第四章:高校一年生 春
どの学校でも、校長先生の話とは長いものらしい。思えば簡潔に済ませた人はいなかった気がする。そういうわけで、今日も長い入学式の挨拶を、ぼんやりと私は前の方で聴いていた。後ろを振り返りたかったが、低身長のせいで一番前にいる私が振り返るのはいかんせん目立つ。ゆえに、ソワソワとした気持ちを抱きながら、話が終わるのを待った。
西井と話がしたかった、のだ。
クラス分けはもう済んでいたのだが、なんと奇跡的に同じ学級になれた。そこそこ一学年の人数の多い学校ででも、である。なので、無事に同じ高校に入学できたことや、クラスが一緒であること、またそれに際して労いなり、軽口なり、叩き合いたかった。
本当に、奇跡か何かだと思う。だって、小学校六年生の時から、ずっと同じクラスなのだ。教師が生徒を選ぶことがあると聞いたことがあるが、本当なら、私と西井をワンペアとして扱ってくれた担任に感謝の念を抱くほかない。
かくして私たちは同じ教室に入った。すぐさま西井が私のもとへとやってくる。嬉しそうに、犬であればしっぽを振っていそうな表情で、それこそパアァと輝くような笑顔で、「日和!」と私の名前を呼んでくる。
「今年も同じクラスだね!」
「ていうか俺お前がこの学校受かると思わなかった」
「だってすっごい勉強したもん。日和付き合ってくれたから知ってるでしょ?」
もちろん、知っているとも。授業が終わると図書室にこもって、二人並んで勉強をした日々を。日が暮れて下校時刻になるまで、随分と集中していたことを、よく覚えていますとも。よほど離れたくなかったのか、あの西井が無駄口のひとつも叩かずに、教科書とノートに向き合ってカリカリとペンを走らせていたことを、とても、よく。
「まさかあんなに頑張るとはなあ……」
「だーかーらー。日和と一緒にいたいって言ったでしょ! できることはするよ! なんだってするよ!」
なんだって、かあ。
愛されてるなあ、なんて思っちゃったりして、ああ、私の馬鹿。
「そんなに離れたくねえの?」
「うん」
「さいですか」
「もー、何その淡白な反応。日和は俺と一緒で嬉しくないのー?」
西井はそう言うけれど、嬉しいからこそ淡白な反応しかできないのだと知ったら、どんな顔をするだろうか。嬉しいと、素直に言ってしまいそうだから、つっけんどんな対応しかできないとわかったら、貴方はどんな反応をするのでしょう。私がこころのうちを晒したら、曝け出したら、一体、どんな。
恐ろしくて、とてもじゃないけれどできないのだけど。
「西井がずっと傍にいると彼女できねえしなあ」
なので、適当に、男子高校生らしい発言でもしておく。
本当は、彼女なんていらない。
西井と一緒にいたい。それだけでいい。だのにこの口は本当に、天の邪鬼にもほどがある。けれどそうして誤魔化さないとやっていられないのだから、参ったものだ。
「え!? 日和、やっぱり彼女ほしいの?」
驚いた声に、少し満足した自分がいた。性格が悪いと、我ながら思う。西井の方を見ると、しょんぼりとした顔をしていた。その反応に、味をしめている自分もいる。本当に最悪だ。ひどいやつだ。こんな風に軽々しく相手を不安にさせては、自分が一番であると確認したいだなんて、面倒なやつにも程があるだろう。それなのに私の口ときたら、
「俺だって健全な男子高校生だもん。あー彼女と夏祭り行ってみてー」
などと言うものだから、西井はますますしょんぼりと眉と口角を下げて、笑顔をなくして、背中を丸めては、「そしたら俺ひとりぼっちになる……」と呟いた。心が痛むのと同時に、それだけ自分を必要とされていると感じているのだから、本当にタチが悪い。
「お前友達多いし平気だろ」
と言えば、西井はすぐさま頬を膨らませて、「日和は特別なんですー。日和がいいんですー」と返してくる。特別。私がいい。なんて、嬉しい響きなのだろう。私を求めてくれることに、格別の喜びを感じる。……それが、作り物の私でないなら、もっと、どれほど、嬉しかっただろうなあ。けれどそれは叶うはずのない、まやかしなのだ。胡蝶の夢、という言葉がふと浮かんだ。夢と現実が定かではない様子。まさにそれだと心の中で笑った。
「日和は? 俺のこと、特別じゃない?」
という問いは、卑怯だと思う。特別じゃないわけ、ないじゃないか。あの時あの瞬間から、貴方は私に色を、感情をくれた、ひとかたならない存在なのだ。
