第七章:大学一年生 移ろう季節

 高校の卒業式での鵯の様子がおかしかったことは、よく、鈍感と言われる西井で さえ気付いていた。

 これまでの卒業式なら「最後だから」と一緒にいてくれるはずなのに、今日はやたらと他の同級生と一緒にいる。まるで、西井を避けるように。

 それに加えて、あからさまなまでの明るい笑顔と明るい声。今ならわかる。あれは鵯の『仮面』だ。偽物だ。演技だ。

(なんでだろう?)

 首を傾げて、考える。どうして、鵯が演技などしなければならない? いや、演技は前からしていたけれど、西井が見てもわかるくらい、普段より分厚い仮面をつけて接するなんて、何があったんだろう。

 前述したとおり、鵯は自分から西井の方に来ることはなく、他の誰かへ向けて、ガチガチに仮面で武装した笑顔を浮かべている。それを見て、西井は違和感にむむむと唸った。

(卒業式が済んだら京都に引っ越しちゃうから、みんなとお別れしてるのかな……)

 考えても思い浮かぶのはそれくらいで、同時に、

(……だったら俺にも話しかけに来てほしいなあ……)

 と、話しかけてもらえる同級生を羨ましく思う、

(あ、でも俺は後で連絡先教えてもらえるもんね。式が終わったらゆっくり話せばいっか)

 そうだ、そうに違いない。

 だから西井は、鵯のお別れを邪魔しないことに決めた。

 せめて記念にと写真班を連れて行ったけれど、それ以上は介入しなかった。

 そのことを後悔するのは、しばらく先のことである。



*…***…*



 連絡先を教えてもらえるから、後でゆっくり話せる。

 そう思ってたのは、たった数日の間だけだった。

 鵯からの連絡はない。

「…………」

 今日も鳴らないスマホを見ていると、着信があった。日和からだ! 飛び上がって喜んだが、ディスプレイには『学校』とあった。出てみると元担任からで、卒業アルバムが完成したということだった。郵送でも構わないと元担任は言っていたが、別にそこまでしてもらうのも悪い。定期の期限も残っていたし、散歩がてら学校まで取りに行くこととした。

 学校に着くと、お客様らしくお茶を出され、卒業後どうだとか、気の早い話を元担任と交わした。その時、ふと、思い出したように彼は言う。

「そうだ西井、鵯と仲良かっただろ。

 あいつの引っ越し先知らないか?」

「え?」

「いや、連絡しても親御さんが電話に出なくてな。郵送もしたんだが受け取りが上手くできなかったのか返ってきてしまって……。なら鵯に送ってやろうと思ったんだが、先生あいつの新住所知らないんだよ」

 そう言われて、後頭部を鈍器で殴られたようだった、

 自分は、鵯の引越し先の住所を知らない。

「お、れも……知らないや」

「嘘だろ? あんなに仲が良かったのに?」

「あは……言い忘れたのかも」

「しっかり者の鵯にしては珍しいな。まあ、受験や引っ越しで忙しかったんだろう、そういうこともあるか。さて、アルバムどうしたものかなあ……」

「あ、じゃあとりあえず俺預かるよ。連絡先は教えてもらったから、住所も教えてもらえるかも」

「そうか、なら頼んだ」

 二つ返事で頷いて、アルバムを二冊抱えて帰る道中で、なんとなく、分厚い表紙をめくった。パラリ、パラリ、懐かしいなーと思いながらページを手繰る。

(……あれ?)

 手が止まったのは、あの日、写真班に、鵯とのツーショットを撮ってもらったページだ。

(なんで、日和、こんな顔してるんだろう……?)

 笑っているけれど、泣いているような。

 西井には難しいことはわからないけれど。

(諦め……みたいな……?)

 何に対してそんな風に思ったのか、そもそもこれはただの自分の勘違いなのか。

 アルバムを届けようと鵯の実家に行ったけれど、誰も出てくることはなかった。



*…***…*



 鵯は、引っ越す時に言った。

「スマホ、新しいの契約してもらえたので、番号交換しましょう」

 それから、

「手紙も、送れたら送ります」

 最後に、

「どうか、お元気で」

 約束を守るタイプの鵯にしては珍しく、手紙が送られてきたことは一度もない。電話が鵯からかかってきたことも、なかった。

 加えて、電話口で西井の言う、「遊びに行きたい」だとか、「お盆やお正月には帰ってくるの?」と言った、『会う』ことを示唆(しさ)するような発言には、曖昧な相槌を返されて終わりだ。鵯は喋りが上手く、いつの間にか違う話題になっている。西井は翻弄され、結局、何一つ聞きたかったことは聞けないまま、通話は終わるのだ。アルバムを渡されてから一ヶ月が経過していたが、未だに住所も聞けていない。鵯宅にも何度か足を向けてはいるが、誰かが出てきたことはなかった。まるで息をしていない家のようだ、と感じてからは、訪れていない。

