に巻き付いているチェーンが少しずつ上に持ち上げられる。

「うっ」

 体が徐々に吊り上げられていく。自重で首のチェーンがじわじと食い込んできた。

「がっ、あ──っ」

 きつく締め上げられ意識が遠のいていく。

「ククク」

 苦しむベリルを眺めてフォージュリは嬉しそうに目を細めた。

 しかし──

 ベリルは後ろ手に縛られている両手を、両足を曲げて前に持っていき、その手錠を一瞬で外して首にかかっているチェーンを掴みクレーンの上に勢いをつけて飛び乗った。

「なに!?」

「ゲホッ、ゴホッ」

 チェーンを首から外して咳き込む喉をさする。あと少し、対処が遅ければ首が折れていた。

「猿か」

 フォージュリは薄笑いでベリルを見上げた。クレーンの下降ボタンを押しながらハンドガンを手にする。

 このまま、やられてやる訳にはいかない。ベリルはクレーンから飛び降りてフォージュリを一瞥し遠ざかった。

 絞った引鉄ひきがねから放たれた弾丸はベリルには当たらず、舌打ちをして追いかける。

「もう嫌なんだよ。偽物なんて」

 みんな死んだはずなのに、殺したはずなのに、なんで俺をそんな目で見る。残ったのは俺一人だ。なのに、いつまでオリジナルを見てやがるんだ。

 フォージュリの目は血走り、ぶつぶつとつぶやきながらベリルの影を探し回った。

 ベリルは彷徨うフォージュリを目で追いながら、彼の言葉を反芻する──よもや、クローンまで造られていたとは思いもしなかった。

 人工生命体の成功が新たな悲劇を生み出していたことを知り、吐き出せない苦しみに己の胸ぐらを掴む。

 施設の襲撃でそこにいた職員、集められた学者などベリルが知る限り、三百人全員が武装した集団によって残らず殺害された。

 襲撃の理由は未だ解らない。あのときの自分にそれを探るすべはなく、ひっかかりすら未だ見つからない。

 成功さえしなければ、私という存在がいなければ──幾度となく思い、消してきた思考だ。

 造られる側にどうこう出来た事じゃない。解っていても、考えずにはいられない。

 傭兵という仕事を選び、死が訪れるまで闘い続けようと決意したベリルの身は、もはや死ぬこと叶わず、永遠の時を生き続けなければならない。

 二十五歳の時に出会った少女から与えられた不死。そんな運命を、彼は素直に受け入れた。

 墓まで持って行くはずだった真実は、不老不死の身となった今では難しい。

 あれからまだ二年しか経っていない。自分の体がどのように変化したのか、ベリルはまだ掴みあぐねていた。

 殺せないことを知れば、フォージュリはどう出るだろうか。

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