「さあね、どうだろうな」
なのにもう、『鵯』ときたら。
いつか嫌われるのではないか、呆れられるのではないか、そんな恐怖を抱きつつ演じるのは馬鹿みたいだ。素直に心を打ち明けたい。すべてを正直に話してしまいたい。きっと無理だと思いつつ、いつか叶えばと憧れる。
西井は「ええー」と不満げに声を漏らしたので、私は「あーもう」と返した。
「そんな反応してたらお前のことほっとけねえだろ。くそー男子高校生らしい青春できねー」
「じゃあ俺も彼女作るの頑張ったほうがいい? ダブルデートする?」
「やだよ」
さっきから思っていたけれど、本当に、私は西井との間に余計なものなんて挟みたくないのだ。
希望が通るのであれば、この先もずっと二人でいたい。
なんて、言えるはずもないから、誤魔化します。
「お前絶対はしゃいでうるさいもん。俺は彼女とオトナなデートしたいの。ステキなフンイキ。わかる? Do you understand??」
「あ、すっごい発音よかった」
「ツッコミどころそこかよ」
そう。
こんなふうに、馬鹿みたいに笑い合っていさせて。
二人で、くだらないことで、笑っていたい。
*…***…*
入学式から何日かが経過した。
クラスに馴染むためには西井とばかりいるわけにもいかず、他のクラスメートとも適当な付き合いをこなしていたのだが、その間に、私は気付いてしまった。
「なあ西井」
「んぇ?」
「お前最近、俺のこと好きって言わなくなったな」
中学一年生の頃、クラスメートにからかわれて以来、事あるごとに「好き」と言っていたのに、そうだ、あれは去年、同じ高校を目指すと言い出したあたりからだった。「好き」と言う頻度が減っていったのだ。なぜかはわからない。西井は変わらず傍にいる。けれど、言葉は確実に減っていた。当時は勉学に励んでいたので深く気にしないようにしていたが、受かってからも続くと、違和が強い。
だって、それが、楽しみだったのに。
好きと言われることが、何より嬉しかったのに。
西井は私の言葉に、戸惑ったように「え、」と声を漏らした。視線はさまよい、どこを見たらいいのかわからない、といった様子であった。よく見てみれば、喉仏が不自然に上下した。唾を飲み込んだようだ。明らかに、困惑していた。
ああ、なんだろう、この反応は。
もしかして、他に気になる人ができたのだろうか。
それとも、時が経って、男が男に好きということのおかしさに気付いてしまったのだろうか。
……あるいは。
あるいは、私のことを、嫌いになった?
……なんでそんな風に思うのだろう、これまでの付き合いできっとそれはないと感じているはずなのに、すぐに最悪のことを考えてしまう。
……嫌われたら、かぁ。
…………それだけは、嫌だなあ。
悲しくなって笑ってみせると、西井は慌てたように、「す、好きだよ!」と言ってきた。そのことに自分でも驚くほど安堵して、「そっかー好きかー」と返した言葉はこころなしか弾んでいた。自分で言うのもなんだが、私という人間は随分とわかりやすい。
しかし、なぜ西井は吃(ども)ったのだろう。伝えなくなった頻度といい、ここしばらくおかしいように感じられる。そういえば、他のクラスメートと仲良くしようとしていたから気付くのが遅れたが、あまり懐いてこなくなったようにも思える。
「ここんとこ変じゃね」
「え!?」
「ほら。過剰反応するし。調子おかしいぞ、熱でもあんのか」
受け取れるものが減ったからか、求めようとした私は西井に触れようと、手を伸ばす。額は熱くはなかった。風邪ではないようだ。まあ、風邪だとは思っていなかったけれど、万一風邪だったら心配だったので、そうでなくてホッとした。
そう思いながら彼の顔を見てみれば、ドキリと心臓が跳ねた。無防備な、へにゃりとした笑顔。波紋のように広がる笑みは愛らしくて、私は視線を左右に動かした。この顔を誰にも見せたくなかったのである。幸いにして、私たちを見ている者は誰もいなかった。ああ、つまり、私は今、西井のこの、恥じらうような笑顔を独り占めしているということだ。独占欲の強さに少し驚いたほどであるが、西井はそれに気付いた様子もなく、「大丈夫、平気」と笑顔のまま言った。
「心配してくれて、ありがとー」
そう言った顔が、頬が、紅を差したように赤く色づいていて、あれ、と思う。
さっきから、なんだ、この反応。まるで、そう、まるで。
