連作短編「灰色に鳴る」

「灰色に鳴る」始:太陽を盗んだ男

 灰の瞳が、獲物を睨む。

 面金の中で爛々と、鈍色の眼光は静かに揺れて、飛びかかるそのときを待っていた。

 ふしゅるるとこぼれる獣の吐息が、乾いた道場に湿気た殺気を揺蕩わせる。

 獣のようにしなやかな彼の白い前脚が、前へ――緩急をつけて一気に全身が躍り出た。

 体軸にブレはない。自らの殺気の吐息に潜り込み、一足一刀。

 疾さを帯び始めた身体に置いて行かれて、垂れの中心でその名は揺れた。

 橋倉崇仁。


「鬼ィぁあア――――――――――あぁアしゃああヤああぁッ!」


 高い狼の咆哮がびりびり痺れて道場を揺らし、獲物を呑み込もうとする。

 しかし、対峙する男は微塵も揺らがない。

 巨岩のように重く高く立ち塞がり、突き立てて来る刃を折ってやらんと構えは堅牢。垂れの中心の前で竹刀をずしりと構えて、その名を決して揺らさなかった。

 瀧本龍伍。


「破ァあああ――――――――――アぁあぁあッたぁああアっ!」


 互いの叫びがぶつかり打ち消し合い、擦り合う二つの剣先の音に収束していく。かちり、かちり――音が消えた。橋倉の剣先が中心から下がって、奥へ。瀧本の懐へと潜り込む。「ッ!」

 瀧本の目元がぴくりと動いた瞬間橋倉は空を踏んで床を鳴らした。面を晒す。剣先が更に下がって絶好の打ち時――だが打つな。中心を維持しながら瀧本もどすんと床を鳴らす。ぴくんと僅かに橋倉の剣先が揺れた。やはり釣り糸を張られている。

 ここは攻めては――


「はぁッしゃ―――ああらッ!」「ぬうッ!」


 瀧本が思考を切り替えたのも束の間、近間に入り込んだ橋倉が素早く二連撃に切り替えてくる。面、途中で止まって変則軌道からの小手、瀧本は読み切り、双方を同時に隠す裏避けを瞬時に繰り出し前へと滑り込む。だだんと地は揺れ竹は弾けて間合いは収束、鍔競り合い!


「おぉおお――――――――ウぅるぁああッ!」

「きぃあああっしゃああ―――――――やッ!」


 零距離の叫びを互いに短く切って、力ではゆうに勝る瀧本が体当たりを仕掛ける。左斜め下から抉り込むように腕をかち上げて、橋倉の右腰を無理矢理空けて竹刀を叩き下ろした。


「胴ォォォ――――――ぅるぁあッ!」


 渾身の引き胴がばしんと鈍い音を響かせるが、骨には響いていないとすぐに分かった。

 元打ち――クソがこれでも崩れんのかしつこい奴が――!

 瀧本が舌打ちを鳴らしたその瞬間、狩り時を見つけて奴が今だと追って来る。舌を出し目を光らせ、鋭く速い爪のような連続攻撃が乱れ飛ぶ!


「はぁッ、しゃあああッ! らァあああ―――ったアァッ!」

「おォおおお―――――――らああッ!」


 瀧本も負けじと歯を食いしばり、己の竹刀を幾重にも躍らせる。火花が弾けた。斥力を膂力でねじ伏せ小手面、しかし弾かれ、落ちてきた橋倉の竹刀を首を捻って躱す。肩口が灼けたが構わない、この隙に引き胴を――打つな一手遅い、引き面を下ろせ!


「おらッ、しゃあああぁあ――――――アアアア!」「っ……!」


 がぁん! と竹刀が鈍く橋倉の面金を叩く。無効、だが激烈な一刀に確かな手応え。橋倉の体勢をぐらりと崩したこの瞬間こそが僅かな勝機だ。今だ、振り下ろせ――!

 後方への残心を左足でせき止め、その反作用で前へ跳び。引き面で頭上へと掲げた竹刀を全身全霊で振り下ろし、大地をずしんと踏みしめたその瞬間、


「メぇえぇえええ―――――――――――」



 かちり。



 地雷を踏まされたのだと、全てが手遅れになってから気付いた。

 ――あばよ。お疲れ。

 隣を通り過ぎていく、狼の嗤い声が聞こえるようで。

 空振った乾坤一擲を自嘲するように、瀧本は面の中で笑った。



「どォぉおッしゃあああ――――――――――――ったああァああッ!」



 粘り、しつこく、泥臭く戦っていたことが嘘だったかのように。

 美しく鮮やかな橋倉の抜き胴が、獲物のはらわたを喰い破っていった。

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