*深い海の碧-ふかいうみのあお-
ベリルは食材を仕舞い終え、薫り高い紅茶を手にリビングに向かう。
4Kテレビをオンにしてノートパソコンを開き、画面から流れるニュースをBGMの代わりに紅茶を傾けながらメールを確認する。
他にもいくつか倉庫代わりの家を世界各地に所有しているが、ここダーウィンの住まいは彼の最も気に入っている場所である。
のんびりしたいときは、ほぼこの家で過ごす。それ以外は愛車のピックアップトラックで世界各地を回る事が趣味の一つだ。
もちろん、日本にも住まいを構えている。関東と関西に、こぢにまりとした一軒家で職業柄、諸々のことを考慮して表札には仮の名が記されている。
休暇を取る旨を仲間たちや仲介屋には伝えてあるため、要請に関するものはほぼ見当たらない。
それでも、急ぎの仕事だと送られてきたものに目を通し、重要性の高いものは信頼の置ける仲間に連絡を取り内容を転送する。
無名から一気に有名人となったベリルは、自分を中心とするネットワークを構築し、なんとか上手く動いている。
円滑に仕事をこなすためベリル自身が作成したシステムだが、多くの人員や仲間がいなければ成し得なかったものだ。
──紅茶をひと口味わい、ノートパソコンを閉じる。これからの数日間、何をしようかと思考をめぐらせた。
オーストラリアはあらかた回ったが、それでもまだまだ新しい発見がある。
「ん」
そのとき、バックポケットのスマートフォンが振動で着信を伝えた。
登録していない番号に眉を寄せる。仲介の無い依頼なのか。いぶかしげに思いつつも、画面に表れたアイコンをスライドする。
<よう>
「誰だ」
記憶には無い男の声。二十代だろうか、まだ若い印象を持つ。
しばらく相手の返事を待っていると、微かだが笑い声が聞こえた。何を楽しんでいるのか。
<あんたに、会いたいんだけど>
「何故だね」
未だ聞こえる笑い声に、何がそれほど楽しいのか解らない。
<裏庭にいるよ>
「なに?」
男の言葉に立ち上がる。
大量の武器を保有していることから、敷地にはセキュリティシステムが張り巡らせてある。
当然、庭には数種類のセンサーが設置されており、それが反応しないなどあり得ない。
そう考えながらもカーテンを開く──信じられないことだが、通話の声と同年代ほどの青年がそこにいた。どうやってセンサーを抜けたのか。
青年は手を軽く上げ、ひらひらと振る。小馬鹿にしたような笑みは、手にしたスマートフォンからも響いていた。
ガラス越しに見る顔は、やはり記憶にはない。一度、顔を合わせているなら忘れるはずはないのだが、記憶のどこを探してもその面持ちに覚えはない。
傾きかけた日差しにせっつかれるように、住宅街の音がやや騒がしくなる。これからオレンジに変わる世界は、人々の生活をまだ大きく空に響かせていた。
端末を閉じ、ガラス戸を開く。
「何の用だ」
「初めまして。かな」
肩に届くほどの金の髪には、若干のくせが見て取れる。その瞳は、深い海を思わせる青緑をしていた。
サンドカラーのカーゴパンツに、黒のフライトジャケット。一見すると、そこら辺にいそうな柄の悪い青年という印象でしかない。
しかし、彼はここにセキュリティを抜けて入ってきた。油断していい相手ではない。
「──?」
ベリルはふいに、何かの違和感を覚えた。
ざらざらとした気持ちの悪い感覚──同時に、何かがすとんと心に収まるような印象。そんなイメージに目を眇める。
「懐かしい感じとか。しないか?」
「どういう意味だ」
青年は口の端をつり上げて、よく顔を見ろと言いたげにベリルに近づいた。
「ああ、言い忘れていた。俺の名はフォージュリ。よろしく」
ベリルはその名に眉を寄せる。
「もちろん、本名だ」
そう、ベリルが違和感を覚えたのは──
「自分のクローンを見るのは初めてか?」
「クローンだと?」
顔立ちがどこか自分に似ていたからだ。
「驚いたか?」
フォージュリ──彼はそう名乗った。
「
本気でそんな名をつけたのだとしたら、親はどういった心境であったのかと思ってはいたけれど、男が言ったことが本当ならばある程度の納得は出来る。
「知らなかっただろ? 自分のクローンが造られていたことを」
下品な笑みを浮かべ、フォージュリはさらに距離を詰める。
「あんたがいた施設。その別棟の地下に、俺はいたのさ」
フォージュリはそれまで貼り付けていた笑みから、毒々しい何かを含んだ視線をベリルに向けた。
「まさか、忘れた訳じゃあないよな? 自分がキメラだってこと」
ビクリと体が強ばる。
──ヨーロッパの中ほどにある小国、アルカヴァリュシア・ルセタは近年まで他国より秀でた科学技術を有していた。
数十年前、自国が誇る科学力により赦されざる研究を重ねていた。
「実験No.