「頬赤いけど」
「え?」
「やっぱ熱あるんじゃねえの」
いや、ないのはわかってる。だって、額に触れているのだから。普通の、いつもの体温の、西井がそこにいることは、わかりきっているのだ。
それでもこんなことを言ってしまうのは、
「保健室行くぞ」
そこまでの道のりを、二人きりで歩きたかったから。
一年生の教室がある四階から、保健室のある一階までの、ほんの少しの時間だけでいいから、二人きりになりたかったから。
「日和、」
「いいから」
ぐいと、少し強引に、西井の手を引いて歩く。
西井は、喋らなかった。
破顔した笑み。赤く色づいた頬。
期待に胸が高鳴る。
けれど同時に、不安も過(よぎ)る。
いつもと違う、違いすぎる様子に、何事かと思った。
「……大丈夫?」
無言の時間が重たくて、つい、言葉を発すると、
「……え?」
妙な間ができて、二人して黙り込んでしまった。
下手に言葉を紡ぐこともできず、歩いていると、ふと気付いた。
自分の歩幅で歩いているのに、なんら違和感がないことに。
いつもなら、コンパスの違いから、私のほうが少し早足で歩かなければいけないのに。
とどのつまり、西井の足取りが重いということなのだが、それは一体なぜ? 熱がないように感じただけで、実は具合が悪いのか?
「……大丈夫?」
もう一度、同じ声掛けをする。
「うん」
今度は間がなかった。
……なんだろう、この、微妙な距離感。
別に、嫌ではない、けれど。
自然でもない、不思議な感覚。
……ああ、なんだか、落ち着かないなあ。
「西井」
「うん?」
「言いたいことあんなら言えよ」
「え……ないよ」
「本当に?」
「うん」
「あっそう」
「うん」
欲しがったはずの時間なのに、どこかぎこちない。
欲しがったはずの距離なのに、どこか遠い。
もどかしくて、もどかしくて、私は。
「西井」
「うん?」
「俺、言いたいことあるんだけど」
「何?」
「好きだよ」
素直に気持ちを伝えることにした。
意味はないように、意図はないように、西井が普段言うようなテンションで、しれっと言ってみる。本当はどう思っているかなんて隠して、「え!?」と驚いた西井に、「驚くことかよ」と言ってのけた。
「だって日和から言うことなかったじゃない」
「お前が言わないから俺が言ったんだよ」
誤魔化しの技術なら人一倍あるので、さらりと嘘をついた。本当は、本当は私は。
西井は、うん、とぎこちなく頷く。私はその反応に唇を尖らせて、「喜べよ」と言うが、続く西井の言葉に目を瞬かせることとなった。
「あの……こっち見ないでね」
「は?」
「俺、今、たぶん顔真っ赤だから」
「……、……」
なんだその、付き合いたての恋人同士のような反応は。
驚いて、思わず振り返ってしまった。びっくりしたような顔で西井がこちらを見ている。それからすぐに、繋いでいない方の手で顔を隠す。
「みっ、見ないでって言ったじゃん!」
すみません、つい。
とは言えず、私は、「芸人の振りみたいなもんかと思った」とまたも誤魔化す。本当は、どうしてそんな反応をしたのか、どんな顔をしているのかが気になって、振り返ってしまったのだけど、言えるはずもない。
「俺は芸人じゃありませんー!」
そう言って抗議する顔も真っ赤で、ああ、もう、可愛いなあ。
「なんで顔赤いの」
私はその理由を知りたくて、ストレートに言葉を放つ。すると西井も、「日和が嬉しいこと言うからです!」と真っ直ぐな返答を投げてきた。
「嬉しいの?」
「……変?」
不安そうに、西井は尋ねる。私は即座に、「変」と答えた。西井は驚愕した顔で、「ええ!?」と大きな声を上げる。
「今更照れるなんて、変」
だってこれまで、何度「好き」を交わしてきただろう。
それなのに今更照れるなんて、私の言葉にこんな反応をするだなんて、……勘違いしそうになるではないか。
だから私は、こんな風に言うしかできない。本当に、どこまでも不器用だと思った。
「……そっかあ」
「そうだよ」
そう返して、私は西井の手を引く。
まあ。
……まあ、それは、私にも言えたことなのですが。
初めてちゃんと西井に「好き」を伝えたことで真っ赤になった顔に気付かれないよう、率先して前を歩き、保健室までの道のりでなんとかクールダウンを図るのであった。
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