 さて、その通話の頻度だが、夏休みを迎える頃にはだいぶ減ってきていた。

 最初は、十日に一度ほど。

 それが二週間に一度になって。

 終いには、一月に一度。

 東京と京都との遠距離恋愛。

 顔も頭も所作もいい恋人。

(まさか向こうで気になる人できた?)

 それもそうかもしれない。男同士の恋愛なんて、一般的にはおかしい。そのことに、鵯は気付いてしまったのかもしれない。

 そう感じると同時に、首を思い切り横に振った。そんなことない。あるはずない。日和は俺を裏切らない。好きだと言ってくれた言葉を信じる、信じたい。

 きっと忙しいだけなのだ。そうなのだ。

 そう思っても不安になってしまい、控えていた自分からの連絡を取ってみる。

『もしもし?』

「あ、ごめんね急に。……その、声が聞きたくなっちゃって」

『構いませんよ』

 そう言った割に、鵯から話を振ってくれることはない。沈黙が、電話口を支配する。

「……迷惑、かなあ」

 ぼそりと呟いた言葉は、一番言ってはいけない言葉だった。

 それが事実であるならば最悪だし、事実でないなら面倒な構ってちゃんだ。

『え?』

 鵯の声は予想だにしていなかったというような声色をしていた。ほっとする。迷惑では、ないようだ。

「あのその、めんどくさいこと言うようなんだけど、あの……電話、回数減ってることが気になっちゃって……」

 そう言うと、鵯は「ああ」と言った。

『勉強が忙しくて……すみません。これから先も、もっと頻度は減ると思います。申し訳ない』

 ああ、やっぱり忙しかったのか。

 そう安堵すると同時に、寂しさを覚える。

 俺はもっと電話したいよ。

 声が聞きたいよ。

 できることなら会いたいし、その手に、頬に、髪に、触りたいよ。

 なのに、こうも丁寧に謝られたら、西井は二の句が継げなくなる。

 ……怖くなる。

「……そっかぁ。勉強、頑張ってね」

 だから、当たり障りのない言葉で締めた。鵯も、『はい。西井も、お体お大事に。お元気で』とありきたりな言葉を返して通話は切れた。



*…***…*



 夏休みを終え、残暑が厳しいさなか、秋はまるでないものかのように去っていった。

 鵯からの連絡は、夏休みにしたあの一回以来、ない。

 勉強が忙しい。そうだろう。京大なんて、大学情報にさほど詳しくない西井ですらわかるようなネームバリューと偏差値を誇る。

 自分にできることといったら、こちらの大学でしっかり勉強をして、鵯に釣り合うような人間になることだろうか。

 ……とはいえ、頭の出来はさほどよくないのだけれど。人間関係だけは、上手くできてる自信はあったが、それが社会に出てどう活かされるのかはわからない。営業とかなら向いているのだろうか。



*…***…*



 秋がないなあと思っていたら、あっという間に冬が来た。京都は盆地だと聞いた覚えがある。鵯が、風邪を引いてなければいい。一人 暮らしなのだから、下手したら命に関わってしまう。

 そういえば昔鵯の看病をしたことを思い出した。弱々しく細い肩。大学生になって、今はもう、変わっているのだろうか。

 会いたい。

 痛烈なまでにそう思った。

 声が聞きたい。

 あれから電話もできていない。

 けれど怖い。

 しつこいと思われたくなくて、邪魔をしたくなくて、ストーカー紛いになりたくなくて、だから、西井は、行動を待つしかできない。

 ああ、いっそ、距離が近ければ。

 冗談混じりに突撃などして、来ちゃいました! で済ませられるのに。

 東京と、京都?

 この距離でそんな馬鹿な真似をするのは痛いやつだ。それくらい西井も知っている。そして鵯が馬鹿を嫌いそうなことも。

「……なぁんにも、できないなぁ」

 ひとりごちたその声を、冬の木枯らしが連れ去っていった。

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