決して忘れることの出来ない真実──それをいま他人の口から聞かされ、懐かしさと自責の念と畏れとが混ざり合う複雑な感情に足元から体温が奪われていく。
あらゆる人種のヒトDNAを分裂・結合・合成させて誕生した唯一の成功例──完全な人工生命体。それがベリルだ。
十五歳の時に施設が何者かの襲撃を受け、ベリルは施設にいた人々の手によって自由を手にし、ここにいる。
あの襲撃がなければ、ベリルは今も施設から出ることなく、研究が続けられていたかもしれない。
あるいは、襲撃者たちに連れ去られ、何かを目的に教育を受けていたか。どちらにしろ、ベリルはいま自分の意志で立っている。
「別棟に──」
「そう」
ようやく興味を持ったベリルに嬉しいのか、フォージュリと名乗った青年は両手を広げた。
「全ては、あんたの成功から始まったんだ」
ベリルが生まれて一年後、彼を造り出したチームとは別のチームが作られた。
「キメラからのクローン作成」──その目的は定かではないが生まれたキメラの細胞が特殊なものであったために、その計画が持ち上がったのだろう。
「面白いよな。人間の胎内を介さずにあんたを造り出しておいて、今度はそのクローンだってさ。だから俺には、あんたと違って母親と呼べるものがいる」
フォージュリの目は、明らかな優越感を表していた。
人工生命体からのクローン──その実行のため、秘密裏に研究者が集められた。今までに無かった事柄であり、今後も携わることが出来るか解らない魅力的なものともいえる。
生命という、最も身近で有りながらも、未だその定義すら定められていない。その一端に触れられる機会を誰もが逃したくはないだろう。
そんな場所があった事にも驚きだが、クローンが成功していたことにもベリルは驚きを隠せない。
ベリルの細胞からはクローン胚の作成は不可能だと聞かされていたからだ。
三歳のときに自身の出自を知らされ、それから研究チームのメンバーはある程度の質問ならベリルに答えてきた。
そのなかにクローンに関する問いもいくつかあり、彼らはそれに答えた。
彼らが嘘を吐いていたとは思えない。従来の方法とは別の方法を試し、それが成功したのだろうか。
どんなに信じられなくとも、自分のクローンだと名乗る者が目の前に現れた。その真偽はわからないものの、施設について知る者であることは疑いようがない。
「他にも、何人かクローンがいたけど」
青年は上目遣いにベリルを見やると、
「俺が、みんな殺した」
その恍惚とした目の輝きにベリルは顔をしかめる。
何かがおかしい。言いようのないこの嫌悪感、吐き気がする。目の前にいるのは、本当に人間なのか。
「襲撃を受けたとき、クローンの俺たちは隠し部屋にいたから助かったのさ」
まさか、本家のチームからも隠されていた地下の施設が見つかるとは思わなかったけどね。
「何故、殺した」
ベリルの問いかけに、フォージュリは悪びれることもなく、さも楽しげに口角を吊り上げた。
子供じみた笑みの奥底に潜む闇がちらつく。
「決まっている。俺以外に必要無いからだ」
フォージュリはそう言い捨ててベリルを睨み付けた。
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